HISAYA 魔界のヴァイオリン ~ HISAYA SATO , Violin / YASUKO TOBA , Piano
小柄な身体から繰り出される音色は、森ミドリさんが「言葉に表せぬほどの、また、打ち震えるほどの魂の音色を、皆様に間近でお聴きいただければ、、、」と12月の案内状に記されていた通りでした。
特に、モンティ作曲の「チャールダーシュ」。
このハンガリー・ジプシー民族舞曲は、多くのファンに親しまれている名曲ですが、テンポが速く超絶技巧系のテクニックが求められる部分の“火花が散るような名人芸”(宇野功芳氏のCD解説より)は圧巻でした。
(Photo by 「わがまま歩き」)
なにより、この音楽にのって民族衣装の女性たちが長いスカートを翻して踊り狂う光景が目に浮かぶような日本人離れした演奏に惹きつけられました。
コンサート会場で数枚のCDが販売されていたのですが、私は子どものころから聴く機会が多かったベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第5番「春」と共に「チャールダーシュ」などが収録されているアルバムを購入。
HISAYA 魔界のヴァイオリン ~ HISAYA SATO , Violin / YASUKO TOBA , Piano
佐藤久成さんが奏でる「春のソナタ」は、これまで私が聴いたことのある「春のソナタ」とはまったく別物。個性的で変貌自在の演奏なので聴き手によって賛否両論あるかもしれませんが私は優等生的な演奏よりも“全身全霊をもって曲に立ち向かい、体当たりをしている”(宇野功芳氏のCD解説より)演奏に感動しました。
佐藤久成さんの公式サイト
http://www.hisayasato.com/
で情報取集し、彼の類まれな才能を見出し、自らCDを企画した音楽評論家宇野功芳氏(故人)が指揮するオーケストラと共演した「チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲」が収録されているCDも購入。
こちらも個性満開のヴァイオリン演奏が堪能できるCDです。
先日、神保町の小さなブックカフェで開かれた演奏とトークのイベントに参加して3枚目のCDを購入し、懇親会で少しだけ直接お話もできました。
スマホに入れた佐藤久成さんの演奏を、Bluetooth機能でスピーカーから流し、臨場感あふれる演奏を楽しむのがマイブーム。
一度聴いたら虜になる魔界のヴァイオリン演奏、どうやらますます深みにはまりそうです。
<お知らせ>
森ミドリさん作曲の混声合唱組曲「津和野」は、ウイーン少年合唱団の日本公演でも演奏されましたが、津和野にある安野光雅美術館で安野先生の詩に出合ったことがきっかけで誕生。
先日の森ミドリさんのバースデー・コンサートでは、合唱曲を佐藤久成さんがヴァイオリン演奏してくれましたが、3月19日(日)に、津和野の安野光雅美術館でお二人のお話とコンサートが予定されています。
2017.1.21~4.2
東京都美術館
ヴェネツィア派の美術展は昨年、国立新美術館で開催されたばかりですが、本展は、ルーベンスやルノワールも憧れた“画家の王者”ティツィアーノをはじめとするヴェネツィア・ルネサンス美術の名作が多数出展されます。
本展チラシ等のメインビジュアルに使われているティツィアーノ初期の代表作のひとつ『フローラ』のキャッチコピーは、“バラ色の女神の誘惑”。
フローラは古代神話の花の女神ですが、古代ローマで最も人気があり奔放だった祭りの主役「娼婦フローラ」に関連した寓意とされています。
ティツィアーノ★『ダナエ』★
(1544-1546年頃):ナポリ、カポディモンテ美術館蔵
(本展チラシより)
ティツィアーノ(1490-1576年)は、本展にも肖像画が出品されているローマ教皇パウルス3世を擁する時の権勢家ファルネーゼ家との関係確立に成功し、ローマを訪れてラファエロやミケランジェロの作品を見、70歳になったミケランジェロとは実際に会っています。
今回が初来日となるナポリの美術館所蔵の『ダナエ』は、ローマへ旅立つ前にファルネーゼ家のために描いた作品です。
(参考作品)ティツィアーノ★『ダナエ』★
(1553年):プラド美術館蔵
(Photo byイタリア・ルネサンスの巨匠たち)
ギリシャ神話の名場面とされる“黄金の雨に姿を変えてダナエと交わる最高神ゼウス”をモチーフにした作品は、レンブラントをはじめ多くの画家が好んで描いています。
ティツアーノが後年描いた、同じモチーフの別バージョンの作品がプラド美術館やエルミタージュ美術館にあるので、ご覧になった方も多いのでは。
聖書の名場面“悔悛するマグダラのマリア”も絵画作品の人気テーマで、今回は2001年にも来日したナポリの美術館の作品が出品されています。
ティツィアーノ★『マグダラのマリア』★
(1567年):ナポリ、カポディモンテ美術館蔵
(本展チラシより)
(参考作品)ティツィアーノ★『悔悛するマグダラのマリア』★
(1560年代)エルミタージュ美術館蔵
(Photo by週刊世界の美術館)
ティツィアーノが77歳に描いたナポリの作品とほぼ同時期に制作されたと思われるエルミタージュ美術館所蔵の同じモチーフの作品は構図もマリアの着衣も類似しています。
胸に手を当て目に涙を浮かべて悔悟するマリアの手前に置かれたどくろや背景の様子からマリアの悔悟の深さが読み取れる作品です。
しかし、ティツィアーノが40歳頃に描いたフィレンツェ、ピッティ宮殿の所蔵作品は、神に祈りを捧げた後の法悦の表情をリアルに描き、聖女を官能的に描いた作品として注目されていました。
(↓拡大図)
マリアの輝くような長い髪で覆われた白い肌や胸元、上気した頬とうつろな瞳・・・
(参考作品)ティツィアーノ★『悔悛するマグダラのマリア』★
(1530年頃)フィレンツェ、ピッティ美術館蔵
(Photo by週世界の美術館)
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「ミュシャ」展
2017.3.8~6.5
国立新美術館
アルフォンス・ミュシャ★<四つの花「カーネーション」、
「ユリ」、「バラ」、「アイリス」>★
(1897年):大阪、堺市所蔵
ミュシャ(1860-1939年)は、世紀末のパリで活躍したアール・ヌーヴォーの大人気デザイナーで、女優サラ・ベルナールのポスターで一躍名を知られることになったのですが、晩年は故郷であるチェコに帰国し、祖国への想いをカンヴァスに描いていました。
アルフォンス・ミュシャ★<スラヴ叙事詩『原故郷のスラヴ民族』>★
(1912年):プラハ美術館蔵
第一次世界大戦を挟み17年を費やして描かれた総数20点からなる連作「スラヴ叙事詩」は、1928年にプラハ市に寄贈されましたがあまりにも巨大な連作が一堂に展示公開されたのは彼の死後24年を経た1963年のことでした。
本展は、国立新美術館の企画展示室にようやく収まる最大6×8メートルの大作など全20作が、チェコ国外で世界初公開となる前代未聞のスケールの展覧会。
チェコを旅して民族の歴史に触れ、ミュシャが描いたプラハの聖ヴィート教会の美しいステンドグラスに魅せられた私にとって、自らのアイデンティティに寄せるミュシャの熱い想いを東京に居ながらにして感じることができるのはとても楽しみです。
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「大エルミタージュ」展
オールドマイスター 西洋絵画の巨匠たち
2017.3.18~6.18
森アーツセンターギャラリー
ロシア、ロマノフ王朝の栄華を今に伝えるエルミタージュ美術館の膨大なコレクションから、17・18世紀バロック、ロココの巨匠、“オールドマイスター”といわれる画家たち(ティツィアーノ、クラーナハ、ルーベンス、ヴァン・ダイク、レンブラント、スルバラン、フラゴナールなど)の傑作が出展されるとのこと。
ティツィアーノ★『若い女性の肖像』(部分)★
(1536年頃):エルミタージュ美術館蔵
(本展チラシより)
クラーナハ★『林檎の木の下の聖母子』★
(1530年頃):エルミタージュ美術館蔵
(Photo byドイツ・ルネサンスの挑戦 デューラーとクラーナハ)
昨年、日本初の大回顧展が開催されたクラーナハによる個人の祈念ための甘美な聖母子像は、ヴィッテンベルクのザクセン選帝侯宮廷でも大変好まれ、クラーナハは多くのバリエーションを制作しています。
<おまけの情報>
ティツィアーノの描いた最も誘惑的な女性像といわれる『ウルヴィーノのヴィーナス』は、1538年頃の作品とされていますが、その少し前に制作されたと思われる本展チラシの『若い女性の肖像』から、顔つきやアクセサリーを転用したようにも見受けられます。
(参考作品)ティツィアーノ★『ウルヴィーノのヴィーナス』★
(1538年頃):フィレンツェ、ウフィツィ美術館蔵
(Photo by週刊世界の美術館)
(↓拡大図)
(参考作品)ティツィアーノ★『ウルヴィーノのヴィーナス』(部分)★
(1538年頃):フィレンツェ、ウフィツィ美術館蔵
(Photo byイタリア・ルネサンスの巨匠たち)
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ボイスマン美術館所蔵
ブリューゲル「バベルの塔」展
16世紀ネーデルランドの至宝
―ボスを超えてー
2017.4.18~7.2
東京都美術館
現存する油彩画はわずか40余点という、16世紀ネーデルランド絵画の巨匠ピーテル・ブリューゲル1世(1525/30-1569年)の傑作『バベルの塔』が24年ぶりに来日。
さらに、奇想天外な怪物たちが跋扈する世界を描いた奇才、ヒエロニムス・ボス(1450頃-1516年)の貴重な油彩画2点も初来日という大型企画展です。
ピーテル・ブリューゲル1世★『バベルの塔』(部分)★
(1568年頃):ロッテルダム、ボイマンス美術館蔵
(本展チラシより)
(参考作品) ピーテル・ブリューゲル1世★『バベルの塔』★
(1563年):ウィーン美術史美術館蔵
(Photo by西洋美術館)
ブリューゲルは生涯で3点の『バベルの塔』を制作したと推定されますが、現存する2点のうちボイマンス美術館の『バベルの塔』は、ウイーンの作品と目線を変え、周辺描写を加えることで、塔の象徴性をより強めたといわれます。
ウィーンの作品は、単に旧約聖書の物語を主題に描くのではなく、建築技術者の経験があるのかと思うほど具体性のある細密な建設風景が特徴。
作品のサイズは、ウィーン(114×155㎝)と比較して、ボイスマンの方は小ぶり(60×74.5㎝) 。
エアコン完備の都心の美術館巡りはシニアライフの大きな楽しみのひとつ。
最近の私にとって、欧米の美術館めぐりはハードルが高いのですが、東京に居ながらにしてハイレベルの美術鑑賞が楽しめる幸せを感じる日々です。
<クラーナハ 500年後の誘惑>
2016.10.15~2017.1.15
国立西洋美術館
ルーカス・クラーナハは、日本での一般的な知名度はあまり高くありませんが、デューラーと並ぶドイツ・レネサンスの巨匠。クラーナハは祭壇画・肖像画に加えてヴィーナスやキューピッドをテーマにした裸体画・狩猟静物画などを手掛け、多様な注文主を相手に企業家として成功した画家でした。
日本初の大回顧展には、世界10カ国以上から父子2代のクラーナハ芸術の全貌が明らかになる作品が出展されます。
クラーナハは私が好きな画家の一人ですが、これまでクラーナハの作品をまとめて鑑賞する機会がなかったので本展の企画が発表されてからずっと待ちわびていました。
ザクセン選帝侯の宮廷画家であり、宗教改革を先導したマルティン・ルターと親しい関係にあったクラーナハですが、彼を一躍有名にしたのは、独特の官能美を醸し出すヴィーナスなど女性の裸体像でしょう。
本展で、ウィーン美術史美術館所蔵作品で日本人にもなじみ深い『ホロフェルネスの首を持つユディト』など、パトロンである選帝侯好みの、細身で愛らしい女神たちの裸体像という「クラーナハ様式」の作品たちに誘惑されるのを楽しみたいと思います。
展覧会チラシ★『正義の寓意』(部分)★
1537年:個人蔵
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展覧会チラシより★『マルティン・ルターの肖像』★
1525年:ブリストル市立美術館蔵
クラーナハは、カトリック教会の腐敗を弾劾する宗教改革の旗手マルティン・ルターの肖像画家として広く知られ、数多くの肖像画を制作しています。
しかしクラーナハ自身が宗教改革の側に立っていたというわけではなく、ルターの宿敵ともいえるブランデンブルク枢機卿の肖像画を何枚も描いています。
絵はがき★『ホロフェルネスの首を持つユディト』★
1530年頃:ウィーン美術史美術館蔵
旧約聖書に登場するユダヤのヒロイン・ユディトは、美しく着飾り自分の町を包囲した敵軍の陣地に口実を設けて潜入。敵将ホロフェルネスを宴席で誘惑し酒を飲ませて眠らせ、その首をはねて持ち帰りました。
将軍を欠いた敵軍は混乱してあえなく退散したという物語は、男を虜にする美女を描く口実に利用され、多くの画家が主題として取り上げています。
クラーナハの作品は、冷たい眼差しのユディトが身にまとう当時のザクセン地方の最新宮廷ファッションと、美女が手を添える切断された頭部の繊細な描写の対比が怪しい雰囲気を醸し出しています。
★『ヴィーナス』★
1532年:フランクフルト、シュテーデル美術館蔵
(Photo by「西洋美術館」)
クラーナハは、1520年代から30年代にかけてヴィーナス像を数多く描いています。
恋愛の危険さを戒める教訓画という名目で、このような官能的な裸婦像が流通していたと考えられています。
★『アダムとイヴ』★
1537年:ウィーン美術史美術館
(Photo by「時空旅人」)
展覧会チラシより★『不釣り合いなカップル』★
1530-40年頃:ウィーン美術史美術館蔵
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->年がいもなく恋愛に没頭する老人と若い女性、“不釣り合いな二人”というテーマは、北方ルネサンスの絵画にはお馴染みです。
クラーナハの別の作品では、老人が若い女性に銅貨を支払うシーンが描かれています。
展覧会チラシより★『泉のニンフ』★
1537年以降:ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->クラーナハの作品の中で最も人気のあったもので、10点以上の別バージョンの存在が知られています。
“横たわる裸婦”というテーマは、16世紀初頭のヴェネツィア派・ジョルジョーネとティツィアーノによる『横たわるヴィーナス』が始まりとされますが、クラーナハはおそらくイタリア版画から影響を受けたといわれています。
画面左上の銘文には「聖なる泉の精、ここに休む。わが眠りをさまたげることなかれ」と書かれています。
(参考資料:同朋出版「西洋絵画の巨匠たち」)
フィレンツェで開花したルネサンスは、イタリア各地の宮廷都市に波及。
特に15~17世紀初頭にかけてヴェネツィアで育まれた絵画は、「ヴェネツィア派」と呼ばれ16世紀に最盛期を迎えましたが、色彩豊かで自由奔放な表現で魅了する絵画たちをまとめてみることができる美術展に行ってきました。
ヴェネツィア・ルネサンスに絞った企画展は珍しいので、一見の価値はあるかと思います。
日伊国交樹立150周年特別展 アカデミア美術館所蔵
<ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち>
2016.7.23~10.10
国立新美術館
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展覧会チラシより
(左上)ジョヴァンニ・ベッリーニ★『聖母子』、通称『赤い智天使の聖母』★1485-90年
初期のヴェネツィア派を代表するベッリーニは多くの聖母子像を残していますが、本作は母子が交わす視線に温もりを感じさせ、宗教画の中に人間味が描かれています。
(左下)ティツィアーノ★『受胎告知』★1563-65年頃:ヴェネツィア、サン・サルヴァドール聖堂祭壇画
ティツィアーノが70歳を超えてから制作した高さ約4メートルの祭壇画が日本初公開。
展覧会場で間近で作品を見ることで、印象派を先取りしたようなタッチが確認できます。
展覧会チラシより
(中央)ヴェロネーゼ★『レパント海戦の寓意』★1572-73年頃
(左上)ティントレット★『聖母被昇天』★1550年頃
10月以降の美術展情報から私が特に興味のある展覧会について少しまとめてみました。
10月から上野では、日本でも絶大な人気を誇るゴッホとゴーギャンという二大巨匠の共演を堪能できる美術展が近接する2会場で開催されます。
一気にハシゴ鑑賞して、危ういまでの強烈な個性を放つ二人の世界に思い切り浸りきるか、余韻を愉しみながらゆっくり鑑賞するか?
<ゴッホとゴーギャン展>
2016.10.8~12.18
東京都美術館
ゴッホ★『ゴーギャンの椅子』★
1888年:ファン・ゴッホ美術館蔵
ゴーギャン★『タヒチの3人』★
1899年:スコットランド国立美術館蔵
(左上)ゴッホ★『自画像』★
1887年:クレラー=ミュラー美術館蔵
(右下)ゴッホ★『ジョゼフ・ルーランの肖像』★
1889年:クレラー=ミュラー美術館蔵
本展のチラシやチケットのメインビジュアルに使われているゴッホ作『ゴーギャンの椅子』(1888年)は、2010年秋の「ゴッホ展」にも出品されましたが、今回は、同じような椅子をモチーフにしたゴーギャンの作品も出品されています。
(2010年の「ゴッホ展」については、同年10月27日付の本ブログでご紹介しています)
南仏アルルで芸術家のユートピアをつくろうと夢見て同志を集めようとしていたゴッホですが、画商をしていた弟テオの働きかけでようやくゴーギャンが来ることになりました。何人もの友人から断られていたゴッホは大喜びでゴーギャンのために家具を買いそろえたり、ひまわりの絵を何枚も描いて部屋に飾って待ちわびていたといいます。
しかし、あまりにも個性の強かった二人の共同生活は二カ月で破たんし、ゴーギャンはアルルを去ってしまいます。
(参考作品)ゴッホ作★『ゴッホの椅子』★
(1888年:ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)
(Photo by「週刊 西洋絵画の巨匠」)
ゴッホが質素な生活の中で大切な友のために購入した高価な椅子をモチーフにした作品は、二人が対立しゴーギャンがアルルを去る少し前に描かれたようです。
ゴッホ自身が使っていたシンプルな椅子と比べると、ゴーギャンに対する気遣いがいじらしく感じられるほど贅沢な椅子ですね。
(右上)ゴーギャン★『自画像』★
1885年:キャンベル美術館蔵
ゴーギャンが画家となった初期のころの作品。
(右下)ゴーギャン★『肘掛椅子のひまわり』★
1901年:E.G.ピュールレ・コレクション財団蔵
タヒチに渡り画家として成功したゴーギャンも心の闇を抱え、自殺未遂事件などがありましたが、死の2年前、タヒチにはないひまわりの種を取り寄せて『肘掛け椅子のひまわり』を制作しています。
(参考作品)ゴーギャン★『椅子の上のひまわり』★
1901年:エルミタージュ美術館蔵
(Photo by「週刊 西洋絵画の巨匠」)
ゴッホのシンボルともいえるひまわりを、アルル時代にゴーギャンが使っていたものを思わせるような椅子に載せた作品は、亡き友へのオマージュとも考えられますね。
ゴーギャンは、ほぼ同じ構図の作品を数点描いています。
<デトロイト美術館展
~大西洋を渡ったヨーロッパの名画たち~>
2016.9.7~2017.1.21
上野の森美術館
さて、アメリカ中西部にあるデトロイト美術館は、自動車産業の巨万の富を示すコレクションといわれています。幅広いジャンルの約6万点に及ぶコレクションより今回は印象派から20世紀初頭までのヨーロッパ近代絵画の「顔」ともいうべき名画が集結したとのこと。
ゴッホやマティスの作品をアメリカの公共美術館として初めて購入した美術館から、その作品が出品されているのが見どころのひとつです。
※本展は、自動車産業が盛んなデトロイト市と豊田市の姉妹都市締結55周年記念事業として、豊田市で2016年4月に開催され、大阪を経て東京で巡回開催されるものです。
ゴッホ★『自画像』(部分)★ 1887年
生涯に40点近い自画像を残しているゴッホがパリ時代に描いた作品。
明るい色彩や線状のタッチなどに印象派の影響が見られるが、全図では青いスモックの中央部に指で絵具を置いた跡が残る。
(上)モネ★『グラジオラス』★
1876年
(右下)ルノワール★『座る浴女』★ 1903-06年
ゴーギャン★『自画像』★ 1893年
上でご紹介している1885年に描かれた自画像↑と比べると、本作では風貌にかなりの変化が見られます
マティス★『窓』★1916年
マティスは「色彩の魔術師」と呼ばれることもあり、『赤の調和 赤い室内』に代表されるように原色のイメージがありますが、“アメリカが初めて見たマティス”となる本作は抑えた色使いで床と壁の境や奥行感があいまいで、平面性が強調されています。
セザンヌ★『サント=ヴィクトワール山』★ 1904-06年
“二十世紀絵画の父”セザンヌの精神的支えだった故郷の山を描いた晩年の作品のひとつ。
ピカソ★『読書する女性』★1938年
15点の日本初上陸作品の中でも本作は、1957年にフォード一族が購入後、2005年にデトロイト美術館に所蔵されるまで一般公開されていなかった必見の作品。
★★★「クラーナハ」と「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」
については、別記事でご紹介します★★★
ローマで画家として成功したカラヴァッジョですが、乱闘の末の殺人によって「死刑宣告」が出され、逃亡生活の中で作品を描き続けながら南イタリアで病死。
彼の死後、ローマで恩赦が出たとはいえ、最高額紙幣の図柄に使うとは日本人の感覚からはちょっと大胆な印象です。
もう一つ、彼の代表作として紙幣の図柄に使われたのはルーヴル作品の「女占い師」というのも、他に代表作にふさわしい作品があるのでは? など、私的には違和感があります。
宗教画や異教徒的主題ではないものを選びたいという意図だったのでしょうか。
本展では、カラヴァッジョの裁判や暴力沙汰などの出来事を記録した古文書も展示されているので、貴重な機会をお見逃しなく!
(展覧会チラシ:新バージョン)
絵はがき★『果物籠を持つ少年』(部分)★
(1593-94年:ローマ・ボルゲーゼ美術館蔵)
参考★『ヴィーナスの誕生』★
(1485年頃:ウフィツィ美術館蔵)
(Photo by「世界の美術館」)
ルネサンスの巨匠・サンドロ・ボッティチェリ(1445年頃~1510年)というとギリシャ神話を主題にした『ヴィーナスの誕生』や『春(プリマベーラ)』の印象が強すぎるのですが、いくつかの美しく優雅な聖母子を描いており、今回の大回顧展にも聖母子像の代表作が来日しています。
ルネサンスが開花した15世紀、絵画は礼拝の対象から鑑賞への対象へと変わりつつあったのですが、ボッティチェリは、若いころ初期ルネサンスを代表する画家であるフィリッポ・リッピに師事しています。
フィリッポ・リッピは修道士でありながら尼僧と駆け落ちし子どもまで設けたエピソードの持ち主。
フィレンツェ絵画を代表する優しい作風の画家で、聖母子像など天上的な主題の作品は感情の機微を持ち描き手と同時代のリアリティに満ちています。
聖母の麗しい姿や軽やかな衣の表現は、弟子のボッティチェリや息子フィリッピーノ・リッピに受け継がれています。(本展覧会にはリッピ父子の作品も多数展示されています)
実は、今回展覧会で鑑賞した作品の中から私的にお気に入りだった作品を調べてみたら、ウフィツィ美術館やパラティーナ美術館の所蔵品で、2回のフィレンツェ訪問で鑑賞しているはずの聖母子を主題にした作品が多かったのです。
どうやら、聖母子の画家といえば、ラファエロが私のファースト・チョイスになってしまいボッティチェリの作品はあまり思い浮かばなかったようです。
今回、ボッティチェリの資料から自分の好きな聖母子作品を探していたら、ベルリン美術館で鑑賞した作品がいくつか見つかりました。
参考★『歌う天使と聖母子』★
(1477年頃:ベルリン美術館蔵)
(Photo by「世界の美術館」)
画家が33歳頃の作品。
聖母子と8人の天使たちが身体を寄り添わせて円形の画面(トンド)に無理なく収められている。
参考★『玉座の聖母子と諸聖人』(バルディ家祭壇画・部分)★
(1484年:ベルリン美術館蔵)
(Photo by 「聖母マリアの美術」)
本作の聖母は授乳のために静かに衣を開けており、礼拝の対象である祭壇画でありながら人間味のある仕草の聖母像が描かれている。
本展覧会の目玉作品として、チラシにも採用されている『書物の聖母』は、待望の初来日。
ボッティチェリ円熟期の傑作には、金箔やラピスラズリなどの高価な素材が多用されており、実物の質感や色彩を間近で鑑賞したい作品です。
絵はがき★『書物の聖母』★
(1482-1483年頃:ポルディ・ペッツォーリ美術館蔵)
14世紀頃までの硬い表情の聖母子像と違い、ある家庭の日常の一コマのように人間らしく描かれた母子の間には無言の対話がある。
悲しみをたたえた視線を、幼子の可愛らしい左腕に巻かれた将来の「受難」の象徴である茨の冠や3本の釘に向けるマリアは、子の運命を悟って苦しんでいる。
母を仰ぎ見るキリストはほほえみながら、そんな母に対し、自らの使命の意義を語り、慰めているのだろうか。
(参考:朝日新聞、2016年1月14日)
聖母子のポーズは、聖母子像の中でも人気が高いトンドとして描かれた『マニフィカトの聖母』とよく似ています。
ウフィツィ美術館所蔵の『マニフィカトの聖母』は今回来日していませんが、会場の内売店で絵はがきを販売しています。
参考 絵はがき★『マニフィカトの聖母』★
(1480-1481年頃):ウフィツィ美術館蔵)
聖母は天使が支える書物を前に羽ペンをインク壺にひたしている。
書物の開かれた右ページには「マニフィカト」(あがめる)という単語で始まるルカ伝のマリアの讃歌の言葉を読むことができる。
絵はがき★『聖母子と4人の天使(バラの聖母)』★
(1490年代:フィレンツェ、パラティーナ美術館蔵)
ボッティチェリと工房による作品。
トンドは15世紀後半のイタリアで、邸宅内の装飾のひとつとして飾れるので人気があった。
本作は構図のバランスを取るため、背景に複数本のバラを描いている。
洗礼者聖ヨハネは、旧約の世界の最後の預言者であるとともに、キリストの先駆者として新約の始まりに立っているという極めて重要な存在です。
聖母マリアの従妹・エリザベツの息子であるヨハネは荒野で修行し教えを説きながら、ヨルダン川の川辺で人々に洗礼を施していました。キリストにも洗礼を施した人物で、数多くの宗教画の主題になっており、聖母子との3ショットも画家に人気の主題。絵画作品の中では幼いヨハネも十字架のついた杖やラクダの毛皮というアトリビュートを身に着けています。
絵はがき
★『聖母子、洗礼者聖ヨハネ、大天使ミカエルとガブリエル』★
(1485年頃:フィレンツェ、パラティーナ美術館蔵)
洗礼者ヨハネ(左端)が、長い髪の美少年として描かれている作品。
ボッティチェリは、生涯にわたり多数の宗教画を描いていますが、それぞれの時代で影響を受けた人物により同主題でも画風が違うことが感じられます。
工房時代は、師であるフィリッポ・リッピの影響を受けた古典的なキリスト教絵画、メディチ家の庇護をうけた時代は古代芸術に影響を受けた神話のような趣き。
そしてメディチ家が追放された最晩年に描かれた下記の作品は、宗教改革家サボナローラの影響から中世風な作風に回帰しています。
絵はがき★『聖母子と洗礼者聖ヨハネ』★
(1500-1505年頃:フィレンツェ、パラティーナ美術館蔵)
聖母マリアが、幼子をヨハネに委ねるという主題。
縦長の画面に身体を屈めるように描かれた聖母も抱かれているキリストも表情が硬く、動きもぎこちない。
ルネサンスの光と闇を生きたボッティチェリの晩年は、儲けたお金を使い果たし仕事もなく不遇の中で死んでいったといわれています。
≪おまけの画像≫
本展覧会にはフィリピーノ・リッピの『幼児キリストを礼拝する聖母『』という作品が展示さていますが、父親でボッティチェリの師であるフィリッポ・リッピによる同主題の作品(ベルリン美術館所蔵)をご紹介します。
フィリッピーノ・リッピ★『幼児キリストを礼拝する聖母』★
(1478年頃:ウフィツィ美術館蔵)
(Photo by 「時空旅人」)
師でありライバルでもあったボッティチェリの影響が顕著に見られる作品。
参考フィリッポ・リッピ★『幼児を礼拝する聖母』★
(1459年頃:ベルリン美術館蔵)
(Photo by「世界の美術館」)
当初はメディチ家礼拝堂の祭壇画として飾られていた作品。
聖母子をはじめとする登場人物たちがリアルな人間に描かれている一方で、画面全体の繊細な装飾により神秘感が漂っている。
(左端は洗礼者聖ヨハネ)
聖母マリアは受胎告知からキリストの誕生、復活・昇天まで聖母子の図像として多種多様にわたって描かれていますが、年老いた聖母の姿はあまり多く見られません。
13世紀半ばころにまとめられた『黄金伝説』によると
“聖母が72歳を迎えた日、大天使ミカエルが、死に対する勝利を意味する棕櫚を手に持って3日後に天に召されることを予告し、布教活動に散っていた使徒たちを聖母のもとに集める”
とあります。
今回展示されていた、フィリッポ・リッピによるバルバドーリ祭壇画の裾絵として描かれた3連の板絵の中に『聖母の死の告知』という作品がありました。
あまりポピュラーな主題ではなく有名な作品も少ないからでしょうか、展覧会の売店で、ワイド判の絵はがきを販売していました。
絵はがき フィリッポ・リッピ★『聖母マリア死のお告げ』★
(1438年頃:ウフィツィ美術館蔵)
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(映画「カラヴァッジョ~天才画家の光と闇」のチラシ)
没後400年記念に公開された映画「カラヴァッジョ~天才画家の光と闇」を見て、彼の人生と作品に興味を持った私ですが、カラヴァッジョ作品の最大集積地であるローマをはじめとしたイタリアを再訪する機会もないままだったので、今回の展覧会は本当に待ちわびていた企画展です。
ここでは、『エマオの晩餐』など本展覧会で見られる作品をいくつかご紹介します。
★『エマオの晩餐』★
(1606年:ミラノ、ブレラ美術館蔵)
(展覧会チラシより)
私が初めて出逢ったカラヴァッジョ作品『エマオの晩餐』は、2人の弟子が食卓を共にした男が、復活したキリストであることを知って驚く場面を描いています。
色調を抑えながらも光と闇との対比がドラマチックな効果をあげている晩年の傑作。
本作は、死刑宣告を受けたカラヴァッジョの逃亡生活の中で制作されており、ロンドン、ナショナル・ギャラリーが所蔵する1601年に描かれた同主題の作品と比べると、」画面から受ける印象が全く異なります。
人物の動きを抑え、画面に射し込む強い光はなく闇が広がっており、カラヴァッジョの晩年洋式の始まりが見られる作品です。
★『トカゲに噛まれる少年』★
(1596~1597年頃:フィレンツェ、ロベルト・ロンギ美術史財団蔵)
(Photo by「日経おとなのOFF」)
バラの花に隠れていたトカゲに噛まれて驚く少年という初期の風俗画。
バラは愛を表すため、恋の道には痛みが伴うという教訓を表したものといわれます。
カラヴァッジョはローマ時代の初期、単独の少年と果物などの静物が組み合わされた作品を数多く描いており、 同主題の作品はロンドン、ナショナル・ギャラリーも所蔵しています。
フランドル派の影響により静物画や風俗画がさかんになりつつあったミラノで修行したカラヴァッジョは静物の描写が得意でしたが、人物表現の伝統が根強いローマでは、少年と組み合わせる必要があったと考えられます。
★『女占い師』★
(1598~1599年頃:ローマ、カピトリーノ絵画館蔵)
(展覧会チラシより)
ロマの女占い師に手相を見てもらう若者という構図ですが、女は世間知らずの若者の指からそっと指輪を抜き取ってしまいます。
同じ頃に描かれたとみられるルーヴル美術館所蔵の同主題の作品は、ほぼ同じ構図ながらモデルなった女も若者も異なっています。ルーヴル作品の若者のモデルは、カラヴァッジョの舎弟であった画家のミンニーティ。
参考★『女占い師』★
(1595~1598年頃:ルーヴル美術館蔵)
(Photo by「もっと知りたいカラバッジョ」)
ルーヴル美術館はカラヴァッジョの作品を3点所蔵していますが、上記有地京子先生の「ルーヴルはやまわり」には、『女占い師』と『聖母の死』の詳しい解説があります。
★『ナルキッソス』★
(1599年頃:ロマ、バルベリーニ宮国立古典美術館蔵)
(Photo by 「時空旅人」)
水面に映った自分の姿に惚れ込んで溺れてしまった美少年ナルキッソス。
わが身に恋する美少年とニンフのかなわぬ恋物語〝ナルシスとエコー”は、ローマ時代のオウィディウス『変身物語』による叙情的な物語です。
写真ではわかりにくいのですが、暗闇の中に浮かび上がるナルキッソスと水面に映った彼の姿が互いを見つめあう構図をじっくり見るのが楽しみです。
★『エッケ・ホモ』★
(1605年頃:ジェノヴァ、ストラーダ・ヌォヴォ美術館蔵)
(展覧会チラシより)
ローマ総督ピラトに捕らわれ、鞭打たれて傷ついたキリストが群衆の前に引き出された場面ですが、本展覧会では、依頼主が他の画家にも描かせた同じ主題の作品と並べて展示されるとのこと。
★『洗礼者ヨハネ』★
(1605~1606年:ローマ、コルシーニ宮国立古典美術館蔵)
(Photo by「日経おとなのOFF」)
洗礼者ヨハネはカラヴァッジョが数多く描いた聖人ですが、本作では若々しい裸身が月光に照らされて浮かび上がる構図となっています。
2010年に東京都美術館で開催された「ボルゲーゼ美術館展」には、カラヴァッジョ最晩年に制作された同主題の作品が来日しています。
参考 絵はがき★『洗礼者ヨハネ』★
(1610年頃:ローマ、ボルゲーゼ美術館蔵)
憂いに満ち、放心したようにこちらを見るヨハネが持つ杖は十字架状のものではなく、洗礼用の椀もラクダの毛皮もありません。また、背後にいるのもヨハネの子羊ではなく角の生えた牡羊として描かれています。
洗礼者が救世主を待っていることを示すようでもあり、殺人罪の恩赦を待つカラヴァッジョの姿に重なるという見方もできます。
生涯にわたって死を描き続けたカラヴァッジョは斬首を主題にした作品が多いのですが、ペルセウスに斬首されて楯に封じ込まれた魔女メドゥーサの断末魔の叫びが凍りついた作品。今回は、ウフィッツィの作品と同じころ制作された個人蔵の作品が展示されるようです。
参考★『メドゥーサ』★
(1597~1598年:フィレンツェ、ウフィッツィ美術館蔵)
(Photo by「もっと知りたいカラバッジョ」)
本展覧会は、カラヴァッジョの世界を体感できるように、五感、風俗、光、斬首などのテーマごとに構成されカラヴァッジョの作品をカラヴァッジェスキ(継承者たち)の作品とともに紹介されるとのこと。
誰のどんな作品に出会えるのか開催が待ち遠しいですね。
上野の東京都美術館で開催中の「マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展」~「印象、日の出」から「睡蓮」まで を見てきました。
パリのマルモッタン・モネ美術館には、印象派の巨匠で日本人にも大変人気があるモネが86歳で亡くなるまで手放さなかった作品などが多数所蔵されているのですが、私はこれまで行く機会がありませんでした。
今回展覧会の目玉作品として特別出展(東京展では10月18日まで)の『印象、日の出』は、「印象派」という呼称の由来となった記念すべき作品であるのに、私が実物を見るのは今回が初めてなのでとても楽しみでした。
絵はがき★『印象、日の出』★
(1872年:マルモッタン・モネ美術館所蔵)
実は、本作はこれまで1873年に制作された作品とされていたのですが、2014年、特別プロジェクトチームによる様々なデータの詳細分析により、本作が描かれた制作年月日は、1872年11月13日午前7時35分頃が一番可能性が高いとされたのです。モネは、ルアーブルの港を見下ろす海岸沿いにあったホテルの3階の部屋から見た風景を描いたようです。
実際に見た印象ですが、朝焼けの港の風景は印刷物などと比べ、作品を見る角度によってはかなり白っぽく輝いているように見えました。
モネがこの作品を発表した当時、サロンに入選する作品の評価基準にはあわない革新的な作品だったらしく、酷評されたといわれています。
≪ジヴェルニー モネの庭と連作・『睡蓮』≫
1883年4月、43歳のモネはノルマンディ地方の小さな村であるジヴェルニーに9,600㎡の広大な敷地を有する家を借りて移り住み、86歳で亡くなるまでここで暮らしました。
ジヴェルニーの変化に富む光の中に自分が描くべき風景があふれていると感じたモネは、従来の制作旅行を減らし、『積み藁』、『ポプラ並木』、『睡蓮』などの連作という新しい手法を見出しました。
以前から園芸に興味があったモネは、庭造りにおいてもこだわりと執着を持って本格的に取り組み、庭師兼画家という異名を持つほどでした。
2003年7月、ジヴェルニーの「モネの家」訪問時に撮影した写真と共にモネの作品をご覧ください。
(2階寝室からの眺望)
(「花の庭」)
絵はがき★『ジヴェルニーの画家の庭』★
(1899年:オルセー美術館所蔵)
モネは、母屋の前の色鮮やかな「花の庭」造りに絵を描く時間を割いてまで情熱を注ぎ、1890年に借家だった家と土地を購入して新たに温室を作り、庭師も雇い入れました。その3年後には通りを隔てた向かいの土地を購入しました。
川から水を引いて「水の庭」を造る計画は、地元民との軋轢があり難航ましたが1895年に完成。
浮世絵を通して日本に憧れていたモネは、品種改良でできたばかりの赤い花が咲く睡蓮などが浮かぶ池に日本風の太鼓橋をかけ、池の周りには竹や柳、桜やツツジ、アイリスなどを植えました。
(「水の庭」)
(「水の庭」:奥の方に日本風の緑の太鼓橋)
モネは、1895年以降30年以上にわたって200点以上の(連作)『睡蓮』を制作しています。
絵はがき★『睡蓮の池』★
(1900年:ボストン美術館所蔵)
絵はがき★『睡蓮』★
(1903年:マルモッタン・モネ美術館所蔵)
(絵はがき:日本の橋、藤棚)
1911年、2番目の妻アリスが亡くなるとモネはジヴェルニーに籠るようになりますが、ボストン美術館で回顧展を開催。
前年のセーヌ川大洪水で水没した「水の庭」を修復し、太鼓橋に藤棚を造ります。
1912年の夏ごろ、72歳のモネは白内障と診断され、1914年には長男ジャンが病死という不幸に見舞われますが、親友で当時フランス首相だったクレマンソーの言葉を受けて睡蓮の大作に取り組み始め、翌年、(睡蓮大装飾画)のための大アトリエを建てます。
絵はがき★『睡蓮』★
(1917-19年:マルモッタン・モネ美術館所蔵)
モネの代名詞ともなっている連作『睡蓮』は、橋や水辺のしだれ柳などが描かれた風景画から次第に睡蓮の池の水面の揺らぎなどに焦点が絞られた作品が多くなっているように思われます。
筆のタッチにも変化が見られますが、本展を企画した学芸員・大橋菜都子さんの解説によると、白内障が進行した視力障害の影響だけではなく、次の世代の抽象画のような作風に変化していったのではないかとのこと。
「最晩年の作品」を集めた本展の会場には、モネが生涯手元に置いていたため正確な制作年がわからない作品がいくつかあります。
★『睡蓮』★
(1918-24年:マルモッタン・モネ美術館所蔵)
★『睡蓮』★
(1918-24年:マルモッタン・モネ美術館所蔵)
(以上の2点は、BS日テレ「ぶらぶら美術・博物館」の画像)
この2点は、まるで抽象画のようで、藤棚のある太鼓橋とはすぐにわからないかもしれません。
(「バラの小道」)
絵はがき★『バラの小道、ジヴェルニー』★
(1920-22年:マルモッタン・モネ美術館所蔵)
モネは、庭を散歩することと、2階の寝室から眺めることの両方を意識して、バラの柱の下に別の花を植えたり、花壇の中に高低差のある庭造りをしていたそうです。
モネが最晩年に取り組んだ(睡蓮大装飾画)は国家へ寄贈することと展示する場所も決まりましたが、モネの視力が著しく低下し制作が困難になったため2度にわたって手術を受け、矯正用のメガネをかけるようになりました。
※本展では、モネが実際に着用したメガネやパレットなどの愛用品も展示されています。
寄贈期限までに装飾画が完成せず、仲介役のクレマンソーに期限延長を申し入れたモネでしたが、(睡蓮大装飾画)がオランジュリー美術館で公開されたのは、モネが86歳で亡くなった翌年、1927年5月17日でした。
(オランジュリー美術館:睡蓮大装飾画『二本の柳』)
さて、現在、東京展では『印象、日の出』にかわって、『ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅』が公開されています。
モネは、1877年1月、近代化の象徴であるサン=ラザール駅を描くために、駅界隈のモンシー街に部屋を借りて12点を制作しました。
そのうちのいくつかは、1877年の第3回印象派展に出品され、作家エミール・ゾラに「これこそが近代絵画である」と絶賛されました。
絵はがき★『ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅』★
(1877年:マルモッタン・モネ美術館所蔵)
絵はがき★『サン=ラザール駅』★
(1877年:オルセー美術館所蔵)
私がユキオのことを知ったのは、2011年12月発行の「マンスリー動物園」の表紙を飾った時でした。
それまで、上野動物園では殆どパンダ舎周辺しか行っていなかった私ですが、ホッキョクグマの展示施設が新しくなったというのでパンダ観覧の合間に足を向けたときに初めてユキオに会いました。
(ユキオ:2011.12.21撮影)
当時の私は、土の運動場にいたユキオが「麻呂眉のホッキョクグマ」としてマニアの間で有名だったことなど、ユキオの情報を殆ど知らず、その後ホッキョクグマ舎に行く機会もありませんでした。
(メスのデア:2012.6.27撮影)
2012年3月、上野のホッキョクグマ舎にはイタリアから当時3歳だったメスのデアちゃんが来ましたが、まだ繁殖年齢ではないためユキオとの同居はありませんでした。
私は若さあふれるデアちゃんの可愛らしさに惹かれてホッキョクグマ舎に足しげく通うようになっていましたが、昨年、ユキオが釧路から帰って来ると聞いた時、正直、高齢のユキオにはあまり期待していませんでした。
ところが、上野再デビューのユキオは、メスのデアちゃんのお転婆ぶりとは異なるオスらしい行動を見せてお客様の人気を集めるようになったのです
(2014.4.17:ユキオ、上野再デビューの頃)
ロマンスグレーの紳士のように見え、穏やかそうな風貌で、歩き方にも老いが感じられたユキオが、春の発情期を迎えると豹変したのです。
(ユキオ:2014.4.23)
若いメスに成長したデアに興味津々のユキオが、「デアがいない、デアに会わせろ!」とでも言うかのように、口から泡を吹くような状態で運動場の土の上で転げまわって泥だらけになり、シロクマならぬヒグマのようになってお客様はびっくりです。
(ユキオ:2014.5.2)
飼育員の乙津さんによると、普段のユキオはメスのことを気遣う紳士のようにやさしく、穏やかな性格。
ユキオは以前上野にいた年上のレイコとの間に子どもは授からなかったものの、とても仲が良く一緒に展示場に出しても、レイコを攻撃するようなことは一度もなかったそうです。
それどころか、レイコの方がユキオよりもすばしこく、ご飯などもレイコにとられてしまうこともしばしばだったとか。
そんなユキオが発情期になるとガラリとかわり、大きな声を出してメスを追いかける様子は、ホッキョクグマ舎の春の風物詩になっていたそうです。
オヤツタイムに飼育員さんが投入する肉などには全く見向きもせず、デアちゃんの姿をひたすら求めるユキオ。
飼育員さんが、そんなユキオの様子を放飼場の上から観察。
(ユキオ:2014.5.2)
上野に帰ってきたユキオが、デアを求めて大声をだし、ストーカーのように連日、デアちゃんの運動場との仕切り柵を揺らすなどオスらしい強いパワーを感じさせる姿にはとても驚かされました。
乙津さんたちは、以前よりも動きが少し鈍くなっていたユキオが、オスらしい行動を見せてくれたことに安堵したそうです。
(ユキオ:2014.5.14)
5月半ばからユキオが大きなプールで元気に泳ぐ姿が見られましたが、プールから上がる時は階段をゆっくり登り年齢を感じさせる動きでした。
(ユキオ:2014.7.16)
(ユキオ:2014.8.12)
<ユキオさんのアルバム>
(Gakken 「動物のおじいさん、おばあさん」より)
飼育員・乙津さんにとって12年間の間に起ったユキオのエピソードの中で一番想い出に残るのは、このプールの階段にまつわるエピソード。
2011年10月、新しいホッキョクグマ舎が完成しオープンの前、真新しいプールに豪快に飛び込んだユキオは気持ちよさそうに泳ぎ回った後、陸に上がろうとしましたが身体が持ち上がらず、何回やってもダメでした。
プールの岸が24歳になる直前だったユキオにとっては少し高過ぎたため、ただ泳ぎまわることしかできないユキオ。
困り果てているユキオの姿を見た乙津さんたちは、急遽はしごを持ってきて、ユキオが猛獣であることも忘れて皆でプールに入り夢中でユキオを救出したのです。
獣舎の工事中、1年以上ユキオはプールに入っていなかったせいもありますが、乙津さんたちの思っている以上にユキオが老いていたとその時気づかされたそうです。
プールには、しばらくはしごをつけておいて、その後階段が作られました。
ユキオより高齢だったメスのレイコは新しい展示場には一日しか出られないまま、2012年2月死亡。
乙津さんたちが高齢のユキオの負担を考えて悩んだ末の決断で、もう二度と会えないかもしれないと思いながら送り出したユキオが2年後に上野に戻って来ることが決まった時、また再会できるうれしさと同時に最後までユキオと付き合う責任を感じたそうです。
年のせいか年々暑さが苦手になっていたユキオが涼しい北海道から戻ってきた時、ユキオの暑熱対策がユキオのファンやホッキョクグマ舎のお客様の心配ごとでした。
気温の高い日、土の運動場は気温低下が期待されるミスト噴射。
ユキオは、隣の展示場にいるデアちゃんの気配を感じていたのか?
(ユキオ:2014.7.29)
水中をダイナミックに泳ぎ回りながら投入された餌を探すユキオの姿に遠足の子どもたちは大歓声。
(ユキオ:2014.11.5)
早めに冷房完備の寝小屋に入れてあげればよいのになどという声もありましたが、ユキオは大きなプールをゆったり泳ぎまわったり、土の運動場ではミストの恩恵を受けながら省エネモードでまったり過ごすなど、周囲の心配をよそにマイペースで夕方まで展示場で営業していました。
ホッキョクグマとしては遅咲きの人気者だったユキオは、釧路でも親しんでもらえ、釧路から帰ってきた後も北海道のファンの方が会いに来たり色々な贈り物が届きました。
(2014.11.28撮影)
ユキオが亡くなった後、メッセージや花束などの贈り物が献花台に載りきれないくらい一杯になりました。
ホッキョクグマ舎のプールの前にあるモニターには、ユキオがダイナミックに泳ぎ回る映像が現在も流れています。
乙津さんは、ユキオの生前と同じようにこのモニターのユキオに挨拶して飼育員としての一日が始まると語っていますが、まだしばらくは、私たちもモニターの中で動き回るユキオに会えるようです。
そして、今年の春、上野のホッキョクグマ舎には北海道からオスのイコロがデアの繁殖相手としてやってきました。
イケメンの若いオスの登場に、乙女盛りのデアちゃんワクワク&そわそわ・・・
(デア:2015.6.5)
(イコロ:2015.6.5)
上野動物園のホッキョクグマ飼育の歴史は長いのですが、残念ながらこれまで一度も繁殖には至っていません。
ユキオでは果たせなかった悲願の〝江戸っ子クマちゃん”の誕生がこの若いカップルに期待されています。
(イコロ:2015.9.11)
(デア:2015.9.16)
野生のホッキョクグマは、地球の温暖化で厳しい暮らしをしています。
動物園が野生のホッキョクグマのシェルターのような存在になる日がくるかもしれません。
動物園にいるホッキョクグマを見て、野生のホッキョクグマの環境に関心を持つ人が増えるようにすることも動物園の役割のひとつ。
ユキオは、先に行った仲良しのレイコと一緒に上野動物園のホッキョクグマのことを遠い空の上から見守ってくれることでしょう。
想い出をありがとう、ユキオ!
キミのことはいつまでも忘れないよ!
「白い馬はピアノの旋律で、木々の繁る背景はオーケストラです。」
by 東山魁夷
ある時、私はその年に描く作品の構想を考えていると、ふと、モーツァルトのピアノ協奏曲イ長調(K.488)の第2楽章の旋律が浮かんできた。
嬰ヘ短調の6拍子で書かれたこの楽章は、穏やかで控え目がちな主題が、まずピアノの独奏で奏でられる。
(中略)
やがて、主題がピアノ独奏で変奏されると、フルートやファゴットが加わり優しい語らいを交わす。
(中略)
すると、思いがけなく一頭の白い馬が、針葉樹の繁り合う青緑色の湖畔の風景の中に小さく姿を現して、右から左へとその画面を横切って姿を消した。
私はこの幻想から一枚の構図を得て≪緑響く≫と題する作品が生まれた。
私は、数年前、市川市東山魁夷記念館で、壁面に飾られた東山魁夷画伯の作品に囲まれて、モーツァルトのピアノ協奏曲23番第二楽章の演奏を聴くというなんとも贅沢な体験をしたことがあります。
信州原村のリングリンクホールのコンサートでお馴染みの音楽家・森ミドリさんが、作品展示室内でチェレスタを演奏されるという市民向けのコンサートイベントに参加させていただくことができたのです。
森ミドリさんのモーツァルトのピアノ協奏曲演奏は、日本の横笛演奏者の松尾翠さんとの合奏でしたが、和楽器がモーツァルトの楽曲の哀愁に満ちた世界を見事に表現できることに驚きました。
森ミドリさんは、今年の7月、リングリンクホール15周年記念演奏会で松尾翠さんとのコラボ演奏でモーツァルトのピアノ協奏曲を聴かせてくださったのですが、そのリングリンクホールが閉鎖されるかもしれないというので、旧友たちと原村にでかけたおかげで『緑響く』のモデルとなった御射鹿池に行くことができたというのは不思議な巡り合わせです。
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今年5月末、初めて広島の平和記念公園内の平和記念資料館を見学しましたが、とても凄惨な状況を克明に説明する記録や資料類の展示は私にとって大変衝撃的なものでした。
大学クラブ時代の仲間たちとの広島旅行3日目の朝、平和大橋にほど近いホテルを出発して徒歩で平和記念公園に向かいました。
緑豊かで近代的なビルが立ち並ぶ現在の広島市・平和大通り
平和大橋から望む元安川
川面には牡蠣料理の店が写りこむ美しい景観。
元安川と本川にはさまれた平和大通り以北原爆ドーム周辺を合わせた平和記念公園は約12.2ヘクタールの広さ。
このあたりは、城下町時代から昭和初期まで広島市の繁華街で、被爆前は飲食店や旅館が立ち並び日夜にぎわう場所でした。
1945年8月6日朝8時15分、広島に原子爆弾が投下され、その年の12月末までに約14万人が亡くなりました。
平和記念資料館など多くの施設やモニュメントがある平和記念公園は、1200本の樹木の緑と美しい花壇のある祈りの聖地となっています。
広島市立高女原爆慰霊碑
平和記念ポスト
平和記念資料館前、「祈りの泉」がある広場
被爆の実態を伝え、核兵器のない平和な世界の実現へ貢献するため造られた平和記念資料館では、被爆までの広島の歴史から、原子爆弾開発から投下までの経緯、現在の核兵器の状況など幅広い展示がなされています。
特に、被爆者の遺品や高熱で融けた瓦等の被爆資料は、説明ボードを読むだけでも辛い思いをするような展示品がたくさんありました。
今回はグループでの見学のため、ゆっくり説明文を読む時間がとれなかったことが残念でした。
原爆死没者慰霊碑
正面には「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませんから」と刻んであります。
原爆犠牲者の霊を雨露から守りたいとの願いをこめて、家型ハニワに設計されています。
中央の石室の中には原爆犠牲者の名前を記載した原爆死没者名簿(2007年現在、約25万人)が収められています。
原爆の子の像
12歳の時、原爆による白血病の闘病中鶴を千羽折れば治ると信じ、鶴を折り続けながら短い人生を終えた佐々木禎子さんの死をきっかけに、原爆で亡くなったすべての子どもたちの死を慰め、世界平和を呼びかけたいという子どもたちの発案で作られたモニュメント。
原爆ドーム
この建物は、チェコの建築家ヤン・レツル設計により1915年に「広島県物産陳列館」として開館。
被爆直前は「広島県産業奨励館」として使われていました。
原爆はこの建物の南東160mの上空約600mでさく裂し、爆風と熱線によってこのような廃墟の残骸と化しました。
戦後、原爆の惨禍を後世まで伝えるため被爆当時のままで保存しよういう市民などからの声により、1966年、広島市が永久保存を決定。
原爆ドームの模型を使って観光客に説明する人も。
原爆ドームには、世界遺産の登録基準となる文明や芸術、景観にかかわるものはありませんが、ポーランドのアウシュヴィッツと同様に、人類の「負の遺産」として、1996年、核兵器廃絶と人類の平和を求める誓いのシンボルとしてユネスコの世界文化遺産として登録されました。
ドームが建つ3900㎡の核心地域と平和記念公園、周辺河川地区の約42万㎡が世界遺産の登録範囲となっています。
(参考資料:広島市観光案内所)
世界で唯一の被爆国に生まれた者として、戦後70年という節目の年に、ぜひ広島の地を訪れて自分自身の目で、被爆地・広島を体験してほしいと思います。
原爆が投下された直後、戦時中の新聞検閲により、広島の実情を報道することができなかった毎日新聞は、終戦が決まった8月15日の朝刊で広島の惨状を伝えるルポを掲載したそうです。
↓
http://mainichi.jp/journalism/listening/news/20150803org00m070005000c.html
アドベン生まれで9月で15歳になる良浜は、今回の双子たちが4回目の子育てとなるベテランママ。
それでも時には、子育てのストレスが溜まってしまうこともあるようで、そんな時は飼育員さんたちのサポートに助けられています。
木の下に座り込んでいるのは桜浜。
観覧通路のすぐ前に『パンダのぬいぐるみ』の落し物?
ではなくて、妹の桃浜。
木の下ではにかんだような表情を見せるのは姉の桜浜。
と思ったら、桜浜がひっくり返ってしまいました。
あれ、まだ起き上がらないの?
よく見ると、こちらは桃浜でした。
しばし、双子たちから離れ、「パンダラブ」に暮らす兄姉たちの様子を見行くことにしました。
もうすぐ5歳の誕生日を迎える兄の海浜。
真剣にタケを選ぶ雰囲気は父の永明さんに似てきました。
海浜の双子の妹陽浜。
隅っこで寝ていることが多く、なかなか間近で見ることができません。
優浜はもうすぐ3歳の誕生日を迎えますが、すっかり女の子らしい雰囲気に成長。
超健康優良児と思っていましたが、双子のエンジェルたちはそれを上回る成長ぶりとか。
さて、レッサーパンダのレクチャータイムをみたり、ランチ休憩の後再び母子の部屋へ戻りました。
少しはにかみながらお客様とお話しているような桜浜。
お腹がいっぱいの昼下がりは親子で身体を寄せ合ってお昼寝タイム。
雨が降ってもサファリパークの動物たちに逢えるケニア号で時間をつぶして午後4時ごろ、双子たちのもとへ。。。
赤ちゃんパンダは木登りが大好き。
桃浜は、木の股に顔を挟んでぶら下がるのがお気に入り。
時には身体が挟まって降りられなくなってしまうこともあります。
おっとりしている桜浜はママのそばにいるのが好き?
桃浜は活発に動き回り単独行動も多い?
双子たちそれぞれのリラクシングポーズ?
遅い午後、平和なパンダ母子のガラス越しに隣室の永明の影。
ママの肩たたきではなく、寝ているママを乗り越えていくだけ。
ママが食べるための長い竹を桃浜が掴みました。
身体の向きを変えた桃浜が、竹槍を構えるようなポーズで狙いを定めます。
危ない!
桃浜の竹槍攻撃が桜浜の顔に命中し、のけぞる桜浜。
桃浜も勢い余って倒れてしまいました。
ありゃりゃな桃浜。
寝ていた良ママも起きだして、心配そうに桜浜のところに駆け寄ります。
何が起きたのか瞬時に察したママからお仕置きされる桃浜。
再び平和な様子でシンクロする母子。
団子状態ではしゃぐ母子。
桜浜は大好きなママと並んで記念写真のポーズでご機嫌。
午後4時半、双子たちの展示終了時刻が近づいた頃、始まりはお尻チェックだったのにいつのまにか良ママが本気で母子プロレスまがいの『可愛がり攻撃』をしかける展開になってしまいました。
動いているうちに良浜の感情が高ぶったのか攻撃はかなり執拗で長時間に及ぶものとなり、小窓からもう片方の双子が巻き込まれないように押さえていた飼育員さんも少し心配そうにみえました。
良ママと赤パンが激しく動き回る気配に、隣室にいる父・永明も気にしている様子。
「大丈夫だから心配しないでね」
良ママのかなり激しい攻撃に、目が離せなくなった永明パパ。
横にまわってみると永明パパはこんな感じで柵にべったり貼りつき心配そうに覗いていました。
ようやく我に帰った良ママが攻撃をやめて退出するまで少し時間がかかり、双子のバイバイタイムは予定より15分ほど遅れました。
バイバイのポーズをする桜浜。
最後にお客様に挨拶して退出する双子。
可愛い双子のエンジェルを満喫した一日でした。
]]>現在7頭のパンダが暮らす南紀白浜のアドベンチャーワールドはまさに「パンダの楽園」です。
昨年12月2日、アドベンに舞い降りてきた双子のエンジェル「桜浜&桃浜」にようやく会うことができました。
たくさんのパン友さんたちがツイッターやブログで赤パンたちの写真や近況を報告してくださるので、自分が直接会いに行く前に、双子の特徴などを色々予習していましたが、7月4日と5日、訪問時の大半をこの子たちの前で過ごしてもやっぱり見分けがつかないくらいよく似たメスの双子ちゃんです。
私と娘が2台のカメラで撮影した写真を自分自身の備忘録のためになるべく時系列で並べてありますが、名前の取り違えもあるかもしれません。
7月4日朝、9時45分スタッフの女性に抱っこされた桜浜・桃浜が登場。
羽田からの飛行機が視界不良で着陸できないかもといわれて東京を出発しましたが、雨がやんで雲が薄くなったおかげで念願のお外の赤パンを見ることができました。
「シェー」のポーズは桃ちゃん。
桜浜&桃浜を抱っこするスタッフが近況などを報告しながらお客様の前を一周。
お客様に思いっ切り愛嬌をふりまく姉の桜浜。
生後7か月を迎えた双子の赤パンは元気いっぱい。
抱っこする女性スタッフも息が切れそうですが、早く降りたい双子。
本日朝の体重を示すボードの横にある滑り台にセットされた双子の可愛いお尻比べ。
モメモメする双子たち。
しばらくすると滑り台から降りた双子は、それぞれのお気に入りスポットに移動。
桃浜は大きな岩へまっしぐら。
桜浜は、反対側にある池のほとりへ。
双子の赤パンがブランコに座る可愛い姿も観てもらおうとスタッフが乗せてくれましたが、まだブランコ遊びはあまり興味がない?
どうやら、滑り台を登ることはマスターした様子。
滑り台の上は段違いに並べた櫓とつながっており、双子は櫓の上に移動してもふもふしておりました。
櫓の上でひと休みしたい桜浜ですが、、、
櫓の上にいる双子を間近で観察しようとパンダ舎の上に登ると、
一緒に遊びたい桃浜が桜浜にちょっかいをだしているようです。
桃浜は櫓の端っこにうまくしがみついてバランス感覚の良さを披露。
桃浜の「遊ぼうよ!攻撃」で桜浜も起きあがりました。
でもやっぱりネムネムな桜浜・・・
竹の葉っぱをはむはむしながら眠気と闘う桜浜。
櫓から落ちそうで落ちない桃浜。
双子たちは何かお話しているのでしょうか。
しばらくはつかず離れずの距離で櫓の上を満喫していましたが、雨が降り出してきました。
相変わらず落ちそうで落ちない桃浜。
お客様への目線の配り方はアイドルの自覚?
小雨の中でも愛嬌をふりまいてくれたお外の赤パンたちですが、雨脚も強くなってきたので11時過ぎからは室内に移動して、良浜ママとの母子展示に切り替えられました。
(次回に続きます)
5月17日、ホール恒例の「藤村俊介チェロ演奏会」の日は、見事な五月晴れ。
今年は原村も春先から気温が高く、花の季節が例年より早目のようで、ホールのシンボルツリーも花絨毯になっていました。
藤村さんはお忙しいスケジュールの中、ピアノ伴奏の奥様、お子さんたちと一緒に神奈川県から駆け付けてくださいました。
長男の俊太郎君の演奏もあるというので、俊太郎君との再会を楽しみに私も東京から原村へ。
受付の準備をしながら開演前のリハーサルを満喫できるのが毎回至福の楽しみですが、俊太郎君もご両親の演奏をホールの2階からチェック。
東京からお越しの方など、50名を超えるお客様が開演前から続々とホールにお集まりくださり、受付は大忙しでしたが、以前も来てくれたことのある元同僚の後輩ちゃんが手伝ってくれたので助かりました。
演奏会は事前に発表されたプログラム通りに進行します。
♪♪ ボッケリーニ ソナタ ♪♪
♪♪ エルガー 愛の挨拶 ♪♪
♪♪ メンデルスゾーン 春の歌 ♪♪
藤村さんがこのホールで演奏会をなさるようになって10年。
リピーターのお客様にはすっかりお馴染みなった小品など、チェロの優しい響きがホールに響き渡ります。
次は本日の注目曲、日本人の作曲家・黛敏郎の名曲が披露されます。
藤村さんはこの曲を演奏するにあたって国立劇場で文楽を鑑賞し、人形たちの実際の動きなどを入念に研究されたそうです。
♪♪ 黛敏郎 無伴奏チェロのための「文楽」♪♪
まるで三味線のバチをを弾くように力強いタッチのピチカートが続きます。
目の前の舞台で文楽の人形たちが操られているシーンがまぶたに浮かんでくるような素晴らしい演奏でした。
(熊本県・清和文楽劇場)
チェロは“癒しのチェロ”といわれるように穏やかな演奏というイメージが強いのですが、この曲を聴いてチェロいう楽器の別の顔を見せていただきました。
さて、いよいよ藤村俊太郎君の登場です。
8歳の時、このホールの打ち上げ会場で初めて人前で演奏したのがとても楽しかったという俊君、今年はどんな演奏を聴かせてくれるでしょうか。
♪♪ ゴルターマン コンチェルト第一楽章 ♪♪
演奏しているときはとても真剣な表情です。
初めて演奏した時の子ども用チェロから、つい最近フルサイズのチェロに変えたという俊君の演奏、とても上達していました。
会場のお客様から、温かい拍手をいただき、ご両親もほっとされた様子でした。
再び、藤村さんの演奏が続きます。
♪♪ ドビュッシー レントより遅く ♪♪
♪♪ フォーレ 夢のあとに ♪♪
♪♪ サン=サーンス 白鳥 ♪♪
♪♪ ポッパー ハンガリアン・ラプソディー ♪♪
藤村さんはこれまでにソロを含めて何枚もCDを出されていますが、昨秋、恩師・安田謙一郎先生とのデュオ演奏のCDを出されました。
会場でCDをお求めになれるようにお手伝いしましたが、ご高齢の安田先生とのレコーディング時のエピソードなど興味深いお話を聞かせていただきました。
このCDの収録曲にはなじみがない方も多いと思いますが、安田先生究極のこだわりの演奏は何度も聞くうちに知らず知らずにチェロの魅惑の世界にひきこまれるのではないでしょうか。
今回用意してくださったアンコール曲は3曲。
♪♪ G・カサド 親愛なる言葉(愛の言葉)♪♪
前述の恩師・安田先生は、スペイン留学時、名チェリストだったG.カサドの自宅に下宿していた方。
この曲はそのカサドが、巨匠・カザルスに捧げた曲。
♪♪ ポンセ エストレリータ(メキシカンセレナーデ)♪♪
♪♪ R.シュトラウス 「町人貴族」より アンダンテ ♪♪
もしかするとこのホールでの演奏会は今年が最後になるかもしれない事情が節子さんにあります。
節子さんから10年間の感謝をこめて奥様に贈られたのは原村特産品のセロリの花束。
毎年同行したお子さんたちの成長ぶりを語りながら、節子さんも感慨深げでした。
演奏会の終了後、お客様もまじえてのささやかなティーパーティがありましたが、毎年原村で素晴らしい演奏を聴かせて下さった藤村さんご一家には心から感謝申し上げます。
当日演奏された楽曲の一部は、既出のアルバムに収録されています。
<頑張れ!未来の巨匠・藤村俊太郎君>
演奏会終了後、演奏曲目の楽譜を見せる中1の俊太郎君にとって、
フルサイズのチェロを背負って歩くのはちょっぴり大変そう。
俊太郎君は、今、チェロを弾くのがとっても楽しいと語ってくれました。
もしもこれから、お父さんと同じ道を目指すとしたら幾多の厳しい試練が待っているかもしれないけれど、自分が楽しく演奏することで聴いた人が幸せな気分になれるなんてすばらしいことです。
俊君が初めて人前で演奏したのは、このホールでの演奏会の打ち上げ会場でした。
チェロを習い始めたばかりの俊君8歳の夏。
(2011.7.2)
そして翌年は、公開レッスンの形で父子共演。
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2011年に来園したリーリー&シンシンは、2012年に自然繁殖で出産に至ったものの赤ちゃんはまもなく死亡、翌年は“偽妊娠”、そして昨年は同居に至らずということで 、改めてパンダの繁殖の難しさを知らされました。
今年は、繁殖行動に備えた環境作りの準備が既に整い、パンダ舎の観覧通路の外側には目隠し用のフェンスが設置され、交尾する際に利用する放飼場にどちらか1頭が自由に出入りできるようになっています。
今年1月ごろからリーリーはシンシンの匂いに興味を示しているものの、シンシンには変化が見られないようです。
最近のリーリー&シンシンの様子を写真でご紹介します。
リーリーは昨年12月から引き続き高層櫓生活。
リーリーが最上階に登っているのを私が最近見たのはお昼寝の時くらいですが、どうやらこの場所から隣の放飼場が見えるらしい。
園児や児童・生徒の団体が発する「パンダコール」が苦手なシンシンは、フラッシュや騒音を避けて櫓の下に潜ってしまうことも多いのですが、リラックスした様子で笑顔でお食事中。
機嫌よく過ごし、食欲旺盛で、起きている間は殆ど食べ続けているシンシンの様子はとても落ち着いていて、発情はまだまだ?
一方、“恋の季節”に備えて心身共に準備が整っているらしいリーリーは、リラックスした中でも 若干そわそわしているように見えます。
時折、シンシンへ熱い思いを馳せているように思える表情も、、、
そんな中、3月6日の午後のパンダ舎です。
午後3時半を過ぎてもシンシンさんは衰えぬ食欲を見せてご機嫌な様子でまだまだお食事中。
リーリー君は早々と食事を済ませて放飼場をうろうろ歩きながらお隣のシンシンさんを覗いていますが、シンシンさんはガン無視?
すると、シンシンさんの様子がどうしても気になってしようがないリーリー君、いきなり櫓の横にある高い木に登りはじめました。
大柄なリーリー君の体重は約130キロ。
重みで枝が折れてしまうのではと心配するお客様も。
どうやら高層櫓の最上階よりも高い地点に到達した模様。
身体の向きを変えて、隣のシンシンさんの姿を生で観察している様子。
リーリー君が樹上に滞在したのはほんのわずかな時間。
慎重にルートを模索しながら木から降リてきます。
大きな体でなんとか木の近くにある高層櫓の柱にしがみついて櫓に移動することに成功。
いつものように後ろ向きで櫓から降りてきました。
高い木の上に登って、シンシンの姿を生で確認して満足したのか、リーリーの木登りは1-2分で終了しましたが、3月8日の午後にも木に登ったそうです。
さて、“恋の季節”到来にはまだまだ温度差がみられるこのカップル。
リーリーの熱い想いがシンシンに届く日はいつ?
加油!比力!
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「水中ショー」が始まるよ
両手でポリタンクを押し下げる
浮かび上がってくるポリタンクを捕まえる
連結ホースを口にくわえる
ポリタンクの下に潜ってみる
ポリタンクと一緒に浮上する
狭いトンネルをくぐってご挨拶に来るデアちゃん
どう、上手に泳げたでしょ?
最近のデアちゃんは、水中ボール遊びなどで長時間息継ぎせずに潜る練習を繰り返していました。
プールの中でデアちゃんと一緒にボール遊びをしたら楽しそうだね?
ガラス越しにデアちゃんの足に触ってみたら、「足、デカ~」
ボールをつかむ爪先も鋭い!
ゴメン!デアちゃんと一緒にプールで遊ぶのはちょっと無理だわ~
でも、オヤツタイムのデアちゃんを見ているだけで私も幸せな気分になれるよ。
(2015.1.30~2.6撮影)
2月21日(土)から「ルーヴル美術館展」~日常を描くー風俗画に見るヨーロッパ絵画の真髄~が国立新美術館で開催されます。
今回のテーマは、人々の日常生活の情景を描いた「風俗画」なので、「歴史画」や「宗教画」など作品鑑賞に若干の知識が必要とされるのは苦手という方でも気軽に楽しめそうな企画です。
≪ルーヴル美術館展開催概要≫
2015.2.21(土)~6.1(月)
国立新美術館 企画展示室 1E
10:00-18:00
(金曜日、5/23(土)、 5/24(日)、 5/30(土)、 5/31(日)は20:00まで
休館日:毎週火曜日。 但し、5/5と 5/26は開館)
風俗画には身分や職業が異なるさまざまな人々のごくありふれた日常がいきいきと描かれていますが、必ずしも現実が描かれているわけではなく、道徳的・教訓的な意味が込められていることもあり、そういうメッセージを読み解くのも「風俗画」鑑賞の楽しみ方のひとつでしょう。
本展覧会のチラシや公式ホームページで紹介されている出展作品の中から、私が好きな作品などをいくつかご紹介します。
★フェルメール『天文学者』★1668年
(Photo by「世界の美術館」)
フェルメール作品で男性の単身像は本作の1年後に制作された『地理学者』(1669年:シュテーデル美術館蔵)との2点のみ。
どてらのような東洋風の上着をまとった長髪の男性は同一人物のようだ。
天文学と地理学は地図製作に欠かせない学問で、特に海運通商国のオランダでは重要視され<同じ学者が手掛けることも多かったといわれている。
ところで、この画面は望遠鏡が見当たらないのだが・・・
★マセイス『両替商とその妻』★
1514年
(Photo by展覧会チラシ)
本作はアントワルペンでも活躍し、イタリア・ルネサンスと北方ルネサンスの様式を融合した画家・マセイスの代表作。
背後の棚や机に置かれた様々な物の質感が見事に描き分けられており、画面手前の凸面鏡にはもうひとりの男と窓が映っている。
★ムリーリョ『物乞いの少年(蚤をとる少年)』★
1647-48年頃
(Photo by「世界の美術館」)
代表作『無原罪の御宿り』など聖母の画家として知られるムリーリョの若き日の作品。
17世紀スペインで大いに流行した「厨房画(ボデコン)」は、概して質素でつましい日常生活の細部を飾り気なく描いている。
観る者に少年の境遇を切なく訴えている汚れた足が印象的。
★ティツィアーノ『鏡の前の女(化粧する女)』★
1512-15年
(Photo by「世界の美術館」)
みずみずしい裸体画を多く描いたティツィアーノは「色彩の魔術師」と呼ばれ、ヴェネツィア派最高の巨匠といわれる。
本作のように男が差し出す手鏡にうっとり見入る女など、鏡をモティーフにした「化粧する女」は多くの画家が好んで描いた。
★シャルダン『猿の画家』★
1739ー40年頃
(Photo by展覧会チラシ)
パリに生まれたシャルダンは、中産階級の日常的な題材をややくすんだ精妙な中間色で詩的にまた写実的に描いた画家といわれ、同時代のロココ趣味とは一線を画している。
猿の画家はキャンバスに一体何を描いているのだろうか?
★ブーシェ『オダリスク』★1745年
(Photo by展覧会チラシ)
『ポンパドゥール夫人』の肖像画で知られるブーシェはフランス・ロココの典型的な画家。
★ヴァトー『二人の従姉妹』★
1716年頃
(Photo by展覧会チラシ)
パリに出て装飾などの仕事もしていたヴァトーは、ロココ最大の画家といわれる。
雅な風俗と宴の情景を憂愁の気分のうちに描いて時代の寵児となったが37歳の若さで病没。
★レンブラント『聖家族』または『指物師の家族』★
1640年
(Photo by展覧会チラシ)
本展では、16世紀初頭から19世紀半ばまでの約3世紀半にわたるヨーロッパ風俗画の展開を、ルーヴル美術館の珠玉の名画約80点によって紹介するとのこと。
ここでご紹介した画家の作品のほか、ルーベンス、ル・ナン兄弟、ドラクロワ、ミレーなど、ヨーロッパ各国・各時代を代表する巨匠たちの名画が一堂に会するとのこと。
美術館で素晴らしい名画を鑑賞できる日が楽しみですね。
(2015年1月30日撮影)
都心でも未明から降り始めた雪が数センチの積雪となったこの日のデアちゃんは、いつもよりテンションが高く、雪の感触を楽しむかのように元気に動き回ったり、プールの中では自分が遠くに押しやったボールを追いかけて捕まえる遊びを長時間楽しんでいました。
<運動場に備え付けのタイヤで遊ぶ>
(2015年1月2日撮影)
運動場の段差のところに置いたタイヤに乗って手で押したり離したりすると、シーソー遊びができることを発見したデアちゃん。
(2015年1月30日撮影)
<ポリタンクで遊ぶ>
プールに投入される赤いポリタンクには、小さく刻んだ肉やリンゴなどのおやつが入っています。
ポリタンクを上手に傾けて中身を取り出すデアちゃん。
(2014年12月24日撮影)
おやつを食べてしまった後、デアちゃんはポリタンクに乗ったり、上から押してみたり齧ってみたりします。ボロボロになってしまった古いポリタンクを連結しておもちゃとして与えたらデアちゃんは殊の外気に入った様子。
お客様に自慢げに?見せびらかすデアちゃん。
(2015年1月9日撮影)
(2015年1月15日撮影)
<オヤツタイムの行動観察>
毎日午前と午後に飼育係がエサを投げ込むオヤツタイムは見どころが一杯。
毎回少しずつ違うが、基本は馬肉、クマ用ソーセージ、魚、サツマイモ、リンゴなどの他食パンなど。
(20150114撮影)
(2014年12月2日撮影)
投げ込まれたエサをお口でダイレクトキャッチ
(2015年1月9日撮影)
飼育係さんによってデアちゃんとのやりとりなど投入の仕方や投げ込む位置なども異なるが、オヤツタイムが近づくとデアちゃんがそわそわしたり、後肢で立ち上がって催促のポーズをすることもある。
豪快に水中にダイブして、仰向きで泳ぎながらダイレクトキャッチ
(2015年1月8日撮影)
水中に投げ込まれたエサを追いかけて食べる様子などを下から見ることができる。
(2015年1月2日撮影)
デアちゃんはサツマイモ大好きなお芋女子
(2015年1月9日撮影)
お魚は手の甲に載せて食べたり、ガラス窓の前でお客様に見せびらかしながら食べるのが好き?
(2014年12月24日撮影)
クリスマスのスペシャルイベントして、紅鮭が丸ごと一尾投げ込まれると、デアちゃんは口にくわえてお気に入りの場所まで運んであっという間に平らげてしまいました。
野生環境のホッキョクグマはアザラシの赤ちゃんなどを好んで食べますが、動物園では寝小屋で朝夕に馬肉を主食としてガッツリした量の食事が与えられます。放飼場で与えるのはあくまでおやつですが時は鶏頭や骨付き肉なども出ます。
また、水中に丸ごと投げ込まれたリンゴは水中で捕獲したら浮上して食べやすい大きさに食いちぎりながら味わうのはデアちゃん流でしょうか。
北極圏に近いカナダでは、寒い冬こそ活動が活発になる野生のホッキョクグマを間近で観察するツアーが高価格にも関わらずマニアに大人気ですが、動物園でも時間をかけて行動観察すると新たな発見があるかもしれません。
十分な寒さ対策をして、冬の動物園に出かけてみませんか。