SSブログ

「オルセー美術館展2014~印象派の誕生」、19世紀後半・激動の絵画史の迷路とは? [私的美術紀行]

現在国立新美術館で開催中の「オルセー美術館展 印象派の誕生~描くことの自由」を見てきました。

1986年12月に開館したオルセー美術館は、19世紀中期から20世紀初頭にかけての絵画・彫刻・装飾・建築・写真・デッサンなどの芸術品を収蔵・展示していますが、今回はその中から選りすぐりの名画84点が来日しました。
日本におけるオルセー美術館展は、1996年の「モデルニテー・パリ・近代の誕生」以来、「19世紀の夢と現実」(1999年)、「オルセー美術館展2010~ポスト印象派」(2010年)に続く4回目です。

今回のテーマは前回より少し前の時代、パリの美術界を騒然とさせた“新しい絵画”の誕生の衝撃・印象派の立役者、マネに始まり、モネ、ルノワール、ドガ、セザンヌらの革新的な印象主義絵画を中心に彼らと同時代のレアリスム絵画・アカデミスム絵画までが一堂に会する展覧会です。

今回は84作品の中から、個人的に気になる作品をいくつかご紹介します。

6月のブログ記事で、“マネの『笛を吹く少年』初来日”、と記述しましたが、私が認識していなかっただけで過去に来日していたようです。

オルセー美術館笛を吹く少年.jpg

★絵はがき:E.マネ『笛を吹く少年』★
(部分 1866年


今展覧会の目玉作品は、1866年のサロンに応募して落選

マネは、1863年の落選展に出品した『草上の昼食』と、1865年のサロン入選作『オランピア』が物議をかもし、大きなスキャンダルとなった。
マネは若い前衛的な画家たちに大きな影響を与えたが、サロン(官展)での高評価を得られないことに失望し、スペインに行った。

マネはプラド美術館で見たベラスケスの役者絵(『パブロ・デ・バリャドリード』)に感銘を受け、帰国後に制作した本作品の人物の背景が無地になっているのはベラスケスの影響。平面的な描き方などは浮世絵の影響とされる。

展覧会の音声ガイド(有料)で、少年が吹く楽器の音色を聴くことができます。
そういえば、なぜこの作品にはマネのサインが二か所あるのだろうか?


オルセー美術館_揺りかご.jpg
★絵はがき:B.モリゾ『ゆりかご』★
1873年)

第1回印象派展出品作。モリゾ゙と共に絵画を学んでいた姉・エドマがモデル。
伝統的母子像と違い、母親の存在を強調している描き方が新しい。

ゆりかごの上から垂れ下がるモスリンのカーテンによって赤ちゃんの顔はよく見えない。
専業主婦となり第二子を出産したエドマは、幸福そうに見えながらもその表情には若干の憂いが見て取れる。
カーテンの下部をおさえる母親の右手指先に込められた力に、母としての幸せと引き換えに画家への道を断念したエドマの葛藤があらわされているように私は感じた。



オルセー美術館_ゴーディベール夫人.jpg

★絵はがき:C.モネ『ゴーディベール夫人の肖像』★
1868年)

モネは1866年のサロンで後に妻となったカミーユを描いた肖像画『緑衣の女』が賞賛され入選したが、その後の作品はあまり評価されず経済的に苦しかった。
その頃援助してくれたル・アーヴル地方の名士・ゴーディベール家の人々を描いた肖像画の1枚。
当時22歳の夫人の描写において、アカデミーの伝統的手法の中に力強い構図への志向などのオリジナリティが垣間見えている。

2007年、国立新美術館に世界中の美術館からモネ作品が集結した「大回顧展 モネ」に出品され、横顔を少ししか見せていない上流階級の若い夫人の豪奢な衣装が印象に残った作品。
ドレスは地味な色だが美しい光沢あるシルクの長いトレーンと腰に巻いた赤いストールの配色が私の好み。


カユボット.jpg

★展覧会チラシ:G.カイユボット『床に鉋をかける人々』★
1875年)

本作は、“近代都市パリの労働者を取り上げることは、絵画の堕落であり左翼的である”とされて1875年のサロンに落選。
カイユボットはこれを機に印象派への参加を決意し、翌年の第二回印象派展に8点を出品したが本作はその中で最も好評を博したという。

上野で開催された1999年のオルセー展でこの作品を見て、農民でも職人でもない労働者が働く姿を絵画のテーマとしたのは珍しいと思い、カイユボットの名前をおぼえた作品。


オルセー展2014_カバネル.jpg

★オルセー展チラシ:A.カバネル『ヴィーナスの誕生』★
1863年)

南仏モンペリエ出身のカバネルは、19世紀後半を代表するアカデミックな歴史画家で、早くからサロンで活躍し、後年、国立美術学校の教授となった。
マネの『草上の昼食』が落選した1863年のサロンで本作は絶賛され、ナポレオン3世が買い上げた

ティツィアーノの古典に題材をとったマネの作品は現実の女性として描かれているからNGでも、「ヴィーナスの誕生」という神話をテーマにした作品ならば、腕で顔を隠しているとはいえ挑発的にも見えるポーズの裸婦もサロンに入選させるというのはご都合主義に思えるが、当時のフランスではそれが常識だったらしい。


オルセー美術館_シスレー.jpg

★絵はがき:A.シスレー『洪水の中の小舟、ポール=マルリー』★
1876年)

モネと同じく水辺を愛し、画業の大半をセーヌの風景画に捧げながら、印象派の画家の中で最後まで成功しなかったシスレーの代表作
セーヌ川の増水による洪水という自然災害の被害も、印象主義の美学に忠実な外光描写のシスレーが描くと水の都・ヴェネツィアの穏やかな風景画のように見えてしまう。


オルセー美術館_かささぎ.jpg

C.モネ『かささぎ』★
1868-69Photo byカタログ)

ノルマンディー地方の美しい冬景色に魅せられた若きモネは「雪の効果」を捉えることに没頭。
青みがかった白、バラ色に染まった白、黄色を帯びた白など精妙な色調が織りなす雪原は、陽光を浴びて輝き、やわらかな手触りすらも感じさせる。 
(展覧会カタログより)


オルセー美術館_モネ夫人.jpg

C.モネ『死の床のカミーユ』★
1879年)Photo by「世界の美術館」)

モネの最初の妻・カミーユは、モネのよきモデルでもあったが、次男ミッシェルを産んだ翌年、32歳でこの世を去った。
当時、モネの家には、のちにモネの2番目の妻となるアリス一家が同居しており、死の床のカミーユは夫の愛人に看病されるという不幸な状況だった。


いよいよ、カミーユが天に召されるときが近づくと、モネは絵筆をとり死にゆく妻の表情や顔色の変化を克明に描写。
モネは悲しみのさなかにも画家の目で対象を観察していたのだ。


少し離れた場所から本作を鑑賞した後でさらに近づいてみると、臨終のカミーユの表情に“これでようやく地獄の苦しみから解放される安堵”が浮かんでいるような気がした。


オルセー美術館_クールベ.jpg

G.クールベ『裸婦と犬』★
1861-62年)Photo byカタログ)

目に見える現実を描くことを主張したクールベは、理想美の追求や想像的な主題に反対し1855年、「レアリスム」を標榜する個展を開催。

クールベは西洋絵画の伝統において古典的な理想美を体現してきた裸婦を、ありふれた現実の女性として描き、マネに先立ってサロンでしばしば嘲笑を浴びた。


本作の犬と戯れる女性の描写は、カバネルの『ヴィーナスの誕生』に見られる理想美の追求とは真逆だが、犬は結構可愛いのはご愛嬌?



印象派の画家たちのパトロンでもあった画家・カイユボットは、遺言により印象派の膨大なコレクションを国家に寄贈しようとしましたが、当時の印象派は革新的な絵画という理由で、国家の受け入れに反対する人々も多く、68点の傑作のうち38点しか受け入れられなかったそうです。


日本人の大好きな印象派の殿堂・オルセー美術館の絵画作品は、19世紀後半の絵画史の迷路であり、実はなかなか奥が深いことがわかりました。

2時間で満喫できるルーヴルの名画「ルーヴルはやまわり」の著者・有地京子さんによる「オルセーはやまわり」は、オルセーのリピーターにこそお勧めしたい


オルセーはやまわり - さっと深読み名画40~印象派の起源からポスト印象派まで~

オルセーはやまわり - さっと深読み名画40~印象派の起源からポスト印象派まで~

  • 作者: 有地 京子
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2014/06/24
  • メディア: 単行本








nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:アート

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。