ワシントン・ナショナル・ギャラリー展から・・・・モネと家族の肖像 [私的美術紀行]
展覧会チラシ:★マネ「鉄道(サンラザール駅)」1873年★
パリの鉄道は、新時代の象徴として多くの画家がテーマとしてとりあげているが、当時マネはこの駅近くにアトリエを構えていた。左手奥、柵越しにアトリエの扉が見えている。
マネは印象派の先駆者といわれるが、サロンへの出品にこだわり続けた。しかし、煙を上げて走り出す汽車を柵越しに眺める少女と母親らしき女性を描いた本作品はサロンでは酷評された。
※本展覧会のチラシには、モネの「日傘の女性」バージョンもある
国立新美術館で開催中の「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」を見てきました。
12世紀から現代にいたるまでの西洋美術コレクション12万点を所蔵し、世界有数の規模と質を誇るワシントンDCにあるこの美術館を私は残念ながらまだ訪ねたことがありません。
美術館の創設者である実業家アンドリュー・メロンの発案と資金力で、アメリカの威信をかけて創設された国立美術館ですが、その所蔵作品はすべてメロンとその志に賛同した一般市民からの国への寄贈によるもの。ルーヴルやプラド、ウフィッツィなどヨーロッパの大きな美術館が歴代の君主や王侯貴族のコレクション、戦利品などをベースにしているのとはなりたちが異なるのです。
展覧会チラシ:(上段左から時計回りに)
★モネ「ヴェトゥイユの画家の庭」1880年★
★ルノワール「ポン・ヌフ」1872年★
★ゴッホ「自画像」1889年★
★カサット「青いひじ掛け椅子の少女」1878年★
★セザンヌ「赤いチョッキの少年」1888-1890年★
★ゴッホ「薔薇」1890年★
昨年日本で展覧会が開催されたボストン美術館も、当時パリでは認められずにいたバルビゾン派や印象派の作品の収集で知られていますが、このワシントンも印象派・ポスト印象派コレクションの質が高いことで知られています。今回の展覧会は、美術史において印象派やポスト印象派を語る上で欠かせない傑作の数々が貸し出されたとのことで、展覧会の宣伝コピーは、
「印象派・ポスト印象派 奇跡のコレクション、これを見ずに、印象派は語れない」
出品された83点の作品から、「モネと家族」をキーワードに私が選んでいくつかご紹介します。
モネは、最初の妻カミーユや子供たちをモデルにした作品を数多く残していますが、印象派の画家たちとは家族ぐるみのつきあいがありました。特に生涯にわたって親交の深かったルノワールは、モネの家をしばしば訪れ、モネや家族たちを多くの肖像画に描いています。
ルノワールは、30代半ばから印象派と離れますが、モネとの友情は生涯変わらなかったそうです。
参考★モネ「長椅子、瞑想のモネ夫人」1871年★
(オルセー美術館蔵)
Photo by 日本経済新聞社「ORSAY1999」より
★モネ「揺りかご、カミーユと画家の息子ジャン」1867年★
2007年の「大回顧展モネ」にも来日した本作品だが、その展覧会の図録によると、”モデルの女性は特定されておらず、カミーユとする説もある。しかし、ボンネット、質素な服装から、この女性は乳母だと考えるのが妥当だろう”とある。
この時期、モネは生活費を切りつめるため、身ごもっていた恋人カミーユをパリに残し、ひとりサン・タンドレの家族のもとで暮らしていた。8月8日にジャンが誕生した後、モネは二人に会いにパリに戻っているのでこの作品はその時に描かれたものと思われる。
生活に困窮している人が乳母を雇うか?という素朴な疑問もあるのだが、モネが生活に困窮というのあくまでも『ブルジョワ階級としての生活の維持が困難』という意味である、と図録の執筆者・訳者の味岡京子氏は書いている。
さて、真相は?
なお、モネとカミーユはこの絵が描かれた約3年後に正式に結婚
★ルノワール「モネ夫人とその息子(ジャン)」1874年★
アルジャントゥイユのモネの家には時折マネもやってきた。
ある日好天に誘われて庭でポーズするカミーユとジャンをマネが描いているとルノワールが遊びに来た。
モネから絵を描く道具一式を借りて制作したのが本作品。
絵の具の塗り方など、ほぼマネの手法で描かれた作品からは、モネ夫人と息子のくつろいだ雰囲気が伝わり、幸せな時代のモネ一家の様子がうかがえる。
参考★モネ「庭のカミーユ・モネと子ども」1875年★
(ボストン美術館蔵)
2007年に続き昨年の「ボストン美術館展」でも来日した本作品は中産階級の心温まる家庭像を表現しているが、制作年代からみて子どもはモネの息子ではない。
(ジャンは当時8歳になっており、次男ミッシェルはまだ誕生していない)
★モネ「日傘の女性、モネ夫人と息子(ジャン)」1875年★
屋外の人物像は、モネが1860年代から取り組んだテーマ。
逆光の中にカミーユと息子のジャンの姿が浮かび上がり、風のそよぐ音までも聞こえてきそうな軽快なタッチの作品。
モネは外光における人物の試みの作品として、10年ほど後に右向きと左向きの2点1対で制作している。
参考★モネ「(右向きの)日傘の女性」1886年★
(2007年の「モネ大回顧展」、「オルセー美術館展2010」で来日した作品)
この作品のモデルは、モネのお気に入り18歳のシュザンヌ(オシュデ夫妻の三女)で、場所はジヴェルニー近くのセーヌ川の中の島の土手の上。
★モネ「ヴェトゥイユの画家の庭」1880年★
ひまわりが咲き乱れる庭で遊んでいるのは、次男ミッシェル(手前)とオシュデの子どもたち。
1876年の夏頃にモネの支援者として知り合ったオシュデがその翌年破産。
健康が悪化していたカミーユが、1978年3月に次男ミッシェルを出産。
モネは、その年の8月にオシュデ一家を連れて総勢12人でヴェトゥイユに移り住んだが、カミーユは健康がますます悪化しオシュデの妻アリスが実質的な主婦の役割を果たすようになった。
本作品は、1879年9月にカミーユが32歳で亡くなった翌年に描かれている。
カミーユの死後、アリスを巡ってモネとオシュデの関係は複雑になるが、モネがアリスと正式に結婚したのはオシュデが亡くなった翌年の1892年。モネは52歳になっていた。
大家族で生活していたモネですが、再婚した妻アリスの娘で、「(左右1対の)日傘の女性」のモデルとなったお気に入りのシュザンヌが急逝したり、71歳の時には妻アリスに、74歳の時には長男のジャンにも先立たれる不幸に見舞われます。最後までモネの世話をしたのはアリスの娘ブランシュでした。
印象派の作品は予備知識なしに見ても楽しめる作品が多いのですが、画家その人についてのストーリーを知ると作品鑑賞がもっと楽しくなると思います。