2017年必見美術展巡りは、「ティツィアーノとヴェネツィア派展」から [私的美術紀行]
≪2017年前半の必見美術展情報≫
昨年(2016年)は近年まれに見る美術展の当たり年といわれましたが、本年もまた豪華なラインアップが美術ファンを待っています。
ティツィアーノ★『フローラ』★
(1515年頃):フィレンツェ、ウフィツィ美術館蔵
(本展チラシより)
日伊国交樹立150周年記念
「ティツィアーノとヴェネツィア派」展
2017.1.21~4.2
東京都美術館
ヴェネツィア派の美術展は昨年、国立新美術館で開催されたばかりですが、本展は、ルーベンスやルノワールも憧れた“画家の王者”ティツィアーノをはじめとするヴェネツィア・ルネサンス美術の名作が多数出展されます。
本展チラシ等のメインビジュアルに使われているティツィアーノ初期の代表作のひとつ『フローラ』のキャッチコピーは、“バラ色の女神の誘惑”。
フローラは古代神話の花の女神ですが、古代ローマで最も人気があり奔放だった祭りの主役「娼婦フローラ」に関連した寓意とされています。
ティツィアーノ★『ダナエ』★
(1544-1546年頃):ナポリ、カポディモンテ美術館蔵
(本展チラシより)
ティツィアーノ(1490-1576年)は、本展にも肖像画が出品されているローマ教皇パウルス3世を擁する時の権勢家ファルネーゼ家との関係確立に成功し、ローマを訪れてラファエロやミケランジェロの作品を見、70歳になったミケランジェロとは実際に会っています。
今回が初来日となるナポリの美術館所蔵の『ダナエ』は、ローマへ旅立つ前にファルネーゼ家のために描いた作品です。
(参考作品)ティツィアーノ★『ダナエ』★
(1553年):プラド美術館蔵
(Photo byイタリア・ルネサンスの巨匠たち)
ギリシャ神話の名場面とされる“黄金の雨に姿を変えてダナエと交わる最高神ゼウス”をモチーフにした作品は、レンブラントをはじめ多くの画家が好んで描いています。
ティツアーノが後年描いた、同じモチーフの別バージョンの作品がプラド美術館やエルミタージュ美術館にあるので、ご覧になった方も多いのでは。
聖書の名場面“悔悛するマグダラのマリア”も絵画作品の人気テーマで、今回は2001年にも来日したナポリの美術館の作品が出品されています。
ティツィアーノ★『マグダラのマリア』★
(1567年):ナポリ、カポディモンテ美術館蔵
(本展チラシより)
(参考作品)ティツィアーノ★『悔悛するマグダラのマリア』★
(1560年代)エルミタージュ美術館蔵
(Photo by週刊世界の美術館)
ティツィアーノが77歳に描いたナポリの作品とほぼ同時期に制作されたと思われるエルミタージュ美術館所蔵の同じモチーフの作品は構図もマリアの着衣も類似しています。
胸に手を当て目に涙を浮かべて悔悟するマリアの手前に置かれたどくろや背景の様子からマリアの悔悟の深さが読み取れる作品です。
しかし、ティツィアーノが40歳頃に描いたフィレンツェ、ピッティ宮殿の所蔵作品は、神に祈りを捧げた後の法悦の表情をリアルに描き、聖女を官能的に描いた作品として注目されていました。
(↓拡大図)
マリアの輝くような長い髪で覆われた白い肌や胸元、上気した頬とうつろな瞳・・・
(参考作品)ティツィアーノ★『悔悛するマグダラのマリア』★
(1530年頃)フィレンツェ、ピッティ美術館蔵
(Photo by週世界の美術館)
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「ミュシャ」展
2017.3.8~6.5
国立新美術館
アルフォンス・ミュシャ★<四つの花「カーネーション」、
「ユリ」、「バラ」、「アイリス」>★
(1897年):大阪、堺市所蔵
ミュシャ(1860-1939年)は、世紀末のパリで活躍したアール・ヌーヴォーの大人気デザイナーで、女優サラ・ベルナールのポスターで一躍名を知られることになったのですが、晩年は故郷であるチェコに帰国し、祖国への想いをカンヴァスに描いていました。
アルフォンス・ミュシャ★<スラヴ叙事詩『原故郷のスラヴ民族』>★
(1912年):プラハ美術館蔵
第一次世界大戦を挟み17年を費やして描かれた総数20点からなる連作「スラヴ叙事詩」は、1928年にプラハ市に寄贈されましたがあまりにも巨大な連作が一堂に展示公開されたのは彼の死後24年を経た1963年のことでした。
本展は、国立新美術館の企画展示室にようやく収まる最大6×8メートルの大作など全20作が、チェコ国外で世界初公開となる前代未聞のスケールの展覧会。
チェコを旅して民族の歴史に触れ、ミュシャが描いたプラハの聖ヴィート教会の美しいステンドグラスに魅せられた私にとって、自らのアイデンティティに寄せるミュシャの熱い想いを東京に居ながらにして感じることができるのはとても楽しみです。
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「大エルミタージュ」展
オールドマイスター 西洋絵画の巨匠たち
2017.3.18~6.18
森アーツセンターギャラリー
ロシア、ロマノフ王朝の栄華を今に伝えるエルミタージュ美術館の膨大なコレクションから、17・18世紀バロック、ロココの巨匠、“オールドマイスター”といわれる画家たち(ティツィアーノ、クラーナハ、ルーベンス、ヴァン・ダイク、レンブラント、スルバラン、フラゴナールなど)の傑作が出展されるとのこと。
ティツィアーノ★『若い女性の肖像』(部分)★
(1536年頃):エルミタージュ美術館蔵
(本展チラシより)
クラーナハ★『林檎の木の下の聖母子』★
(1530年頃):エルミタージュ美術館蔵
(Photo byドイツ・ルネサンスの挑戦 デューラーとクラーナハ)
昨年、日本初の大回顧展が開催されたクラーナハによる個人の祈念ための甘美な聖母子像は、ヴィッテンベルクのザクセン選帝侯宮廷でも大変好まれ、クラーナハは多くのバリエーションを制作しています。
<おまけの情報>
ティツィアーノの描いた最も誘惑的な女性像といわれる『ウルヴィーノのヴィーナス』は、1538年頃の作品とされていますが、その少し前に制作されたと思われる本展チラシの『若い女性の肖像』から、顔つきやアクセサリーを転用したようにも見受けられます。
(参考作品)ティツィアーノ★『ウルヴィーノのヴィーナス』★
(1538年頃):フィレンツェ、ウフィツィ美術館蔵
(Photo by週刊世界の美術館)
(↓拡大図)
(参考作品)ティツィアーノ★『ウルヴィーノのヴィーナス』(部分)★
(1538年頃):フィレンツェ、ウフィツィ美術館蔵
(Photo byイタリア・ルネサンスの巨匠たち)
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ボイスマン美術館所蔵
ブリューゲル「バベルの塔」展
16世紀ネーデルランドの至宝
―ボスを超えてー
2017.4.18~7.2
東京都美術館
現存する油彩画はわずか40余点という、16世紀ネーデルランド絵画の巨匠ピーテル・ブリューゲル1世(1525/30-1569年)の傑作『バベルの塔』が24年ぶりに来日。
さらに、奇想天外な怪物たちが跋扈する世界を描いた奇才、ヒエロニムス・ボス(1450頃-1516年)の貴重な油彩画2点も初来日という大型企画展です。
ピーテル・ブリューゲル1世★『バベルの塔』(部分)★
(1568年頃):ロッテルダム、ボイマンス美術館蔵
(本展チラシより)
(参考作品) ピーテル・ブリューゲル1世★『バベルの塔』★
(1563年):ウィーン美術史美術館蔵
(Photo by西洋美術館)
ブリューゲルは生涯で3点の『バベルの塔』を制作したと推定されますが、現存する2点のうちボイマンス美術館の『バベルの塔』は、ウイーンの作品と目線を変え、周辺描写を加えることで、塔の象徴性をより強めたといわれます。
ウィーンの作品は、単に旧約聖書の物語を主題に描くのではなく、建築技術者の経験があるのかと思うほど具体性のある細密な建設風景が特徴。
作品のサイズは、ウィーン(114×155㎝)と比較して、ボイスマンの方は小ぶり(60×74.5㎝) 。
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エアコン完備の都心の美術館巡りはシニアライフの大きな楽しみのひとつ。
最近の私にとって、欧米の美術館めぐりはハードルが高いのですが、東京に居ながらにしてハイレベルの美術鑑賞が楽しめる幸せを感じる日々です。
ゴッホの次はクラーナハの描く神秘的な美女に誘惑されたい・・・ [私的美術紀行]
芸術の秋到来。
ドイツ・ルネサンスって何?
クラーナハって誰?という方も、
美術史に詳しい方もそうではない方も
美術館めぐりで知的な興奮を楽しみませんか?
<クラーナハ 500年後の誘惑>
2016.10.15~2017.1.15
国立西洋美術館
ルーカス・クラーナハは、日本での一般的な知名度はあまり高くありませんが、デューラーと並ぶドイツ・レネサンスの巨匠。クラーナハは祭壇画・肖像画に加えてヴィーナスやキューピッドをテーマにした裸体画・狩猟静物画などを手掛け、多様な注文主を相手に企業家として成功した画家でした。
日本初の大回顧展には、世界10カ国以上から父子2代のクラーナハ芸術の全貌が明らかになる作品が出展されます。
クラーナハは私が好きな画家の一人ですが、これまでクラーナハの作品をまとめて鑑賞する機会がなかったので本展の企画が発表されてからずっと待ちわびていました。
ザクセン選帝侯の宮廷画家であり、宗教改革を先導したマルティン・ルターと親しい関係にあったクラーナハですが、彼を一躍有名にしたのは、独特の官能美を醸し出すヴィーナスなど女性の裸体像でしょう。
本展で、ウィーン美術史美術館所蔵作品で日本人にもなじみ深い『ホロフェルネスの首を持つユディト』など、パトロンである選帝侯好みの、細身で愛らしい女神たちの裸体像という「クラーナハ様式」の作品たちに誘惑されるのを楽しみたいと思います。
展覧会チラシ★『正義の寓意』(部分)★
1537年:個人蔵
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展覧会チラシより★『マルティン・ルターの肖像』★
1525年:ブリストル市立美術館蔵
クラーナハは、カトリック教会の腐敗を弾劾する宗教改革の旗手マルティン・ルターの肖像画家として広く知られ、数多くの肖像画を制作しています。
しかしクラーナハ自身が宗教改革の側に立っていたというわけではなく、ルターの宿敵ともいえるブランデンブルク枢機卿の肖像画を何枚も描いています。
絵はがき★『ホロフェルネスの首を持つユディト』★
1530年頃:ウィーン美術史美術館蔵
旧約聖書に登場するユダヤのヒロイン・ユディトは、美しく着飾り自分の町を包囲した敵軍の陣地に口実を設けて潜入。敵将ホロフェルネスを宴席で誘惑し酒を飲ませて眠らせ、その首をはねて持ち帰りました。
将軍を欠いた敵軍は混乱してあえなく退散したという物語は、男を虜にする美女を描く口実に利用され、多くの画家が主題として取り上げています。
クラーナハの作品は、冷たい眼差しのユディトが身にまとう当時のザクセン地方の最新宮廷ファッションと、美女が手を添える切断された頭部の繊細な描写の対比が怪しい雰囲気を醸し出しています。
★『ヴィーナス』★
1532年:フランクフルト、シュテーデル美術館蔵
(Photo by「西洋美術館」)
クラーナハは、1520年代から30年代にかけてヴィーナス像を数多く描いています。
恋愛の危険さを戒める教訓画という名目で、このような官能的な裸婦像が流通していたと考えられています。
★『アダムとイヴ』★
1537年:ウィーン美術史美術館
(Photo by「時空旅人」)
展覧会チラシより★『不釣り合いなカップル』★
1530-40年頃:ウィーン美術史美術館蔵
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->年がいもなく恋愛に没頭する老人と若い女性、“不釣り合いな二人”というテーマは、北方ルネサンスの絵画にはお馴染みです。
クラーナハの別の作品では、老人が若い女性に銅貨を支払うシーンが描かれています。
展覧会チラシより★『泉のニンフ』★
1537年以降:ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->クラーナハの作品の中で最も人気のあったもので、10点以上の別バージョンの存在が知られています。
“横たわる裸婦”というテーマは、16世紀初頭のヴェネツィア派・ジョルジョーネとティツィアーノによる『横たわるヴィーナス』が始まりとされますが、クラーナハはおそらくイタリア版画から影響を受けたといわれています。
画面左上の銘文には「聖なる泉の精、ここに休む。わが眠りをさまたげることなかれ」と書かれています。
(参考資料:同朋出版「西洋絵画の巨匠たち」)
フィレンツェで開花したルネサンスは、イタリア各地の宮廷都市に波及。
特に15~17世紀初頭にかけてヴェネツィアで育まれた絵画は、「ヴェネツィア派」と呼ばれ16世紀に最盛期を迎えましたが、色彩豊かで自由奔放な表現で魅了する絵画たちをまとめてみることができる美術展に行ってきました。
ヴェネツィア・ルネサンスに絞った企画展は珍しいので、一見の価値はあるかと思います。
日伊国交樹立150周年特別展 アカデミア美術館所蔵
<ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち>
2016.7.23~10.10
国立新美術館
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展覧会チラシより
(左上)ジョヴァンニ・ベッリーニ★『聖母子』、通称『赤い智天使の聖母』★1485-90年
初期のヴェネツィア派を代表するベッリーニは多くの聖母子像を残していますが、本作は母子が交わす視線に温もりを感じさせ、宗教画の中に人間味が描かれています。
(左下)ティツィアーノ★『受胎告知』★1563-65年頃:ヴェネツィア、サン・サルヴァドール聖堂祭壇画
ティツィアーノが70歳を超えてから制作した高さ約4メートルの祭壇画が日本初公開。
展覧会場で間近で作品を見ることで、印象派を先取りしたようなタッチが確認できます。
展覧会チラシより
(中央)ヴェロネーゼ★『レパント海戦の寓意』★1572-73年頃
(左上)ティントレット★『聖母被昇天』★1550年頃
2016年秋、東京でゴッホとゴーギャンの競演が楽しめる [私的美術紀行]
美術愛好家にとって、2016年の東京は近年まれに見るアタリ年でした。
個人的にこれまで手薄だったジャンルの作品を鑑賞する機会もあり、お伝えしたいことも多々ありましたが、諸般の事情でブログ更新が滞っておりました。
10月以降の美術展情報から私が特に興味のある展覧会について少しまとめてみました。
10月から上野では、日本でも絶大な人気を誇るゴッホとゴーギャンという二大巨匠の共演を堪能できる美術展が近接する2会場で開催されます。
一気にハシゴ鑑賞して、危ういまでの強烈な個性を放つ二人の世界に思い切り浸りきるか、余韻を愉しみながらゆっくり鑑賞するか?
<ゴッホとゴーギャン展>
2016.10.8~12.18
東京都美術館
ゴッホ★『ゴーギャンの椅子』★
1888年:ファン・ゴッホ美術館蔵
ゴーギャン★『タヒチの3人』★
1899年:スコットランド国立美術館蔵
(左上)ゴッホ★『自画像』★
1887年:クレラー=ミュラー美術館蔵
(右下)ゴッホ★『ジョゼフ・ルーランの肖像』★
1889年:クレラー=ミュラー美術館蔵
本展のチラシやチケットのメインビジュアルに使われているゴッホ作『ゴーギャンの椅子』(1888年)は、2010年秋の「ゴッホ展」にも出品されましたが、今回は、同じような椅子をモチーフにしたゴーギャンの作品も出品されています。
(2010年の「ゴッホ展」については、同年10月27日付の本ブログでご紹介しています)
南仏アルルで芸術家のユートピアをつくろうと夢見て同志を集めようとしていたゴッホですが、画商をしていた弟テオの働きかけでようやくゴーギャンが来ることになりました。何人もの友人から断られていたゴッホは大喜びでゴーギャンのために家具を買いそろえたり、ひまわりの絵を何枚も描いて部屋に飾って待ちわびていたといいます。
しかし、あまりにも個性の強かった二人の共同生活は二カ月で破たんし、ゴーギャンはアルルを去ってしまいます。
(参考作品)ゴッホ作★『ゴッホの椅子』★
(1888年:ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)
(Photo by「週刊 西洋絵画の巨匠」)
ゴッホが質素な生活の中で大切な友のために購入した高価な椅子をモチーフにした作品は、二人が対立しゴーギャンがアルルを去る少し前に描かれたようです。
ゴッホ自身が使っていたシンプルな椅子と比べると、ゴーギャンに対する気遣いがいじらしく感じられるほど贅沢な椅子ですね。
(右上)ゴーギャン★『自画像』★
1885年:キャンベル美術館蔵
ゴーギャンが画家となった初期のころの作品。
(右下)ゴーギャン★『肘掛椅子のひまわり』★
1901年:E.G.ピュールレ・コレクション財団蔵
タヒチに渡り画家として成功したゴーギャンも心の闇を抱え、自殺未遂事件などがありましたが、死の2年前、タヒチにはないひまわりの種を取り寄せて『肘掛け椅子のひまわり』を制作しています。
(参考作品)ゴーギャン★『椅子の上のひまわり』★
1901年:エルミタージュ美術館蔵
(Photo by「週刊 西洋絵画の巨匠」)
ゴッホのシンボルともいえるひまわりを、アルル時代にゴーギャンが使っていたものを思わせるような椅子に載せた作品は、亡き友へのオマージュとも考えられますね。
ゴーギャンは、ほぼ同じ構図の作品を数点描いています。
<デトロイト美術館展
~大西洋を渡ったヨーロッパの名画たち~>
2016.9.7~2017.1.21
上野の森美術館
さて、アメリカ中西部にあるデトロイト美術館は、自動車産業の巨万の富を示すコレクションといわれています。幅広いジャンルの約6万点に及ぶコレクションより今回は印象派から20世紀初頭までのヨーロッパ近代絵画の「顔」ともいうべき名画が集結したとのこと。
ゴッホやマティスの作品をアメリカの公共美術館として初めて購入した美術館から、その作品が出品されているのが見どころのひとつです。
※本展は、自動車産業が盛んなデトロイト市と豊田市の姉妹都市締結55周年記念事業として、豊田市で2016年4月に開催され、大阪を経て東京で巡回開催されるものです。
ゴッホ★『自画像』(部分)★ 1887年
生涯に40点近い自画像を残しているゴッホがパリ時代に描いた作品。
明るい色彩や線状のタッチなどに印象派の影響が見られるが、全図では青いスモックの中央部に指で絵具を置いた跡が残る。
(上)モネ★『グラジオラス』★
1876年
(右下)ルノワール★『座る浴女』★ 1903-06年
ゴーギャン★『自画像』★ 1893年
上でご紹介している1885年に描かれた自画像↑と比べると、本作では風貌にかなりの変化が見られます
マティス★『窓』★1916年
マティスは「色彩の魔術師」と呼ばれることもあり、『赤の調和 赤い室内』に代表されるように原色のイメージがありますが、“アメリカが初めて見たマティス”となる本作は抑えた色使いで床と壁の境や奥行感があいまいで、平面性が強調されています。
セザンヌ★『サント=ヴィクトワール山』★ 1904-06年
“二十世紀絵画の父”セザンヌの精神的支えだった故郷の山を描いた晩年の作品のひとつ。
ピカソ★『読書する女性』★1938年
15点の日本初上陸作品の中でも本作は、1957年にフォード一族が購入後、2005年にデトロイト美術館に所蔵されるまで一般公開されていなかった必見の作品。
★★★「クラーナハ」と「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」
については、別記事でご紹介します★★★
上野で“カラヴァッジョ的世界”を体感し、謎解きでドラマチックの余韻を愉しむ [私的美術紀行]
(展覧会チラシ:新バージョン)
2月の本ブログでもお伝えしましたが、現在上野の国立西洋美術館で「カラヴァッジョ展」開催中です。
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571-1610年)は、“闇を切り裂く光”という劇的な明暗表現の宗教画で知られていますが、現存するカラヴァッジョの真筆作品は60点強と言われている中の10点*が来日しており、世界でも有数の規模の回顧展といえます。
*作品番号42『仔羊の世話をする洗礼者ヨハネ』(カラヴァッジョに帰属する)を加えると11点。
本展は、「風俗画」、「五感」、「静物」、「肖像」、「光」、「斬首」、「聖母子と聖人の新たな図像」という7つのテーマに分け、それぞれにカラヴァッジョの作品と同時代の画家の同様のテーマを扱った作品を展示する構成になっています。
話題の展覧会なので、メディアで取り上げられる機会も多く、カラヴァッジョの波乱に満ちた生涯については、過去のブログでご紹介していますので、今回は、本展で鑑賞した作品にまつわるエピソードなどを少しご紹介します。
日本初公開 ★『女占い師』★
(1597年:ローマ、カピトリーノ絵画館蔵)
(展覧会チラシより)
作品番号1の『女占い師』は、ロマの女占い師に手相をみてもらうつもりが指輪を抜かれる世間知らずの若者という構図。
本作は、真筆であると認定されていますが、多くの加筆が施されたらしく、ルーヴル美術館所蔵の同名作品のカラヴァッジョ自身によるレプリカではともいわれる作品です。
(どちらが先に制作されたのかについて諸説あります)
参考★『女占い師』★
(1595年頃:ルーヴル美術館蔵)
(Photo by 「もっと知りたいカラヴァッジョ」)
(Photo by「わがまま歩きイタリア」)
イタリア通貨がリラだった時代の最高額紙幣:10万リラ(上の図の右下))には、カラヴァッジョの肖像画が使われていました。
ローマで画家として成功したカラヴァッジョですが、乱闘の末の殺人によって「死刑宣告」が出され、逃亡生活の中で作品を描き続けながら南イタリアで病死。
彼の死後、ローマで恩赦が出たとはいえ、最高額紙幣の図柄に使うとは日本人の感覚からはちょっと大胆な印象です。
もう一つ、彼の代表作として紙幣の図柄に使われたのはルーヴル作品の「女占い師」というのも、他に代表作にふさわしい作品があるのでは? など、私的には違和感があります。
宗教画や異教徒的主題ではないものを選びたいという意図だったのでしょうか。
本展では、カラヴァッジョの裁判や暴力沙汰などの出来事を記録した古文書も展示されているので、貴重な機会をお見逃しなく!
(展覧会チラシ:新バージョン)
絵はがき★『果物籠を持つ少年』(部分)★
(1593-94年:ローマ・ボルゲーゼ美術館蔵)
ミラノではフランドル派の影響で静物画や風俗画が盛んになりつつありましたが、当時のローマではこのような風俗画は珍しいものでした。
本作は巧みな空間表現と静物描写が特徴ですが、作品を間近で見ると果物のみずみずしさに圧倒されます。
このような素晴らしい静物描写は、本展に来日している『バッカス』にも共通しています。
自分を鏡に映して描くなどモデルにも事欠いていたいたカラヴァッジョですが、うぶな若者二人がいかさまトランプ師に騙される『いかさま師』という作品が、デル・モンテ枢機卿の目に留まり、枢機卿の邸宅に住み、そこで仕えている少年たちをモデルに描くようになったといわれています。
日本初公開★『バッカス』★
(1597-98年:ウフィツィ美術館蔵)
『バッカス』は、私が初めて鑑賞したカラヴァッジョ作品なのですが、1999年のウフィツィ美術館訪問当時、西洋美術鑑賞の初心者だった私は画家の名前を知らず、同じ部屋に展示されていたと思われる『メドゥーサ』の方がよく覚えています。
酒に酔ったように上気した少年は、片手でヴェネチアングラスのワインを差し出しながら、もう一方の手は自分の帯をほどこうとしている仕草から明らかに性的な誘いを示す作品という解釈が一般的です。
今回来日していませんが、『病めるバッカス(バッカスとしての自画像)』(ローマ、ボルゲーゼ美術館所蔵)は、鏡に映った自分の姿を描いた作品として有名です。本作も、若者が右手ではなく左手にグラスを持っていることから、カラヴァッジョは本作の制作にあたっても、鏡を使用した可能性が考えられそうです。(展覧会公式カタログによる)
また、画面左にあるデカンタ中のワインの表面には、驚くべき技巧によってかすかに映った画家自身の姿が描かれていますが、図版での確認は難しく、美術館でじっくりみないと見つけられません。
カラヴァッジョマニアとしては、なんとか図版で確認できないものかと思っていたら、名画解説セミナーで長年お世話になっている有地京子先生(ルーヴルはやまわり』の著者)が、海外のサイト イギリスの ザ・テレグラフの記事(2009.10.31)から見つけてくださいました。
↓
http://www.telegraph.co.uk/culture/art/art-news/6468623/Tiny-Caravaggio-self-portrait-revealed-by-technology.html
さて、私が初めてカラヴァッジョの作品に出逢ったと認識したのは、ウフィツィよりも後に鑑賞したミラノ、ブレラ美術館の『エマオの晩餐』でした。
絵はがき★『エマオの晩餐』★
(1606年:ミラノ・ブレラ美術館蔵)
復活後の主であると知らずに男と食事を共にした二人の使徒は、男が祝福してパンを割いた瞬間にキリストであることに気づいて驚きますが、その直後にキリストは消えてしまうという聖書の一場面を主題にした宗教画です。
人物の動きは抑えられ、画面に射し込む強い光はなく広がる闇と粗いタッチの絵ですが、その場から動けなくなるような感銘を受けました。
後年、ロンドン・ナショナルギャラリーでカラッヴァッジョがローマ時代に制作した同主題の作品を鑑賞したのですが、そちらの作品に描かれたキリストが髭のない少年のようで私のキリスト像イメージとギャップがあることや、驚いて両手を広げる使徒の仕草が大仰でちょっとがっかりしました。後から、両手を広げた弟子のポーズはキリストの磔刑のポーズを暗示していると知るのですが・・・・
参考★『エマオの晩餐』★
(1601年:ロンドン、ナショナルギャラリー蔵)
ブレラ美術館所蔵の作品は、カラヴァッジョが「殺人宣告」を受けた後の逃亡生活の中で制作された作品ですが、静物画的な細部描写もなく、老婆の持つ皿と衣装が透けて見えるような粗っぽい筆触。
余裕のない環境で描かれた作品のこのような様式的特徴はこれ以降の作品に顕著となったわけですが、本展の公式カタログの記述に最新の研究で発見された興味深いことがらの記述を見つけました。
2010年になされた詳細なX線撮影調査により 、完成の直前に芸術的な意図に基づいて変更が加えられているのが発見されたというのです。(以下同カタログより転載)
“当初は、画面左に開口部(窓もしくは回廊)があり、緑と褐色の絵具によってより自然主義的な情景が描かれていた。
そしてその向こうに自然光に照らされた葉の茂った樹木による風景が見られたのである。
さらに、キリストの顔はもっと若く大きいものであり、向かって右側に長い影が投げかけられ、テーブルの上の静物はこれほど切り詰められていなかった。
こうした箇所に変更が加えられた結果、最終的な作品はより内在的となり、福音書の文章の深い意味、つまり、消えた後になってはじめてキリストが「心の目」によって認識できたということが示されている(ルカ24:13_32「・・・その姿は見えなくなった。二人は、・・・話しておられるとき・・・わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った」)。”
私は、3月の開幕当初に本展に出かけた時、時間の制約もあって、ほぼカラヴァッジョの作品のみを鑑賞しました。
5月にもう一度鑑賞する予定なので、次回はゆっくり時間をかけてカラヴァッジョの世界とその影響を堪能してくるつもりです。
★★★カラヴァッジョに関する過去のブログ記事★★★
2016.2.17 「カラヴァッジョ展」、闇と光を操る天才画家の傑作10点に逢える!
→http://ayapandafuldays.blog.so-net.ne.jp/archive/20160217
2012.9.25 もっと知りたいカラヴァッジョ、バロックの開祖にして殺人者、呪われた?天才画家
→http://ayapandafuldays.blog.so-net.ne.jp/archive/20120925
2010.3.25 近頃気になる人物・カラヴァッジョ、バロック絵画の巨匠にして殺人者
→http://ayapandafuldays.blog.so-net.ne.jp/archive/20100325
「ボッティチェリ展」・・・聖母子の画家としてのボッティチェリ [私的美術紀行]
上野の東京都美術館で開催中(~4月3日)の「ボッティチェリ展」を見てきました。
★『ラーマ家の東方三博士の礼拝』★
(1475-1476年頃:ウフィツィ美術館蔵)
(Photo by「時空旅人」)
ボッティチェリが名声を確立した出世作の宗教画。
主要人物による安定したピラミッド型構図により、聖母子に視線が引きつけられる。
群衆の何人かはフィレンツェの名家メディチ家の人物や絵の発注者、画家自身といわれる。
(人物の解釈は諸説あるが、会場内に説明ボードが掲出されている)
参考★『ヴィーナスの誕生』★
(1485年頃:ウフィツィ美術館蔵)
(Photo by「世界の美術館」)
ルネサンスの巨匠・サンドロ・ボッティチェリ(1445年頃~1510年)というとギリシャ神話を主題にした『ヴィーナスの誕生』や『春(プリマベーラ)』の印象が強すぎるのですが、いくつかの美しく優雅な聖母子を描いており、今回の大回顧展にも聖母子像の代表作が来日しています。
ルネサンスが開花した15世紀、絵画は礼拝の対象から鑑賞への対象へと変わりつつあったのですが、ボッティチェリは、若いころ初期ルネサンスを代表する画家であるフィリッポ・リッピに師事しています。
フィリッポ・リッピは修道士でありながら尼僧と駆け落ちし子どもまで設けたエピソードの持ち主。
フィレンツェ絵画を代表する優しい作風の画家で、聖母子像など天上的な主題の作品は感情の機微を持ち描き手と同時代のリアリティに満ちています。
聖母の麗しい姿や軽やかな衣の表現は、弟子のボッティチェリや息子フィリッピーノ・リッピに受け継がれています。(本展覧会にはリッピ父子の作品も多数展示されています)
実は、今回展覧会で鑑賞した作品の中から私的にお気に入りだった作品を調べてみたら、ウフィツィ美術館やパラティーナ美術館の所蔵品で、2回のフィレンツェ訪問で鑑賞しているはずの聖母子を主題にした作品が多かったのです。
どうやら、聖母子の画家といえば、ラファエロが私のファースト・チョイスになってしまいボッティチェリの作品はあまり思い浮かばなかったようです。
今回、ボッティチェリの資料から自分の好きな聖母子作品を探していたら、ベルリン美術館で鑑賞した作品がいくつか見つかりました。
参考★『歌う天使と聖母子』★
(1477年頃:ベルリン美術館蔵)
(Photo by「世界の美術館」)
画家が33歳頃の作品。
聖母子と8人の天使たちが身体を寄り添わせて円形の画面(トンド)に無理なく収められている。
参考★『玉座の聖母子と諸聖人』(バルディ家祭壇画・部分)★
(1484年:ベルリン美術館蔵)
(Photo by 「聖母マリアの美術」)
本作の聖母は授乳のために静かに衣を開けており、礼拝の対象である祭壇画でありながら人間味のある仕草の聖母像が描かれている。
本展覧会の目玉作品として、チラシにも採用されている『書物の聖母』は、待望の初来日。
ボッティチェリ円熟期の傑作には、金箔やラピスラズリなどの高価な素材が多用されており、実物の質感や色彩を間近で鑑賞したい作品です。
絵はがき★『書物の聖母』★
(1482-1483年頃:ポルディ・ペッツォーリ美術館蔵)
14世紀頃までの硬い表情の聖母子像と違い、ある家庭の日常の一コマのように人間らしく描かれた母子の間には無言の対話がある。
悲しみをたたえた視線を、幼子の可愛らしい左腕に巻かれた将来の「受難」の象徴である茨の冠や3本の釘に向けるマリアは、子の運命を悟って苦しんでいる。
母を仰ぎ見るキリストはほほえみながら、そんな母に対し、自らの使命の意義を語り、慰めているのだろうか。
(参考:朝日新聞、2016年1月14日)
聖母子のポーズは、聖母子像の中でも人気が高いトンドとして描かれた『マニフィカトの聖母』とよく似ています。
ウフィツィ美術館所蔵の『マニフィカトの聖母』は今回来日していませんが、会場の内売店で絵はがきを販売しています。
参考 絵はがき★『マニフィカトの聖母』★
(1480-1481年頃):ウフィツィ美術館蔵)
聖母は天使が支える書物を前に羽ペンをインク壺にひたしている。
書物の開かれた右ページには「マニフィカト」(あがめる)という単語で始まるルカ伝のマリアの讃歌の言葉を読むことができる。
絵はがき★『聖母子と4人の天使(バラの聖母)』★
(1490年代:フィレンツェ、パラティーナ美術館蔵)
ボッティチェリと工房による作品。
トンドは15世紀後半のイタリアで、邸宅内の装飾のひとつとして飾れるので人気があった。
本作は構図のバランスを取るため、背景に複数本のバラを描いている。
洗礼者聖ヨハネは、旧約の世界の最後の預言者であるとともに、キリストの先駆者として新約の始まりに立っているという極めて重要な存在です。
聖母マリアの従妹・エリザベツの息子であるヨハネは荒野で修行し教えを説きながら、ヨルダン川の川辺で人々に洗礼を施していました。キリストにも洗礼を施した人物で、数多くの宗教画の主題になっており、聖母子との3ショットも画家に人気の主題。絵画作品の中では幼いヨハネも十字架のついた杖やラクダの毛皮というアトリビュートを身に着けています。
絵はがき
★『聖母子、洗礼者聖ヨハネ、大天使ミカエルとガブリエル』★
(1485年頃:フィレンツェ、パラティーナ美術館蔵)
洗礼者ヨハネ(左端)が、長い髪の美少年として描かれている作品。
ボッティチェリは、生涯にわたり多数の宗教画を描いていますが、それぞれの時代で影響を受けた人物により同主題でも画風が違うことが感じられます。
工房時代は、師であるフィリッポ・リッピの影響を受けた古典的なキリスト教絵画、メディチ家の庇護をうけた時代は古代芸術に影響を受けた神話のような趣き。
そしてメディチ家が追放された最晩年に描かれた下記の作品は、宗教改革家サボナローラの影響から中世風な作風に回帰しています。
絵はがき★『聖母子と洗礼者聖ヨハネ』★
(1500-1505年頃:フィレンツェ、パラティーナ美術館蔵)
聖母マリアが、幼子をヨハネに委ねるという主題。
縦長の画面に身体を屈めるように描かれた聖母も抱かれているキリストも表情が硬く、動きもぎこちない。
ルネサンスの光と闇を生きたボッティチェリの晩年は、儲けたお金を使い果たし仕事もなく不遇の中で死んでいったといわれています。
≪おまけの画像≫
本展覧会にはフィリピーノ・リッピの『幼児キリストを礼拝する聖母『』という作品が展示さていますが、父親でボッティチェリの師であるフィリッポ・リッピによる同主題の作品(ベルリン美術館所蔵)をご紹介します。
フィリッピーノ・リッピ★『幼児キリストを礼拝する聖母』★
(1478年頃:ウフィツィ美術館蔵)
(Photo by 「時空旅人」)
師でありライバルでもあったボッティチェリの影響が顕著に見られる作品。
参考フィリッポ・リッピ★『幼児を礼拝する聖母』★
(1459年頃:ベルリン美術館蔵)
(Photo by「世界の美術館」)
当初はメディチ家礼拝堂の祭壇画として飾られていた作品。
聖母子をはじめとする登場人物たちがリアルな人間に描かれている一方で、画面全体の繊細な装飾により神秘感が漂っている。
(左端は洗礼者聖ヨハネ)
聖母マリアは受胎告知からキリストの誕生、復活・昇天まで聖母子の図像として多種多様にわたって描かれていますが、年老いた聖母の姿はあまり多く見られません。
13世紀半ばころにまとめられた『黄金伝説』によると
“聖母が72歳を迎えた日、大天使ミカエルが、死に対する勝利を意味する棕櫚を手に持って3日後に天に召されることを予告し、布教活動に散っていた使徒たちを聖母のもとに集める”
とあります。
今回展示されていた、フィリッポ・リッピによるバルバドーリ祭壇画の裾絵として描かれた3連の板絵の中に『聖母の死の告知』という作品がありました。
あまりポピュラーな主題ではなく有名な作品も少ないからでしょうか、展覧会の売店で、ワイド判の絵はがきを販売していました。
絵はがき フィリッポ・リッピ★『聖母マリア死のお告げ』★
(1438年頃:ウフィツィ美術館蔵)
「カラヴァッジョ展」、闇と光を操る天才画家の傑作10点に逢える! [私的美術紀行]
西洋美術ファンにとっては見逃せない展覧会が目白押しのスペシャルイヤーです。
現在、日本初の本格的回顧展となる「ボッティチェリ展」(~4月3日まで東京都美術館)、特別展「レオナルド・ダヴィンチ 天才の挑戦」(4月10日まで東京都江戸東京博物館)が開催中です。
来月は私の大好きな画家、バロック絵画の始祖であり篤い信仰心から生まれた宗教画を制作しながらも殺人者という破天荒な天才画家「カラヴァッジョ展」が始まります。
ミケランジェロ・メリージ・カラヴァッジョ(1571~1610年)は、西洋美術史上もっとも偉大な芸術家のひとりで、17世紀初頭にローマでバロック絵画を誕生させ、光と闇の演出による劇的な宗教画を数多く描いています。
以前このブログでは、2012年9月25日の記事でカラヴァッジョの生涯をたどりながらその作品をご紹介していますが、日本でカラヴァッジョの作品をまとめて見られる機会は2001年(東京都庭園美術館ほか)以来とのこと。
1999年、イタリア・ミラノのブレラ美術館で『エマオの晩餐』を鑑賞した時、感銘を受けたにも関わらずその後カラヴァッジョのことを忘れかけていた私は上記の美術展をスルー。カラヴァッジョの魅力を再発見したきっかけは、「ルーヴルはやまわり」の著者、有地京子先生の名画解説セミナーでした。
(映画「カラヴァッジョ~天才画家の光と闇」のチラシ)
没後400年記念に公開された映画「カラヴァッジョ~天才画家の光と闇」を見て、彼の人生と作品に興味を持った私ですが、カラヴァッジョ作品の最大集積地であるローマをはじめとしたイタリアを再訪する機会もないままだったので、今回の展覧会は本当に待ちわびていた企画展です。
ここでは、『エマオの晩餐』など本展覧会で見られる作品をいくつかご紹介します。
★『エマオの晩餐』★
(1606年:ミラノ、ブレラ美術館蔵)
(展覧会チラシより)
私が初めて出逢ったカラヴァッジョ作品『エマオの晩餐』は、2人の弟子が食卓を共にした男が、復活したキリストであることを知って驚く場面を描いています。
色調を抑えながらも光と闇との対比がドラマチックな効果をあげている晩年の傑作。
本作は、死刑宣告を受けたカラヴァッジョの逃亡生活の中で制作されており、ロンドン、ナショナル・ギャラリーが所蔵する1601年に描かれた同主題の作品と比べると、」画面から受ける印象が全く異なります。
人物の動きを抑え、画面に射し込む強い光はなく闇が広がっており、カラヴァッジョの晩年洋式の始まりが見られる作品です。
★『トカゲに噛まれる少年』★
(1596~1597年頃:フィレンツェ、ロベルト・ロンギ美術史財団蔵)
(Photo by「日経おとなのOFF」)
バラの花に隠れていたトカゲに噛まれて驚く少年という初期の風俗画。
バラは愛を表すため、恋の道には痛みが伴うという教訓を表したものといわれます。
カラヴァッジョはローマ時代の初期、単独の少年と果物などの静物が組み合わされた作品を数多く描いており、 同主題の作品はロンドン、ナショナル・ギャラリーも所蔵しています。
フランドル派の影響により静物画や風俗画がさかんになりつつあったミラノで修行したカラヴァッジョは静物の描写が得意でしたが、人物表現の伝統が根強いローマでは、少年と組み合わせる必要があったと考えられます。
★『女占い師』★
(1598~1599年頃:ローマ、カピトリーノ絵画館蔵)
(展覧会チラシより)
ロマの女占い師に手相を見てもらう若者という構図ですが、女は世間知らずの若者の指からそっと指輪を抜き取ってしまいます。
同じ頃に描かれたとみられるルーヴル美術館所蔵の同主題の作品は、ほぼ同じ構図ながらモデルなった女も若者も異なっています。ルーヴル作品の若者のモデルは、カラヴァッジョの舎弟であった画家のミンニーティ。
参考★『女占い師』★
(1595~1598年頃:ルーヴル美術館蔵)
(Photo by「もっと知りたいカラバッジョ」)
ルーヴル美術館はカラヴァッジョの作品を3点所蔵していますが、上記有地京子先生の「ルーヴルはやまわり」には、『女占い師』と『聖母の死』の詳しい解説があります。
★『ナルキッソス』★
(1599年頃:ロマ、バルベリーニ宮国立古典美術館蔵)
(Photo by 「時空旅人」)
水面に映った自分の姿に惚れ込んで溺れてしまった美少年ナルキッソス。
わが身に恋する美少年とニンフのかなわぬ恋物語〝ナルシスとエコー”は、ローマ時代のオウィディウス『変身物語』による叙情的な物語です。
写真ではわかりにくいのですが、暗闇の中に浮かび上がるナルキッソスと水面に映った彼の姿が互いを見つめあう構図をじっくり見るのが楽しみです。
★『エッケ・ホモ』★
(1605年頃:ジェノヴァ、ストラーダ・ヌォヴォ美術館蔵)
(展覧会チラシより)
ローマ総督ピラトに捕らわれ、鞭打たれて傷ついたキリストが群衆の前に引き出された場面ですが、本展覧会では、依頼主が他の画家にも描かせた同じ主題の作品と並べて展示されるとのこと。
★『洗礼者ヨハネ』★
(1605~1606年:ローマ、コルシーニ宮国立古典美術館蔵)
(Photo by「日経おとなのOFF」)
洗礼者ヨハネはカラヴァッジョが数多く描いた聖人ですが、本作では若々しい裸身が月光に照らされて浮かび上がる構図となっています。
2010年に東京都美術館で開催された「ボルゲーゼ美術館展」には、カラヴァッジョ最晩年に制作された同主題の作品が来日しています。
参考 絵はがき★『洗礼者ヨハネ』★
(1610年頃:ローマ、ボルゲーゼ美術館蔵)
憂いに満ち、放心したようにこちらを見るヨハネが持つ杖は十字架状のものではなく、洗礼用の椀もラクダの毛皮もありません。また、背後にいるのもヨハネの子羊ではなく角の生えた牡羊として描かれています。
洗礼者が救世主を待っていることを示すようでもあり、殺人罪の恩赦を待つカラヴァッジョの姿に重なるという見方もできます。
生涯にわたって死を描き続けたカラヴァッジョは斬首を主題にした作品が多いのですが、ペルセウスに斬首されて楯に封じ込まれた魔女メドゥーサの断末魔の叫びが凍りついた作品。今回は、ウフィッツィの作品と同じころ制作された個人蔵の作品が展示されるようです。
参考★『メドゥーサ』★
(1597~1598年:フィレンツェ、ウフィッツィ美術館蔵)
(Photo by「もっと知りたいカラバッジョ」)
本展覧会は、カラヴァッジョの世界を体感できるように、五感、風俗、光、斬首などのテーマごとに構成されカラヴァッジョの作品をカラヴァッジェスキ(継承者たち)の作品とともに紹介されるとのこと。
誰のどんな作品に出会えるのか開催が待ち遠しいですね。
モネ展、「印象、日の出」から「睡蓮」まで・・・ジヴェルニー「モネの庭」 [私的美術紀行]
上野の東京都美術館で開催中の「マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展」~「印象、日の出」から「睡蓮」まで を見てきました。
パリのマルモッタン・モネ美術館には、印象派の巨匠で日本人にも大変人気があるモネが86歳で亡くなるまで手放さなかった作品などが多数所蔵されているのですが、私はこれまで行く機会がありませんでした。
今回展覧会の目玉作品として特別出展(東京展では10月18日まで)の『印象、日の出』は、「印象派」という呼称の由来となった記念すべき作品であるのに、私が実物を見るのは今回が初めてなのでとても楽しみでした。
絵はがき★『印象、日の出』★
(1872年:マルモッタン・モネ美術館所蔵)
実は、本作はこれまで1873年に制作された作品とされていたのですが、2014年、特別プロジェクトチームによる様々なデータの詳細分析により、本作が描かれた制作年月日は、1872年11月13日午前7時35分頃が一番可能性が高いとされたのです。モネは、ルアーブルの港を見下ろす海岸沿いにあったホテルの3階の部屋から見た風景を描いたようです。
実際に見た印象ですが、朝焼けの港の風景は印刷物などと比べ、作品を見る角度によってはかなり白っぽく輝いているように見えました。
モネがこの作品を発表した当時、サロンに入選する作品の評価基準にはあわない革新的な作品だったらしく、酷評されたといわれています。
≪ジヴェルニー モネの庭と連作・『睡蓮』≫
1883年4月、43歳のモネはノルマンディ地方の小さな村であるジヴェルニーに9,600㎡の広大な敷地を有する家を借りて移り住み、86歳で亡くなるまでここで暮らしました。
ジヴェルニーの変化に富む光の中に自分が描くべき風景があふれていると感じたモネは、従来の制作旅行を減らし、『積み藁』、『ポプラ並木』、『睡蓮』などの連作という新しい手法を見出しました。
以前から園芸に興味があったモネは、庭造りにおいてもこだわりと執着を持って本格的に取り組み、庭師兼画家という異名を持つほどでした。
2003年7月、ジヴェルニーの「モネの家」訪問時に撮影した写真と共にモネの作品をご覧ください。
(2階寝室からの眺望)
(「花の庭」)
絵はがき★『ジヴェルニーの画家の庭』★
(1899年:オルセー美術館所蔵)
モネは、母屋の前の色鮮やかな「花の庭」造りに絵を描く時間を割いてまで情熱を注ぎ、1890年に借家だった家と土地を購入して新たに温室を作り、庭師も雇い入れました。その3年後には通りを隔てた向かいの土地を購入しました。
川から水を引いて「水の庭」を造る計画は、地元民との軋轢があり難航ましたが1895年に完成。
浮世絵を通して日本に憧れていたモネは、品種改良でできたばかりの赤い花が咲く睡蓮などが浮かぶ池に日本風の太鼓橋をかけ、池の周りには竹や柳、桜やツツジ、アイリスなどを植えました。
(「水の庭」)
(「水の庭」:奥の方に日本風の緑の太鼓橋)
モネは、1895年以降30年以上にわたって200点以上の(連作)『睡蓮』を制作しています。
絵はがき★『睡蓮の池』★
(1900年:ボストン美術館所蔵)
絵はがき★『睡蓮』★
(1903年:マルモッタン・モネ美術館所蔵)
(絵はがき:日本の橋、藤棚)
1911年、2番目の妻アリスが亡くなるとモネはジヴェルニーに籠るようになりますが、ボストン美術館で回顧展を開催。
前年のセーヌ川大洪水で水没した「水の庭」を修復し、太鼓橋に藤棚を造ります。
1912年の夏ごろ、72歳のモネは白内障と診断され、1914年には長男ジャンが病死という不幸に見舞われますが、親友で当時フランス首相だったクレマンソーの言葉を受けて睡蓮の大作に取り組み始め、翌年、(睡蓮大装飾画)のための大アトリエを建てます。
絵はがき★『睡蓮』★
(1917-19年:マルモッタン・モネ美術館所蔵)
モネの代名詞ともなっている連作『睡蓮』は、橋や水辺のしだれ柳などが描かれた風景画から次第に睡蓮の池の水面の揺らぎなどに焦点が絞られた作品が多くなっているように思われます。
筆のタッチにも変化が見られますが、本展を企画した学芸員・大橋菜都子さんの解説によると、白内障が進行した視力障害の影響だけではなく、次の世代の抽象画のような作風に変化していったのではないかとのこと。
「最晩年の作品」を集めた本展の会場には、モネが生涯手元に置いていたため正確な制作年がわからない作品がいくつかあります。
★『睡蓮』★
(1918-24年:マルモッタン・モネ美術館所蔵)
★『睡蓮』★
(1918-24年:マルモッタン・モネ美術館所蔵)
(以上の2点は、BS日テレ「ぶらぶら美術・博物館」の画像)
この2点は、まるで抽象画のようで、藤棚のある太鼓橋とはすぐにわからないかもしれません。
(「バラの小道」)
絵はがき★『バラの小道、ジヴェルニー』★
(1920-22年:マルモッタン・モネ美術館所蔵)
モネは、庭を散歩することと、2階の寝室から眺めることの両方を意識して、バラの柱の下に別の花を植えたり、花壇の中に高低差のある庭造りをしていたそうです。
モネが最晩年に取り組んだ(睡蓮大装飾画)は国家へ寄贈することと展示する場所も決まりましたが、モネの視力が著しく低下し制作が困難になったため2度にわたって手術を受け、矯正用のメガネをかけるようになりました。
※本展では、モネが実際に着用したメガネやパレットなどの愛用品も展示されています。
寄贈期限までに装飾画が完成せず、仲介役のクレマンソーに期限延長を申し入れたモネでしたが、(睡蓮大装飾画)がオランジュリー美術館で公開されたのは、モネが86歳で亡くなった翌年、1927年5月17日でした。
(オランジュリー美術館:睡蓮大装飾画『二本の柳』)
さて、現在、東京展では『印象、日の出』にかわって、『ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅』が公開されています。
モネは、1877年1月、近代化の象徴であるサン=ラザール駅を描くために、駅界隈のモンシー街に部屋を借りて12点を制作しました。
そのうちのいくつかは、1877年の第3回印象派展に出品され、作家エミール・ゾラに「これこそが近代絵画である」と絶賛されました。
絵はがき★『ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅』★
(1877年:マルモッタン・モネ美術館所蔵)
絵はがき★『サン=ラザール駅』★
(1877年:オルセー美術館所蔵)
東山魁夷の名画『緑響く』の世界へ・・・信州「御射鹿池」とモーツァルトの旋律 [私的美術紀行]
先月末、信州とご縁が深い東山魁夷画伯の名画『緑響く』のモデルといわれる八ヶ岳中央高原・御射鹿池に行く機会に恵まれました。
数年前、某社の液晶TVのCMにも登場した“白馬が駆ける緑の森が水面に映りこむ幻想的な風景”です。
★『緑響く』(1982年)★
長野県信濃美術館 東山魁夷館所蔵
(NIKKEI POCKET GALALYより)
ある時、一頭の馬が、私の風景の中に、ためらいながら、小さく姿をみせた。
すると、その時描いた18点の風景(その中には習作もあるが)の全てに、白い小さな馬が現れたのである。
白い馬は、風景の中を、自由に歩き、佇み、緩やかに走る。
しかし、いつも、ひそやかに遠くの方に見える場合が多く、決して、全面に大きく現れることはない。
御射鹿池は、農業用のため池として作られ、その幻想的な風景から、農水省により「ため池100選」にも選ばれています。
酸性が強く、生き物が棲息することができない池の畔には数本の白樺があり、この日も観光客がこのあたりで記念写真を撮っていました。
湖底に、酸性を好むチャツボミゴケが繁茂しているために、青緑に光る湖面に木々が美しく映るそうですが、東山画伯は御射鹿池をモチーフにした作品を他にも描いています。
絵はがき★『緑映』★(1991年:セリグラフ)
そして、『緑響く』という作品にはモーツァルトにまつわるエピソードがあり、東山魁夷の美術館で売られている『東山魁夷が愛した モーツァルトの第二楽章』というCDのライナーノーツには次のような記述があります。
「白い馬はピアノの旋律で、木々の繁る背景はオーケストラです。」
by 東山魁夷
ある時、私はその年に描く作品の構想を考えていると、ふと、モーツァルトのピアノ協奏曲イ長調(K.488)の第2楽章の旋律が浮かんできた。
嬰ヘ短調の6拍子で書かれたこの楽章は、穏やかで控え目がちな主題が、まずピアノの独奏で奏でられる。
(中略)
やがて、主題がピアノ独奏で変奏されると、フルートやファゴットが加わり優しい語らいを交わす。
(中略)
すると、思いがけなく一頭の白い馬が、針葉樹の繁り合う青緑色の湖畔の風景の中に小さく姿を現して、右から左へとその画面を横切って姿を消した。
私はこの幻想から一枚の構図を得て≪緑響く≫と題する作品が生まれた。
私は、数年前、市川市東山魁夷記念館で、壁面に飾られた東山魁夷画伯の作品に囲まれて、モーツァルトのピアノ協奏曲23番第二楽章の演奏を聴くというなんとも贅沢な体験をしたことがあります。
信州原村のリングリンクホールのコンサートでお馴染みの音楽家・森ミドリさんが、作品展示室内でチェレスタを演奏されるという市民向けのコンサートイベントに参加させていただくことができたのです。
森ミドリさんのモーツァルトのピアノ協奏曲演奏は、日本の横笛演奏者の松尾翠さんとの合奏でしたが、和楽器がモーツァルトの楽曲の哀愁に満ちた世界を見事に表現できることに驚きました。
森ミドリさんは、今年の7月、リングリンクホール15周年記念演奏会で松尾翠さんとのコラボ演奏でモーツァルトのピアノ協奏曲を聴かせてくださったのですが、そのリングリンクホールが閉鎖されるかもしれないというので、旧友たちと原村にでかけたおかげで『緑響く』のモデルとなった御射鹿池に行くことができたというのは不思議な巡り合わせです。
「ルーヴル美術館展」まもなく開催・・・待望の初来日、フェルメールの『天文学者』 [私的美術紀行]
2月21日(土)から「ルーヴル美術館展」~日常を描くー風俗画に見るヨーロッパ絵画の真髄~が国立新美術館で開催されます。
今回のテーマは、人々の日常生活の情景を描いた「風俗画」なので、「歴史画」や「宗教画」など作品鑑賞に若干の知識が必要とされるのは苦手という方でも気軽に楽しめそうな企画です。
≪ルーヴル美術館展開催概要≫
2015.2.21(土)~6.1(月)
国立新美術館 企画展示室 1E
10:00-18:00
(金曜日、5/23(土)、 5/24(日)、 5/30(土)、 5/31(日)は20:00まで
休館日:毎週火曜日。 但し、5/5と 5/26は開館)
風俗画には身分や職業が異なるさまざまな人々のごくありふれた日常がいきいきと描かれていますが、必ずしも現実が描かれているわけではなく、道徳的・教訓的な意味が込められていることもあり、そういうメッセージを読み解くのも「風俗画」鑑賞の楽しみ方のひとつでしょう。
本展覧会のチラシや公式ホームページで紹介されている出展作品の中から、私が好きな作品などをいくつかご紹介します。
★フェルメール『天文学者』★1668年
(Photo by「世界の美術館」)
フェルメール作品で男性の単身像は本作の1年後に制作された『地理学者』(1669年:シュテーデル美術館蔵)との2点のみ。
どてらのような東洋風の上着をまとった長髪の男性は同一人物のようだ。
天文学と地理学は地図製作に欠かせない学問で、特に海運通商国のオランダでは重要視され<同じ学者が手掛けることも多かったといわれている。
ところで、この画面は望遠鏡が見当たらないのだが・・・
★マセイス『両替商とその妻』★
1514年
(Photo by展覧会チラシ)
本作はアントワルペンでも活躍し、イタリア・ルネサンスと北方ルネサンスの様式を融合した画家・マセイスの代表作。
背後の棚や机に置かれた様々な物の質感が見事に描き分けられており、画面手前の凸面鏡にはもうひとりの男と窓が映っている。
★ムリーリョ『物乞いの少年(蚤をとる少年)』★
1647-48年頃
(Photo by「世界の美術館」)
代表作『無原罪の御宿り』など聖母の画家として知られるムリーリョの若き日の作品。
17世紀スペインで大いに流行した「厨房画(ボデコン)」は、概して質素でつましい日常生活の細部を飾り気なく描いている。
観る者に少年の境遇を切なく訴えている汚れた足が印象的。
★ティツィアーノ『鏡の前の女(化粧する女)』★
1512-15年
(Photo by「世界の美術館」)
みずみずしい裸体画を多く描いたティツィアーノは「色彩の魔術師」と呼ばれ、ヴェネツィア派最高の巨匠といわれる。
本作のように男が差し出す手鏡にうっとり見入る女など、鏡をモティーフにした「化粧する女」は多くの画家が好んで描いた。
★シャルダン『猿の画家』★
1739ー40年頃
(Photo by展覧会チラシ)
パリに生まれたシャルダンは、中産階級の日常的な題材をややくすんだ精妙な中間色で詩的にまた写実的に描いた画家といわれ、同時代のロココ趣味とは一線を画している。
猿の画家はキャンバスに一体何を描いているのだろうか?
★ブーシェ『オダリスク』★1745年
(Photo by展覧会チラシ)
『ポンパドゥール夫人』の肖像画で知られるブーシェはフランス・ロココの典型的な画家。
★ヴァトー『二人の従姉妹』★
1716年頃
(Photo by展覧会チラシ)
パリに出て装飾などの仕事もしていたヴァトーは、ロココ最大の画家といわれる。
雅な風俗と宴の情景を憂愁の気分のうちに描いて時代の寵児となったが37歳の若さで病没。
★レンブラント『聖家族』または『指物師の家族』★
1640年
(Photo by展覧会チラシ)
本展では、16世紀初頭から19世紀半ばまでの約3世紀半にわたるヨーロッパ風俗画の展開を、ルーヴル美術館の珠玉の名画約80点によって紹介するとのこと。
ここでご紹介した画家の作品のほか、ルーベンス、ル・ナン兄弟、ドラクロワ、ミレーなど、ヨーロッパ各国・各時代を代表する巨匠たちの名画が一堂に会するとのこと。
美術館で素晴らしい名画を鑑賞できる日が楽しみですね。
「チューリヒ美術館展」で、スイス人の審美眼をフルコースで味わう [私的美術紀行]
(展覧会チラシ)
2014年12月15日まで開催の「チューリヒ美術館展~印象派からシュルレアリスムまで」を鑑賞してきました。
金融で栄えてきた街・チューリヒ市民のコレクションが元になって作られた美術館が誇る近代美術の傑作74点がユニークな構成で紹介され、スイス人の審美眼の確かさを改めて認識。
絵はがき★モネ『国会議事堂、日没』★
(1904年)
モネはこの年、デュラン=リュエル画廊で予定より1年遅れとなった「ロンドン、テムズ川の風展」を開催。連作37点を展示し大成功を収めた。
絵はがき★シャガール『パリの上で』★
(1968年)
モネやシャガールなど日本人にもお馴染みの芸術家を特集した「巨匠の部屋」と、美術の運動や歴史を紹介する「時代の部屋」が交互に並ぶことで、美術史初心者も楽しく鑑賞できるようになっていたので、同行した娘も大満足の展覧会でした。
本展覧会の作品の中から私が気に入った作品などを順路に沿っていくつかご紹介します。
最初の展示室は北イタリアの山地出身で、独学でアルプス山中の風景と素朴な人々を描いたセガンティーニの2作品。
2番目の「モネの部屋」には縦2メートル×幅6メートルの睡蓮など6点が展示されています。
絵はがき★モネ『睡蓮の池、夕暮れ』★
(1916/22年)
初来日となったモネ晩年の大作は「外に貸し出すされるのは2度目」とのこと。
紫がかった水面に映える夕日の輝きや木立などが背景に溶け込み、抽象画に近いといわれている作品。
次の「ポスト印象派の部屋」にはゴッホや、ゴーギャン、セザンヌ、アンリ・ルソーの作品が並びます。
絵はがき★ゴッホ『サント=マリーの白い小屋』★
(1888年)
パリから地中海に面した漁村へやってきたゴッホの気持ちの高ぶりや喜びが、鮮やかな色遣いや躍るような筆遣いあらわれているといわれる作品。
絵はがき★セザンヌ『サント=ヴィクトワール山』★
(1902/06年)
セザンヌは、彼の精神的支柱ともなっていたサント=ヴィクトワール山の姿を繰り返し何度も描いているが本作はセザンヌ晩年の作品。
続いて「ホドラーの部屋」、「ナビ派の部屋」を鑑賞。
今年の夏、「冷たい炎の画家~ヴァロットン展」が話題になったスイスの画家、フェリックス・ヴァロットンの作品は「ナビ派の部屋」にありました。
絵はがき★ヴァロットン『訪問』★
(1899年)
謎めいていて、何かが起こりそうな気配に満ちている“胸騒ぎの光景”ともいわれるヴァロットンの特徴が伝わる作品。
絵はがき★ヴァロットン『アルプス高地、氷河、冠雪の峰々』★
(1919年)
おや、どこかで見た風景?
「水曜どうでしょう」ヨーロッパシリーズの再放送で見たばかりのスイスアルプスの氷河とそっくり!
絵はがき★ムンク『ヴィルヘルム・ヴァルトマン博士の肖像』★
(1923年)
「叫び」で知られるムンクが描いた肖像画の主はチューリヒ美術館初代館長。
ムンクも生活のために肖像画を描いていた時代があったようだ。
その後は、「表現主義」、「ココシュカ」と私にとっては未知の領域の作品が続きます。
「フォービスムとキュビスムの部屋」でマティスやピカソの作品をみつけて一息いれました。
絵はがき★ピカソ『大きな裸婦』★
(1964年)
ピカソが敬愛していたスペイン出身の画家・ゴヤの作品『裸のマハ』のオマージュといわれる本作のモデルは、ピカソが南仏ヴァロリスで出会って1961年に結婚し、ピカソの没後自殺したジャクりーヌ。
参考:絵はがき★ゴヤ「裸のマハ」★
(1797-1800年プラド美術館所蔵)
「(パウル・)クレー」、「抽象絵画」(カンディンスキー、モンドリアンなど)で近現代美術史を学んだあと、最後のお楽しみは「シャガールの部屋」。
私が美術に殆ど興味がなかった若い頃、まだ存命だったシャガールの版画に接してなんてファンタジーな作品と思ったのですが、そこに描かれていたのはシャガール自身の辛い過去や悲惨な戦争などがテーマとなっていたことを後から知りました。
絵はがき★シャガール『婚礼の光』★
(1945年)
本作はシャガールが最愛の妻を亡くした翌年に描かれた。
絵はがき★シャガール『戦争』★
(1964/66年)
画面右奥には磔にされたキリストが描かれている。
シャガールの素晴らしい作品をじっくり鑑賞した後、再び近現代美術史をさくっと学んでから美術館をあとにしました。
今回の「チューリヒ美術館展」の出展作品は、誰もが知っているビッグネームではなくてもわざわざ見に行くのに値する作品が多数出展されていたように思います。
最近の私は、気に入った作品は心ゆくまで鑑賞したいと思って、美術展はひとりで出かけることが多かったのですが、娘と一緒に鑑賞作品の感想などを語り合って余韻に浸りながら食事をして帰宅するのも良いものだなと思いました。