桜の名所で亡き友らを偲び、パンダに癒される [パンダ]
(皇居・千鳥ヶ淵の桜)
今年も桜前線が北上中。東京は先週末がソメイヨシノの見頃でしたが、「東日本大震災」の被災地となった東北地方ではこれからですね。
今年の春は、辛いことが多すぎて、とても桜を見て楽しむ心境になれないという気持ちもわかりますが、ピンク色の桜の花には落ち込んだ気分の癒し効果があると私は思います。
今年は各地の桜まつりが中止になったり、花見の宴での馬鹿騒ぎは自粛して、桜の樹の下で静かに「東北の酒を酌み交わそう」などの動きもありますから、純粋に桜の美しさを楽しめるお花見になるのではないでしょうか。
(千鳥ヶ淵では例年桜のライトアップを堪能できるが
今年は中止)
(九段会館では地震で天井が崩落し、2名の方が犠牲に)
先日、都心で静かに散策できる“水辺のお花見スポット”の「千鳥ヶ淵緑道」に行ってきました。
恒例の「千代田さくら祭り」は中止になりましたが、「靖国神社」や「戦没者暮苑」などにもほど近い「千鳥ヶ淵緑道」近辺は元々“宴会禁止区域”なのでいつもと同じ花見風景です。
(満開を過ぎていたので、花びらで水面が埋め尽くされ、
『花いかだ』のように見えました)
この日は、春らしい陽気に誘われて、ボートに乗って水面から満開の桜を楽しんでいる人が大勢いましたが、夕方には強いにわか雨、さらには福島を中心とする強い地震の大きな揺れが東京でも感じられるなど波乱の月曜日でした。
(東京のソメイヨシノ開花の標準木がある靖国神社:
近くにある女子校出身だった友は昨年桜の季節に急逝)
実はこの数年、1月から3月は親しい人の訃報が届くことが多く、気分が沈みがちなまま桜の季節を迎えています。
昨年は、満開の『鄙の桜』を旧友の案内で散策するために出かける車中、親しい友が2ヶ月足らずの闘病生活で突然旅立ったことを知りました。久方ぶりに会った旧友には申し訳ないと思いつつ、心が乱れたままの花見行になってしまいました。
翌日、葬儀会場に向かう途中、両側から覆い被さるように目黒川に張り出した満開の桜が見えました。いつもは大好きな目黒川の桜ですが、とても悲しい気分で見た桜の光景が今もまぶたに焼き付いています。
あの日から早くも1年が過ぎ、桜が満開の週末、亡き友の1周忌ということで、お寺での法要のあと、渋谷の高層ホテルで「偲ぶ会」がありました。ご遺族心づくしの美味しいお料理をいただきながら、生きているしあわせを噛みしめ、自分たちは精一杯生きなければいけないという思いにもなりました。
(千鳥ヶ淵の桜を見下ろすマンションに以前住んでいた叔父と従姉妹も昨年鬼籍に)
(上野・不忍池畔は江戸時代から桜の名所)
私の母も桜の季節に亡くなったので、いつも桜の季節に法事などで懐かしい顔ぶれが集まりました。
もう20年以上前のことですが、窓の下に満開の桜が広がる上野・不忍池畔の中華レストランで、母の33回忌の法要をしました。その数年後に亡くなった伯父たちと花見をしながら会食することができたのも、故人から遺されたものへの最後の贈り物のように思えます。(私も娘から喜ばれるような季節をプレゼントできると良いのですが)
さて、先日のブログでもご紹介したように、4月1日から上野動物園のパンダが一般公開されています。
東日本大震災の被災者を動物園に無料招待して喜ばれるなど、年齢を問わずたくさんの人がパンダを見て一瞬でもしあわせそうな笑顔になってくれたのはよかったのですが、パンダマニアとしては、できればパンダはじっくり観覧したいもの。
(上野さくら祭りは中止でも大混雑の上野公園)
公開初日の大混雑を避け、パンダと上野公園の桜も一緒に楽しめるように、東京地方に桜満開宣言が出された平日の午後上野動物園に行きました。
汗ばむほどの好天に誘われたのか、上野公園一帯は平日とは思えないほどの人出。
パンダ観覧の列に並ぶこと1時間強で、ご対面は「写真を1枚撮ったら移動してください!」という状況。約2分でパンダ舎から退出しましたが、大人は後列での観覧なので、前の人の頭に隠れがちなパンダへのピント合わせもままならず、美男・美女カップルのベストショットなどとても無理。もう一度並び直そうかと思ったら、待機列はさらに長くなっており1時間半はかかりそうだったのであきらめました。
(地震にもめげず食欲旺盛なシンシンは、
2008年の四川大地震を2歳10カ月で体験)
(子どもの頃から仲良しだったリーリー、本当は冒険好き?)
そういえば、このパンダたちが生まれ育った中国四川省・臥龍の「パンダ保護研究センター」は、2008年5月の四川大地震により壊滅的な打撃を受けましたが、当時臥龍にいた雌のシンシン(仙女)は、大地震を体験しています。
この地震で、殆どのパンダは雅安の碧峰峡パンダセンターへ避難しましたが、仙女ら6頭のパンダは余震が続く臥龍に残りました。安全な場所で1カ月半ほど過ごしたのですが、結局、中国南部の広州野性動物園に移ることになりました。同じ年に生まれた女の子の中で一番の美女だった仙女は、環境が急に変わっても動じることなく健やかに育ち、一緒に暮らす仲間たちのリーダー的な存在だったとか。
雄のリーリー(比力)は、震災前に広州野性動物園に移っていたので、シンシンはここで“運命の彼”との再会を果たした(?)わけです。
今回の「東日本大震災」当日、雄のリーリーは休息中、雌のシンシンはタケの食事中。
直後は2頭とも落ち着きなく室内を走り回っていたものの、臥龍で被災経験のあるシンシンは、すぐに落ち着きを取り戻してタケを食べ始めたそうです。東京でもいまだ余震が続いていますが2頭とも地震でパニックになることもなく落ち着いているようです。
上野動物園待望のパンダが熱烈歓迎されていることは喜ばしいのですが、大行列せずにゆっくり対面できるのはいつでしょうか?
(パンダの街・上野には、さくらパンダもいます)
2011-04-15 18:10
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