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”悲劇の王妃”マリー・アントワネットの画家、ヴィジェ・ルブラン展 [私的美術紀行]

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(マリー・アントワネットウイーンに住む母へ
ヴィジェ・ルブラン
に描かせた肖像画を
『近況報告』として送った:絵はがき)

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絵はがきフランス王妃マリー・アントワネット」:
2003年都美術館で開催の「ヴェルサイユ展」に出品された作品)

丸の内の「三菱一号館美術館」で開催されていた「マリー・アントワネットの画家 ヴィジェ=ルブラン展」に行ってきました。

この美術館は、三菱が東京・丸の内に1894年建設した初めての洋風事務所建築を復元建築したビルの中にあります。連休中の午後ということで、人出はそれなりにありましたがチケット購入に少し行列しただけで展示室はゆっくり鑑賞することができました。

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ヴェルサイユ宮殿)


マリー・アントワネットについては、数年前このブログでもご紹介していますが、14歳でハプスブルク家からフランス王家に嫁ぎ、華麗なヴェルサイユ宮殿で王妃という役割を演じ、最後はフランス革命の嵐の中、38歳の誕生日の半月前に断頭台に送られた“悲劇の王妃”です。


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(落ち着いた色合いのシンプルなドレスを身にまとい、
自分の子どもたちに囲まれた34歳の王妃。

王太子は空のベビーベッドを指さし、1歳に満たない
王女がこの絵を制作中に亡くなったことをアピール
するなど”国民の母”というイメージを演出した作品:
Photo by週刊「世界の美術館」

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(絵はがき・ヴィジェ・ルブラン36歳の自画像:
キャンバスの中に描かれているひとり娘を連れて
ローマに亡命していた頃の作品)


その王妃と同じ年生まれの女性画家エリザベト・ヴィジェ・ルブラン(1755-1842)に出会った王妃は、音楽という共通の趣味を持つ親密な“お友だち”としてヴィジェを愛したといわれ、お抱え肖像画家として自身や周囲の女性たちの肖像画を数多く描かせています


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★フランス貴族に好まれた牧歌的な風景:
マリー・アントワネットも癒しの場として
ヴェルサイユ宮殿敷地内に田舎風の「アモー」を造った。

★王妃愛用の木綿織物・モスリンを使った農夫的なイメージの「田園ルック」がヴェルサイユ宮廷の女性たちに大流行


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(絵はがき・王妃の義妹、マダム・エリザベト)
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(絵はがき・王妃お気に入りの取り巻き、
ポリニャック爵夫人)

★ヴィジェは、王妃や王妃の友人たちが音楽を楽しむなどくつろいでる姿を肖像画を描くことができた

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(絵はがき・
クリュソル男爵夫人:
王妃の音楽教師・グルックの楽譜を手にしている)


ヴィジェが描く、華やかで最新流行のドレスをまとった肖像画は王妃やヴェルサイユ宮廷の女性たちを魅了し、ヴィジェはマリー・アントワネットのイメージを決定づけた重要な画家として知られています。
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ヴィジェ・ルブラン45歳の自画像:
展覧会チラシより)

フランス革命が起こると王妃の画家であるヴィジェは身の危険を感じ、ひとり娘を連れてイタリアに亡命、その後ロシアやオーストリアを転々と旅しました。行く先々でもヴィジェはフランス時代と同じようにモデルを喜ばせるような肖像画を描き続けました。特にロシアではエカテリーナ2世の寵遇を受け、パリ時代と同じようなアトリエを与えられ、貴族の肖像画を描いたそうです。

優美で愛らしいロココ的な作風の中に新古典主義を予感させるような自然で典雅な作風で人気を博したヴィジェは、イタリア亡命から12年後フランスに帰国し、87歳で亡くなるまで絵を描き続けました。

ヴィジェの卓越した技量や作品数の多さにもかかわらず、その回顧展はかつて一度だけアメリカで開催されたのみで、我が国はもちろんのこと、ヴィジェの祖国フランスでも開催されたことがないとのこと。『女性画家』という職業が、当時のフランスに於いて正当に評価されていなかったこともその理由のひとつにあると思われますが、ヴィジェを中心に18世紀の女性画家たちの作品を紹介した今回の展覧会は画期的な試みといえるかもしれません。


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フランス王妃マリー・レクジンスカは、
孫の嫁としてマリー・アントワネット
がフランスに嫁ぐ2年前に亡くなっている:
Photo by「マリー・アントワネット38年の生涯」)

ヴィジェの最大のライバルだったというヴィジェより6歳年長のラビーユ・ギアールの作品も展示されていましたが、ヴィジェ以外で特に印象に残ったのは、フランス王ルイ15世の正室であるマリー・レクジンスカ王妃自らが描いた「ヴェルサイユ宮殿、中国風居室」という作品群です。

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(麻雀の勝負)
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(音楽のレッスン)
Photo by展覧会公式HPより

王侯貴族の女性のたしなみの一つとして父のポーランド王から絵の手ほどきを受け、絵画の基礎を数人の画家から学んでいたマリー・レクジンスカ王妃は、王の肖像画工房の画家たちの手を借りて完成させた中国趣味のパネルを、ヴェルサイユ宮殿内の王妃居住の一室に飾って楽しんでいたそうです。人物の表情などは西洋人風ですが、中国の民衆の生活ぶりを描いた風俗画という異国情緒は十分感じられる作品です。ヨーロッパの貴族たちに東洋趣味が流行していたとはいえ、まだ写真のなかった時代、王妃が一体どんなものを参考にこれらの絵を制作したのか知りたいところです。

ところで、王妃より7歳年下の夫であるルイ15世は、ブルボン王朝きっての美男子でしたが大変な艶福家として有名です。美しいだけでなく政治的な手腕もふるった寵姫ポンパドゥール夫人は、知性と教養溢れる女性として知られていますが、彼女も画家ブーシェに絵画を学んで作品を遺しているというのは興味深いことです。




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ジョージ

nikiさん、 thisiisajinさんご訪問&niceありがとうございます。


by ジョージ (2011-05-10 18:24) 

collet

知りませんでした~(>_<)
アントワネットのお抱え画家が女性だったなんて!
それにしても、ヴィジェ自身も美しいですね~
何だか誰よりも美しく見えるのは気のせいでしょうか?(~o~)
by collet (2011-05-14 17:17) 

ジョージ

ヴィジェ・ルブランが女性画家というのは私も知っていましたが、これほどの美貌とは知りませんでした。
ヴィジェは”美人画が得意な美人画家”として有名だったようです。

彼女の肖像画がマリー・アントワネットを初めとする顧客に人気があった理由のひとつは、確かな技術に裏付けされた技量だけでなく、華やかで最新のドレスをまとった女性たちを実物以上に美しくみせるノウハウを持っていたからだと思います。
そういう意味で、自画像はナルシスト的に一番美しく、若々しく描いたのかな?と思ってしまいます。
36歳の自画像、どうみても20代にしかみえませんよね。
by ジョージ (2011-05-15 23:32) 

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