サッカー日本代表に”ミラクル”やサプライズ”は起きるのか? [サッカー]
世界中のサッカーファンが注目するW杯南ア大会も開幕間近となり、出場予定の各国代表は直前合宿や強化試合で本大会に向けて最終調整しています。
Jリーグを中断した日本代表23人は、高地トレーニングのために選定したというスイスのザースフェーで合宿中ですが、30日には、オーストリアのグラーツでイングランドとの強化試合が予定されています。
(イングランド代表・ウェイン・ルーニー:
2008FCWCでマンUが優勝した試合をスタジアムで観戦。
C・ロナウドが移籍後のルーニーの活躍はめざましい)イングランド代表候補メンバー30人の中に、デビッド・ベッカムの名前がないのは寂しいですが、ランパード(チェルシー)やジェラード(リバプール)とルーニー(マンU)が一緒にプレーするのが見られると思うと楽しみです。日本はこの試合に備えて守備的シフトの練習をしていたと伝えられますが、どんな試合展開になるのでしょう。
さて、昨年6月6日に世界最速で本大会出場を決めた日本代表ですが、この1年間の評判は私がサッカーを見るようになってから最悪の状況かもしれません。
(2010.6.10カタール戦のスタジアム。
W杯本大会出場をサポーターに報告する犬飼会長の表情も冴えなかった)
凱旋試合となるはずだった6月10日の日産スタジアムのカタール戦、内容に乏しい1-1のドローという試合をスタジアムで応援して以来、代表の試合はあまり期待しないでテレビ観戦する習慣がついてしまった私ですが、
改めて日本代表のその後の試合記録を見てみると・・・・・・
2009.6.17 ●1-2(対オーストラリア:W杯最終予選)
2009.9.5 ●0-3(対オランダ:国際親善試合)
2009.9.9 ○4-3(対ガーナ:国際親善試合)
2009.10.8 ○6-0(対香港:AFCアジアカップ2011予選)
2009.10.10 ○2-0(対スコットランド:キリンチャレンジカップ)
2009.10.14 ○5-0(対トーゴ:キリンチャレンジカップ)
2009.11.14 △0-0(対南アフリカ:国際親善試合)
2009.11.18 ○4-0(対香港:AFCアジアカップ2011予選)
2010.1.6 ○3-2(対イエメン:AFCアジアカップ2011)
2010.2.2 △0-0(対ベネズエラ:キリンチャレンジカップ)
2010.2.6 △0-0(対中国:東アジアサッカー選手権2010)
2010.2.11 ○3-0(対香港:東アジアサッカー選手権2010)
2010.2.14 ●1-3(対韓国:東アジアサッカー選手権2010)
2010.3.3 ○2-0(対バーレーン:AFCアジアカップ2011)
2010.4.7 ●0-3(対セルビア:キリンチャレンジカップ)
2010.5.24 ●0-2(対韓国:キリンチャレンジカップ)
この記録を見ただけでもW杯出場が決定してからの1年間で、日本代表が着実にレベルアップしているとはとても感じられませんが、ここまで来たら開き直って本大会に臨むしかないでしょう。
私的には、日本代表メンバー発表の手順も、メンバー構成にも納得していませんが、先日の韓国戦終了後の岡田監督の“悪い冗談発言?”への選手達の“大人的対応”に一筋の光明を感じました。
日本代表今後のスケジュールは、
国際親善試合:5月30日(対イングランド)
6月4日(対コートジボワール)
W杯南ア大会グループE:6月14日(対カメルーン)
6月19日(対オランダ)
6月24日(対デンマーク)
(日本代表のW杯、勝利の笑顔は?)
今回の日本代表メンバーには、日本がブラジルを破った“マイアミの奇跡”で守護神だった川口能活がチームリーダーとして招集されています。若手主体のオリンピックと、フル代表のW杯を一緒にはできないけれど川口が持っている“何か”が他のメンバーに“乗り移る”ことを期待したいと思います。
「高天原」パワースポット巡り・・・「天孫降臨神話の里」でデジカメがパワーに反応? [街あるき]
今回の阿蘇の旅では、熊本県にある「通潤橋」経由で宮崎県の高千穂まで足をのばして観光しました。
高千穂といえば神話の国ですが、実は日本の神話には殆ど無知な私にとって今回の旅は新発見の連続でした。
★「高天原日の宮幣立神宮」(熊本県・山都町)★
(鬱蒼とした杉木立に覆われ鎮守の森を形成している)
掲示板に“大日本史に見える知保(ちほ)の高千穂宮が当宮の所在地である。筑紫の屋根の伝承のように神殿に落ちる雨は東西の海に注いで地球を包むので高天原日の宮の伝承を持つ国始めの尊宮である。・・・・・・神武天皇ご発輦(はつれん)の原点で、皇孫健磐龍命は勅命によって天神地祇を祭られた・・・・・・”と記されていましたが、私には難解すぎ。
(囲まれた場所が聖域になるという彫り物(えりもの))
「神話と伝説のふるさと」宮崎県には数々の史跡や、神話・伝説・神楽などの民俗芸能が数多く残されています。今回は高千穂町を駆け足で見学。
★岩戸開きの神話の里「天の岩戸神社」
(宮崎県高千穂町)★
(”太陽の神”マテラスオオミカミの像)
(タヂカラオノミコトが岩戸を吹き飛ばし、世界に光りが戻ったという)
(アマテラスオオミカミが隠れたと伝えられる「天岩戸」をご神体として祀っている西本宮を参拝)
(神門)
(神社の人が案内してくれました)
(拝殿:菊のご紋章)
(神楽殿)
(扉の向こうにはご神体「天岩戸」がある)
本殿の横にある扉をくぐると写真撮影禁止のご神域。
岩戸川越しに奥の方にご神体の「天岩戸」があると説明されました。しかし誰もご神体に近づいたことはないとのことで、木や草が生い茂っていてよく見えませんでした。
★パワースポット「天安河原」★
一度神社の境内を出て、土産物屋などが並ぶ道を歩いてパワースポット「天安河原」へ。
岩屋の奥に隠れてしまった『アマテラスオオミカミ』をどうやって外に出すか神々が集まって相談したといわれるところです。
(岩戸川:流れが急になっている箇所もある)
( 河原にたくさん積まれた願いごと)
(「天安河原宮」)
(鳥居のある洞窟「仰慕窟」)
八百万の神を祀る「天安河原宮」では、“身体一杯にパワーを吸い込むつもりで”と言われていたので、みんなが真剣な表情でパワーを浴びている写真を写そうとしたら、デジカメのメディアが満杯。
予備に持ってきたデジカメで撮影しようとしたらいきなり、デジカメがガタガタ震えだしました。
ガタガタ震えるふるえるデジカメのシャッターを押すと
心霊写真みたい・・・
デジカメがパワーを浴びて、何かが降りてきたのか?
実は、これはこのデジカメの持病?
どうやら部品の不都合で時々こういう現象がおきるらしく、そのうち修理に出さなければいけないのです。でもこのときの症状はいつもより重篤で、回復するまでに数日かかりました。
(口蹄疫の被害蔓延に震える宮崎県知事を暗示?)
土産物屋の店頭には宮崎県のPRマン(?)東国原知事の写真やキャラクター商品が目立っていましたが、牛に発生した口蹄疫騒動で「宮崎牛」ブランドは壊滅的な打撃を受けて存亡の危機とか。
国産牛を愛するひとりとして一日も早く事態が沈静化することを祈るだけです。
ボストン美術館展を鑑賞・・・2010年の東京は、印象派・ポスト印象派展の当たり年 [私的美術紀行]
(ボストン美術館展のチラシより)
★ゴッホは「オーヴェールの家々」を描いた1890年に亡くなった★
GWのさなか、六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで開催中の「ボストン美術館展」に行ってきました。
連休前に九州旅行に出かけたのでGWは遠出を自粛して自宅に籠もっていたものの、雨の4月とは様変わりの好天気に思わず家を飛び出してしまいました。
しかし都心も人出が多く、チケットを購入して52階のギャラリー入口に辿り着くまで20分以上かかり、大混雑の会場内で人混みを掻き分けて名画のタイトルと解説ボードを読むのもひと苦労でした。リタイア生活の私ひとりで鑑賞するなら連休のさなかには行かないのですが、ボストン美術館は10年前、まだ大学生だった娘と一緒に訪ねているので混雑を承知で決行したのでした。
(ボストン美術館展のチラシより)
★レンブラントに、高額の制作費でほぼ等身大の2点1対の全身肖像画を発注したのはアムステルダムの上流市民:
この作品が描かれた1934年、レンブラントは名門の令嬢サスキアと結婚して大豪邸に住むようになった★
今回は、世界屈指の美の殿堂ボストン美術館が誇るヨーロッパ絵画コレクションから、16~20世紀の選りすぐりの油彩画80点が、肖像、宗教、日常生活、風景、静物など8つのテーマに分けて展示されていましたが、“確かにボストンで見たことがある”と確信できた作品はそんなに多くありませんでした。
あの時は、美術館巡りの初心者だったとはいえ、美術館のガイドブックで予習してから鑑賞したはずなのに、記憶力の低下なのか、もともとキャパが少ないのか・・・・・・
(ボストン美術館展のチラシより)
ボストン美術館は、世界有数のモネ・コレクションで有名ですが、今回は風景画10点を含む11点が来日。増改築工事期間中の貸し出しだから実現した品揃えといえるでしょう。
(「ルノワール展」チラシより)
ボストン美術館は、4月まで六本木の国立新美術館、現在大阪で巡回展を開催中の「ルノワール展」の目玉作品「ブージヴァルのダンス」も日本へ貸し出し中です。
国立新美術館では、「ルノワール展」に引き続き、5月26日からは「オルセー美術館展2010―ポスト印象派展」、10月には「没後120年 ゴッホ展」が予定されています。
実は、今年はボストン美術館だけでなくパリのオルセー美術館も1986年の開館以来初となる大規模な改修工事中。改修費用をまかなう目的もあって、主要な作品を海外に貸し出ししています。中でも、印象派・ポスト印象派の作品の人気が高い日本市場は、海外の美術館にとっておいしい貸出先なのかもしれません。
(「マネとモダン・パリ」展チラシより)
オルセー美術館とボストン美術館は、4月、丸の内に開館した「三菱一号館美術館」の開館記念展「マネとモダン・パリ」展にも核となる作品を貸し出しています。
国立新美術館で20007年に開催した「大回顧展モネ」には同館最多記録の70万人が入場し、今年4月までの「ルノワール展」も33万人を集めて4位になっています。
なぜ、日本では、印象派・ポスト印象派の人気が特に高いのでしょうか?
今では美術館巡りや絵画鑑賞が趣味と公言している私も、美術史や画家の生きた時代やテーマ、作品が描かれた背景などに関する知識が乏しかった頃に鑑賞した印象派より前の名画の理解は表面的でした。もう一度鑑賞することができるならば、自分にとって興味深い発見があるかもしれないのにと思うことがしばしばあります。特に西洋絵画鑑賞に避けて通れない聖書の名場面やギリシャ神話に対する知識は私に限らず多くの日本人に共通する弱点と思われます。
その点、予備知識がなくても自然体で気軽に鑑賞できる印象派やポスト印象派は日本人向きの作品が多い
といえましょう。大量動員が見込める印象派・ポスト印象派の展覧会は、美術館と展覧会を共催する新聞社やテレビ局にとっても魅力あるコンテンツということで、今年のように企画が目白押しという現象がおきるのでしょう。
印象派・ポスト印象派関連の展覧会は、京橋のブリヂストン美術館でも「印象派はお好きですか?」を開催中。今年9月には「ドガ展」が横浜美術館で開催予定です。
私の絵画鑑賞の原点は、小学生時代に見たルノワールの絵でした。鑑賞眼は一流の作品を見ることで養われるのですから、西洋絵画好きでなくても名作揃いのこの機会に美術館へ足を運び実物を間近に鑑賞してはいかがでしょうか。
★ボストン美術館展の絵はがきより★
モネ「庭のカミーユ・モネと子供」(1875年)
中産階級の心温まる家庭像を表していますが、この作品が描かれた1875年、モネの長男は8歳で次男はまだ生まれていませんでした。
モネ「アルジャントゥイユの雪」(1874年頃)
モネと妻のカミーユと幼い息子は1871年末に、パリまで鉄道で10キロほど、南に1区画ほど歩けばセーヌ川の岸辺に至ると言う魅力的な立地のアルジャントゥイユに居を構えました。
モネ「ジヴェルニー近郊のセーヌ川の朝」(1897年)
1883年、ジヴェルニーの広大な敷地を持つ借家に移り住んだモネは、1890年それまで借りていた土地と家を正式に購入して庭園の造成に情熱を傾けるようになりました。
この作品が描かれた場所は、ジヴェルニーのモネ邸を流れるリュ川に繋がるエプト川がセーヌ川と合流する地点で、モネはそこにアトリエ代わりの平底船を停泊させていました。
モネは、場所を厳密に固定し、時間も日の出前後のごく限られた時間帯にしぼって、同一主題の作品を複数制作したようです。
セザンヌ「池」(1877-79年頃)
印象派より革新的な作品を描いたセザンヌが評価され始めるのは50歳過ぎ。セザンヌは厳格な父の経済的援助を得るため、内縁の妻と子ども(1972年生まれ)の存在を父には隠し通したといいます。この作品が描かれた1877-79年頃、セザンヌは妻子のいるパリと実家のあるエクサン・プロヴァンスを行ったり来たりしていました。そんなエピソードを知ると、この作品はセザンヌが思い描く“休日の家族風景”にもみえてきます。
- 作者: 有地 京子
- 出版社/メーカー: 角川マガジンズ
- 発売日: 2008/06
- メディア: 単行本
◆西洋絵画の知識をもっと深めたいと思われる方には、私もしばしば受講している有地京子先生の美術解説セミナーをおすすめします。
先生の著書「名画の秘めごと―男と女の愛の美術史」は、大胆なタイトルにちょっとびっくりしますが、私も食わず嫌いだったギリシャ神話が楽しく勉強できる読み物です。
もちろんギリシャ神話だけでなく、画家の知られざる素顔などのエピソードがたくさん紹介されているので、絵画鑑賞の楽しみが増えると思います。
阿蘇山への旅 その2・・・・・・・雄大な阿蘇の山々からの恵みの水 [街あるき]
(「白川水源」:
湧水池の各所から水が湧きあがっているのが見えました)
(白川水源は、南阿蘇村にあります)
雄大な阿蘇の山々に降った雪や雨が長い歳月をかけて清らかな水になる・・・・・・
おいしい水に恵まれた熊本の中でも、一級河川「白川」の源である「白川水源」の湧水量は毎分60トン。
(”神の水”は、浜の真砂のように尽きることがない?)
入場時に環境保全のための協力金100円が必要ですが、ペットボトルやポリタンクに“神の水”を持ち帰ることができます。「日本の名水百選」に選ばれた湧水池の水を私もひしゃくで汲んで味見しましたが、くせがなく口当たりのよい程よく冷たい水でした。
(白川エリアの水源巡りウォーキングは2時間コース)
(田園地帯に出現する観光名所「通潤橋」:
右手の森の手前に見える水道橋)
(五老ケ滝川に架かる「通潤橋」:
長さ75.6メートル、高さは20.2メートル、
アーチの半径は27.2メートル)
九州の真ん中、熊本県山都町にある「通潤橋」は、江戸時代、水の便が悪く水不足に苦しんでいた白糸台地の農民を救うために建設された水道橋。
嘉永7年に時の惣庄屋、布田保之助が“肥後の石工”たちの持つ技術を用いて建設した日本最大級の石造りアーチ水道橋は今でも周辺の田畑を潤しています。
(「通潤橋」の上部からの眺望:棚田がみえます)
通水管に詰まった堆積物を取り除くために行われていた放水が今では観光放水として人気があり、私たちも正午の放水時間に合わせて見学に行きました。
「通潤橋」は、逆サイフォンの原理で橋まで落とした水を水圧で押し上げるから、栓を抜けば水が噴き出し、その先の高台(白糸台地)にも水を送ることができるのです。
(木製の太い栓を外すと水が勢いよく放水される)
観光放水は、土・日・祝日の正午から行われますが、間近でみた放水の瞬間は大迫力でした。灌漑用の橋であるため田植期には放水は実施されませんが、予約制の有料放水もあるようです。
(橋へ上がる通路から見た放水)
(左右の栓が外される観光放水は15分間)
橋の上から放水が始まる瞬間を見た後、下まで降りて見学しましたが、同行者が一人、田圃のぬかるみにはまって足首まで泥だらけになってしまいました。
見学場所の周辺には棚田もあるので足下には十分な注意が必要です。
阿蘇山への旅 その1・・・・・・”火の山”の脅威と向き合い自然風土を守る暮らし [街あるき]
(噴煙をあげる阿蘇中岳)
(阿蘇山からの眺望)
連休を前に学生時代からの仲間と一緒に”火の国熊本”の秘湯に泊まり、阿蘇山とその周辺を観光する二泊三日の旅に出かけました。今回は、先輩が幹事となって旅程などを企画してくれたので私は何も考えずに“おまかせツアー”に参加する気楽な旅でした。
到着した日に熊本市内観光、翌日は高千穂峡まで足をのばし、お目当ての阿蘇山観光は3日目でした。
熊本方面は初めてだったので、事前に銀座熊本館で観光パンフレットなどの資料を入手して少しは予習しましたが、実際に行ってみると阿蘇山のスケールの大きさは想像以上のものでした。
(俵山峠展望所から見た噴煙をあげる阿蘇山)
阿蘇山とは、高岳、中岳、根子岳、烏帽子岳、杵島岳の「阿蘇五岳」の総称で、カルデラ(東西約17㎞、南北約25㎞、面積約350K㎡)の外側にはなだらかな火砕流台地によって外輪山が形成されています。阿蘇エリア外輪山の大部分は「阿蘇くじゅう国立公園」に指定されており、豊かな自然環境の中に多くの温泉や観光スポットが点在しており、とても一日では周り切れません。
(青いガスが右手に流れていると近づけない)
世界最大級のカルデラの中で今も噴煙をあげている中岳火口は、活火山でありながら「阿蘇山ロープウエー」や有料道路利用で簡単にアクセスして火口縁間近まで見学できる阿蘇観光最大の目玉として有名です。
残念ながら私たちが訪れたときは風向きが悪く、ガス濃度基準オーバーによる立入り規制中でした。周辺に溶岩がごろごろし、“活火山ならではの大迫力”という湯だまりを見学することができませんでしたが、ぜんそくの持病があると低濃度のSO2でも発作を起こすというので要注意です。
阿蘇山は有史以降、火口から溶岩流が流れ出た記録はなく、草千里や山麓の人家などで地元住民の方が被害にあったという報告はないとのこと。しかし、昭和以降中岳火口までの道が整備されたことにより、誰でも簡単に火口縁まで行けるようになったため、火口付近に近づいた観光客などが被災する事故が相次ぎました。噴石や火山ガスによる被害を防ぐために、現在中岳火口周辺はガス自動測定装置が設置され、ガス濃度が一定以上を検出すると立入りが規制されるようになっています。
(→阿蘇山火山防災連絡事務所の西火口規制情報)
(草千里ケ浜)
(放牧場へ運ばれるあか牛)
阿蘇の風物詩である草千里では放牧されたあか牛たちがのんびり草をはみ池の水を飲んでいましたが、この緑豊かな大草原を維持するため毎年早春に『野焼き』を行うことで、家畜に有害な虫を駆除し、灌木のはえない美しい草原を保っているとのこと。
『野焼き』実施前には消火隊を養成し、延焼を防ぐ『防火帯』を設けるなど入念な準備をしても、天候条件の急変などで予想外の飛び火による事故がおきる可能性はあるし、実際に他のエリアでは火災や煙による死者のニュースもありました。何百年にもわたって阿蘇の美しい草原を命がけで守ってきた伝統行事ですが、近年は『観光野焼き』が行われる一方で、高齢化による人手不足も問題になっているようです。
(集落単位の放牧場:
ご近所の牛さん達は一カ所に集まるのが好き?)
(宿の夕食で食べたあか牛のステーキ:
バターの風味と相性抜群)
また、広い草原で放牧される阿蘇特産のあか牛は、日本人の好きな霜降り肉でなく身が引き締まった肉質になるため子牛の高値売却は望めないそうで、年寄りの小遣い稼ぎ程度の小規模な農家が多いとか。
(仙酔峡ロープウエー頂上付近:
久留米から来た高校生は徒歩登山。)
さて、火口への「阿蘇山ロープウエー」をあきらめた私たちは5月のミヤマキリシマ(ツツジ)で有名な「仙酔峡ロープウエー」に向かいました。しかし、ツツジの見頃には2週間くらい早く、ロープウエーから眺めるピンク色の“花の絨毯”は幻に終わりました。でも溶岩ばかりで草木も生えない火山の風景は一見の価値がありました。
(空港に向かうバスの車窓から見た俵山:
「あそにしはらウインドファーム」の風力発電用風車がみえる)
マイレージ特典で確保した航空便の都合で、私だけ仲間とは別れて宮地から空港へのバスに乗りました。皆はやまなみハイウエイをドライブして阿蘇山観光の絶景スポット「大観峰」から阿蘇五岳の眺望を満喫したはずです。
ところで今回実現できなかった観光はいつ実現できるでしょうか・・・・・・