一度は行ってよかった「世界遺産&絶景」・・・①異文化の融合・過去と未来が交錯するスペイン [海外旅行]
最近、世界の絶景の美しい映像だけを集めた書籍が数多く出版されているようです。
世界中からセレクトされた絶景の中には私も死ぬまでに一度は見てみたいと思う場所もいくつかありますが、 リタイア世代の懐事情から実現の可能性は低いと言わざるをえません。
ならば、ということでまだ見ぬ青い鳥ではなく、これまで私が出かけた国々の「世界遺産&絶景」を、観光スポットとしてだけ見るのではなく、その町の文化や歴史を知り、食文化に触れ、街を散策することで心に響いた映像を整理してみました。
★サグラダ・ファミリア:バルセロナ★
(2010.9撮影)
(アントニ・ガウディの建築:世界文化遺産)
バブル崩壊後の1998年、初めてのヨーロッパ旅行先に選んだスペインという国に、私は自分自身の“人生観・価値観が変わるような”衝撃的な出会いを感じました。
なぜ、スペインの人々は、経済大国として急成長した日本よりもゆたかな生活を楽しむ術を知っているだろうか?
スペインにあって日本にないものは?
幼時からカトリック教育の環境に馴染んでいたこともありますが、ヨーロッパの古い街や教会巡りを通じて“心の豊かさとは?”を考えるようになりました。
2010年、2度目のスペイン旅行では、イスラムとキリスト教の融合、過去と未来が交錯するスペインを堪能しました。
★★“情熱の国”スペイン紀行・・・アンダルシアと
アートの散歩道★★
2010.9.24のブログ記事はこちら
<エル・グレコが愛した古都・トレド>
(古都トレド:世界文化遺産)
(絵はがき・イシイタカシ「スペイン情景画」)
★★スペインの古都トレドの景観を愛した画家
エル・グレコ★★ 2012.1.27のブログ記事はこちら
<ドン・キホーテと風車:ラマンチャ地方>
(絵はがき・イシイタカシ「スペイン情景画」)
★★風車のある風景『ドン・キホーテの道』★★
2012.2.1のブログ記事はこちら
スペインの最南端アンダルシア地方
<イスラムの栄華の名残:グラナダ・アルハンブラ宮殿>
(グラナダの宮殿とアルバイシン地区:世界文化遺産)
★★“哀愁のアルハンブラ宮殿”とプラド美術館
ティツィアーノの名画★★
2010.11.10のブログ記事はこちら
<イスラム芸術とカトリック教会の融合:コルドバ・メスキータ>
(コルドバ歴史地区:世界文化遺産)
★★コルドバのメスキータ、「アーチと円柱の森」に大聖堂が融合する幻想空間★★
2010.9月の旅行記はこちら
青い地中海と陽光きらめくコスタ・デル・ソル
<石畳の坂道と花が咲き乱れる白壁の家:
スペインで最も美しい白い村・フリヒリアナ>
★★スペインで最も美しい『白い村・フリヒリアナ』★★
2012.2.10のブログ記事はこちら
<コスタ・デル・ソル最大のヨットハーバー:ベナルマデナ>
郷土意識の強いカタルーニャの都:バルセロナ
<町を彩る天才建築家・ガウディとモンタネールの作品>
(アントニ・ガウディの建築:世界文化遺産)
(カタルーニャ音楽堂とサンパウ病院:世界文化遺産)
(絵はがき:サグラダ・ファミリア「生誕のファサード」)
(絵はがき・カタルーニャ音楽堂)
<奇怪な岩山に覆われたカタルーニャの聖地:モンセラット>
ガウディのサグラダ・ファミリアはこの奇岩の山にインスパイアされたといわれる。
★★ガウディもびっくり?モンセラート★★
2008.1.16のウログ記事はこちら
国内最高齢オスのホッキョクグマ、ユキオさんは上野動物園のシニア・アイドル? [動物園歩き]
ユキオ♂1987.12.8ドイツミュンスター動物園生まれ
(2014.8.12撮影)
日本では人口構成の少子高齢化が急速に進んでいますが、9月15-21日は「老人週間」ということで、上野動物園でも飼育している長寿の動物たちがクローズアップされる時期になりました。
このブログでも以前ご紹介したホッキョクグマ、ユキオも現在26歳で国内最高齢オスのホッキョクグマです。
2000年、当時上野で飼育されていたレイコのお婿さんとしてユキオは岡山県の池田動物園から来園しました。
年上のレイコが2012年に亡くなった後、メスのデアがイタリアから来園。当時3歳という年若いデアは将来の繁殖計画を見据えての導入でした。その後、ユキオは「ブリーディングローン」により釧路動物園に移動していたのですが繁殖には至らず今年の4月、2年ぶりに上野に戻ってきたのです。
釧路からの長距離移動に高齢のユキオが耐えられるか、飼育員さんたちは心配されたそうですが、上野に到着したユキオは食欲もあり、健康状態にも異常はなくひと安心。
ユキオが上野を留守にしていた2年の間に、お転婆盛りの子どもだったデアは5歳の女の子に成長し、一人暮らしの住まいに突然やってきたユキオに興味津々でユキオが到着した夜は少し興奮していたそうです。
しかしデアは単に新しい個体が近くに来たことが珍しかっただけで、ユキオを大人のオスとして反応したわけではなかったようです。
ユキオは約1週間の検疫期間を経て、4月16日から土の運動場で展示されましたが、どろんこ遊び?ですっかり茶熊になった姿を見たお客様の中にはホッキョクグマではない別の種類の熊と思われた方も。
(2014.4.16撮影)
4月17日からユキオは、プールのある運動場で慣らし展示となり、部屋との行き来を自由にできるような環境で出入りの練習。
メスのデアとはひとまわり大きな茶色いクマの出現にお客様の反応・・・「ホッキョクグマとシロクマの2種類展示?」
(2014.4.17撮影)
上野の環境にユキオが慣れて、デアと隣り合わせの展示場に出てくるようになった頃、ユキオは若いメスのデアに大人のオスとして反応し春の発情傾向がみられました。
デアの姿を一目見たいとストーカーのような行動や、デアのいる展示場の様子がわかる場所に陣取る時間が長くなりました。
(2014.4.28撮影)
発情傾向がみられると食欲が減退するらしく、口のまわりを泡だらけにして展示場を歩き回るユキオはオヤツタイムに飼育員さんが投入する肉などにもあまり反応しないこともしばしば。食べないことが続くと痩せてしまうのではと心配しましたが、飼育員さんのお話では、朝夕の部屋での食事は食べていたそうです。
(2014.5.2撮影)
プールのある展示場にいてもユキオがプールで泳ぐ姿はなかなか見られず、私がプールの中のユキオを見たのは5月14日でした。
プールの中のユキオは気持ちよさそうにゆっくり泳ぐ姿がお客様に人気ですが、水中から岸に上がる時は、プールが完成した後でユキオのためにつけてもらった階段をおじいさんのようにゆっくり登ります。
(2014.5.14撮影)
今年の夏は早くから真夏日になったり、高温の日が続きました。
真夏も涼しい釧路で2年間過ごしたユキオが東京の暑い夏に体調をくずすのではないかと心配された方も多かったようですが、飼育員さんたちの優しい心遣いに守られてユキオはマイペースで暑い夏を無事に乗り切ったようです。
<<2014年、ユキオ流夏の上野生活>>
大きなプールでひと泳ぎ
(2014.6.4撮影)
ミストの涼しさを感じながらデアちゃんを観察
注)ユキオは泳ぐのは大好きですが、水をかけられるのは嫌い。
ミストの水滴が直接身体にあたらない場所がお気に入り。
狭いながらも気持ちの良いミニプールでリラックス
(2014.7.25撮影)
(2014.7.29撮影)
「真夏の夜の動物園」では残業展示も頑張る
(2014.8.12撮影)
(2014.8.12撮影)
2003年からユキオのお世話を担当している飼育員の乙津さんはユキオのお父さんみたいな存在。
飼育員さんたちは釧路へ行く前よりも体重を減らして戻ってきたユキオの体重をなんとか増やそうと工夫を重ね、発情傾向が落ち着いたユキオの体重は順調に回復。
マイペースなユキオの意思を尊重しながらの体調管理で、ユキオは東京の暑い夏も元気で過ごすことができました。
★ライトアップされたプールのオヤツタイム★
(2014.8.12撮影)
(2014.8.12撮影)
(2014.8.12撮影)
夏はマイペースですごし、時々刺激がある生活が一番
(2014.8.22撮影)
(2014.8.29撮影)
(2014.9.3撮影)
(2014.9.3撮影)
(2014.9.3撮影)
(2014.9.3撮影)
(2014.9.3撮影)
★ユキオと乙津さんも登場する本が発売されました★
動物だっておじいさん、おばあさんになるまでには「人生いろいろ」あるのです。
「オルセー美術館展2014~印象派の誕生」、19世紀後半・激動の絵画史の迷路とは? [私的美術紀行]
現在国立新美術館で開催中の「オルセー美術館展 印象派の誕生~描くことの自由」を見てきました。
1986年12月に開館したオルセー美術館は、19世紀中期から20世紀初頭にかけての絵画・彫刻・装飾・建築・写真・デッサンなどの芸術品を収蔵・展示していますが、今回はその中から選りすぐりの名画84点が来日しました。
日本におけるオルセー美術館展は、1996年の「モデルニテー・パリ・近代の誕生」以来、「19世紀の夢と現実」(1999年)、「オルセー美術館展2010~ポスト印象派」(2010年)に続く4回目です。
今回のテーマは前回より少し前の時代、パリの美術界を騒然とさせた“新しい絵画”の誕生の衝撃・印象派の立役者、マネに始まり、モネ、ルノワール、ドガ、セザンヌらの革新的な印象主義絵画を中心に彼らと同時代のレアリスム絵画・アカデミスム絵画までが一堂に会する展覧会です。
今回は84作品の中から、個人的に気になる作品をいくつかご紹介します。
※6月のブログ記事で、“マネの『笛を吹く少年』初来日”、と記述しましたが、私が認識していなかっただけで過去に来日していたようです。
★絵はがき:E.マネ『笛を吹く少年』★
(部分 1866年)
今展覧会の目玉作品は、1866年のサロンに応募して落選。
マネは、1863年の落選展に出品した『草上の昼食』と、1865年のサロン入選作『オランピア』が物議をかもし、大きなスキャンダルとなった。
マネは若い前衛的な画家たちに大きな影響を与えたが、サロン(官展)での高評価を得られないことに失望し、スペインに行った。
マネはプラド美術館で見たベラスケスの役者絵(『パブロ・デ・バリャドリード』)に感銘を受け、帰国後に制作した本作品の人物の背景が無地になっているのはベラスケスの影響。平面的な描き方などは浮世絵の影響とされる。
展覧会の音声ガイド(有料)で、少年が吹く楽器の音色を聴くことができます。
そういえば、なぜこの作品にはマネのサインが二か所あるのだろうか?
★絵はがき:B.モリゾ『ゆりかご』★
(1873年)
第1回印象派展出品作。モリゾ゙と共に絵画を学んでいた姉・エドマがモデル。
伝統的母子像と違い、母親の存在を強調している描き方が新しい。
ゆりかごの上から垂れ下がるモスリンのカーテンによって赤ちゃんの顔はよく見えない。
専業主婦となり第二子を出産したエドマは、幸福そうに見えながらもその表情には若干の憂いが見て取れる。
カーテンの下部をおさえる母親の右手指先に込められた力に、母としての幸せと引き換えに画家への道を断念したエドマの葛藤があらわされているように私は感じた。
★絵はがき:C.モネ『ゴーディベール夫人の肖像』★
(1868年)
モネは1866年のサロンで後に妻となったカミーユを描いた肖像画『緑衣の女』が賞賛され入選したが、その後の作品はあまり評価されず経済的に苦しかった。
その頃援助してくれたル・アーヴル地方の名士・ゴーディベール家の人々を描いた肖像画の1枚。
当時22歳の夫人の描写において、アカデミーの伝統的手法の中に力強い構図への志向などのオリジナリティが垣間見えている。
2007年、国立新美術館に世界中の美術館からモネ作品が集結した「大回顧展 モネ」に出品され、横顔を少ししか見せていない上流階級の若い夫人の豪奢な衣装が印象に残った作品。
ドレスは地味な色だが美しい光沢あるシルクの長いトレーンと腰に巻いた赤いストールの配色が私の好み。
★展覧会チラシ:G.カイユボット『床に鉋をかける人々』★
(1875年)
本作は、“近代都市パリの労働者を取り上げることは、絵画の堕落であり左翼的である”とされて1875年のサロンに落選。
カイユボットはこれを機に印象派への参加を決意し、翌年の第二回印象派展に8点を出品したが本作はその中で最も好評を博したという。
上野で開催された1999年のオルセー展でこの作品を見て、農民でも職人でもない労働者が働く姿を絵画のテーマとしたのは珍しいと思い、カイユボットの名前をおぼえた作品。
★オルセー展チラシ:A.カバネル『ヴィーナスの誕生』★
(1863年)
南仏モンペリエ出身のカバネルは、19世紀後半を代表するアカデミックな歴史画家で、早くからサロンで活躍し、後年、国立美術学校の教授となった。
マネの『草上の昼食』が落選した1863年のサロンで本作は絶賛され、ナポレオン3世が買い上げた。
ティツィアーノの古典に題材をとったマネの作品は現実の女性として描かれているからNGでも、「ヴィーナスの誕生」という神話をテーマにした作品ならば、腕で顔を隠しているとはいえ挑発的にも見えるポーズの裸婦もサロンに入選させるというのはご都合主義に思えるが、当時のフランスではそれが常識だったらしい。
★絵はがき:A.シスレー『洪水の中の小舟、ポール=マルリー』★
(1876年)
モネと同じく水辺を愛し、画業の大半をセーヌの風景画に捧げながら、印象派の画家の中で最後まで成功しなかったシスレーの代表作。
セーヌ川の増水による洪水という自然災害の被害も、印象主義の美学に忠実な外光描写のシスレーが描くと水の都・ヴェネツィアの穏やかな風景画のように見えてしまう。
★C.モネ『かささぎ』★
(1868-69年)(Photo byカタログ)
ノルマンディー地方の美しい冬景色に魅せられた若きモネは「雪の効果」を捉えることに没頭。
青みがかった白、バラ色に染まった白、黄色を帯びた白など精妙な色調が織りなす雪原は、陽光を浴びて輝き、やわらかな手触りすらも感じさせる。 (展覧会カタログより)
★C.モネ『死の床のカミーユ』★
(1879年)(Photo by「世界の美術館」)
モネの最初の妻・カミーユは、モネのよきモデルでもあったが、次男ミッシェルを産んだ翌年、32歳でこの世を去った。
当時、モネの家には、のちにモネの2番目の妻となるアリス一家が同居しており、死の床のカミーユは夫の愛人に看病されるという不幸な状況だった。
いよいよ、カミーユが天に召されるときが近づくと、モネは絵筆をとり死にゆく妻の表情や顔色の変化を克明に描写。
モネは悲しみのさなかにも画家の目で対象を観察していたのだ。
少し離れた場所から本作を鑑賞した後でさらに近づいてみると、臨終のカミーユの表情に“これでようやく地獄の苦しみから解放される安堵”が浮かんでいるような気がした。
★G.クールベ『裸婦と犬』★
(1861-62年)(Photo byカタログ)
目に見える現実を描くことを主張したクールベは、理想美の追求や想像的な主題に反対し1855年、「レアリスム」を標榜する個展を開催。
クールベは西洋絵画の伝統において古典的な理想美を体現してきた裸婦を、ありふれた現実の女性として描き、マネに先立ってサロンでしばしば嘲笑を浴びた。
本作の犬と戯れる女性の描写は、カバネルの『ヴィーナスの誕生』に見られる理想美の追求とは真逆だが、犬は結構可愛いのはご愛嬌?
印象派の画家たちのパトロンでもあった画家・カイユボットは、遺言により印象派の膨大なコレクションを国家に寄贈しようとしましたが、当時の印象派は革新的な絵画という理由で、国家の受け入れに反対する人々も多く、68点の傑作のうち38点しか受け入れられなかったそうです。
日本人の大好きな印象派の殿堂・オルセー美術館の絵画作品は、19世紀後半の絵画史の迷路であり、実はなかなか奥が深いことがわかりました。
2時間で満喫できるルーヴルの名画「ルーヴルはやまわり」の著者・有地京子さんによる「オルセーはやまわり」は、オルセーのリピーターにこそお勧めしたい!
オルセーはやまわり - さっと深読み名画40~印象派の起源からポスト印象派まで~
- 作者: 有地 京子
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2014/06/24
- メディア: 単行本