ありがとう、“浦和(レッズ)の親父・森孝慈さん”、これからもレッズを見守ってください [サッカー]
★23日の試合会場には、森孝慈さんの献花台が設けられ、
別れを告げるサポーターが数多く訪れた★
★森さん、浦和レッズをこれからも見守ってください。
私たちも森さんの笑顔をいつまでも忘れません・・・・
献花台は、サポーターが持参した色とりどりの花束で埋め尽くされていました★
メキシコ五輪銅メダルリストのひとりで、サッカー日本代表監督や浦和レッズの初代監督、GMなどとして日本サッカーの隆盛とJリーグ、浦和レッズの発展に長年尽力された森孝慈さんが先日67歳で急逝されました。退任後も試合でスタジアムを訪れた森さんの笑顔にもう会えなくなるなんてとても残念です。
訃報を受けてレッズの選手たちが喪章をつけて試合に臨んだアウエイ、ジュビロ磐田戦では1点のリードを守りきれず今季9回目の引き分けとなってしまい勝利を捧げることはできませんでした。
しかし、試合開始前に会場で黙祷を捧げた23日のホーム甲府戦では、前半早々と退場したGK加藤にかわって森さんが11人目の選手としてゴールを守ってくれたのか今季4勝目のうれしい報告ができました。
昨年2季目のフィンケ監督の下で下位に沈んだレッズは、ペトロヴィッチ新監督で心新たにスタートした今季もこれまで思うような結果がでていません。このままでは降格圏からの脱出が今季の最大目標になりかねない状況に加えてホーム観客動員数減少がとまりません。レッズのこんな不甲斐ない現状に、病床にあった森さんは誰よりも心を傷めていたに違いありません。
★93後期シーズンの最終節、G大阪に2-0で勝利し
サポーターに挨拶しながら場内を1周する森さん。
試合に負けても言い訳をしない監督でした
(93.12.15駒場)★
:Photo by MDP
思いおこせば、森さんが監督だったJリーグ元年(93年)のレッズは誤算と不運に翻弄され、1st.ステージは3勝15敗で最下位。18試合でわずか11得点という得点力不足に泣きました。こんな成績でもレッズサポの応援は熱く、当時ホームだった駒場スタジアムのチケットを取得するのは至難の業。森さんは人望も厚く監督個人のチャントもありました。
私がようやく生で試合を観戦できたのはアウエイのジェフ戦(93.11.17、国立)でした。前節まで10連敗だったレッズがなんと3-2で勝利しサポーター席は大興奮だったのを今でもよく覚えています。
しかし結局、2nd.ステージも5勝13敗の連続最下位となり森監督は退任となってしまいました。
その後森さんは、レッズを離れて横浜FMのGMや福岡の監督などを歴任され、2002シーズンからレッズのGMとして復帰されました。森さんがGMだった時代(~2006.1)のレッズは、まさに黄金期で03年のナビスコカップ優勝、04年Jリーグ2nd.ステージ優勝、天皇杯優勝とタイトル獲得が続きました。
★森さんがGMに就任して2年目のシーズン、レッズにとって
初タイトルとなるナビスコ杯に優勝(03.11.3国立)★
森さんは、後列右から2人目。
:Photo by MDP
★04シーズンは2nd.ステージ優勝★
森さん自身の思いでもたくさん詰まった駒場
スタジアムで、レッズは試合には負けたが
優勝を決めた(04.11.20)
2列目左から2人目が森さん。
左端は、現在日本サッカー協会女子部長の中村修三氏。
:Photo by MDP
★天皇杯初優勝で喜ぶ選手、スタッフを見つめ
感無量の森さん(左)と犬飼代表(当時)
(06.1.1、国立)★
この優勝によりレッズのアジアへの道が拓けた。
:Photo by MDP
森さんの退任後も、06年度リーグ&天皇杯優勝、07年はACL優勝で、レッズサポとしては、“優勝グッズ貧乏”などという嬉しい悲鳴の時期もありました。
選手の入れ替わりもあり森さんの時代に築かれた基盤も変化し、ホームスタジアムも駒場から6万人規模のさいたまスタジアムになったことで、チケット入手が困難ということもなくなりました。連敗続きのお荷物チームといわれた時代のレッズを知らないサポーター、ファンも増えていると思いますが、ゴール裏に空席が目立つ試合があるのは寂しい限りです。
★甲府戦終了後、アフターレッズバーで、
サポーターたちは久しぶりの勝利の余韻にひたりながら森さんを偲んだ★
甲府戦の試合終了後は、久々に“次もまたスタジアムで応援したい”と思いながら家路につくことができましたが、連勝街道を歩むことで早く降格ゾーンから脱出して天国の森さんを安心させて欲しいと思います。
世界女王の栄冠は「なでしこ」に輝いた・・・・日本女子サッカーW杯制覇! [サッカー]
サッカー日本女子代表「なでしこジャパン」が、FIFAランキング1位のアメリカとの決勝戦でPK戦までもつれこむ壮絶な試合を制し初優勝しました。
おめでとう、そしてありがとう!
東日本大震災と福島原発の放射能漏れ事故の影響による不安と電力不足などが続き、沈んだ気分から抜け出せなかった日本人に大きな希望と勇気を与えてくれた「なでしこジャパン」の皆さんに感謝です。
★PK戦直前の熊谷紗希選手(浦和→フランクフルト)
:7月から移籍するドイツへの挨拶は優勝を決めたPK★
★フランクフルトのスタジアムには48,817人の大観衆、
準々決勝で敗れたドイツ人も日本にエール。
日本では未明の時間帯にもかかわらず、テレビ中継は
ゴールデン並の高視聴率。
午前6時以降は天皇・皇后両陛下もご観戦★
アメリカに先制され、宮間のゴールで追いつくも、延長戦で再びリードされる苦しい展開。
敗色濃厚かと思われた延長後半12分、キャプテン・澤穂希の奇跡のゴールがうまれたのです。世界ランキング1位で3大会ぶりの優勝をたぐり寄せたと思っていたアメリカにとっては信じられない結末だったに違いありません。
★試合開始前の記念撮影時のアメリカチーム。
自分たちの優勝を確信している余裕の?笑顔★
★「なでしこジャパン」、自分たちの力を信じて・・・・★
★後半から交代出場したアメリカのモーガン:
1ゴール1アシストの大活躍に加えて、延長後半間際に
石清水が一発退場で止めざるを得なかった突破力に
日本は苦しめられた★
★抜群のキック力の宮間選手の足から生まれた2ゴール:
いわば”日本代表・遠藤保仁選手”の女性版★
★チーム一丸での勝利をもぎとった「なでしこジャパン」
:最年長のGK・山郷のぞみ選手は、対戦相手の分析で
GK海堀選手を支えただけでなく、延長戦前には自ら
澤選手の足をマッサージ★
★アメリカの主砲ワンバック選手(愛称・アビー)を
延長前半の1ゴールだけに抑えた守備力が勝因★
★CKにヒールであわせた澤選手執念のゴールは、
相手GKの治療中にキッカー宮間と澤&阪口選手の
緊急会議?(青い線で囲んだ3人)から生まれた★
★同点ゴールを決めて笑顔の澤選手:
5ゴールで大会得点王にもなった★
★延長戦でも決着がつかず、PK線へ突入。
決勝戦の主審、ドイツのシュタインハウスさんも
驚異のスタミナの持ち主?★
★PK対決は、ここまで日本2-1。
次に蹴る日本4番手のキッカー熊谷選手が決めれば
日本の優勝が決まる・・・・★
★女子No.1GKといわれるアメリカのソロ選手と
目を合わせないように深呼吸する熊谷選手★
★熊谷選手の蹴ったボールがゴールに吸い込まれ、
「なでしこジャパン」に歓喜のときが訪れた★
★優勝が決まり、佐々木則夫監督に抱きついて喜ぶ澤選手★
★インタビューを前に、スタンドにお母さんの顔を見つけて笑顔が弾ける澤選手★
さて、世界女王になったことで世界中から注目される存在になった「なでしこジャパン」ですが、チームの大黒柱・澤選手は、来年のロンドン五輪でもメダルを目指して頑張る決意を表明。
次のステップに進むなでしこたちの今後にも注目していきたいと思います。
(写真は、フジテレビ生中継映像より)
なでしこジャパン・澤穂希ちゃん、フランクフルトで大輪の花を咲かせて! [サッカー]
★ゴールを決めて喜ぶ澤穂希ちゃんの笑顔、
また見たい!★
女子サッカーW杯ドイツ大会で日本が初めて決勝に進出。
相手は、世界ランキング1位のアメリカです。
何度もアメリカという大きな壁にぶちあたっては砕けてきた日本女子サッカー界に歴史的瞬間が訪れるまであとわずか。ここまで来たら、絶対金メダルが欲しい!
★何度でも見たい!
ゴールに喜ぶなでしこたち★
★チーム全員でもぎとったW杯のメダル。
笑顔美人のなでしこたちを
金色のメダルで飾ってあげたい!★
(以上の写真は、NHK・BS放送の映像より)
これまで難攻不落のように見えたドイツを延長までもつれ込みながら1-0破り、準決勝ではスウェーデンに先制を許しながら3-1で逆転勝利。
15歳の時から日本代表として女子サッカー界を引っ張ってきた澤穂希選手5回目のW杯挑戦で、夢のメダル獲得が現実のものになりました。
★フランクフルト・レーマー広場★
私たちにできることは、選手たちを信じ、ドイツ・フランクフルトの会場まで力の限り応援している気持ちを届けることのみ。
★フランクフルトは緑も多くくつろげる街
スタジアムは写真の手前側にあります★
頑張れ!なでしこジャパン!
澤穂希ちゃん、あなたの笑顔を何度でもみたいです。
サッカー「なでしこジャパン」、W杯でドイツに勝利・・・・”女子力”は逆境に強い! [サッカー]
★高橋陽一先生作の「楓ちゃん」のキャラクターは
澤穂希がイメージ★
★「苦しいときは私の背中を見なさい」という
澤穂希さん、君についていこう!★
女子サッカーW杯ドイツ大会で、なでしこジャパンが3連覇を狙うドイツを破り準決勝に進出という快挙です!
★「君が代」が流れる中、『海外組』は何を思う?
(左から)永里優季、安藤梢、熊谷沙希、鮫島彩の各選手★
今回のなでしこは、開催国ドイツでプレーする選手が二人(デュイスブルク・安藤梢とポツダム・永里優季)いるし、これからドイツに移籍する選手(浦和→フランクフルト・熊谷沙希)もいるので結構いけるのではないかと私は思っていました。とはいえ、日本は一次リーグの最終戦でイングランドに破れて二位通過となり、準々決勝の相手がW杯3連覇を狙うドイツとは何とも残念だと思ったのも事実です。
女子サッカーの勢力図は男子と異なり、2011.3.28付の世界ランキング1位はアメリカ、2位はドイツ、3位ブラジルと続き、日本は4位なのです。女子のランキングは評価方法も男子と異なりますが、男子では世界ランクキング1位のスペインも、女子は18位でこの大会には出場していません。
日本は、ランキングは4位ですが、体格的には他の強豪国と比較して明らかに小柄。ドイツには実力、体格とも劣る日本はこれまで一度もドイツに勝ったことはありませんでした。
★日本代表・長谷部にとってこの日の試合会場はホームグランド★
私は、当初の予定では日曜未明の試合をライブで見るつもりはなかったのですが、試合会場を本拠地とするヴォルフスブルク所属の”日本代表キャプテンの長谷部が生出演”というのにひかれて生中継をみてしまいました。
日本時間3時45分キックオフの試合は、連日の猛暑の疲れで睡魔と戦いながらのテレビ応援です。
先発メンバーはおなじみの顔ぶれですが、大会直前の練習試合で頭部に5針縫う怪我をして先日まで包帯姿だった熊谷沙希ちゃん以外は160センチそこそこの小柄なDF陣が頑張って前半を0-0でしのいだので、少しだけ希望をもって後半に。
しかし、ボールは回せても殆ど決定機が作れない日本に対し、再三ゴールを脅かす大柄なドイツ。なでしこたちは、組織的かつ速い戻りで相手選手に身体を寄せて自由にさせない懸命のディフェンス。
地元ドイツを応援する観客席と日本選手はカードをもらうことがあっても、ファウルはもらいにくい状況など、審判も含めて圧倒的なアウエイ環境の中、日本は何度も幸運にも助けられ双方ゴールを割れないまま延長へ。
交代出場の丸山桂里奈と18歳の岩淵真奈もなかなか思うように攻撃できないなどで日本に得点の匂いがせず、テレビの前で眠気と戦いながら声援しているうちに、このままPK戦までいくのかななどと思ったりもしました。
お互いに体力を消耗する中で、なでしこの精神的支柱・澤選手が足を傷めてうずくまったときは万事休すかと思いましたが無事プレー続行。
そんな時に岩淵のボールを受けた澤のラストパスから生まれた丸山選手の“サッカーの神様からのプレゼント”のようなゴール(延長後半3分)に眠気も一気に吹っ飛びました。
それにしても試合終了までの”長い時間”、ドイツの猛攻にホントによくぞ耐えてくれました。
★試合終了後、ドイツ選手をねぎらう阪口ら日本代表★
(写真は、NHK・BS放送の映像より)
試合終了後、疲労困憊でしゃがみ込むドイツ選手たちの無念そうな表情と対照的に元気いっぱいだったなでしこたちのりりしい姿に胸が熱くなる思いでした。
ドイツ戦を前に佐々木監督は、東日本大震災の悲惨なニュース映像を選手たちに見せてモチベーションアップを図ったといいます。この日、決勝ゴールを決めた丸山選手と身体を張って守ったDF・鮫島選手のふたりは、東京電力に所属していましたが、福島原発事故の影響で所属チームも変わっています。さらに、鮫島と熊谷両選手は仙台の常磐木学園出身なのです。
さて、準決勝の相手はスウェーデン。今度も“日本が未勝利で大柄な選手たち”相手ですが、日本はドイツ戦と同じように自分たちのサッカーができるコンディション作りに成功すればきっと勝ちます!
男子が惨敗した北京五輪で4強に食い込んだなでしこたちは、3位決定戦に敗れてメダルを逃して悔し涙を流しました。
逆境に咲くなでしこたちよ、北京五輪の悔しさをバネにW杯で優勝を!
政局ばかりで復興がなかなか進まず、経済の見通しも先行き不透明の日本列島に爽やかな風を吹き渡らせてくれることを願っています。
原村の小さなホール裏方日記:チェロ奏者藤村俊介さんの「私的公開チェロ講座」 [原村の小さなホール]
小林節子さんが主宰する信州・原村のリングリンク・ホール恒例の音楽イベント「藤村俊介チェロ演奏会」が先週末開かれました。
★原村のペンション・ビレッジにはオープンガーデンの
美しいお庭がたくさんあります★
★リハーサル風景★
例年より遅く7月の開催となりましたが、小さなホールの裏方生活5年目の私も“梅雨の最中の猛暑”の東京から“緑の原村”へ。今年は、打ちあげの料理はプロにお任せとのことで、リハーサルから本番までじっくりと演奏を聴かせていただくことができました。
今年も奥様がピアノ演奏をなさいましたが、8歳の長男、俊くんがなんと初演奏するというサプライズ企画があるとのこと。演奏会が始まる前からスタッフもいつもより若干ハイテンションです。
★N響次席チェリストの藤村俊介さんの演奏会は
リングリンク・ホールにとって初夏の恒例イベント★
今年は演奏の機会がとても多かったという「G線上のアリア」、「アヴェ・マリア」(バッハ)から演奏会は始まりました。サプライズ企画のことはお客様にお知らせしていないので、俊くんの楽器も俊くんも姿は見せません。
藤村さんお約束の“お楽しみトーク”は、 3曲目の「フォーレ:夢のあとに」演奏前の楽曲解説でした。この曲は、何度も演奏しているのに改めて(もともとは歌曲の)対訳を読み返してみたら『別れた恋人との素晴らしい思い出』はネガティブではなく、「ミステリアスな夜をもう一度!」などとかなりポジティブな心情の詩であることがわかり、曲のイメージが変わってしまったとのこと。
昨年もリングリンクで演奏されていた「夢のあとに」は、歌の意味を知ってからは2度目という演奏でしたが、次に演奏された「エルガー:愛のあいさつ」というヴァイオリン演奏でおなじみの曲もタイトルがなかなか意味深ですね。
ロマンチックな2曲の演奏が終わると、いよいよ本日のサプライズ企画の発表です。
「最近カルチャーセンターなどでもチェロの指導をするようになったのですが、本日は習い始めて3カ月の息子を題材にした公開講座と思ってください」
約50名のお客様のあたたかい拍手に迎えられて小さな主役が登場しました。
息子のデビューに心配そうな表情のお母様とお父様にはさまれた俊くんは思ったよりリラックスした表情でしたが、お父様との合奏で譜面を凝視する目は真剣そのものでした。
お父様も子ども時代に使っていたという1/2サイズのチェロを弾く俊くんですが、音を正確にとるポジショニングはともかく、ボーイングは習い始めて3カ月の子どもにはとても見えませんでした。いつもリングリンクの演奏会ではお父様の演奏中、少しもじっとしていないで遊びに夢中だった俊くんも両親が音楽家という環境。特に習わないでも日常生活の中で習得していたものがあるのでしょう。節子さんはこれを「まるで歌舞伎の世界のよう」と表現してしました。(この先に厳しい修行が待っている?)
さて、あたたかい拍手に送られて俊君のデビュー演奏が終わった後は、本日のメイン「シューベルト:アルペジオーネ・ソナタ」です。19世紀前半に発明されたギターとチェロを混ぜ合わせたようなアルペジオーネという楽器のためにシューベルトが作曲したのですが、この楽器は今では忘れられた存在で、この作品に名前を残すのみとか。(後から考えると、藤村さんがこの楽曲の名前の説明をなさらなかったのはいつもの藤村さんらしくない感じです。息子のデビューでお忘れになったのでしょうか)
このあと「ドビュッシー:レントより遅く」と「サンサーンス:白鳥」が演奏され、約一時間でチェロ演奏会は終了。素晴らしい演奏の余韻にひたっているお客様と藤村さんのしばしの懇談のあとは「タイ料理の夕べ」という趣向の打ちあげパーティです。
★シェフ特製・桜エビのオイルフォンデュ★
★桜エビのかき揚げ★
★グリーンカレーは、ほんのり良い香りのタイ米で★
桜エビの本場静岡から駆けつけてくださったタイ料理のシェフがつくるおいしい料理を堪能していると、 「サプライズ企画第二部」。
もう少し演奏したい気分だった俊くんが再びお父様と一緒に登場してくれました。実は、当日の朝は大勢のお客様の前で演奏することに乗り気ではなかった俊くんが先ほどの演奏で自信をつけたのでしょうか。
★頑張れ!俊くん★
★デザートの茨城メロンは、節子さんの旧友から★
★お礼の挨拶も上手にできました★
この先、俊くんがチェリストをめざす道を本格的に歩むかどうかはわかりませんが、人前で初めて演奏したこの夜のことは彼をはじめご家族にとっても私たちにとっても忘れられない思い出になりそうです。
翌朝、ホールの玄関先のメッセージボードを見たら、俊くんが描いたお魚たちの絵が残されていました。
(江ノ島水族館の思い出かな?)
そういえば、2年前の演奏会の時も、彼は、合奏する両親の演奏風景を独自の構成でスケッチしていました。
私は来年もまた、俊くんの演奏が聴けることを願って猛暑の東京に戻りました。
この日の会場でも紹介された藤村俊介さんのCDアルバム
★チェロの王道ともいうべきバッハの組曲は本格派の味わい★
★チェロと相性の良いギターとの合奏で楽しむスペイン音楽紀行★