ビュルツブルクの世界遺産・レジデンツ・・・・『ミュンヘン発ドイツ周遊鉄道の旅』備忘録その4 [海外旅行]
★マリエンベルク要塞「君主の庭」からビュルツブルク旧市街★
ローテンブルク散策で中世の佇まいを満喫した私と娘は、次の目的地ドレスデンへの道すがら、ロマンチック街道の北の起点ビュルツブルクに立ち寄ります。
ドイツは鉄道網が発達しており、時刻表を日本国内で見ながら旅程表が作成できるので個人旅行も難易度が高くありません。
★ローテンブルク・オプデア・タウバー駅★
★ローテンブルク駅前★
ホテルから徒歩でも20分程度の駅前には殆ど何もない。
写真ではみえないが、右手にコンビニのようなお店が1軒だけあった。
★9:06発のシュタイナッハ行きREに乗車★
2両編成だが、自転車置き場のある新型車両で車内は快適
★乗換駅のシュタイナッハ駅ホーム階段:スーツケース用のリフト★
リフトの上にスーツケースを載せると、リフトが自動的に作動。
小さな駅でも旅行者への配慮があるのは『鉄道大国ドイツ』ならでは、、、
同じ列車に乗り合わせたリタイア世代の日本人夫妻はお祭りにあわせてローテンブルクに6泊してあちこち観光しているとか。ビュルツブルク観光のアドバイスをもらった。
★10:16;ビュルツブルク中央駅着★
世界遺産の街ということで、立ち寄り観光が多いのか、この駅には身軽に観光できるようにコインロッカーの数も多く、構内には軽食の店や小型のスーパーなども併設されており、旅行者には便利。
駅構内の大型コインロッカーにスーツケースを預けて、タクシーで市内観光に向かう。
《マリエンベルク要塞》
紀元前1000年頃ケルト人が築いた砦が基礎
マイン川西岸の丘の上にたつマリエンベルク要塞は、13世紀初頭にマリエン礼拝堂を囲む現在の形になり、1719年に旧市街にレジデンツが完成するまで歴代の司教が居住していました。
今も残っている建物は、17世紀に司教ユリウス・エヒターによってルネッサンス様式の城郭に改造されたものです。
当時の司教は領主も兼ねていたので絶大な権力と経済力を有していました。
「君主の庭」と名付けられた庭もあり、要塞とはいえ、お城のようです。
高台の堅牢な城塞には、中世の戦いに備えた造りが随所に見られ、砲台や外敵の侵入を防ぐ橋や井戸なども残っていました。
しかしその後、町中の贅を尽くした豪華なレジデンツに移ったことは、”聖職者としての規律ある生活”がすっかりゆるんでいたあらわれとみることもできるように思います。
時間があれば、眼下に広がる街並みを眺めつつ葡萄畑を要塞まで登るのがよいのですが、私たちは中央駅からタクシー利用で時間短縮できました。
マリエン要塞には教会や博物館もありますが、街を一望にできる眺めが素晴らしいので一見の価値があります。
★マリエンベルク要塞の中庭★
左端の丸屋根の建物は礼拝堂。
★要塞の外壁★
外壁に造られた小さな小屋は武器小屋?
★眼下に広がる葡萄畑と、マイン川越しには旧市街★
★葡萄畑の上に君臨するマリエンベルク要塞★
★アルテ・マイン橋を渡るとビュルツブルク旧市街★
橋の両側にはこの地にキリスト教を伝えたという聖キリアンら12人の聖人たちの砂岩像が並んでいる。
”聖人像が並ぶ橋を渡ると旧市街”という風景は、プラハのカレル橋とよく似ている。
この橋も戦争で破壊されたが元通りに修復されている。
《ビュルツブルク旧市街》
★マルクト広場★
★2本の尖塔が目印のキリアン大聖堂★
キリアン大聖堂は、ロマネスク様式の大きな教会。最初の建立は11世紀だが、その後何度も戦争で破壊され、現在の建物は1967年に再建されたもの。
★トラムが走る旧市街にはデパートや商店が並ぶ★
このあたりはドイツ有数の白ワイン、フランケンワインの主産地で、市内には老舗の醸造所がいくつかあります。直営のワインショップやレストランもあるので、時間にゆとりがあればぜひ立ち寄りたいところですが、私たちは世界遺産・レジデンツへ急ぎました。
《世界遺産・レジデンツ(司教館)とその庭園》
18世紀に司教たちの住居として、権力者の力を見せつけるように贅沢に造り上げられた荘厳な宮殿はドイツバロック建築の最高峰とされています。
若き天才建築家バルタザール・ノイマンが設計した宮殿は、かのナポレオンも「ヨーロッパで一番美しい司教の住まい」と感嘆したとか。
宮殿内部には、ティエポロが描いた広さ600㎡の世界最大のフレスコ画が見事な「階段の間」や、金と鏡で飾られたまばゆいばかりの「鏡の間」などがあります。
中央棟を挟んで北と南に翼棟を持つ構造の宮殿は、第二次世界大戦の戦火を逃れ、天井のフレスコ画など内部の装飾は近年修復されています。
残念ながら私たちの訪問時、内部見学はガイドツアーのみだったので、次のスケジュールの都合で内部の見学はあきらめました。
★広場レジデンツ・プラッツには女神像が立つ★
現在駐車場として使われている大きな広場は、領主と一般住民の間に隔たりを設けるためのものだった。
★世界遺産・レジデンツ★
★レジデンツ の「ホーフ・ガルテン(皇帝の庭)」も世界遺産★
★絵はがき「レジデンツの内部」
さて、18世紀の宮殿からビュルツブルク駅に戻った私たちは、駅の構内で遅い昼食用にフランスパンのサンドイッチとカプチーノを調達して、次の目的地ドレスデンを目指します。
★13:30ビュルツブルク発ICEに乗車★
約30分後、フルダ駅でドレスデン行きのICEに乗り換え。
★ドレスデン行きICE車内★
駅の改札はないが、ICEに乗車するとすぐに車掌が検札に来る。
ICE車内は、冷房が効き過ぎるくらい涼しかったが静かな車内は清潔で快適な旅。
列車編成や乗り換え情報などのミニリーフレットが配布され、食堂車からカップに入れたコーヒーを売りに来る車内サービスもある。
★ライプツィヒ駅:ここで列車は進行方向の向きを変える★
大学時代を過ごしたゲーテが「小さなパリ」とよび、バッハやメンデルスゾーンなど多くの芸術家ゆかりのスポットが点在しているこの街には世界最古の民間オーケストラもある。
★18:00過ぎ:ドレスデン中央駅到着★
古い駅舎に大きな屋根を被せたような造りの駅はドイツ鉄道ではよく目にする。
ドイツ中部から東部へ移動する4時間以上の長旅が無事終わり、駅からタクシーで今宵の宿に向かいます。
長らく東ドイツに属していたザクセンの古都ドレスデンには、2泊して、美術館巡りやエルベ川の船旅を楽しみました。(美術館巡りについてはこちらで詳しくご紹介)
★ユニークなボトルが特徴のフランケンワイン★
ところで、この旅では一度も味わう機会がなく心残りだったフランケンワインですが、後年思いがけない場所で出会うことになりました。それも、ビュルツブルクのマリエン要塞とゆかりがありそうなものだったのです。
(詳細はこちらをご覧下さい)
ローテンブルクで中世の面影を満喫・・・・『ミュンヘン発ドイツ周遊鉄道の旅』備忘録その3 [海外旅行]
★プレーンライン(ローテンブルク)★
ふたまたに分かれた道に挟まれた木組みの家と、ふたつの背の高い城門。
中世の面影が残るローテンブルクでも特に人気の撮影スポット。
ロマンチック街道の旅、ヨーロッパバスを途中下車した私と娘は、市庁舎近くのホテルに荷物を置いて堅牢な石壁に囲まれたローテンブルク旧市街をゆっくり散策しました。タウバー渓谷の高台にある旧市街には歴史的建造物も多く残っており、見所がたくさんあります。
★市庁舎(左の建物)とマルクト広場★
石畳が美しい広場は、11月下旬から、500年の伝統を誇るクリスマスマーケットのメイン会場となる。
街のシンボル的存在の市庁舎は、16世紀の火災で建物の半分が焼失したため、広場に面した建物はルネッサンス様式で奧は鐘塔つきのゴシック様式。
★クリスマス雑貨の専門店「ケーテ・ウォルファルト」★
★クリスマスのウインドウディスプレイ★
店内でクリスマスマーケットの雰囲気を1年中味わえる名物店。
クリスマス雑貨の他、伝統工芸品やぬいぐるみなどもありお土産探しが楽しくなる。
★ローテンブルクの街を守るため10世紀に築かれた石の壁★
城壁のように街を囲む壁は全長4.2㎞。
第二次世界大戦で破壊されたが、世界中の寄付により復元された。
壁の上部は自由に通行できる。
《頭上を見よ!素晴らしい細工の鉄の看板ウォッチング》
★パン屋★
★ソーセージが美しくディスプレーされた肉屋★
★看板の絵から察するに洋品店?★
★正面はレーダー門★
★広場に面したカフェレストランで郷土料理の夕食★
★白ビールとピルスナービール★
旧市街をゆっくり散策し、地ビールとドイツの風ロールキャベツとフランケン地方の肉料理を堪能してから、15-16世紀の貴族の邸宅を利用したというホテルに戻りました。
ロビーや廊下、レストランやバーなどのインテリアは歴史を感じさせる骨董品的家具。エレベーターも自分でドアを開閉する古いタイプですが、客室内の設備等は改装してあり清潔でした。
観光に便利な立地にある日本人客にも人気のホテルということで、夜は日本のテレビ番組が視聴できたり朝食のビュッフェメニューに日本食も並ぶうれしいサービスがありました。
★ホテル・アイゼンフート★
★中世の佇まい ホテルのロビー★
★歴史画が壁に架けられた ホテルのカフェ&バー★
★シュネーバル:雪の球の意味をもつローテンブルクの郷土菓子★
クッキー生地をボールのように丸めて焼き上げた(揚げた?)サクサクした菓子に粉砂糖をかけたもの。
地元民から愛されている伝統菓子らしく、シナモンやチョコレートなどフレーバーの種類も多くシュネーバルを売るお店がたくさんありました。これはミニサイズですが、日本人には十分な大きさです。
さて、翌朝は列車でドレスデンに移動するため、駅までのタクシーを予約しました。
ドレスデンでは2泊するので、ロマンチック街道の起点・ビュルツブルクで途中下車して市内観光の予定です。
ロマンチック街道をバスで巡る・・・・『ミュンヘン発ドイツ周遊鉄道の旅』備忘録その2 [海外旅行]
★世界遺産・ヴィースの巡礼教会★
世界中から年間100万人以上が訪れるという人気スポット「世界遺産・ヴィースの巡礼教会」にどうしても行きたかった私たちは、ミュンヘン市内観光をあきらめてノイシュヴァンシュタイン城からフッセンに戻ってヨーロッパバスでロマンチック街道をローテンブルクまで北上することにしました。
★8:00;フッセン駅前★
アルプスの麓にあり、ノイシュヴァンシュタイン城やヴィースの巡礼教会観光の拠点となる街の駅前からバスが出る。
朝8時の駅前にいたのはバスの乗客だけ(なぜかこの日は、ミュンヘンまで日本人客のみ)
フランクフルトーフッセン間のロマンチック街道を巡るヨーロッパバスは、夏期のみ北上便と南下便が毎日各一便運行されていますが、主な街で下車観光を兼ねた休憩時間があるので、ヴィースの巡礼教会のように鉄道駅から行きにくい小さな街も効率よく回れるのです。
フッセン発・北上便のルートは、
フッセン→ホーエンシュヴァンガウ(ノイシュヴァンシュタイン城)→ヴィースの巡礼教会→ミュンヘン中央駅→アウグスブルク→ネルトリンゲン→ディンケルスビュール→ローテンブルク→ビュルツブルク→フランクフルト(バスの終点)
◆◇ヨーロッパバスは空席があれば予約なしでも乗れるが、スーツケースを持って移動する私たちはネットで予約した(2008年はレイルパス所持者割引あり)
車内では、独・英・日3カ国語のガイド・アナウンスが流れ、ルートマップも配布される
★ホーエンシュヴァンガウで、昨日見学したノイシュヴァンシュタイン城が一瞬だけみえた
★8:48;ヴィースの巡礼教会到着★
団体客が押し寄せる前の静寂な聖堂内へ入場。
バスの発車予定時刻、9:10までの短時間でも見る価値があった。
(出発時刻は、バスの運転手が告げる)
フッセン郊外の草原に佇む世界遺産の教会は、村のキリスト像が涙を流したという奇跡から、その像を祀るために1746年にロココ芸術の頂点に立つツィンマーマンの設計で建てられました。天上を象徴する天井一面のフレスコ画が圧巻でしたが、聖堂内は撮影禁止になっていたので写真は絵はがきです。
(「ヴィースの巡礼教会」については、以前このブログでご紹介しているので、こちらもご覧下さい)
★ヴィースの巡礼教会・主祭壇★
大理石模様の柱や華やかな装飾に彩られた主祭壇に、教会の中心である「鞭打たれるキリスト像」が置かれている
★「鞭打たれるキリスト像」★
1738年6月、木像のキリストの顔に涙の跡のようないくつかの雫が発見されたことから、国の内外から大巡礼客が押し寄せることになった
★教会天井のフレスコ画★
淡い青色のフレスコ画は「キリストの再臨」を表現している。
虹の中央に座ったキリストと天使たち、空席の玉座、閉ざされた天国の扉が描かれている
★巡礼教会近くの民芸品店★
巡礼者をあてこんだ(?)木彫の宗教グッズやクリスマズ用品が目についた
◆◇ヨーロッパバスは、運行に関して運転手の裁量部分が大きいのか、教会近くの民芸品店に立ち寄ったり、時刻表になかったエッタールという街のバロック様式の修道院で10分間の休憩があった。
★11:10;ミュンヘン中央駅北口★
◆◇ロマンチック街道をはずれて、集客のためにミュンヘンへ。ここでようやく欧米人が乗車。
★12:35;アウグスブルク到着★
アウグスブルクは、紀元前15年、古代ローマ帝国によって開かれた古い街。
ロマンチック街道の中では比較的大きな都市で、13世紀になると、金融業者のフッガー家をはじめとした、貿易業と銀行業で潤った豪商一族たちがルネッサンス文化をささえていた。
街はずれにある、モーツアルトの父親の生家は、モーツアルトの自筆楽譜などを展示する「モーツアルト・ハウス」となっている
★アウグスブルク市庁舎★
広場に面して立つ市庁舎は、1615年に建てられたドイツ最大のルネッサンス様式の建物。長らくこの地を治めていたハプスブルク家の紋章である双頭の鷲が描かれた建物は、1944年に空襲で被害を受けたが、1985年に、約3キログラムの金箔を使って黄金の間が復元された
◆◇ヨーロッパバスの旅では、街の観光を優先し、パンなどを買い込み車中で食べることもできるが、私たちはアウグスブルクで25分間の休憩時間を利用して、近くのハンバーガーショップで昼食をとった。
★アウグスブルク中央駅★
★14:20;ネルトリンゲン到着★
ネルトリンゲンは、1500万年前に落下した隕石のクレーターの中にできた街。
全長2.5キロほどの城壁が街全体を囲んでいるこの街には、アポロ16号が持ち帰った月の隕石を展示する博物館がある。
★ネルトリンゲン聖ゲオルク教会★
街の中心にある「ダニエル」の名で親しまれる聖ゲオルク教会の塔に登れば中世の街の城壁を見下ろすこともできるが、10分間の休憩だったので、聖堂内の見学のみで終了。
★15:15;ディンケルスビュール到着★
ディンケルスビュールは、鉄道駅もない小さな街だが、1618~1648年の30年戦争や第二次世界大戦で破壊されなかったため、木組みの家が建ち並び中世の雰囲気が今も残っている
★ディンケルスビュール「ドイチェハウス」(左から2番目の建物)★
7層の木組みが美しい「ドイチェハウス」は15世紀に建造され、現在はホテル兼レストランとなっている
★ディンケルスビュール聖ゲオルク大聖堂(ミュンスター)★
15世紀に建立されたゴシック様式の教会が街の中心にある。
塔からの景色が素晴らしいようだが登る時間なし。
この教会はゴシック様式の建物と塔のバランスが不釣り合いにみえる。
実は建設資金不足のため、塔の部分は教会の前身のロマネスク様式の塔なのだ
★ディンケルスビュール聖ゲオルク大聖堂(ミュンスター)★
聖堂内は、約62メートルの天井で広々とした空間が広がる
中世の街並みが残るローテンブルクは、ロマンチック街道のハイライトとして人気の高い街。
私たちはローテンブルクでバスを降り、旧市街のホテルに宿泊して、中世の街並みが残る旧市街をゆっくり散策することにしました。
★16:00;ローテンブルク・シュラネン広場到着★
ホテルまで旧市街の石畳の道を、重いスーツケースを転がして歩くのは大変。
他の日本人客のように鉄道駅でヨーロッパバスを降りて、駅からタクシー利用が賢明だったと思っても後の祭
り・・・・
◆◇ヨーロッパバスの当時の刻表では、ローテンブルクで観光の時間があったはずなのに、途中で時間を食いすぎたため、この日は観光の時間がなくなって、同乗していたひとり旅の日本人女性は残念そうだった。
どうしても下車してゆっくり観光したい街には宿泊するのがベストか。
パリの名画散歩・・・・ルーヴルのまわり方、必見の美術館・作品は? [私的美術紀行]
★フォンテーヌブロー派「ガブリエル・デストレとその妹」1594年頃★
(ルーヴル美術館)
右側の女性がブルボン王朝初代の王、アンリ4世の最愛の女性ガブリエル・デストレ。
アンリ4世は生涯に56人もの愛妾がいたといわれるが、ガブリエルは、“王と国家に尽くした寵姫の鑑”ともいうべき存在。ガブリエルが公認の寵姫から晴れてフランス王妃になれる直前に急死したことで、アンリ4世は、ローマ教皇お墨付きの新しい王妃を迎えることになった。
莫大な持参金とともに、フィレンツェから嫁いできたマリー・ド・メディシスが、自分の生涯をルーベンスに描かせた21枚もの連作は、ルーヴル美術館のリシュリー翼3階の一室を埋め尽くしている。
時折暑い日がありますが、朝晩はめっきり秋らしさを感じる季節となりました。
私にとって東京に住むメリットのひとつは海外の名画を居ながらにして鑑賞できる美術展の開催が多いことです。今年もフェルメールやゴヤの名作が来日というので、展覧会に行くのがとても楽しみです。
秋の旅行シーズンにヨーロッパ方面で美術鑑賞を予定されている方もいらっしゃると思いますが、パリはルーヴルをはじめ多くの美術館があるので嬉しい反面、全部をまわりきれない悩みがあります。
私は、初めてのパリで、ルーヴルとオルセーを鑑賞し、その後ピカソ美術館やオランジュリーなどを見学しましたが、印象派の隠れ家といわれるマルモッタン美術館や、1900年パリ万博の会場となったプティ・パレ美術館、ポンピドゥー・センターなどまだ訪ねていない美術館がたくさんあります。
ルーヴルは、収蔵品が膨大で館内があまりに広いため事前にまわり方を研究しておかないと主要な作品を鑑賞するだけでも疲れてしまいます。
ガイドブックには見学持ち時間別のモデルコースなども乗っていますが、定番ベストコースを見学すると5-6時間は必要でしょう。
★レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナリザ(La Joconde)」
1503-1506年★
2回目のルーヴルとなった2008年は大晦日に見学という暴挙(?)だったので、チケット購入時から大行列し、モナリザの部屋では大柄な外国人に挟まれてもみくちゃになりながらの鑑賞。厳選した作品だけを約2時間で見てまわりましたが、今思えばもっと効率よく巡るコースがあったように思います。
★ラファエロ「聖母子と聖ヨハネ(美しき女庭師)」1507年★
★フェルメール「レースを編む女」1670年頃★
2009年の「ルーヴル美術館展にも来日した24×21センチという小さな作品は絵に近づいて細部まで鑑賞したい
さて、2006年に現代的に改装された「オランジュリー美術館」は、私にとって4度目のパリ訪問となった2008年にようやく入館することができたのですが、モネの愛好家にとっては見逃せない美術館です。
セーヌ川右岸のチュイルリー公園内にあるオランジュリー美術館は、皇帝ナポレオン3世が19世紀半ばに建てたオレンジ栽培温室(オランジュリー)が前身というこじんまりした建物。
1883年、43歳のモネはパリの北西約70キロのジヴェルニーに移り住んだ。
制作の傍ら庭造りに励み、自宅に隣接する土地の“水の庭”に日本から取り寄せた睡蓮を植えると、睡蓮のある風景をさかんに描くようになった。
自宅の睡蓮の池を描き始めた頃のモネは、画面に空、池の周囲の植物や橋などを描き込んだが、やがてその視線は池の風景から水面へ向かい、水面が映す世界へと移っていった。モネは睡蓮という主題のみで美術館を飾りたいと考えるようになった。
《モネ「睡蓮大装飾画」1914-1926年頃》
晩年は白内障に悩まされたモネだが、74歳の時、首相・クレマンソーと約束した「睡蓮大装飾画」の制作には86歳で亡くなる直前まで手を入れ続けた。
モネが視力・体力の衰えと闘いながら制作した8枚のパネルからなる 「睡蓮大装飾画」は、モネの希望に従ってオランジュリー美術館の楕円形をした二つの『睡蓮の部屋』に展示されている。
もともとはモネが望むように設計されながら、その後の改装で光を失っていた「睡蓮」が、天井から外光が降り注ぎ、変化する光の中で「睡蓮」を鑑賞できるようになった。
パリのオランジュリー美術館で、モネの「渾身の大作」の真ん中のソファに座って”360度の睡蓮の世界”にひたる至福のひととき。
★アンリ・マティス「赤いキュロットのオダリスク」1924-1925年★
モネの「睡蓮」鑑賞を主目的に行ったオランジュリーですが、地下1階に展示されているヴァルテール=ギヨーム・コレクションで印象派から1930年代までのフランス近代絵画をたどることができます。
ルノワールやセザンヌ、ピカソなど日本人にもなじみの画家の作品がたくさんありますが私にとっての発見はアンリ・マティスの作品でした。
オランジュリー美術館でこの作品を観るまで、私にとってマティスという画家の作品は絵画というよりも洗練されたデザイン画に近いイメージでした。
しかし、アルジェリアやモロッコを旅した50代半ばのマティスが描いた東方趣味の“オダリスク”は、マティス独特の色彩と装飾性を生かす格好の主題で、私好みのものでした。
私の手元にある美術書は、フランスの美術家、マルセル・デュシャンの「その前を立ち去ってはじめてマティスの絵があなたを捉えて放さないことに気づくだろう」というコメントを紹介しています。
たしかに、もう一度その絵の前に立ってみたいと思わせる作品でした。
★☆★お知らせ★☆★
このブログでも何度かご紹介している有地京子先生の美術解説セミナー、秋の講座が始まります。
今回のテーマは、“パリ名画散歩”ルーヴルを中心にジャックマール・アンドレ美術館やマルモッタン美術館なども含めてパリの名画を巡ります。もちろん、パリに行く予定がなくても十分楽しめる講座です。
詳細は、有地先生のHPをぜひご覧下さい
やったね、なでしこジャパン!ロンドン五輪出場決定 [サッカー]
なでしこジャパン・VS北朝鮮戦:
この試合はいつものなでしこらしさが殆どみられず、チームとしての課題もみえてしまったが、日本が負けなかったことが、本大会出場につながった
Photo by NHKテレビ中継
7月の女子W杯ドイツ大会で優勝して世界一に輝いたなでしこジャパンが、予選大会最終日の中国戦を残して来年のロンドン五輪の出場権を獲得しました。
アジア地区最終予選は、6カ国による総当たり戦で上位2カ国のみが本大会に出場できるという狭き門です。
五輪のサッカー競技で、男子は出場選手の年齢制限がありますが、女子は年齢制限がなく、五輪の方が注目度も高くW杯よりも格上の大会といわれています。
日本はアテネ五輪、北京五輪に続き3大会連続出場となりましたが、本大会の出場権を手にするのは世界中でわずか12カ国、W杯ドイツ大会の16カ国よりも少ないのです。
欧州は、W杯の成績上位国であるフランス、スエーデンと五輪ホスト国のイングランドの出場が決定しており、強豪といわれるドイツも涙をのみました。
<ユニホーム姿でも笑顔が似合うなでしこたち>
Photo by NHKテレビ中継
地元の子供たちと手をつなぎ、笑顔で入場するなでしこたち
中国語で話しかけてコミュニケーション力を発揮
”乙女走り”で人気の鮫島選手は、今年4月まで東京電力社員として、福島第一原発で働いていたが、海外でサッカーをする道を選んだ
入場前、笑顔で記念撮影に応じる”おしゃれ番長”川澄選手は、W杯に引き続き、日本の得点源として大活躍
”クールビューティ”近賀選手は、ロスタイムの失点に絡むミスで試合後は涙。
”場の盛り上げ役”大野選手も熱いプレーが持ち味
人気種目になったのは良いのですが、あまりの歓迎ぶりと過剰な期待に選手たちもとまどっていたに違いありません。過密日程とアジア予選を戦う難しさを知るサッカーファンは、もしも予選突破できなかったら一気に熱が冷めてしまうのでは・・・・と心配していました。
幾多の困難を乗り越えて夢を叶えていくなでしこジャパンが本大会に向けて良い準備をして、ロンドンで大輪の花を咲かせることを心から願っています。
さて、今回はなでしこフィーバーの陰に隠れてしまいそうな男子サッカーも、予選が始まっています。五輪男子サッカーのアジア地区予選は、FIFAの国際マッチデーではないため海外組の招集は難しく、2014年W杯ブラジル大会予選とも開催時期が近く、Jリーグの試合も普通に開催されるため、代表もクラブも選手のやりくりが大変。しばらくは、ジャパンブルーの応援からも目が離せない日々が続きます。
『ミュンヘン発ドイツ周遊鉄道の旅』備忘録その1・・・・若きバイエルン王夢の跡「白鳥城」へ [海外旅行]
絵はがき:ノイシュヴァンシュタイン城(白鳥城)
私が好きなTV長寿番組「世界の車窓から」は、ただいま「春のドイツ東部を巡る旅」をオンエア中です。(2011年7月18日から10月2日まで放送予定)
最近BSデジタル放送の旅番組を見る機会も多くなったのですが、鉄道利用の欧州旅行はゆとり世代の理想の旅スタイルでしょうか。私は鉄女ではないけれど、海外の列車に乗るのは大好きです。テレビの番組などで中近東など自分にとってまったく未知の国の車窓風景や街並みを見るのも楽しみですが、自分が旅した国や街の映像を観ると旅の思い出が甦るような気分で画面に見入ってしまいます。
2008年9月に、ミュンヘンからベルリンまで鉄道やバスを乗り継いで足かけ10日間で周遊したドイツは、鉄道総延長3万5986キロの鉄道大国ということもあり、テレビ番組で取り上げられる機会が多いようです。
ドイツの旅については、このブログでも何度かご紹介していますが、自分の備忘録として『ドイツ周遊鉄道の旅』のあれこれをまとめてみたいと思います。
<ドイツ10日間の旅・周遊ルート>
《鉄道》ミュンヘン→フッセン(ノイシュヴァンシュタイン城)
《ロマンチック街道バス》フッセン→ヴィース教会→アウグスブルク→ネルトリンゲン→ディンケルスビュール→ローテンブルク
《鉄道》ローテンブルク→ヴュルツブルク→ドレスデン→ベルリン
◆旅の始まりはミュンヘン◆
バイエルン州の州都ミュンヘンは1180年から約700年間、南ドイツを統治したバイエルン王国の首都。
日本人にとってもなじみ深いビール醸造の本場だが、サッカーファンにとってミュンヘンといえば、まず思い浮かぶのは強豪バイエルン・ミュンヘン。
今回はスケジュールの都合でミュンヘン市内観光は断念。
<夜のミュンヘン中央駅>
中央駅は、国際列車から近郊鉄道のSバーンやUバーンまで多種多様な列車が発着
ドイツでは、自転車をそのまま積んで乗車できる専用車両がある
旅行客で賑わう駅構内のフードコート
大きなプレッツェルは、シンプルな塩味でビールに合いそう
☆ドイツ到着第一夜の夕食はピザとポテトフライで
<朝、ミュンヘン中央駅からフッセンへ>
☆チケット売場で、ジャーマンレイルパスの刻印を受けてから乗車
(パスは日本で購入)
8:52発のフッセン行き列車に乗車
☆乗車当日は、線路工事のため途中駅から代替バスの運行
☆車内で、私たち同様ノイシュヴァンシュタイン城を見学してからローテンブルクに向かうという韓国・ソウルからきたご夫婦と隣り合わせになった。奥様が趣味で日本語勉強中とのことでこれから向かうノイシュヴァンシュタイン城の話題などでしばし話がはずんだ。
10:45:代替バスでフッセン駅到着
ロマンチック街道の終点となる海抜700メートルのフッセンは、ノイシュヴァンシュタイン城観光の拠点だが、アルプスの山々と湖を有する保養地として古くから有名。
☆まずは、宿泊ホテルに荷物を預けてから路線バスで城の玄関口ホーエンシュヴァンガウに向かうことにする。バスの乗車時間は10分くらいだが、タクシーもある。
12:20:城が見えるチケットセンターに到着
☆ノイシュヴァンシュタイン城の見学はガイドツアーの予約が必要だが、日本からネットで予約できる。
チケットセンターでのチケット引き換え時に、予約より早い時間帯に変更することも可能。
標高1000メートルにある城行きのシャトルバスもあるが、バス停からさらに10分程度歩くので、緑豊かな山道を徒歩で城に向かうことにした。
所要40分という林の中のゆるい坂道を、小雨の中30分くらいで登り、城の入り口下の大きな売店に到着。
13:20:ノイシュヴァンシュタイン城見学入場
1869年、第4代バイエルン国王ルートヴィヒ2世の命によって着工され、標高1000メートルの崖に建つ白亜の優美な城はディズニーのシンデレラ城のモデルともいわれる。
白鳥の騎士ローエングリンに憧れ、中世に思いを馳せる少年時代を送ったルートヴィヒが19歳で王位についた時直面した現実は、うち続く戦乱と北の大国プロイセンの圧力。
青年国王は、外交や軍備の拡充ではなく、白鳥の騎士の城造りに全精力を傾け、心酔するワーグナーがつくった中世の夢の世界を具現化することに莫大な資金と資材を投入した。
自らの夢のためには政務も財政も顧みない熱狂ぶりで次第に周囲の信頼を失った王は、即位から22年後の1886年、精神的な病を理由に王位を剥奪された。
ノイシュヴァンシュタイン城で拘束され、ベルク城に幽閉された翌日、ルートヴィヒはシュタルンベルク湖で謎の死を遂げた。
王の死によって未完成となった城だが、飾られている壁画、部屋の造作や装飾からルートヴィヒ2世の夢の跡をたどることができる。
☆城のエントランスは、チケットに印刷された時間指定のツアーコード番号ごとに入場可能になる。
ガイドツアーはドイツ語と英語のみだが、日本語のオーディオガイドを借りて(無料)から見学コースに進む。
ガイドがコントロールするツアー中の城内は写真撮影禁止なので、絵はがきとガイドブックの写真でご紹介。
『玉座の間』
5階まで吹き抜けになった広間は、戴冠式が行われたミュンへンのホーフ教会を模した造り。
教会のような造りは王の信仰心の表れだが、幅の広い大理石の階段の先に置かれる予定だった玉座は王の死で未完のままに終わった。
『寝室』
王が最も好んだ部屋は(ネオ)ゴシック様式。
191センチという長身の王に合わせたベッドの足もとにはキリストの復活、天蓋にはヨーロッパ中の聖堂をモチーフにした彫刻が施されており、隣室には小ぶりながら王専用の礼拝堂も備えている。
カーテンやベッドカバーの色は、王のお気に入りのロイヤルブルー。
壁の絵にはワーグナーも作曲の題材とした「トリスタンとイゾルデ」の場面が描かれている。
『居間』
居間は、大きなサロンと柱で区切られた「白鳥のコーナー」とよばれる一角からなる。
壁にはワーグナーのオペラでも知られる「ローエングリンの伝説」の場面が描かれており、板張り、絹製のテーブルクロスなどには白鳥のモチーフ。王が読書を楽しんだこのコーナーにはマヨルカ焼きの白鳥の花瓶が置かれている。
『歌人の間』に向かう廊下の窓からアルプ湖が見える。
(窓外の景色は撮影可)
『歌人の間』
王が熱望した壮観な広間は、ワーグナーの歌劇「タンホイザー」の舞台となったヴァルトブルク城の『歌合戦の間』を模している。
王の情熱にもかかわらず、存命中に一度も広間を使うことはなかった。
現在、毎年9月、「パルシヴァルの伝説」の壁画で埋め尽くされ、600本のローソクをつけた豪華なシャンデリアの広間で城内コンサートが開催されている。
ガイドツアーは『歌人の間』で終了。(所要約1時間)
城内のカフェでひと休みし、売店で絵はがきなどを購入して城から退出。
売店には、ルートヴィヒ2世の従姉妹で、ヴィッテルバッハ家出身のオーストリア皇妃エリザベートのグッズもあった。王は、エリザベートの妹と婚約しながら10カ月で解消し、生涯独身だった。
城から坂道を下ってマリエン橋近くの城の外観撮影スポットへ向かう。
マリエン橋から望むノイシュヴァンシュタイン城
城の後方はバイエルンのチロルとも呼ばれる緑豊かなアルゴイ地方(一部の外壁は修復工事中?)
ルートヴィヒは建設を命じたどの城よりもノイシュヴァンシュタイン城の完成を望んでいたが、17年の歳月をかけて建設されたこの城に王が滞在できたのはわずか172日間だけ。
☆帰路は、川の滝壺を見学してからシャトルバス利用でホーエンシュヴァンガウへ戻った。
☆バス乗り場で、朝方、列車の中で隣り合わせた韓国のご夫婦と偶然再会。韓国語のオーディオガイドがなく、英語の説明を聞いたのできつかったとのこと。お互いにドイツ旅行の無事を祈って別れた。
<フッセンの街>
オーストリア国境に近く、ローマ人が造った軍用道路の砦として生まれたフッセンは、ロマンチック街道の南端であると同時にアルペン街道の街でもある。
街の広場に面した老舗ホテルのカフェは皇妃エリザベートをモチーフにした「シシイトルテ」が有名。
シュヴァーベン料理のレストランの片隅に、フッセンが発祥の地である古楽器リュートが飾ってあった。
☆名物の濃厚なチーズたっぷりのパスタや餃子のようなパスタが入った優しい味わいのスープなど、フランスやイタリアから影響を受けたというシュヴァーベン地方の郷土料理を楽しんだ。(レストランおよび料理の詳細はこちらで)
アルプスの麓にある古い街は中世の建物が並ぶ美しい街並み
フッセンで宿泊した駅前ホテルは、ひと昔前のスキーリゾートホテルを思わせる造りでしたが、翌朝早くホテルを出発して、ロマンチック街道を巡るヨーロッパバスに乗車するには便利でした。
翌日は、私がどうしても行きたかったヴィース教会と、”ロマンチック街道のハイライト”ローテンブルクに向かいます。
宝塚花組・蘭寿とむ主演の「ファントム」を観て元気をもらいました [お気に入り]
残暑の厳しい午後、日比谷の東京宝塚劇場で宝塚花組公演「ファントム」を観てきました。
蘭寿とむの花組トップお披露目公演というので、平日にもかかわらず劇場内は様々な年齢層の女性たちで大賑わいでした。
2009年9月宙組特別公演「逆転裁判2」:
ゲームのミュージカル化に挑戦した公演では、
時にはコミカルな熱血弁護士役がゲームファンにも好評。
1996年の初舞台から15年でトップスターとなった蘭寿とむは、花組で10年間、宙組で5年間の研鑽を積んで花組に戻ってきたわけですが、普段宝塚とは縁遠い私なのに彼女の舞台だけはこれまでに2回観ています。
DSの人気ゲームの「逆転裁判」をミュージカル化するというので2009年のバウホール公演に出かけたのですが、私のお気に入りのキャラクターをかっこよく演じてとても素敵でした。宝塚通の知人の贔屓ということもあり早くトップスターになれるといいなと思っていました。
「ファントム」舞台写真より
さて、今回の演目「ファントム」は、フランスの作家ガストン・ルルーの怪奇小説が原作にしたミュージカル。
“パリ・オペラ座の地下には「ファントム」と呼ばれる人物が潜んでおり、彼に近づいた者は不慮の死を遂げる。ある日、天使のような美しい歌声をもつクリスティーヌと出会ったファントムは、・・・・”というストーリーですが、私がニューヨークで観たのはアンドリュー・ロイド・ウエバー版の「オペラ座の怪人」でした。宝塚のミュージカルは、私的にはなじみのないアーサー・コピット&モーリー・イェストンによる舞台版。昨年秋、俳優の大澤たかおがミュージカルに初挑戦したのもこちらですが、ストーリー展開も楽曲も両者は異なるようです。
蘭寿とむが演じるのは、顔の半分近くをマスクで覆い悲しみをにじませたミステリアスな佇まいの「ファントム」。衣装係の娘としてオペラ座にきた天性の美声の持ち主クリスティーヌとのロマンチックで切ないラブストーリーが中心になってはいますが、怪人の心の葛藤や前支配人との深い絆が描かれており、なかなか見応えのある舞台はフィナーレも感動ものでした。
宝塚音楽学校入学から卒業するまで一度も首席を譲らなかったという蘭寿とむの堂々とした演技と素晴らしい歌唱力を十分堪能できましたが、美しい顔がマスクで隠されていたのはちょっぴり残念でしたが、その分というわけではないでしょうが、ゴージャスな衣装早替わりではダンスもたっぷり披露。
2008年、宙組時代のポストカード
大きな羽根飾りを背負って舞台の大階段を単独で降りてくる蘭寿とむの晴れ姿に満場の客席から温かい拍手がわき起こり、何度も深々とお辞儀をする蘭寿とむの姿が印象的でした。
長年贔屓にしてきた男役スターの退団で、“もう宝塚は卒業”と思っていた知人も、“蘭寿とむの舞台を観ることが私の元気の素”と言っていました。
映画を観るのも楽しいですが、たまには生の舞台を奮発するのもいいなと思ったひとときでした。