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戦火をくぐり抜けた逸品絵画と金銀財宝コレクション・・・・ザクセンの栄華が甦る古都の旅② [私的美術紀行]

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ツヴィンガー宮殿の中庭

「陶磁器コレクション」展示室(長廊館内)と、宝物コレクション展示室緑の丸天井」があるドレスデン城(右奧の塔のある建物)



★陶磁器コレクション 展示室★

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ツヴィンガー宮殿内の「ドレスデン絵画館」でヨーロッパ絵画の傑作を堪能した私と娘は、同じ宮殿内にある「陶磁器コレクション」を見に行きました。アウグスト強王が集めた中国や日本の陶磁器、マイセン磁器などを展示する世界最大級(2番目?)のコレクションです。


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★東洋磁器コレクションの回廊★

Photo by ドレスデンガイドブック


染め付けの東洋磁器の中には、アウグストがこれを所蔵したいが為にザクセン軍の軽騎兵600人を売り手であったプロイセン王フリードリヒ・ウイルヘルム1世に委ねたというエピソードの軽騎兵の花瓶」もあります。

マイセンといえばヨーロッパの王室や上流階級の人々から愛され続けている磁器の名門ですが、17世紀、オランダの東インド会社によって中国の五彩磁器や日本の伊万里焼など東洋の磁器がヨーロッパにもたらされた時のヨーロッパには地厚な陶器しかなかったのです。

薄くて透明感のある東洋の磁器に魅了されたヨーロッパの人々の中でも熱狂的なコレクターだったザクセン選定公アウグスト強王は自国での磁器製造に情熱をそそぎ、1708年ドレスデンでヨーロッパ初の磁器が誕生し、1710年からドレスデンの北西にあるマイセンで製作されるようになったとのこと。


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★聖母子像★

1732年にマイセンで製作されたもの


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白磁の「キリストの磔刑」★

磁器で作った実物大の動物や人物、王侯貴族のリビングや食堂を飾るような大作が数多く展示されていたが、キリスト像やマリア像など礼拝用の置物も目立った。


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★民族衣装で歌い、踊る人々★


陽当たりがよくかなり温度が高くなっている展示室で、地震大国の日本人としては展示するのがためらわれるような繊細な磁器のコレクションの数々に圧倒された私と娘は、ひとまずツヴィンガー宮殿を退去しました。


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ランチ休憩後、ドレスデン城の「緑の丸天井に王家の財宝鑑賞に出かけることにしました。
戦争で大打撃を受けたドレスデン城は1989年から再建が開始され、宝物展示室も別の場所に移っていましたが、2006年に元の場所に復元されています。

ネオ・ルネッサンス様式のドレスデン城の外壁全長約100メートルにわたって、歴代のザクセン君主が描かれた壮大な壁画「君主の行列」があります。

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★君主の行列★

アウグスト強王(真ん中馬上の人物)が25000枚のマイセン磁器タイルで作らせたもの奇跡的に戦火を免れた大壁画がザクセンの栄華を今に伝える。


さて、ようやく入口を探し当てて入場したドレスデン城の宝物展示室「緑の丸天井」には、新旧ふたつの展示室がありますが、私たちは「新しい緑の丸天井」を見学しました。(宝物室内は見学者の人数が制限されており、「歴史的な緑の丸天井」は予約制)
豪華で精密な金細工や宝飾品が飾られている展示室内は撮影禁止なので、現地で入手した絵はがきやガイドブックの写真でその雰囲気だけご紹介します。



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★ディンリンガー作「金塗りのコーヒーセット」★

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★同「インド、デリーの王国」★

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★同上拡大図★

最も有名な作品で、金製・彩色エナメルの像137体、5千を越えるダイヤモンド、ルビー、エメラルド、真珠などがちりばめられ、製作には莫大な費用がかけられた。
同じ作者の手による有名な神話を題材にした作品「女神ダイアナの入浴」も展示されている。


細工品がたくさん展示されていましたが、宝石部門には、欠品なしにそろった「ユヴェーレン・ガルニトゥーア(宝石セット)」全9セットという貴重なものもありました。
展示されている作品には目を凝らして鑑賞すべき作品が多々あり、体格においてはるかに優る欧米人観光客(多くはシニア層)の中で鑑賞するのはとても重労働でした。

ものすごくたくさんの宝物を展示してあったのですが、ガイドブックによると展示されているのは所蔵品の半分くらいというのでコレクションのスケールの大きさに驚かされます。




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この絵はがきの写真は1945年のドレスデンです。
1945年2月の大空襲で壊滅的な破壊を受けましたが、「史上最大のジグソーパズル」として話題になった「フラウエン教会」に代表される”困難に立ち向かう長期にわたるねばり強い復元工事”で、往時の優雅な街が甦っています。

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東日本大震災で大きな被害を受けた東北地方の「美しい街や村」の一日も早い復興を心からお祈りいたします。


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ドレスデンでラファエロの天使に出会った・・・・ザクセンの栄華が甦る古都の旅① [私的美術紀行]

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絵はがき ★ラファエロの天使
世界中でおなじみの愛らしい天使たち・・・
原画は、ドレスデン絵画館にあります

先日ドイツで開催された女子サッカーW杯でなでしこジャパンが優勝しましたが、選手たちにとってドイツはとても居心地の良い国だったそうです。私も実際にドイツに行ったことがあるのでなでしこたちが日々リラックスして過ごしていたことが実感としてよくわかりますが、今回なでしこが世界一になったことで個人的にはドイツへの好感度がワンラックアップです。

今季は、なでしこジャパンの3選手がドイツでプレーすることになっていますが、ドイツブンデスリーガには男子の日本代表もキャプテン・長谷部誠をはじめ日本人選手が数多く在籍しており、日本人選手を応援する周遊旅行を計画すればドイツ1周の旅ができそうな勢いです。
残念ながらこれからご案内するドレスデンを含む旧東ドイツ圏内にはサッカーの強豪クラブがないなど1990年のドイツ統一後も残る東西格差はサッカー界にも存在しているようです。

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私自身2回目のドイツ訪問となった2008年に初めてエルベ川沿いに広がる世界遺産の美しい古都を訪ね、ザクセン選帝公の華やかな宮廷文化の名残に接してそのスケールの大きさに驚くと共に、ドレスデンが第二次大戦の大空襲による破壊から見事に甦った歴史を目の当たりに見て大変感動しました。

08
年のドイツ旅行では、ドレスデンとベルリンで計4点のフェルメールを鑑賞することが旅の目的のひとつだったことは当時のブログでもご紹介しています。

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ドレスデン絵画館の正面★
ラファエロの「システィーナのマドンナ」のバナーが見える


エルベのフィレンツェ”と称されるドレスデンの12の美術館・博物館からなる「ドレスデン美術館には、歴代のザクセン公国の君主が集めた名画、至宝の数々が揃っており、ヨーロッパ絵画は古典絵画館(アルテマイスター)と近代絵画館の2カ所に収蔵されています。ドイツ、イタリアルネサンスの作品を中心にフランドル・オランダなどヨーロッパ各国の絵画を幅広く所蔵しており16世紀のザクセン公の絵画コレクションを源とする古い歴史を持つ絵画館です。


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ツヴィンガー宮殿の中庭

アウグスト強王によって建てられた宮殿は、18世紀の
ザクセン・バロック建築の最高傑作。
精巧に彫られた壁の彫刻も、オリジナルとほぼ同様に復元されている

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王冠の門・クローネントーアの華麗な装飾屋根★

王の尊厳性を象徴する王冠はポーランドの鷲4尾で支えられ
ており、アウグストがポーランド王でもあったことを示している。

1855
年にツヴィンガー宮殿に設けられたアルテマイスターには1418世紀のヨーロッパ美術の傑作が集まっており、ドイツロマン主義の祖フリードリヒの作品など19世紀から20世紀までの近代絵画は「近代絵画館」にあります。

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絵はがき ”絵画館の至宝”
★ラファエロ『システィーナのマドンナ』★
(サンシストの聖母):1512~1513年頃

この絵は教皇ユリウス2世が注文した、北イタリア・ピアチェンツアのサンシスト教会の祭壇画だった。
長い交渉の結果、1754年にザクセンが巨額の費用で入手。
文豪ゲーテも絶賛した傑作だが、第二次大戦後モスクワに運ばれ、1956年にドレスデンに無事返還された。
白い雲のような背景のなかに無数の天使が描かれていることがわかる。
師のペルジーノの『聖母被昇天』の”雲に乗るマリア”から着想を得たとされる図像と天使の群像は、少し前にラファエロがローマで制作した大型祭壇画『フォリーニョの聖母』にも見られる。

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参考図★ラファエロ『フォリーニョの聖母』★
1511~1512年、ヴァチカン美術館蔵:

Photo by美術出版社「聖母マリアの美術」

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ジョルジョーネ『眠れるヴィーナス』★
1518~10年頃:
Photo by講談社「週刊 世界の美術館」


ドレスデン絵画館で最も有名な作品?
ジョルジョーネの死後「眠れるヴィーナス」は弟弟子のティツィアーノが完成させている。

※ティツィアーノが後年描いた『ウルビノのヴィーナス』(1538年)はウフィッツィ美術館にある。

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★フェルメール『手紙を読む女』★
1659年頃

”ドレスデン絵画館必見ベスト3”といえる本作品も、購入当時はレンブラント派の作品と見られていた。(この絵画館には多数のレンブラントの作品コレクションがある)

右端の大きなカーテンは後から描き足したといわれるが、当初は壁にキューピッドが描かれていたのを絵の具で塗りつぶしたらしい。

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★フェルメール『取り持ち女』★
1656年

フェルメールの風俗画の出発点とされる本作品も購入時はレンブラント派の作品とされていた。娼家における人物像をクローズアップしているのだが当時はこのような娼家の絵が人気だったという。

左端の人物がフェルメール自身とされているが、赤い服を着た娼家の主人が画家自身という説もあるようだ。


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絵はがき
★クラナハ(父)『ザクセンのハインリヒ敬虔公夫妻』★
1514年:

ルーカス・クラナハは、ルターの友人で宗教改革に共鳴し、ルターの様々な肖像画を描いたり新訳聖書の出版などをしているが、ザクセンの宮廷画家にもなっていた。クラナハの作品には当時の貴族たちの最新流行ファッションを知る楽しみもある。

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★クラナハ『楽園』★

クラナハ晩年の傑作は、旧約聖書のアダムとイブの「楽園追放」の物語から5つのストーリーを同じ画面に描いている。
クラナハは私の好きな画家のひとりで、ドレスデンでは他にも「カタリナ祭壇画」などの傑作を鑑賞したが、このあとベルリンでも「若返りの泉」(青春の泉)という今日にも通じる普遍的なテーマの作品に出会うことができた。


さて、17世紀オランダを代表する画家レンブラントは、1669年の死後、他のヨーロッパ諸国ではあまり評価されていなかったのだが、ザクセン選定公アウグスト1世は”ドレスデンでレンブラントの再評価が始まった”といわれるほど、レンブラントの作品に傾倒し、17点の作品を購入している。

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★レンブラント『サスキアの肖像』★

レンブラントは、サスキアとの結婚を機に上流階級の仲間入りをしたが、この作品はサスキアとの婚約の年に描かれたもの。


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★レンブラント『放蕩息子の酒宴』★
1635年頃:

17世紀の市民社会の成熟により、新約聖書をテーマとするという口実で娼家の一場面が描かれるようになった。
放蕩息子はレンブラント自身、女は妻のサスキアがモデルとされており、楽しげな表情がふたりの幸福な時代を表している。




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★レンブラント『鷲にさらわれるガニュメデス』★

ギリシャ神話のガニュメデスをレンブラントは泣き叫ぶ赤ん坊として描いているのが印象的な作品。


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★ティツィアーノ『白い服を着けた夫人の肖像』★

ティツィアーノがヴェネツィア派の巨匠となってから彼自身の娘をモデルに描いた作品。

(以上4点はPhoto by「DVD世界の美術館」)


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★ルーベンス『水浴のバテシバ』★
1635年頃:

Photo by 講談社「週刊 世界の美術館」

17世紀フランドル・オランダ絵画コレクションも充実しており、バロックの巨匠ルーベンスの作品も多数展示してあった。


古典絵画館には、ベラスケスやスルバランなどスペイン絵画の部屋やフランス絵画の部屋もありヨーロッパ美術コレクションの幅広さを実感しました。ここでは紹介していませんが、イタリア絵画では、マニエリスム様式の代表的画家・パルミジャニーノの「薔薇の聖母」や、コレッジオの「羊飼いの礼拝(聖夜)」など美術史上欠かせない画家たちの作品がたくさん並んでいました。

第二次世界大戦により、モスクワに持ち出された作品などは返還されたものの、収蔵作品の約200点が焼失し、約500点が行方不明になったというドレスデン絵画館ですが、見応えのある作品をたっぷり鑑賞することができました。

しかし、絵画館だけでなくザクセンの至宝鑑賞の旅はまだまだ続きます。



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フィレンツェ名画散歩・・・・ウフィツィの次は、メディチ家宮殿内のピッティ美術館へ [私的美術紀行]

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ボーボリ庭園からピッティ宮殿を見下ろす)

メディチ一族が贅を尽くして作り上げ、ルネサンスの巨匠が育った“芸術の都”として、日本人にも大人気のフィレンツェには、ウフィツィ美術館の他にも見所がたくさんあります

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(フィレンツェを流れるアルノ川)

花の女神フローラがその名の由来とされるフィレンツェ1999年の初訪問時は念願だったウフィツィに加えて、アカデミア、サンマルコ修道院の3カ所を見学しました。

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(フィレンツエの地図:
Photo by 講談社「世界の美術館」)

2004
7月、2度目のフィレンツェ訪問時に見学したアルノ川左岸の「ピッティ宮殿美術館は、オススメ名画鑑賞スポットのひとつです。メディチ家歴代当主の壮大なコレクションが絢爛豪華な装飾の宮殿内の壁一杯に展示されているのはまさに圧巻です。

ピッティ宮殿は巨大博物館となっていて、15-17世紀ヨーロッパ絵画を展示する(パラティーナ)美術館の他に、近代美術館、宝物や衣装などの博物館もありますが、16世紀半ばにコジモ1世が妻エレオノーラのために造成した「ボーボリ庭園」の見学は外せません。

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(「ボーボリ庭園:
「円形劇場」と名付けられた場所から望む)

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(「バッカスの噴水」(複製):
コジモ1世のお気に入りの小人をモデルにした彫刻)

イタリア式庭園の原型のひとつとされる広大な庭には、彫像や噴水を配した幾何学的な庭園、円形劇場、並木道、人工洞窟グロッタなどがあり、数百もの大理石彫像が点在しています。私と娘は夏の暑い日盛りに庭園を見学したしたのでボーボリの丘を一回りしてくるだけで汗みずくになってしまいました。

連続した3室で構成されたグロッタローマ時代の庭園洋式で、夏の太陽を避けるための設備でもあるそうですが、精神を空想へと誘う夢の空間として機能していたとか。ほの暗い壁面は異教の神々に彩られたユートピアを再現したのだそうですが、私にとっては「グロテスク*としか思えない不思議な場所でした。
   *
本来は「洞窟の中で発見された装飾」という意味


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ピッティ美術館内部
Photo by 講談社「世界の美術館」)


さて、「ピッティ宮殿」の2階にある「パラティーナ美術館」の絵画作品ですが、「ヴィーナスの間」、「アポロの間」などギリシャ神話の神々の名がついた8室に展示されています。いずれの部屋も名画が所狭しと飾られていますが、様式や年代、作者別などの系統だった分類はされていないのでお目当ての作品を探し出すのはちょっと苦労しました。


数多の名画の中から、私の印象に残った作品をいくつかご紹介します。

★「小椅子の聖母」★
ラファエロ1514年頃?

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(Photo by 講談社「世界の美術館」)

多忙なローマ時代の宗教画。高貴な「聖なるマリア」像から脱皮して、人間的なマリアを描いたといわれる。
トンド(円形画)のなかに愛らしい聖母子とヨハネがうまくおさめるため、マリアの膝の形は本来無理なポーズ。
日本画家の下村観山が、日本絵具で模写した1903年の作品が横浜美術館にある。


★「大公の聖母」★
ラファエロ15041506年頃

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(Photo by 小学館「週刊美術館」)

フィレンツェ時代の作品。教会の絵はがきやパンフレットにも使われるほど定番となった聖母子像。
西欧絵画で聖母が玉座から降りて立たせた聖母は革新的だった。


「ラ・ヴェラータ(ヴェールの女)」★
ラファエロ1515-1516年頃

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(絵はがき)

右手の表情が貞節をあらわすこの作品のモデルは諸説あるが、ラファエロの恋人?
2001
年に東京で開催された「イタリア・ルネサンス~宮廷と都市の文化展」に出品され、ポスターなどにも使われた。


★「眠るアモール」★
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(Photo by 東京書籍「イタリア・ルネサンスの巨匠たち」


ローマで殺人を犯し逃亡中のマルタ島時代、フィレンツェ出身の騎士フランチェスコ・デッランテアのために描かれた小品。
愛の神アモールが眠るということは情熱が抑えられて理性が起きることを示し、騎士にふさわしい禁欲の美学を表す。
逆光の中で眠る幼児は、死んだ赤ん坊をモデルにしたといわれる。


★「悔悛するマグダラのマリア」★
ティツィアーノ1530-1533年頃

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(Photo by 講談社「世界の美術館」)

40代になったばかりのティツィアーノがウルビーノ公のために描いた作品。
敬虔な場面をヴェネツィア派の巨匠は、輝くような長い髪だけで身体を覆うという官能的なポーズで描いた。
上気した頬とうつろな瞳。神に祈りを捧げた後の法悦の表情がリアル。


★「悔悛するマグダラのマリア」★
ティツィアーノ1565年頃?

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(絵はがき)

ナポリ、カポディモンテ国立美術館所蔵で、前記2001年の東京に出品された作品は着衣で胸が隠されているが、マグダラのマリアの表情も泣き顔に見える。

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歳まで生きたティツアーノの晩年は悲劇的なまでに苦悩に満ちた日々で、彼の魂には常に絶望と死の感情があったといわれている。エルミタージュ美術館には、画家最晩年の1565年頃制作された“同タイトルでほぼ同じ衣装と構図”の作品があるので、同じ時期に描かれたのではないかと思われる。


◆おまけのフィレンツェ情報◆

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フィレンツェでは、名物料理「Bistecca alla Fiorentina」(炭火で焼いたフィレンツェ風Tボーンステキ)を賞味するのもお忘れなく!
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人前で1キロぐらいとボリューム満点ですが、塩味だけのあっさりした牛肉はやわらかくて美味。トスカーナワインとよく合います。


このブログでも何度かご紹介している有地京子先生の春季美術セミナー「イタリア美術散歩」が先日終了しました。

私が初めて聞くようなとっておき情報が満載の楽しいセミナー、秋季は「パリ美術散歩」です。
どんな作品が紹介されるか今から楽しみです。



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”悲劇の王妃”マリー・アントワネットの画家、ヴィジェ・ルブラン展 [私的美術紀行]

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(マリー・アントワネットウイーンに住む母へ
ヴィジェ・ルブラン
に描かせた肖像画を
『近況報告』として送った:絵はがき)

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絵はがきフランス王妃マリー・アントワネット」:
2003年都美術館で開催の「ヴェルサイユ展」に出品された作品)

丸の内の「三菱一号館美術館」で開催されていた「マリー・アントワネットの画家 ヴィジェ=ルブラン展」に行ってきました。

この美術館は、三菱が東京・丸の内に1894年建設した初めての洋風事務所建築を復元建築したビルの中にあります。連休中の午後ということで、人出はそれなりにありましたがチケット購入に少し行列しただけで展示室はゆっくり鑑賞することができました。

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ヴェルサイユ宮殿)


マリー・アントワネットについては、数年前このブログでもご紹介していますが、14歳でハプスブルク家からフランス王家に嫁ぎ、華麗なヴェルサイユ宮殿で王妃という役割を演じ、最後はフランス革命の嵐の中、38歳の誕生日の半月前に断頭台に送られた“悲劇の王妃”です。


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(落ち着いた色合いのシンプルなドレスを身にまとい、
自分の子どもたちに囲まれた34歳の王妃。

王太子は空のベビーベッドを指さし、1歳に満たない
王女がこの絵を制作中に亡くなったことをアピール
するなど”国民の母”というイメージを演出した作品:
Photo by週刊「世界の美術館」

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(絵はがき・ヴィジェ・ルブラン36歳の自画像:
キャンバスの中に描かれているひとり娘を連れて
ローマに亡命していた頃の作品)


その王妃と同じ年生まれの女性画家エリザベト・ヴィジェ・ルブラン(1755-1842)に出会った王妃は、音楽という共通の趣味を持つ親密な“お友だち”としてヴィジェを愛したといわれ、お抱え肖像画家として自身や周囲の女性たちの肖像画を数多く描かせています


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★フランス貴族に好まれた牧歌的な風景:
マリー・アントワネットも癒しの場として
ヴェルサイユ宮殿敷地内に田舎風の「アモー」を造った。

★王妃愛用の木綿織物・モスリンを使った農夫的なイメージの「田園ルック」がヴェルサイユ宮廷の女性たちに大流行


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(絵はがき・王妃の義妹、マダム・エリザベト)
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(絵はがき・王妃お気に入りの取り巻き、
ポリニャック爵夫人)

★ヴィジェは、王妃や王妃の友人たちが音楽を楽しむなどくつろいでる姿を肖像画を描くことができた

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(絵はがき・
クリュソル男爵夫人:
王妃の音楽教師・グルックの楽譜を手にしている)


ヴィジェが描く、華やかで最新流行のドレスをまとった肖像画は王妃やヴェルサイユ宮廷の女性たちを魅了し、ヴィジェはマリー・アントワネットのイメージを決定づけた重要な画家として知られています。
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ヴィジェ・ルブラン45歳の自画像:
展覧会チラシより)

フランス革命が起こると王妃の画家であるヴィジェは身の危険を感じ、ひとり娘を連れてイタリアに亡命、その後ロシアやオーストリアを転々と旅しました。行く先々でもヴィジェはフランス時代と同じようにモデルを喜ばせるような肖像画を描き続けました。特にロシアではエカテリーナ2世の寵遇を受け、パリ時代と同じようなアトリエを与えられ、貴族の肖像画を描いたそうです。

優美で愛らしいロココ的な作風の中に新古典主義を予感させるような自然で典雅な作風で人気を博したヴィジェは、イタリア亡命から12年後フランスに帰国し、87歳で亡くなるまで絵を描き続けました。

ヴィジェの卓越した技量や作品数の多さにもかかわらず、その回顧展はかつて一度だけアメリカで開催されたのみで、我が国はもちろんのこと、ヴィジェの祖国フランスでも開催されたことがないとのこと。『女性画家』という職業が、当時のフランスに於いて正当に評価されていなかったこともその理由のひとつにあると思われますが、ヴィジェを中心に18世紀の女性画家たちの作品を紹介した今回の展覧会は画期的な試みといえるかもしれません。


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フランス王妃マリー・レクジンスカは、
孫の嫁としてマリー・アントワネット
がフランスに嫁ぐ2年前に亡くなっている:
Photo by「マリー・アントワネット38年の生涯」)

ヴィジェの最大のライバルだったというヴィジェより6歳年長のラビーユ・ギアールの作品も展示されていましたが、ヴィジェ以外で特に印象に残ったのは、フランス王ルイ15世の正室であるマリー・レクジンスカ王妃自らが描いた「ヴェルサイユ宮殿、中国風居室」という作品群です。

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(麻雀の勝負)
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(音楽のレッスン)
Photo by展覧会公式HPより

王侯貴族の女性のたしなみの一つとして父のポーランド王から絵の手ほどきを受け、絵画の基礎を数人の画家から学んでいたマリー・レクジンスカ王妃は、王の肖像画工房の画家たちの手を借りて完成させた中国趣味のパネルを、ヴェルサイユ宮殿内の王妃居住の一室に飾って楽しんでいたそうです。人物の表情などは西洋人風ですが、中国の民衆の生活ぶりを描いた風俗画という異国情緒は十分感じられる作品です。ヨーロッパの貴族たちに東洋趣味が流行していたとはいえ、まだ写真のなかった時代、王妃が一体どんなものを参考にこれらの絵を制作したのか知りたいところです。

ところで、王妃より7歳年下の夫であるルイ15世は、ブルボン王朝きっての美男子でしたが大変な艶福家として有名です。美しいだけでなく政治的な手腕もふるった寵姫ポンパドゥール夫人は、知性と教養溢れる女性として知られていますが、彼女も画家ブーシェに絵画を学んで作品を遺しているというのは興味深いことです。




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”ゴッホが夢みた日本の風景”を錦糸町駅で発見 [私的美術紀行]

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(絵はがき ゴッホ「種まく人」;1888年)

印象派の画家やゴッホらが日本の浮世絵の影響を受けた作品を描いていることはよく知られています。
先日まで国立新美術館で開催されていた「没後120年 ゴッホ展」に出品されていた「種まく人」は、ミレーの代表作「種をまく人」の人物像模写作品のひとつです。

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(ゴッホ「花咲く梅の木」;1887
Photo by「小学館「週刊美術館 ゴッホ」)

「種まく人」は、ゴッホが生涯を通じて描き続けたテーマですが、アルルに移り住んだ1888年に描かれた本作の手前に木がある構図は、油彩で模写した歌川広重の浮世絵にヒントを得たことがよくわかります。

ゴッホは『東海道五十三次』や『名所江戸百景』など広重の作品を数多く所有していましたが、パリで印象派の色遣いと日本の浮世絵の構図を学んだゴッホは、 “ミレーの「種をまく人」を明るい色彩で描き直す”という自らの目標をアルルで制作したこの絵で見事に達成したといわれています。

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(「亀戸梅屋敷」ゴッホのトレース;1887
Photo by「2005年ゴッホ展 カタログ」

ゴッホには「花咲く梅の木」など、浮世絵をわざわざ油彩で模写した作品がありますが、広重の『名所江戸百景 亀戸梅屋敷』は、半透明の紙にトレースした素描も残されています。

ゴッホは原画の輪郭線を極めて正確に写し取り、格子を書き加えて番号を振ってから拡大した下絵をカンヴァスに写すというプロセスをふんで油彩を制作したそうです。
この素描を見ると、ゴッホが浮世絵の特徴である「強調された輪郭線」を自らの作品の主要な構成要素のひとつとしてとりいれるのに、トレースという手法が果たした役割は大きい”といわれています。(
2005年開催のゴッホ展カタログ解説による)

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(歌川広重「名所江戸百景・亀戸梅屋敷」;1857
Photo by 望月義也コレクション「広重名所江戸百景」


「花咲く梅の木」の元絵となった広重の『名所江戸百景 亀戸梅屋敷』は、『臥龍梅』と呼ばれる特異な枝ぶりの梅の木が印象的
江戸時代、市中はもとより近郷近在より見物客が来たという梅屋敷は明治
43年の大洪水で全滅してしまったそうですが、娘の受験祈願でお世話になった亀戸天神にも梅の木があります。親近感のあるテーマではありますが、浮世絵にはあまり知識がない私でもどこかで見た構図の様な気がしていました。

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(半蔵門線・錦糸町駅プラットホーム壁画)

ゴッホつながりで、深川江戸資料館で開催されていた「歌川広重『名所江戸百景』展」に行く途中、地下鉄半蔵門線・錦糸町駅のホームでその絵を発見しました。
都心に出かけるとき時々乗り換え利用する錦糸町駅ですが、その絵は私が下車する側の壁に掲出されていたため今まで気づかなかったと思われます。(反対側の『両国の花火』は認知していました)

モネのジベルニーの旧宅にも浮世絵コレクションが飾ってありましたが、ゴッホは浮世絵をコレクションしていただけでなく、画商をしていた弟のテオと共に、作品の委託販売までしたことがあるとか。
さらにゴッホは、年下の画家仲間エミール・ベルナールたちにも浮世絵研究をすすめ、浮世絵と自分や画家仲間の作品を並べた小さな展覧会を2度も開催しているそうです。

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広重「名所江戸百景 大はしあたけの夕立ゴッホの模写
Photo by 小学館「週刊美術館 ゴッホ」)

ゴッホは『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』という作品も油彩で模写しています。
こちらもテーマとなっている新大橋は、亀戸にもほど近く何度も車で通っている場所。
ゴッホはこの模写にも額縁のように漢字を配置したエキゾチックな装飾を用いていますが、それにして“吉原・・・・”とかの文言は一体どこから引用してきたのでしょう。

作品の解説に、“雨天の風景そのものが、それまでのヨーロッパ絵画では珍しい題材だった。その雨を繊細な線描のみで表現した広重の技法は、ゴッホだけでなく当時のヨーロッパの画家たちに大きな驚きを与えた”という記述がありました。私にとってはそのこと自体が驚きです。

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ところで、こちらの浮世絵も、錦糸町駅の改札口前に掲出されていることに今更ながら気づきました。
亀戸梅屋敷』を中央に『両国花火』と『大はしあたけの夕立』の3点セットで、マップ入りの解説ボードもありました。

地下鉄に乗るときは改札口を足早に通り過ぎてエスカレーターに乗ってしまうので周囲に目が届かなかったようです。地下鉄駅構内をデザインした方の粋な計らいに感謝です。

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半蔵門線・錦糸町駅をご利用の際には、ちょっと足を止めて見てくださいね。


広重名所江戸百景―望月義也コレクション

広重名所江戸百景―望月義也コレクション

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 合同出版
  • 発売日: 2010/08
  • メディア: 単行本
深川江戸資料館で鑑賞した著者のコレクションが収録されているこの本には英語の解説もついているので外国人と一緒のお出かけのお供にも・・・


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南スペインの情景画を描くイシイタカシさん・・・私も旅の思い出をこういう絵に描きたかった [私的美術紀行]

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絵はがき風の吹き抜ける村」)
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絵はがき時の流れ」)

南スペインのフェレイローラという小さな村と房総の館山を行き来して絵を描いているイシイタカシさんという画家がいます。

広告会社のデザイナーとしてサラリーマン生活を続けていたイシイさんが<絵を描きたい>との思いを胸に単身スペインに旅立ったのは
30数年前。
9年間アンダルシアの村人や羊飼い、ジプシーたちと交流しつつ作品を描き続けたそうですが、“絵を描きたい”と“絵で食べていく”のは別問題という時期もあったとのこと。

帰国後各地で開催した個展が成功し、現在はグラナダに聳えるシエラネバダ山脈の南面に広がるアルプハーラ地方にアトリエを構え、南房総・館山の山中に友人と手作りで建てた家と行き来する生活。どちらも海に近い里山の環境のなか畑仕事にもいそしみながら絵を描くというシニア世代にとって理想のライフスタイルです。


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学生時代の仲間の先輩にあたる方というご縁で、先日、青山での個展会場にお邪魔しました。


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(来場した旧友たちと楽しそうに談笑するイシイさん(左側手前)

展示作品の数もとても多いのですが、カードケースに用意された作品の絵はがきは数え切れません)


今回の個展ではスペインだけでなく南欧各国の旅先で描かれた作品も一緒に展示されていましたが、有名観光地の絵はがきのような絵というのは殆どありませんでした。
目に映った景観を自らの情念で解釈し、生活の気配が感じられる絵をイシイさんは「情景画」とよんでいます。イシイさんの作品の絵はがき裏にある小さなトレードマークは南スペインの象徴ともいうべきロバをひく村人。優しいタッチと独特の色遣いの情景画をみていると、雑事で疲れた心が癒される気分です。

私は絵画鑑賞と海外旅行が趣味で、旅先で見た景観をスケッチしたり、作品をオリジナル絵はがきにするのが夢でしたが、残念なことに自分で絵を描く才能には恵まれず、せいぜい自分好みの構図でデジカメ写真を撮影するだけ。


イシイさんの作品のタイトルには、地名などが入っていないことも多いのですが、私のスペイン旅行の思い出や心象風景に繋がる作品を何点かご紹介します。


セビーリャとフラメンコ
朱夏」(上)と「マヌエラ・カラスコの踊り」(1983
年)

1975年スペインに渡ったイシイさんはセビーリャ郊外のアルカラ・デ・グアダイラに滞在。
セビーリャでは秋に、この地方で誕生したフラメンコ最大のフェスティバルが行われます。



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★古都トレド★
絵はがきトレド有情」(上)と「満月
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先日訪ねたトレドのビューポイントで私が撮影した写真と似たアングル


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★ラマンチャ地方の風車★

風の強いラマンチャ地方の風車は、ドン・キホーテが巨人と間違えて戦いを挑んだエピソードで有名ですが、私たちもカンポ・デ・クリプターナの風車を間近で見てきました。

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絵はがき風紋
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アルカサール・デ・サン・ファン付近を走る列車の車窓から見える景色に似ています

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(Photo by DVDブック「世界の車窓から」スペイン2)


★アンダルシアのオリーブ畑★

絵はがき永遠の物語
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アンダルシア地方は世界最大のオリーブ油生産地。バスの車窓からも見渡す限りオリーブの畑が・・・

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(白ワインにあう料理って?)

さて、イシイさんは画業を続けるかたわら、石井崇として新聞雑誌に連載・寄稿するなど、幅広い分野で活躍されています。スペイン暮らし関連の著書も多数ありますが、スペインの人々の暮らしや食べ物などに興味がある私は、20年近く前に出版された「スペイン四季暦(春/夏)」「同(秋/冬)」にどっぷりはまってしまいました。(絶版のためアマゾンのマーケットプレイスで入手)

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“普段着のスペインが見えてくる”というキャッチコピーそのままに、ぱらぱら見ているだけでも楽しくなる素敵なイラストが満載のこの本はしばらく私の愛読書になりそうです。

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アンダルシアの白い村、店先に並ぶ新鮮なフルーツたち)

”リタイアしたら物価の安いスペインで年金暮らしを“などと言われ団塊の世代に夢を与えてくれたスペイン暮らしも経済情勢が激変した今や”夢のまた夢“になってしまいましたが、つかの間のイメージトリップを楽しむ私です。


石井さんは女性に人気がある画家と聞きました。
手元に画集があればいつでも好きなときに鑑賞できますね。

イシイ・タカシの世界

イシイ・タカシの世界

  • 作者: 石井 崇
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1994/11
  • メディア: 大型本

スペインからの絵はがき

スペインからの絵はがき

  • 作者: 石井 崇
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 1992/04
  • メディア: 単行本

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ゴッホ展を鑑賞・・・”いかにしてゴッホはゴッホになった”のか [私的美術紀行]

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★絵はがき「アイリス」(1890年):
サン・レミから終焉の地オーヴェールに移る直前の作品


国立新美術館で1220日まで開催中の「没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」を見てきました。

2005
年春開催の「ゴッホ展」(東京国立近代美術館)の時、閉会間近の週末に鑑賞しようとしてあまりの混雑のため翌日出直す羽目になった反省から今回は早めに出かけました。平日の午後だったので、入場待ちとはなりませんでしたが会場内はたくさんのお客様で賑わっていました。

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(「秋のポプラ並木」(188410月)
Photo by 世界文化社「ゴッホを旅する」
初期の作品は驚くほど暗い!)


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(絵はがき「曇り空の下の積み藁
18907月):
自殺する直前に描いたとは思えないほど明るい)


★最初期の作品「秋のポプラ並木」
最晩年の「曇り空の下の積み藁」
を並べて
展示することで、ゴッホの中に潜む一貫性と、
僅かな期間にゴッホが成し遂げた大きな進展を明示


前回もゴッホが画家として独自の絵画スタイルになるまでのプロセスがわかるような展示構成になっていましたが、今回は、ゴッホがいかにして独自の絵画スタイルを創り上げるに至ったかを様々な角度から丹念に掘り下げて紹介しています。

同時代の画家たちやその作品からゴッホが吸収したもの、ゴッホが収集した浮世絵からの影響をどのように自分の作品に反映させたかを明らかにする試みで、なかなか見応えのある展示内容でした。

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2005年の「ゴッホ」で来日した「黄色い家」(18889月):
Photo by 新潮社「プロヴァンス 歴史と印象派の旅」

18882月にパリからアルルに移住したゴッホが芸術家の
共同アトリエを夢見て借りた家だが、誘いにのったのは
ゴッホの弟テオからの援助を期待したゴーギャンのみ

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★絵はがき「ゴッホの寝室(188810)

ゴーギャンがアルルに到着する直前に描かれたこの作品には、
椅子や枕などが
2つずつ描かれ、来るべき友との生活が
暗示されている。

部屋の隅のテーブルの上の水差しはゴーギャンを待ちわびる
ゴッホの心情の表現?
会場内に再現された実寸大の「アルルの寝室」と比較鑑賞できる


今回出展された「ゴッホの寝室」にはゴッホ自身が制作したレプリカが
2点あります

ゴーギャンとの共同生活が事実上破綻して“耳切り事件”を起こしてしまったゴッホが病院に入れられている間に、湿気で損傷を受けた本作品をゴッホが補修しようとしたのですが、作品の雰囲気がかわってしまうことを心配したテオの助言でレプリカを制作することになったのです。

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★絵はがき「ゴッホの寝室」(レプリカ)1889):
今年の「オルセー展」で来日した作品

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★「ゴッホの寝室」(レプリカ)1889
) シカゴ美術館:
Photo by 小学館「週刊西洋絵画の巨匠」2009.2.3号


サン・レミ時代に再制作したレプリカ2
も構図は同じだが、
壁に架けた肖像画が異なる


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★絵はがき「ゴーギャンの椅子」(18889月):

この椅子はアルルに来ることをためらっていた
ゴーギャンのために買った高価な家具。
椅子の上のロウソクと本は『知性』の象徴か

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★「ゴッホの椅子1888年)ロンドンナショナルギャラリー:
Photo by 小学館「週刊西洋絵画の巨匠」2009.2.3号

「ゴッホの寝室」にも登場する椅子は、両者の性格の
違いを表そうとしたのか直線的で質素。
椅子の上のパイプはゴッホの『感性』といわれる


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★ゴーギャン作「ひまわりを描くゴッホ」(1888年)
エルミタージュ美術館:
Photo by 小学館「週刊西洋絵画の巨匠」2009.2.3号

見たものの“再現”ではなく、記憶から“再構築”して
描くことをゴッホに教えたゴーギャンが、ゴッホとの共同生活の
中で描いた作品

※ひまわりの季節は終わっていたのでこの作品は
ゴーギャンの想像上の情景


ゴッホの著名作品の展示という意味では前回の方が充実していたかもしれませんが、素人くさいというかはっきり言って下手な初期の素描など、ゴッホ展のリピーターには興味深い展示だと思います。

画家となってわずか10年間に精力的に制作したゴッホですが、私たちがいかにもゴッホらしい色彩や筆遣いだと思う作品はアルル時代以降に描いたもの だということも改めて実感しました。

”耳切り事件”のあと、ゴーギャンはアルルを去り、ふたりの共同生活は終わりましたが、ゴッホは入院中にゴーギャンと文通し、交友関係を修復していたといわれています。


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★ゴーギャン作「椅子の上のひまわり」(1901年)
アムステルダム ファン・ゴッホ美術館
Photo by 小学館「週刊西洋絵画の巨匠」2009.2.3号

晩年のゴーギャンの胸にゴッホの思い出が去来していたのか
アルルを去って
10年以上たったタヒチで制作された


アルルで”耳切り事件”の後ゴッホは市民の要請で市立病院に入れられ監禁生活を余儀なくされました。
病状が落ち着いた時に描いた絵が下の作品ですが、現在この場所は「エスパース・ファン・ゴッホ」という文化センターになって公開されています。
センター内の図書館の窓からゴッホが監禁されていた部屋を垣間見ることができるようですが、ゴッホの苦悩が肌で感じられる場所です。


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★「(アルルの)療養所中庭(1889)
アムステルダム ファン・ゴッホ美術館:
Photo by 新潮社「プロヴァンス 歴史と印象派の旅」


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★アルルの「エスパース・ファン・ゴッホ」の中庭:
絵とそっくりに再現されている場所を2005
年の夏に訪問。


サン・レミの療養所を出てから2ヶ月後に自殺するゴッホにとってサン・レミの1年間はもっとも制作点数の多い時代で、およそ150点の油彩画と100点以上の素描を残しています。

数字が正確に把握できない理由は、ゴッホからお礼に絵をもらった人々が“狂人の絵”などに興味を示さず、なくしてしまったからといいます。病院の担当医師の息子やその友人らにとってゴッホの絵はガラクタとしか思えなかったのでしょうか。ゴッホは世界中の人々に感動を与える多数の作品を残しているにもかかわらず、ゴッホの生前に売れた絵はたった
1点だけでした。

さらに終焉の地オーヴェールでの70日間で70点の油彩画を描いているというのは驚きですが、ゴッホの使う画材の量は尋常ではなく、ゴッホの最大の理解者であり長年生活を支えてくれていた弟テオにとって妻子を抱えて兄への送金負担も限界だったのではないかと言われています。


先日のスペイン旅行でたくさんの作品を鑑賞してきたピカソも多作で有名ですが、ゴッホは画家としても個人としてもあまりにも対照的な人生を歩んでいます。
“傍目には唐突に思えるゴッホの死は、本当にピストル自殺だったのか?”とか、“人間関係がうまく構築できなかったのはアスペルガー症候群だったから?”などその人生にはまだ多くの謎があるようです。


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ところで、今回会場で利用した音声ガイドは、“音声ガイドシート”に印刷された作品の図版をタッチする方式でした。この方式だと音声ガイドのある作品がわかりやすいし、鑑賞記念にもなりますね。



ゴッホを旅する ワイド新版 (別冊家庭画報)

ゴッホを旅する ワイド新版 (別冊家庭画報)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 世界文化社
  • 発売日: 2010/09/17
  • メディア: ムック
ゴッホを旅する―カルチャー紀行

ゴッホを旅する―カルチャー紀行

  • 作者: 南川 三治郎
  • 出版社/メーカー: 世界文化社
  • 発売日: 2003/06
  • メディア: 単行本

プロヴァンス 歴史と印象派の旅 (とんぼの本)

プロヴァンス 歴史と印象派の旅 (とんぼの本)

  • 作者: 牟田口 義郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1995/01
  • メディア: 単行本


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ベラスケスの名画「ラス・メニーナス」をピカソが描くと・・・「バルセロナ・ピカソ美術館」 [私的美術紀行]

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★「ラス・メニーナス(ベラスケスによる)#1」(1957年):
ピカソはベラスケスの傑作を題材にした連作58点を制作
by 絵はがき★

9月のスペイン周遊旅行では、各地の世界遺産を見学しプラド美術館などで西洋名画の数々を鑑賞したのですが、特にスペイン出身のピカソ(18811973)の作品を数多く見ることができました。

その中でも、1963年、ピカソが精力的に活動していた頃にオープンした「バルセロナ・ピカソ美術館」には幼少から青春時代の作品が数多く収蔵されており、少年の頃からとにかく絵がうまかったその天賦の才を目の当たりにしました。

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(「バルセロナ・ピカソ美術館」:
中世の邸宅を改装した美術館の中庭で入館を待つ見学者)

この美術館は、ピカソの友人サバルテスが初代館長をつとめ、バルセロナの親族のもとに残していた子どもの頃からの作品およそ1000点が1970年にピカソから寄贈されています。青春時代を過ごしたバルセロナに自身の足跡を残したいというピカソ自身の意志が美術館のコレクションを特別なものにしているといわれています。

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★「科学と慈愛」(1897年):
鑑賞者の見る角度によって、ベッドの大きさが正面から見るよりも短く見える作品
by 絵はがき★

ピカソ初期の大きな作品でマドリード総合美術展で佳作、マラガの展覧会で金賞を受賞した「科学と慈愛」を描いたときピカソはまだ15でした。この年齢にして既にアカデミックな技法を習得しているのもすごいことなのですが、瀕死の女性を医師と修道女が取り囲むというシリアスなテーマを少年が選んだということに驚かされます。
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★「画家の母の肖像」(1896年)by 絵はがき★

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★「初聖体」(1896年)by 絵はがき★

その前年に描かれたピカソの母の肖像画や、妹の初聖体の作品は少年ピカソの家族への愛が感じられるテーマですが、どちらも中学生の年代の子どもの手によるとは思えない出来映えです。

同じ展示室内に黒っぽい衣装の中年女性の肖像画があったのですが、“既に画家として名が売れはじめたピカソに、自身の肖像画を依頼した親戚の女性のことが嫌いだったピカソは、わざとその女性を実際より老けた感じに描いた”というエピソードをガイドさんから聴きました。
ピカソが大好きだった優しい母の肖像画と見比べるとその中年女性はちょっと意地悪そうにも見えました。しかし、そのおばさんは有名画家になったピカソに肖像画を描いてもらったことを素直に喜んだとか・・・
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★ベラスケス「ラス・メニーナス」(1656年頃)
by 絵はがき★


さて、バルセロナのピカソ美術館は開館して5年目、ピカソ晩年の重要な作品群を収蔵品に加えることになります。ピカソと同じスペイン出身の画家ベラスケスの代表作「ラス・メニーナス」を題材とした連作58点すべてが、初代館長だった友人・サバルテスの死を悼みピカソから寄贈されたのでした。

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★「ラス・メニーナス(幼いマルガリータ)#27」
(1957)
:ピカソがキュービズムで試みた、
全体は正面を向きながら顔は正面にも横顔にも見える
“同一画面における複数の角度からの描写”
という特徴がこの肖像画にも見られます
by 絵はがき★

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★「白いドレスのマルガリータ王女」(1656年頃):
昨年の「Theハプスブルク展」で来日したこの作品は、
「ラス・メニーナス」と同じ衣装ですが、髪型などが少し大人びてみえます
by 「週刊世界の美術館」H12.8.8号★



スペイン美術史における傑作を題材に様々なアプローチで展開された作品は、どれもピカソならではの手法で全体あるいは部分が切り取られ、分解され、独自に解釈して再構築されています。
「ラス・メニーナス」シリーズは小さな作品も含めて多数展示されていたので、
12年前のプラド美術館で遭遇して以来『マルガリータ王女マニア』となった私としてはもう少しゆっくり鑑賞したい作品群でした。


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「世界の車窓から」に誘われて、スペインが生んだ天才画家『ピカソを巡る旅』へ [私的美術紀行]

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★幼いピカソは父に連れられてマラガ闘牛場に通った。

「画家にならなかったら闘牛士になっていた」と語ったほど闘牛好きだったピカソにとって究極ともいえるモチーフは「闘牛」。8歳時に描いた「ピカドール」が現存する最も初期の作品。
(Photo by 

世界の車窓から」という5分足らずのミニ番組は、実際に自分が見たことのある風景に出会って旅の思い出が蘇ったり、初めて見る異国の風景に旅心を刺激されたりする私のお気にいるテレビ番組です。
(現在は、「ヴェールに包まれたアラビア半島の旅」を放映中。


2009年夏にオンエアされた『南スペインの旅』で、スペインの生んだ天才画家・ピカソ生誕の地として以前から行ってみたいと思っていたスペイン最南端に近い港街マラガが紹介されました

マラガにはピカソの親族が155の作品を寄贈したことがきっかけで2003年になって「ピカソ美術館」が開館。初期から晩年まで、さまざまに変容を遂げたピカソ作品を一通りたどることができるとのこと。
1881年生まれのパブロ・ピカソは10歳でマラガを離れた後も何度かマラガを訪れたそうですが、のちにフランスで活躍するようになったピカソはスペインのフランコ政権との対立からマラガに帰郷することはなかったといいます。

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★「母と子」(1922年、マラガ・ピカソ美術館):

最初の妻オルガと息子のパウロ。39歳で初めて父になった喜びが感じられる作品。
(Photo by

パリやバルセロナ、南仏にピカソの傑作を有する美術館が既にある中で、あえて21世紀に入って新たに作られた「マラガ・ピカソ美術館」誕生を促したのは “ピカソの生まれた地に、ピカソの美術館があってほしい”という家族の強い思い。

“マラガの美術館に行ったら、最初に感じるべきはコスタ・デル・ソル(太陽海岸)の「光」”とガイドブックに書いてありましたが、幼いピカソが目にしたマラガのまばゆい陽光が美術館のパティオに降り注ぐのを私も全身で感じたいと思います。


9月に予定しているスペイン旅行では、マドリードではプラド美術館と、ピカソの「ゲルニカ」が展示されている国立ソフィア王妃芸術センター、バルセロナとマラガの2カ所でのピカソ美術館見学がツアーコースに組み込まれています。
プラド美術館では、先日ご紹介したような聖書を主題にした名画などを鑑賞予定ですが、そのあとはアンダルシア地方のイスラムの遺構と『ピカソを巡る旅』。
バルセロナではガウディの建築物などを見学するので、私にとって2度目となるスペインは “アートの散歩道”を満喫する旅になりそうです

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★「肘掛け椅子に座るオルガ」1918年、パリ国立ピカソ美術館

ピカソが結婚する数ヶ月前に27歳のオルガを描いた未完の肖像画。
「私の顔がわかるように」というオルガの注文か気品に満ちた新古典主義風の作品
(Photo by「週刊世界の美術館」2008.12.4号)

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★「座るジャクリーヌ」(1954年、マラガ・ピカソ美術館):

ピカソは80歳にして2度目の妻ジャクリーヌと再婚した。
ピカソは常に新しい女神を求め、その女神を描き続けたが、オルガが64歳で死去するまで離婚に応じなかったため正式な結婚は2回のみ。
(Photo by「Pen」2008.10.15号)

特にピカソは、私が若い頃まだ現役で活躍していたという数少ない画家。さまざまな画風の中には自分的には好みでない作品もありますが、以前パリの国立ピカソ美術館で見た最初の妻オルガの肖像画と、マラガで鑑賞予定のジャクリーヌ(2度目の妻)を描いた作品は、本当に同じ画家の絵?と思うほど雰囲気が異なります。ピカソの作品鑑賞は彼の人生のエピソード抜きには楽しめないのではないでしょうか。

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★ピカソ10代の傑作「科学と慈愛」(1897年、バルセロナ・ピカソ美術館):
(Photo by「Pen」2008.10.15号)


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★「」(1955年?バルセロナ・ピカソ美術館):

カンヌの自宅の最上階に自らが作った鳩小屋を描いた作品は、生涯のライバル・マティスの色遣いに似ている?
絵画教師だったピカソの父は、13歳の少年が描いたハトの絵を見て以後絵筆を握らなかったといわれている
(Photo by「Pen」2008.10.15号)


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★「浜辺を走る二人の女」(1922年、パリ国立ピカソ美術館):

マラガの「母と子」と同時期の作品 ですが、堂々たる体格の女性たちの踊るような躍動感が素晴らしいですね。
(Photo by「週刊世界の美術館」2000.8.1号)

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(Photo by「週刊世界の美術館」2008.12.4号)


ピカソは、53歳の時、生涯最後のスペイン旅行でバルセロナやマドリードを巡りましたが、74歳でカンヌ移住後は南仏暮らしが定着し、1973年91歳で亡くなりました。
ピカソが眠るのは、南仏エクス=アン=プロヴァンス近郊のヴォーヴナルグ城の前庭。ピカソが1958年に購入した終の棲家は、敬愛したセザンヌの“精神的支柱”のような存在だった
サント=ヴィクトワール山』が南に聳える場所にある。



「世界の車窓から」DVDブックの新シリーズが刊行されました。
本日発売のNo.31”南部アンダルシア地方の旅”は、私が何度も見直した映像が収録されている永久保存版。

 世界の車窓からDVDブック NO.31 (朝日ビジュアルシリーズ)

  •  作者:
  •  出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  •  発売日: 2010/08/05
  •  メディア: 大型本


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マイブーム スペイン、次は”アートの散歩道”を旅したい [私的美術紀行]

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W杯で優勝したスペイン代表の優勝パレードは、マドリードの中心地に集まった100万人から熱烈な歓迎を受けたそうですが、私もそろそろJリーグの再開に気持ちを切り替えなければいけません。スペインサッカーにインスパイアされて、我らが浦和レッズも “堅守をベースにした攻撃的パスサッカー”を実現させて欲しいのですが、集中力の持続に問題があるのかもしれません。

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コルドバの花の小径)

さて、私がはじめて訪れたヨーロッパで古い教会建築と美術館巡りに開眼するきっかけを与えてくれたスペインをもう一度訪問することにしました。
9
月中旬の旅は、マドリード→トレド→コンスエグラ→コルドバ→グラナダ→マラガ→コスタ・デル・ソル→バルセロナを79日で周遊しながらプラド美術館とピカソゆかりの3つの美術館を見学予定。

今回もパッケージツアー利用なので旅の手配はおまかせですが、充実した美術館訪問になるように手元の資料などで少しずつ予習しているところです。

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ベラスケスラス・メニーナス1656年:
Photo by「週刊世界の美術館」08.9.4号)

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ゴヤカルロス4世とその家族1800年:
Photo by「迷宮美術館」

8,000
点の所蔵品を誇るプラド美術館は、2002年と2006年にも東京で美術展が開催されていますが、やはり現地に出向かないと見ることのできない作品もたくさんあります。1998年のスペイン旅行では、ベラスケスやゴヤなどのスペイン絵画を中心にガイドされた記憶がありますが、団体行動後の短い自由時間は館内のショップで図録を買って、いくつかの部屋をまわっただけで終わってしまいました。

今回のガイドさんが案内する作品リストが前もって知らされるわけではないので自由行動で鑑賞したい作品の絞り込みは簡単ではありませんが、有地京子先生の名画解説講座を昨年来受講したおかげで興味が深まった聖書の物語”を主題にした絵画がプラド美術館にもたくさんあります
その中でこれは見落とせない!と思っている作品をいくつかご紹介します。

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ボッス三連祭壇画「乾し草の車1495/1500年ごろ:
Photo by 「週刊世界の美術館」
2008.9.4

向かって左は楽園を追放されるアダムとイブ、右は地獄。中央の乾し草を奪い合う人々など欲望に支配された人間の目には神の姿が見えない

 
“神に背を向ける現世への辛辣な諷刺画”を描いたフランドル派のヒエロニムス・ボッスは、フェリペ2世お気に入りの画家で、最高傑作「快楽の園」など10点近くがプラド美術館にあります。
現存するボッスの真作は
30点に満たないそうですが、1998年の訪問時にボッスの作品を見たかどうかまったく記憶がないのです。独特の色遣いや現代的ともいえる構図が印象的なボッスの作品は今度こそ絶対に見逃すわけにはいきません。

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フラ・アンジェリコ受胎告知1430年頃:
Photo by 「週刊世界の美術館」
2009.8.6

フラ・アンジェリコが20代半ばに描いたという初期の作品。画面の左には“アダムとイブの楽園追放”、裾絵には聖母マリアの生涯の中から5つのエピソードが描かれた壮麗な祭壇画。

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★(参考)フラ・アンジェリコ「受胎告知」サンマルコ美術館壁画1440年代前半:
Photo by 「週刊世界の美術館」
2008.12.11号

フラ・アンジェリコが40代前半に描いたという作品は、プラド美術館の所蔵品と同じ主題ですがシンプルな構図で、聖母マリアの純潔を示す百合や聖霊を象徴するハトなどのアトリビュートはあえて省略。
1999年のイタリア旅行で実物を鑑賞していますが、私にとって「受胎告知」といえばこの作品が真っ先に思い浮かびます。
卓越した技術と敬虔な信仰心が融合した静謐なフレスコ画は、人々への布教目的ではなく、修道士の礼拝目的の絵画でした。

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ムリーリョ善き羊飼い1660年頃:
Photo by 「週刊世界の美術館」
2008.9.4

セビージャ出身のムリーリョが同主題で数多く描いた「無原罪の御宿り」の愛らしい聖母マリアも好みですが、幼子イエスがあどけない表情の羊飼いとして描かれている本作品を見ると心がなごみます。

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マセイスこの人を見よ1515年ごろ:
Photo by「西洋絵画の主題物語・聖書編」

キリストに何の罪も見いだせなかったローマ総督ピラトが、群衆の前に姿を現し、「私が今ここに引き出す男は、私には何の罪も認められないのだということをわかってもらいたい」と語り、「この人を見よ」と茨の冠のキリストを登場させた場面。

マセイスは、悲しみをたたえて静かに立つキリストという見せ物を前にした群衆たちの異様な興奮状態を生き生きと描いています。
低い位置からキリストを見上げる私たちはあたかも群衆の中にいるような構図になっています

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ウエイデン十字架降下1435年頃:
Photo by「西洋絵画の主題物語・聖書編」

有地京子先生のイチオシ作品!
画面から飛び出して見えるような彫像的立体感に注目です。

フェリペ2世が叔母のハンガリー王妃マリアから相続したこの作品は、三連祭壇画のうち唯一現存する中央部分の絵。聖母の頬を静かに伝う涙、弟子の泣きはらした目から深い悲しみが伝わる宗教画です。

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コレッジオ我に触れるな1534年頃:
Photo by 「週刊世界の美術館」
2009.8.6

キリストの墓のある園で一人佇み泣いていたマグダラのマリアがふと振り向くと男がいた。庭番だと思った男がキリストと悟ったマリアが駆け寄ろうとすると「私に触ってはいけない。私はまだ父のところに上がってはいないのだから」と言った場面。
レオナルド・ダ・ヴィンチに学んだ柔らかなぼかしを用いたキリストとマリアの優美なポーズの作品は、ブロンツィーノなどが描いた同主題の作品よりも私の好みです。


※各作品の制作年代については諸説ありますが、ここでは、1998年に発行されたプラド美術館の公式図録に記載されたものを採用しています。

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