おさるのジョージのヨーロッパ旅日記・・・2010年スペイン旅行備忘録 [海外旅行]
2010年9月、スペイン各地を巡る9日間のツアーに娘と一緒に参加しました。
1998年の初スペイン旅行以来、私たちと一緒に旅する“おさるのジョージ”ももちろん一緒。
この旅についてはいくつかのテーマでブログ記事にしましたが、備忘録として日めくり版形式で書くことにしました。
ツアーのコースは、成田マドリード→トレド→ラマンチャ地方→コルドバ→グラナダ→ネルハ→フリヒリアナ→マラガ→コスタ・デル・ソルバルセロナ成田
9月11日(土)
チューリッヒ乗り継ぎでスペイン7泊の旅、初日の宿泊地マドリードへ。
宿泊ホテル:ABBA CASTILLA PLAZA
落ち着いたインテリアの客室にジョージを休ませて夕食のため外出。
ホテルの前にあるバスセンター内のカフェテリアで軽い夕食をとることにした。
作り置きをレンジで温めて出されたスパニッシュ・オムレツ、じゃがいもとぶつ切りの茹でタコ(ガリーシア風)が案外美味しかった。
ホテルに戻り、狭いロビーのソファー席から隣接するバルのテレビのサッカー中継をのぞき見した。
地元A.マドリードの試合は、フォルランがゴールしアトレティコが勝利。
海外でもサッカー観戦なら言葉の障壁はないから、部屋のテレビでも若い世代のサッカー中継を見た。
9月12日(日)
マドリード市内観光。
スペインの強豪チーム、レアル・マドリードの本拠地スタジアムの真横を通った。
レアルの試合は日本で開催されたFCWCで何度か観戦したが、死ぬまでにこの聖地に足を踏み入れることはできるのか?
マドリードの市内観光は、まず美の殿堂プラド美術館からスタート。
ところが、自由観覧時間はなく、すべてガイドと一緒という事で、ガイド近くをキープして色々リクエスト。
一番見たかったヒエロニムス・ボッスの作品がバッチリ見られたのがよかったが、あまりにも気合が入りすぎたのか、帰国後、リストの中で本当に見た作品と観覧が実現しなかった作品が見分けられないほど記憶があいまいになっていたことに愕然・・・
(館内での作品撮影はできないので、写真は「世界の美術館」などの美術書から)
ヒエロニムス・ボッス ☆干草の車☆(1485-1505年頃)
ファン・デル・ウエイデン☆十字架降下☆(1435-1438年)
クエンティン・マセイス☆エッケ・ホモ☆(1518-1520年)
エル・グレコ☆聖三位一体☆(1577-1579年)
ムリーリョ☆善き羊飼い☆(1660年頃)
続いて、ソフィア王妃芸術センターへ。
ピカソの代表作『ゲルニカ』(1937年)の展示室のみ撮影禁止なので廊下から撮影。
<市内の徒歩観光>
マドリードの観光名所、スペイン広場には、ドン・キホーテの銅像。
今回は明日、ラ・マンチャ地方に行く予定。
シーフードと、イカ墨の二種類のパエーリャのお米は日本人ツアー向けの硬さに調理。
昼食後、バスでトレドに向けて移動。
一度は行ってよかった「世界遺産・絶景」・・・②ゴッホは南仏プロヴァンス”に“光に満ちた日本”を求めた [海外旅行]
2005年7月、私にとって3回目となるフランスの旅でようやく念願のプロヴァンス地方に行くことができました。
日本人にとってゴッホという画家は、西洋絵画の知識が殆どない人たちにとっても特別な存在で、『ひまわり』に代表される作品だけでなく苦悩する画家の人生ドラマにも関心がもたれているようです。
印象派の画家たちは日本の浮世絵に関心を寄せ、彼らの作品にも浮世絵の技法の影響がみられますが、中でもゴッホは光に満ちた日出ずる国、日本の姿を南仏に求め、1888年2月、アルルへ旅立ったのでした。
アルルの陽光の中に日本の浮世絵の世界を見出したゴッホは、孤独な現実の中でも制作欲・想像力が高まり、この地でたくさんの作品を生み出しています。
<ゴッホは、アルルに日本の姿を求めた>
(世界文化遺産:アルル、ローマ遺跡とロマネスク様式建造物群)
絵はがき★ゴッホ『黄色い家』★
(1888年:ファンゴッホ美術館所蔵)
1888年2月、芸術家のユートピアを作ることを夢見てアルルにやってきたゴッホが拠点として借りた家。
本作はアルルにきて間もない時期に描かれているが、ゴッホが借りたのは画面一番手前の家の右側部分。
同年10月、ゴッホはゴーギャンとの共同生活をスタートさせたが、12月に起きたいわゆる「耳切り事件」で破たん。
★円形闘技場の上からから見たアルル市街とローヌ川★
絵はがき★ゴッホ『ローヌ川の星月夜』★
(1888年:オルセー美術館所蔵)
ゴッホは、頭に数本のローソクを王冠のように巻いて本作を描いたといわれている。
絵はがき★ゴッホ『夜のカフェテラス』★
(18888年:クレラー・ミュラー美術館所蔵)
★フォーラム広場のカフェ・ファン・ゴッホ★
このあたりはゴッホが生きた時代の面影を残している。
耳切り事件の後、ゴッホはアルル市民の要請で監禁生活を余儀なくさせられました。
医師の勧めもあり療養所生活の中でもゴッホは、中庭や病室などの絵を描いています。
★ゴッホ『アルルの療養所の中庭』★
(1889年:ヴィンタトゥール オスカー・ラインハルト・コレクション所蔵)
(Photo by 「週刊美術館 ゴッホ」)
症状が落ち着いたときに描いたのが本作。
ゴッホが入院していた病院は、「 エスパス・ファン・ゴッホ」と名付けられた総合文化センターとなっており、絵とそっくりに再現された中庭を見学することができた。
★★いかにしてゴッホはゴッホになったのか★★
2010.10.27のブログ記事はこちら
<セザンヌの町、エクス・アン・プロヴァンスと
サント・ヴィクトワール山>
プロヴァンス地方でひときわおしゃれな雰囲気の町といわれるエクスは20世紀絵画の父・セザンヌの故郷であり、泉や噴水が多く、温泉の町としても知られています。
この町の北東に聳えるサント・ヴィクトワール山はセザンヌの精神的な支えだったといわれており、セザンヌは後半生にサント・ヴィクトワール山をモチーフにした作品を数多く制作しています。
私はセザンヌが晩年使っていたいたアトリエの内部を見学し、セザンヌが絵画制作に愛用していた道具などが生前と同じように展示されているのを間近に見、死ぬ直前までスケッチに出かけた場所に実際に行ったことでセザンヌという画家に興味を持つようになりました。
オルセー展チラシより★セザンヌ『サント=ヴィクトワール山』★
(1890年頃:オルセー美術館所蔵)
★セザンヌのアトリエがあるレ・ローブの丘から望む、サント・ヴィクトワール山★
<晩年のルノワールやピカソが愛した陽光のコート・
ダジュール>
南仏コート・ダジュールには、敵の侵入を防ぐために山の上を城壁で囲った「鷲の巣村」が点在しています。
サラセン人の襲撃などに備えて作られた村は、現在は観光地として人気があります。
★鷲の巣村で唯一海に臨む村・エズ★
標高427mの険しい岩山の頂上に作られた村からの壮大な眺めと、美しい街並みの散策が観光客に人気。
鷲の巣村のひとつ、オ・ド・カーニュの砦を望むカーニュ=シュル=メールの高台に、画家ルノワールが最晩年を過ごした「レ・コレット」があります。ルノワールは、この農地の樹齢100年を誇るオリーブの林が切り倒されるのをやめさせるために農地を購入したそうですが、ルノワールのアトリエは現在美術館になっています。
(私の訪問時は、臨時のメンテナンスのため閉館 )
★ルノワール『カーニュのテラス』★
(1905年:ブリヂストン美術館所蔵)
(Photo by 「ルノワール+ルノワール展」公式ガイドブック)
★★「ルノワール+ルノワール展」でフランスを代表する美の巨匠父子の世界を体感★★
2008.4.18のブログ記事はこちら
<スペインが生んだ天才画家ピカソが穏やかな暮らしを謳歌した青い海>
スペインの港町・マラガで生まれた画家・ピカソは住まいと恋人をめまぐるしく変え続けたが、晩年は南仏暮らしが定着。
91歳で亡くなったピカソはエクス・アン・プロヴァンス近郊のヴォーヴナルグ城の前庭に眠っていますが、城の南にはピカソが敬愛するセザンヌが愛したサント・ヴィクトワール山が聳えています。
★コート・ダジュール有数のリゾート地、ニース★
絵はがき★ピカソ『鳩』★
(1957年:バルセロナ ピカソ美術館所蔵)
ピカソは幼いころから親しみを覚えていた鳩をよく題材にしたが、本作は『ラス・メニーナス』の連作58点の一部として、カンヌのラ・カリフォルニー荘で制作された。バルセロナのピカソ美術館に全9点がシリーズで収蔵されている。
★★陽光のコート・ダジュールとプロヴァンス★★
2005年7月の旅行記の詳細は4トラベルにアップしています。
①ニース、モナコはこちら
②プロヴァンスはこちら
一度は行ってよかった「世界遺産&絶景」・・・①異文化の融合・過去と未来が交錯するスペイン [海外旅行]
最近、世界の絶景の美しい映像だけを集めた書籍が数多く出版されているようです。
世界中からセレクトされた絶景の中には私も死ぬまでに一度は見てみたいと思う場所もいくつかありますが、 リタイア世代の懐事情から実現の可能性は低いと言わざるをえません。
ならば、ということでまだ見ぬ青い鳥ではなく、これまで私が出かけた国々の「世界遺産&絶景」を、観光スポットとしてだけ見るのではなく、その町の文化や歴史を知り、食文化に触れ、街を散策することで心に響いた映像を整理してみました。
★サグラダ・ファミリア:バルセロナ★
(2010.9撮影)
(アントニ・ガウディの建築:世界文化遺産)
バブル崩壊後の1998年、初めてのヨーロッパ旅行先に選んだスペインという国に、私は自分自身の“人生観・価値観が変わるような”衝撃的な出会いを感じました。
なぜ、スペインの人々は、経済大国として急成長した日本よりもゆたかな生活を楽しむ術を知っているだろうか?
スペインにあって日本にないものは?
幼時からカトリック教育の環境に馴染んでいたこともありますが、ヨーロッパの古い街や教会巡りを通じて“心の豊かさとは?”を考えるようになりました。
2010年、2度目のスペイン旅行では、イスラムとキリスト教の融合、過去と未来が交錯するスペインを堪能しました。
★★“情熱の国”スペイン紀行・・・アンダルシアと
アートの散歩道★★
2010.9.24のブログ記事はこちら
<エル・グレコが愛した古都・トレド>
(古都トレド:世界文化遺産)
(絵はがき・イシイタカシ「スペイン情景画」)
★★スペインの古都トレドの景観を愛した画家
エル・グレコ★★ 2012.1.27のブログ記事はこちら
<ドン・キホーテと風車:ラマンチャ地方>
(絵はがき・イシイタカシ「スペイン情景画」)
★★風車のある風景『ドン・キホーテの道』★★
2012.2.1のブログ記事はこちら
スペインの最南端アンダルシア地方
<イスラムの栄華の名残:グラナダ・アルハンブラ宮殿>
(グラナダの宮殿とアルバイシン地区:世界文化遺産)
★★“哀愁のアルハンブラ宮殿”とプラド美術館
ティツィアーノの名画★★
2010.11.10のブログ記事はこちら
<イスラム芸術とカトリック教会の融合:コルドバ・メスキータ>
(コルドバ歴史地区:世界文化遺産)
★★コルドバのメスキータ、「アーチと円柱の森」に大聖堂が融合する幻想空間★★
2010.9月の旅行記はこちら
青い地中海と陽光きらめくコスタ・デル・ソル
<石畳の坂道と花が咲き乱れる白壁の家:
スペインで最も美しい白い村・フリヒリアナ>
★★スペインで最も美しい『白い村・フリヒリアナ』★★
2012.2.10のブログ記事はこちら
<コスタ・デル・ソル最大のヨットハーバー:ベナルマデナ>
郷土意識の強いカタルーニャの都:バルセロナ
<町を彩る天才建築家・ガウディとモンタネールの作品>
(アントニ・ガウディの建築:世界文化遺産)
(カタルーニャ音楽堂とサンパウ病院:世界文化遺産)
(絵はがき:サグラダ・ファミリア「生誕のファサード」)
(絵はがき・カタルーニャ音楽堂)
<奇怪な岩山に覆われたカタルーニャの聖地:モンセラット>
ガウディのサグラダ・ファミリアはこの奇岩の山にインスパイアされたといわれる。
★★ガウディもびっくり?モンセラート★★
2008.1.16のウログ記事はこちら
ボヘミアの小さな古都、中世から時が止まった『世界遺産の街・チェスキー・クルムロフ』 [海外旅行]
★高台にあるチェスキー・クルムロフ城★
★城から見たチェスキー・クルムロフの旧市街★
街は、緑豊かなボヘミアの大地にS字を描いて蛇行するヴルタヴァ川に沿って発展した。
自作のスケッチを絵はがきにしたいと思った風景のひとつが2007年の中欧旅行で、ウイーンからプラハに向かう途中立ち寄った『世界遺産の街・チェスキー・クルムロフ』です。
13世紀にヴルタヴァ川河岸の丘の上に領主の城として築かれたチェスキー・クルムロフ城を中心に発展した街は14~16世紀にかけてのロジュンベルク家の統治時代大いに繁栄しました。
★チェスキー・クルムロフ城の塔★
最初ゴシック様式で建設され、後に一部がルネッサンス様式に改修された。
★聖ヴィート教会の尖塔★
★聖ヴィート教会の聖堂内部★
城の対岸にある旧市街は、後期ゴシック様式で創建された聖ヴィート教会とルネサンス様式の建造物が整然と並ぶ町並みが見事に調和しています。
★ボヘミア風の壁の装飾★
★旧市街の中心・スヴォルノスティ広場★
左右対称の建物が多く、正面や壁の装飾には、ルネッサンス後期から初期バロック様式の特徴が見られる。
★広場にある市庁舎の壁には紋章★
★城へ向かう石畳の道には世界各地からの観光客★
★マリオネットの土産物屋の店頭に座るカッパ★
この街にもカッパ伝説があるでしょうか?
★高台に立つチェスキー・クルムロフ城★
橋をわたって城内見学へ。
★橋のたもとのキリスト像★
★城の対岸の河岸には、眺めの良いレストランが並ぶ★
★チェスキー・クルムロフ城の中庭★
城はたびたび増改築され、5つの中庭と40の建造物がある。
★昔の大砲などの展示★
★チェスキー・クルムロフ城の美しい装飾壁★
この城の壁の装飾は彫刻ではなくだまし絵。
プラハ城に次いでチェコ第二の規模を誇った城は、後にルネッサンス様式に改築され、庭園にはバロック様式の「夏の離宮」が建てられ、貴族たちが舞踏会や野外の円形劇場で演劇を楽しんだそうです。
しかし20世紀になるとドイツによる占領や共産党独裁政権下で城は大きな被害を受け、近代化の波から取り残されていました。
1989年の自由化によって修復が進み1992年にはユネスコの世界文化遺産に指定され、現在は中世の美しい町並みが蘇っています。
城内は一部のみガイドツアーで見学できますが、室内の撮影は禁止。
北国らしく各部屋には大きなストーブがありましたが、馬車の展示や劇場として使われていた部屋もあり往時の栄華がしのばれる古城でした。
私たちが訪ねた10月中旬は、晩秋の気配で風も冷たい日でしたが、中世にタイムスリップしたような街を散策し、ヴルタヴァ川(モルダウ川)の紅葉風景を楽しむこともできました。
★高さを調整した渡り廊下★
チェスキー・クルムロフ城は何度も増改築されているため、建物同士を結ぶ渡り廊下も傾斜している。
《オマケの情報》
◆このチェスキー・クルムロフは、世界文化遺産に指定されていることもあり、日本人に人気の高い観光スポットですが、訪問時この街で日本語を話せるガイドはたった二人だけでした。
ツアーで行った私たちは日本語ガイドで城内を見学しましたが、個人旅行の場合は英語のツアーガイドに参加しないと城内の見学はできません。
◆11月から冬の間は修復作業のため、城内の公開は休止されるそうです。
オーストリア国境に近くプラハからも3時間くらいはかかる遠い場所にあるので、城内が公開されている春から秋の期間の訪問がおすすめです。
世紀末のウイーンの画家エゴン・シーレは母の生まれ故郷でもあったこの街を愛し、多くの風景画を残しているそうですが、シーレの風景画はまだ見ていません。
絵画の鑑賞が大好きな私ですが、画才は持ち合わせていないので、残念ながらこの夢はいつまでも夢のままで終わってしまいそうです。
“アドリア海の真珠”ドゥブロヴニクの城壁ウォーキング・・・・2009年クロアチア・スロヴェニアツアー備忘録 [海外旅行]
★城壁からの眺め~旧港方面★
クロアチアの南端、アドリア海に面したドゥブロヴニクは、古くから「ラグーサ共和国」という海洋国家として栄え、小国ながら自治を貫いてきた歴史のある街です。
自由を旗印に地中海交易で繁栄した要塞都市の共和制は、ヴェネツィア、ハンガリー、オスマン帝国の支配下にあっても変わることはありませんでした。しかし、15世紀末、大航海時代の新大陸発見や、インド航路の確立と共に徐々に衰退し、1808年には、ナポレオンのフランス軍に征服され、共和制の幕を閉じました。
その後ドゥブロヴニクは、オーストリア領、旧ユーゴスラヴィア領となり、現在はクロアチアの一地方都市となっていますが、1991年、独立に際してユーゴスラヴィア連邦軍から受けた攻撃の傷跡は城壁遊歩道の上からも各所で見かけました。
旧市街の入口、ピレ門を入ったところに、ユーゴスラヴィアからの独立戦争による被害状況を説明する大きなボードがありました。
★「1991-92年のユーゴスラヴィア内戦による
ドゥブロヴニクの爆撃被害マップ」★
平和を取り戻した今、堅牢な城壁に囲まれたドゥブロヴニクの旧市街観光のハイライトは、なんといっても“アドリア海の真珠を満喫する”城壁からの眺め。
真夏は汗だくになる城壁ツアーですが、私たちは秋の午後の暖かい日差しの中、快適なウォーキングを楽しみました。
城壁の上に張り巡らされた遊歩道は1周約2キロ、遊歩道への入口は3ヶ所ありますが、反時計回りの一方通行なので、城壁の一部のみ歩きたい場合は要注意です。
★ピレ門横の「城壁入城口」からウォーキング開始★
隣の建物は、フランシスコ会修道院。
修道院内にある世界で3番目に古い薬局のオリジナル化粧品は女性に大人気。もちろん私も購入!
★私たちのゴールは、背後の「ミンチェタ要塞」★
★城壁からの眺め~「オノフリオの大噴水」★
1428年に造られた噴水は、12キロ離れた源泉から水を引いている。
★城壁からの眺め~プラツァ通りから旧港方面★
メインストリートの両側はショッピングストリート。
正面に見えるルジャ広場の鐘楼は毎時鐘が鳴る。
★標高412メートルのスルジ山★
旧市街を一望できる観光スポットであるスルジ山山頂までのロープウエーも、1991年の独立戦争の際に破壊された。(2010年7月に復旧)
★城壁からの眺め~「ボカール要塞」★
小さな湾をはさんで左右に海に突き出した要塞が立っている。
★城壁からの眺め~旧市街と新市街を結ぶ橋★
観光客は、ピレ門の外でバスを降り、この橋を渡って旧市街を観光する。
★城壁からの眺め~「ロブリイェナツ要塞」★
結構狭い通路もあるが、写真撮影スポットがたくさんある。
★城壁からの眺め★
城壁は切り立った岩の上に建っていることがわかる。
★城壁からの眺め★
1991年12月6日、この城壁は旧ユーゴ連邦軍による砲弾を浴びた。
旧市街の多くの建物が破壊され、多数の市民が犠牲になった。
その後数年がかりで街は修復されたが、爆撃の跡がそのままになっているところもある。
★城壁からの眺め★
城壁に隣接する旧市街の住宅の屋根の色が異なるのは、爆撃で破壊されたものを修復した建物と古い建物が混在しているから。
色鮮やかな瓦は砲撃後に修復されたもの。
★城壁からの眺め~「聖ピーターの砦」★
城壁の上には聖人の名前が付けられた小さな砦がたくさんある。
★城壁からの眺め★
クラシックな帆船スタイルの観光船が白波をたてながら航行。
沖合には大型船も停泊していたが、大型のクルーズ船は、旧港ではなく、もうひとつのグルージュ港から発着する。
★城壁からの眺め~ロクルム島★
旧港からは、旧市街の沖合約700メートルにあるロクルム島行きのグラスボートなどが発着。
★城壁からの眺め~「聖イヴァン要塞」の砲台★
★城壁~「聖イヴァン要塞」★
正面に見えるスルジ山の山頂には、19世紀初めナポレオンが贈ったという白い十字架があるが、現在あるものは戦争後に建て直されたもの。(ロープウエーも2010年に修復)
★城壁からの眺め~旧港と「レヴリン要塞」★
★城壁からの眺め~旧港★
かつて海洋国家の交易を支えた港の役割は別の港に移り、こちらは観光ボートの発着所として観光客で賑わっている。
3つのアーチが見える建物は、かつてアーセナルという造船所だったが、現在はレストランなどになっている。
★城壁からの眺め~「聖ルカ要塞」(左)と
城壁外に独立している「レヴリン要塞」★
★城壁からの眺め~「ドミニコ会修道院」★
当初、修道院は城壁外にあったが、防衛上重要な場所にあったため城壁に囲まれるようになった。
★城壁からの眺め~「ミンチェタ要塞」からの展望★
城壁の中で最も高所(25メートル)にあるので、町を一望する絶景が楽しめる。
ドゥブロヴニクは、大型のクルーズ船も寄港するが、国内各地の他、イタリアのバーリと結ぶフェリーも就航している。
★城壁からの眺め~内戦の爆撃の跡?★
★城壁からの眺め★
城壁ツアーもこれで終了です。
アドリア海に面した旧市街を一望する絶景を目に焼き付けて街へ降りました。
この美しい風景がもう2度と戦争に巻き込まれないことを祈ります。
このツアーで訪ねたスロヴェニア・クロアチア各地のハイライトは、以前2回に分けてご紹介していますのでご興味があればお立ち寄りください。
スロヴェニアとプリトヴィッツェ湖群などについては、こちらをご覧ください。
今回のドゥブロヴニクなどアドリア海沿岸の街については、こちらでご紹介しています。
◆ドゥブロヴニク城壁ツアーミニ情報◆
・遊歩道に入場できる時間は季節により異なる。(10月は、10:00~15:00)
・団体割引でどこからでも入場できるチケットは、ピレ門脇のチケット売場のみ。
・日本語のオーディオガイドなし。
・反時計回りの一方通行なので、時間の都合などで一部のみ歩きたい場合は要注意。
※遊歩道の途中には休憩できるカフェやトイレもある
スペインで最も美しい!『白い村・フリヒリアナ』・・・・2010年スペイン周遊旅行備忘録 [海外旅行]
グラナダからバスでマラガへ向かう途中、スペインで最も美しいといわれる白い村「フリヒリアナ」を訪ねました。
アンダルシア地方の白い村といえば岩山の斜面にはり付くように白壁の家々が立ち並ぶミハスが有名ですが、アルミハラ山麓になだれ込むように白い家並みが連なるフリヒリアナはとても素敵でした。
白い壁は頻繁に塗り替えて、いつでも白く美しい街並みを保つように住民たちが協力しあっていると聞きました。
細い道は小型車やオート三輪がすれ違うのも大変ですが、階段道の荷物運搬手段は?
コスタ・デル・ソルの玄関口、マラガからバスで20分ほどのこの町はイスラム時代から続く古い街並みを保存していることで知られているそうですが、まだ日本での知名度は高くないようです。
真っ白な家々を飾る色とりどりの鉢植えの花が旅人を楽しませてくれますが、フリヒリアナは狭い石畳の坂道や階段が多い町です。
ロバが今も荷物運びの現役とききましたが、ミハス名物の観光ロバタクシーはこの村にはなく、行き止まりも多く迷路のような街を散策するのは自分の足だけが頼りです。
《アンダルシア地方の街並み情報》
フリヒリアナは鉢植えの花で彩られた白い壁の路地がどこまでも続く魅力的な村でした。
★フリヒリアナ★
★コルドバの花の小路★
アンダルシア地方の街並みのイメージ写真には、『コルドバの花の小路』がよく使われますが、“この写真に見えるのがすべて”というほど狭いエリア。
観光客が集中する時間帯には記念撮影もままなりません。
風車のある風景『ドン・キホーテの道』・・・・2010スペイン周遊旅行備忘録 [海外旅行]
★ラ・マンチャ地方:コンスエグラの風車★
★ドン・キホーテとサンチョ・パンサの像★
(マドリード・スペイン広場)
古都トレドを後にした私たちは、小高い丘の上の風車と騎士道物語「ドン・キホーテ」でお馴染みのラ・マンチャ地方に立ち寄りました。
『ラ・マンチャ』はアラビア語で乾いた土地を意味しますが、内陸部にあるこのエリアは海抜数百メートルの高原が続き、夏は雨量が乏しいため赤茶けた大地が広がっています。
スペインの作家セルバンテスが小説『ドン・キホーテ』の舞台に選んだ頃は貧しい地域だったそうですが、今では周辺に造られたダムからの灌漑用水によりサフランやテーブルワイン用のブドウ栽培が盛んです。
★ラ・マンチャ地方、風車のある風景★
イシイタカシさんのスペイン情景画より
★乾燥サフランとパエーリャの素★
ラ・マンチャはサフランの品質でも産額でも世界一のサフランの産地とのこと。パエリャなどのスペイン料理に欠かせない本物のサフランはかなり高価ですが、軽くて嵩張らないので女ともだちへのお土産に最適です。
★風力発電用の風車★
さて、ラ・マンチャ地方に入ると風力発電用の風車をたくさん見かけますが、昔ながらの風車の役割は石臼の粉を挽くためのものでした。
★熊本県阿蘇の風力発電用風車★
風力発電用の風車は風が強すぎても弱すぎてもいけないらしいのですが、以前阿蘇で見た発電用風車の近くに行ってみたらかなりの騒音でびっくりしました。日本で風力発電の普及がイマイチなのは地理的な環境によるものでしょうか。
私たちは、町のすぐ後の丘の上に9基の風車が整然と立ち並ぶコンスエグラの風車の写真を撮りに行きました。
★風車は夜になるとライトアップされる★
風車は、がっしりした石造りの円塔と木造の屋根で構成されていますが、風向きに応じて屋根に取り付けられた風車ごと屋根の向きを変える仕組みになっています。風車内の見学もできるようです。
★屋根が動かないように腕木を固定★
ドン・キホーテが巨人だと思って突進していった風車を横から見ると、尻尾のような腕木が付いていて、斜めに地面近くまで下がっています。この腕木を馬やロバに引かせたり、数人がかりで押したりして風車付きでとても重い屋根を回したそうです。
しかし、セルバンテスの時代に大活躍した風車も役目を終えて今は動いていないそうです。
放置されて朽ち果てていたのを、この地から中南米に移住して成功した人たちが資金を出して故郷の文化財として修復したと聞きました。
★丘の上から見たコンスエグラの町★
★コンスエグラの町から風車を見上げる★
コンスエグラ近くの街道沿いにあるプエルト・ラピセで、セルバンテスが宿泊したといわれている旅籠「ベンタ・デ・ドン・キホーテ」(現在はレストラン兼土産物屋)へ。
★ペンタ・デ・ドン・キホーテの中庭★
★井戸端には ドン・キホーテ像と具足★
★土産物屋の店内でも ドン・キホーテが出迎える★
ドン・キホーテが、とある街道沿いの旅籠を城だと思いこみ、そこで騎士に任ぜられるべく帯甲式を受けた旅籠のモデルといわれますが、中庭には当時からあった古風な井戸と馬やロバに水を飲ませるための水槽があります。井戸の傍らのドン・キホーテの像は後世のものですが、この中庭にいると中世にタイムスリップしたような気分になります。
★ドン・キホーテとサンチョ・パンサの像★
(マドリード・スペイン広場)
ところで、マドリードのスペイン広場にあるセルバンテスの像の足元には、ロシナンテに乗ったドン・キホーテとロバにまたがる従者サンチョ・パンサがひかえています。私はロシナンテという名前から、なんとなくロバだと思いこんでいたのですが、この像をよく見ると馬ですね。
(かなり前、某TV局の人気番組で南米を旅したお笑い芸人のお供だったロバの名前がロシナンテでした)
ラ・マンチャ地方では広大な平原にソラーパネルがずらっと並ぶ風景も見かけました。”太陽と情熱の国”スペインは再生可能なエネルギー大国になれるインフラに恵まれた国でもあるようです。
次はいよいよスペイン旅行のハイライト、アンダルシア地方へ。
コルドバへ向かう峠道は、昔は一列にならないと通れないほどの絶壁沿いの道だったそうですが、バスは橋やトンネルでつながれた高速度路を快適に飛ばしてアンダルシア地方に向かいます。
デパ地下の美食街と夜市の伝統的B級グルメが熱い・・・・続・台北3泊4日女子旅 [海外旅行]
★台北101★
アジア一の高層ビルには、ショッピングゾーンの他に、各国料理店が並ぶフードコートやレストランも併設されており、周辺エリアのホテル宿泊者にとって利用価値大。
台北の中心街にほど近い松山空港便就航で利便性が大幅に向上したせいか、私たちが利用した羽田―台北便は往復とも満席状態でした。男性のビジネス客やシニア客が多いようですが、気軽に行けるデスティネーションとして台湾は若い女性にも人気上昇中です。
台北の物価は、東京と比べて食べ物とタクシー代がとても安いので、今回の旅は、フカヒレやあわびなどの高級食材からB級グルメやデザートまで“台北の味を食べ尽くす女子旅”になるはずでした。
しかし、私が9月下旬に引き込んだ風邪をこじらせて胃腸障害を起こしてしまい、治りきらないまま旅立つことになったため、ダイエットコース(?)でしか体験できなかったのが心残りです。次回のリベンジを期して、ガイドブックにも載っていない台北デパ地下グルメ情報をご紹介します。
★太平洋SOGO 復興館★
世界の一流ブランドが多く集まる店舗は、台湾の百貨店で売り上げNo.1。
絶大な人気を誇る日系デパートだが、現在は日本のそごうとの資本関係はない。
★SOGOのグルメカタログ★
★各国料理が並ぶSOGOのカタログ★
日式料理は、寿司や懐石料理から、とんかつやお好み焼きまで幅広いメニューが紹介されている。
イタリア料理の『カプリチョーザ』や『アフタヌーンティ』なども進出。
★鼎泰豊・太平洋SOGO復興館B2★
誰もが認める小籠包の名店の本店は、ツアーも利用する人気店。
地下鉄駅に直結するデパ地下の支店も、昼時は順番待ちになるが、相席もできるのでひとりでも手軽に利用できる。
オープンキッチン内で手作業で小籠包を包む様子が通路から見られる。
★鼎泰豊・小籠包 6個 114元 ★
汁だく薄皮タイプの小籠包は、たれをつけてレンゲに乗せたら千切りのしょうがと一緒に、やけどに気をつけながらゆっくりひとくちで食べるのがベストだが、スープを先に味わう食べ方も可。
上海ガニの濃厚なミソが入った蟹粉小籠包も捨てがたいが、やっぱり基本の味が一番!
台北は、台湾料理だけでなく中国各地の名菜が食べられる店がそろっており、まさに食の殿堂。
日本でもおなじみの「小籠包」は勿論はずせませんが、一番のおすすめはなんといっても「胡椒餅」や麺類などのB級グルメでしょう。
私たちは、今回、台北101を中心とした再開発でめざましい発展をとげている信義新都心エリアのホテルを拠点に新交通システムMRTを利用して観光しましたが、手軽に名店の味などが楽しめるデパ地下やショッピングセンター内のフードコートやレストランは個人旅行者の強い味方でした。
★新光三越 台北信義新天地店★
台北最大の売り場面積を誇る新光三越・信義新天地店は、4館からなり、規模も品揃えも五つ星。
高級ブランドや化粧品の品揃えは日本を上回る?
デパ地下やレストランも充実しており、夜の営業時間も長いので便利。
★清真中国牛肉館・紅焼牛肉麺 187元★
信義新天地A8館
40年を越える老舗の牛肉麺店自慢の味は、期待を裏切らないおいしさ!
清真(イスラム教徒)が多い中国の蘭州などでは塩味の清燉スープがポピュラーというが、八角が効いたスパイシーな紅焼(醤油)味の牛骨スープと柔らかく煮込んだ牛肉入りの一品も、意外にあっさりしていて胃腸の調子があまり良くない時でもすーっと入っていく優しい味。
台湾ファストフードの定番、牛肉麺はランチタイムに必食のB級グルメ。
★台北101フードコート 台南担子麺 ★
青菜炒めとセットで100元
台南名物だが、日本でも台湾料理店で夜食や〆の定番メニューとしておなじみ。
《台北の松山夜市》
水産物市場の周辺や、寺などの門前の屋台が集まって形成された年中無休の屋台村は、屋台グルメや海鮮料理が味わえるほか、射的などの懐かしいゲームやチープなお土産探しができるというので、観光客だけでなく地元っ子の夕食の場としても人気です。
熱気あふれる台湾の夜が実感できるスポットとして夜市が人気ですが、台湾最大級のスペシャル夜市として有名な「士林夜市」など大小の夜市が台北に点在しているそうです。
★松山慈祐宮★
★饒河街観光夜市(松山夜市)★
松山慈祐宮の門前に続く歴史ある夜市は、派手な電飾が輝く門に挟まれた400メートルほどの1本道に食べ物の屋台や衣料品や雑貨の露天がギッシリ並ぶ。
ガイドブックによると、食通もうなる絶品屋台があるなど飲食系屋台のレベルが高いと評判。
当初は、士林に出かけるつもりでしたが、昼過ぎから台北市内は広い範囲で雷雨やにわか雨が降ったので、ホテルからも近く夜市の魅力が狭い通りに凝縮されている饒河街観光夜市(別名・松山夜市)に行きました。
★陳菫薬燉排骨★
豚のスペアリブを数種類の漢方素材を配合したスープでじっくり煮込んだ名物・薬燉排骨(60元)の人気店。次回は、絶対食べたい!
★鴨頭(アヒルのネック?)★
★台湾スイーツの屋台★
フルーツが一杯の「雪花氷」やヘルシーな豆乳デザート「豆花」など女子に人気のスイーツが並ぶ。
かき氷やゼリー、ジュースなどデザート系は屋台の数も種類も多い。
日本でもおなじみの「愛玉ゼリー」や「仙草ゼリー」はドリンクタイプなど種類も多い。
★ひとりでは食べきれない超Lサイズのかき氷★
★福州世祖胡椒餅★
連日大行列の絶品グルメ「胡椒餅」(45元)の人気店。
龍山寺近くで食べた「福州元祖胡椒餅」よりも小ぶりだが、皮のパリパリ感と肉汁が飛び出るほど濃厚な餡のやわらかさは忘れがたい味。
大きい屋台で人手も多く、行列は案外早く進むから松山夜市に行くなら必食のファストフード!
<おまけ情報>
日系デパートとして、昨年秋に開店した統一阪急百貨は、若い女性向けのファッションに注力した別名・美人百貨。ちょうど開店1周年のバーゲン時期だったため、夜遅くまで買い物客で混雑していました。
地下にはユニクロや無印良品が入店していますが、日本の店頭に並んでいる商品がリアルタイムで買えるというので、価格は日本より高めながら大賑わい。
地下のフードコートやレストランもメインターゲットは若い女性客?
日本でも人気の高級アイスクリーム店「COLD STONE」もありました。
★仙草ゼリー 50元★
台湾のハーブ「仙草」のゼリーは、ほろ苦くコーヒーのような味。
パンダと隠れ家的温泉&スパで癒され、デパ地下グルメを楽しむ台北3泊4日の女子旅 [海外旅行]
★台北市動物園のパンダ員員:♀7歳★
★同 パンダ専専:♂7歳★
★信義新都心エリアのホテルからの展望★
公園の奧に國父記念館、右手には市政府ビル。
新光三越デパートや一流ホテルが集まる最新トレンドの発信基地になっている。
★台北の新ランドマーク、台北101★
2005年に完成した高さ508メートルの超高層ビル。
展望台のある89F(地上382.2m)までわずか37秒で到着するエレベーターは日本製。
室内展望台からは360度の展望が楽しめる。
91Fにある屋外展望台は、風が強いが柵越しに台北市街が眺められる。
6Fまではショッピングモールになっている観光名所。
★2010年開業の統一阪急百貨店★
「美人百貨」として人気。トレンディなWホテルも入居。
10月中旬、娘の2度目の夏休みに付き合って3泊4日の台北旅行に行ってきました。
全くのフリープランだったので、ツアーで行くような定番観光スポットよりも再開発によって台北随一の繁華街になった信義新都心エリアをゆっくり散策したり、新交通システムMRT(台北捷運)を利用して近郊の温泉地まで足をのばすなど普段着の台北を満喫しました。
20数年ぶりに訪れた台北は、相変わらずバイク大国でしたが、ノスタルジックな雰囲気を残す旧市街と最先端のトレンドが見事に融合した美しい街に変貌していて驚かされました。
★台北屈指のパワースポット「龍山寺」★
1738年に創建された台北最古の寺院は、仏像だけでなく道教や民間信仰の神様が祀られるマルチテンプル。各方面に霊験あらたかなご利益のデパートとして老若男女に大人気。
★売店で線香セットを購入★
すべての線香に点火したら、神様に自己紹介して、線香を頭上にあげて”三拝”し、祈願しながら香炉を巡って線香を1本ずつ投入する。
★持参もしくは売店で買ったお供え物が所狭しと並ぶ★
香炉の熱気と煙が充満する境内を信仰心の厚い人々が埋め尽くし、声を出して一心不乱にお経を唱える声が響き渡る。
★龍山寺近くの路地裏の人気店「福州元祖 胡椒餅」★
炭火釜の中で30分かけて焼き上げる”秘伝の胡椒餅”は、行列してでも必食の美味!
★台北市動物園★
アジア有数の規模を誇る広大な敷地の動物園は、台北の最南端エリアにあるが、中心街からMRTを利用すれば30分弱。広い園内は専用バスで移動できる。
2008年に中国・四川省からやってきた2頭のパンダが大人気。
コアラも飼育されているが、訪問時はあいにく飼育舎の改装工事で展示中止だった。
★パンダ舎と屋外運動場★
混雑時には整理券が配布され行列になるが、平日の午前中だったので待ち時間なし。
パンダたちは、エアコン完備の広々とした室内運動場で展示されていた。
★♂パンダの専専★
★♀パンダの員員★
ひとり(?)では広すぎるほどの展示室。
私と娘は、南紀白浜ではパンダに会って癒されたら次のお楽しみは温泉というのが定番コースです。
台北旅行でも、もちろん温泉の露店風呂を楽しんできました。
台北郊外にはいくつかの温泉がありますが、MRTで30分ほどでアクセスできる「平投温泉」は、台湾人にとって歴史ある湯治場とのこと。硫黄を商うドイツ人によって発見されたのが始まりで、その後日本人よって開発された平投温泉には戦前から続く和風旅館もあります。しばらくさびれていたのが日本の温泉ブームに感化されて、現在はスパ施設のあるリゾートホテルも建ち並び、2010年秋には純日本式サービスが売りの高級旅館「加賀屋」もオープンしています。
水着着用の公共露天風呂や日本式の大浴場、個室風呂など色々な温泉がありますが、今回私たちが利用したのは木立の中にある個室の露店風呂の日帰り入浴。かけ流しの白湯の硫黄の香りに包まれてリフレッシュできたひとときでした。
★MRT平投駅ホームの「平投温泉の案内ボード」★
MRTの平投駅で支線に乗り換えて一駅先の新平投駅からタクシーで温泉に。
★Poetry among the Trees★
★個室の露店風呂★
理由はよくわからなかったが、訪問時、大浴場は利用できず個室風呂で約1時間の温泉タイム。
そして、台湾といえば足裏マッサージの本場です。
豪華なスパリゾートでのエステ体験とはいきませんでしたが、町中にあってスパのように落ち着いた雰囲気の大型店で、ハーブの足湯につかりながら、首肩こりをもみほぐしてもらい、みっちり40分の足裏マッサージを受けました。
足裏は身体の縮図といわれますが、あちこち思い当たる私にとって、イタ気持ち良い足裏マッサージは一度だけでは物足りず、帰国日の朝にも同じ先生を指名予約して、リピートしてしまいました。
実は、この旅行を前に風邪を長引かせていた私は、胃腸の調子がなかなか回復せず、台湾グルメを思いっきり楽しむ状況ではありませんでした。文字通り”癒しの旅”になってしまいましたが、足裏マッサージは機会があれば台北を再訪したいと思うくらい私の好みに合った治療法かもしれません。
デパ地下などで味わった『台北のグルメ』については、次回ご紹介します。
古都ドレスデンから新生ドイツの首都ベルリンをめざす・・・・『ミュンヘン発ドイツ周遊鉄道の旅』備忘録その5 [海外旅行]
★ドレスデン城の夜景★
★中央奧は再建されたフラウエン教会の塔★
2008年ドイツの旅で訪れた、ザクセンの古都ドレスデンはエルベ川を中心に広がる美しい街です。
往年の芸術家たちを虜にしてきた「エルベのフィレンツェ」の美術館巡りについては、少し前のブログでもご紹介していますが、ライトアップされた夜景も見逃せません。
★アウグスト強王の像★
ドレスデンを見事な都に築き上げ、美術品コレクションに情熱を傾けた偉大なる君主は、「君主の行列」でもオーラをはなっていますが、エルベ川を挟んだ新市街側には金ぴかの像が立っています。
水上から美しい街並みを堪能できるエルベ川クルーズは、今でも世界最古で最大の遊覧蒸気船が就航しており、船内のガイドはドイツ語のみですが、のんびり観光できるので90分という短いコースでも体験してみる価値があります。
《エルベ川クルーズ》
★11:00:遊覧船上で、ビールをのみながら観光★
★エルベ川沿いには古城やホテル、別荘が建ち並ぶ★
沿岸には葡萄畑も多く、上流には大きな観光ワイナリーもあるそうです。
90分のプチ船旅のあとは、エルベ川を一望できるテラスのレストランで昼食をとり、この旅の最終目的地であるベルリン行きの列車に乗りました。
《ドレスデン中央駅》
旧東ドイツに属していた駅舎は次々に改装されているようで、大きな駅は似たような造りになっている。
駅構内にショッピングセンター、スーパーやフードコートなどがある駅も多く、街の店舗が休業する日曜日も営業しているので旅行者だけでなく街の人の利便性も高い。
★天井の高い大きな屋根★
★駅コンコースのファストフード店★
★理髪店★
★0.5ユーロ投入で鉄道模型で遊べる★
★重厚な古い建物と新しい屋根が複合した駅舎★
★新型車輌のSバーン★
★定刻15:03発、旧型車輌のECの車内★
PC作業中の男性客
★車窓からドレスデンの街並みに別れを告げる★
列車は、車窓からの写真が撮りやすいようにゆっくり走る
★エルベ川を遡るとプラハ市内を流れるブルタヴァ川となる★
特急列車で30分くらい走ると東欧チェコの”百塔の街プラハ”に着く。
★ドレスデンノイシュタット(北)駅★
新市街の近くにある北駅周辺の雰囲気は東欧を感じさせる。
定刻から10分遅れの表示よりもさらに遅れて到着したECは古い機関車タイプの列車だった。
★17:30過ぎベルリン中央駅到着★
車内で配布されたリーフレットによると、朝、ハンガリーのブダペストを出発し、夜遅くハンブルグに到着する国際列車だったらしい。
さて、定刻より約20分遅れで、列車はベルリン中央駅に到着しました。久しぶりに見る大都会の駅という感じがします。ベルリンでは3泊の予定で盛りだくさんのスケジュールを計画しているので、どこへ行くにも交通便利な立地のテルを選びました。
《ベルリン中央駅》
統一ドイツの首都ベルリンの顔として、2006年5月、サッカーのワールド・カップドイツ大会にあわせる形で巨大な新駅が開業。
ベルリンが東西に分割されていた時代に長距離列車発着駅として使われていた二つの駅が、1990年10月の東西ドイツ統一後もそのまま使われていたため、乗り継ぎに不便だったのを解消すべく2006年5月に新駅が開業したものです。
地上3階・地下2階を使って、東西方向と南北方向の路線が交差する巨大駅には、地下鉄も乗り入れています。当初2003年の開業予定が大幅に遅れて、サッカーW杯ドイツ大会にようやく間に合ったそうですが、それまで、ベルリン観光の拠点は西側の繁華街だったクーダム近くのベルリン・ツォー(動物園)駅でした。
ベルリン滞在中には、美術館・博物館めぐりやサッカーブンデスリーガ観戦の他に、東西分断の歴史を肌で感じる体験も色々しました。(ベルリンの壁跡ツアーについては、こちらをご覧下さい。)
足かけ10日間という駆け足旅行でしたが、大人の修学旅行としてドイツを巡る旅は非常に意義のある旅だと思います。この旅を通して、黒パンなどドイツパンのおいしさにめざめた私は、東京でおいしいドイツパンを探すのも楽しみになりました。(ドイツグルメ紀行は、こちらをご覧下さい)