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戦後70年、今年は、“負の世界遺産”原爆ドームがある広島へ行こう [日本探訪]

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世界で初めて原子爆弾が広島に投下された日から70年。


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日朝8時から広島市の平和記念公園で開かれた記念式典(原爆死没者慰霊式・平和記念式)には被爆者や遺族、安倍首相、世界100か国とEUの代表ら5万人以上が参列。犠牲者を悼み、鎮魂の祈りを捧げました。


戦後生まれで東京育ちの私は、広島や長崎の原爆投下のことは知っていても被爆体験のある人が身近にはいなかったので、メディアを通して得た知識はあっても、被爆の体験談などを直接見聞きする機会はありませんでした。

今年5月末、初めて広島の平和記念公園内の平和記念資料館を見学しましたが、とても凄惨な状況を克明に説明する記録や資料類の展示は私にとって大変衝撃的なものでした。


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大学クラブ時代の仲間たちとの広島旅行3日目の朝、平和大橋にほど近いホテルを出発して徒歩で平和記念公園に向かいました。

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緑豊かで近代的なビルが立ち並ぶ現在の広島市・平和大通り

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平和大橋から望む元安川
川面には牡蠣料理の店が写りこむ美しい景観。


元安川と本川にはさまれた平和大通り以北原爆ドーム周辺を合わせた平和記念公園は約12.2ヘクタールの広さ。
このあたりは、城下町時代から昭和初期まで広島市の繁華街で、被爆前は飲食店や旅館が立ち並び日夜にぎわう場所でした。

1945年8月6日朝8時15分、広島に原子爆弾が投下され、その年の12月末までに約14万人が亡くなりました。
平和記念資料館など多くの施設やモニュメントがある平和記念公園は、1200本の樹木の緑と美しい花壇のある祈りの聖地となっています。

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広島市立高女原爆慰霊碑

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平和記念ポスト

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平和記念資料館前、「祈りの泉」がある広場

被爆の実態を伝え、核兵器のない平和な世界の実現へ貢献するため造られた平和記念資料館では、被爆までの広島の歴史から、原子爆弾開発から投下までの経緯、現在の核兵器の状況など幅広い展示がなされています。
特に、被爆者の遺品や高熱で融けた瓦等の被爆資料は、説明ボードを読むだけでも辛い思いをするような展示品がたくさんありました。
今回はグループでの見学のため、ゆっくり説明文を読む時間がとれなかったことが残念でした。

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原爆死没者慰霊碑
正面には「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませんから」と刻んであります。

原爆犠牲者の霊を雨露から守りたいとの願いをこめて、家型ハニワに設計されています。
中央の石室の中には原爆犠牲者の名前を記載した原爆死没者名簿(2007年現在、約25万人)が収められています。

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原爆の子の像
12歳の時、原爆による白血病の闘病中鶴を千羽折れば治ると信じ、鶴を折り続けながら短い人生を終えた佐々木禎子さんの死をきっかけに、原爆で亡くなったすべての子どもたちの死を慰め、世界平和を呼びかけたいという子どもたちの発案で作られたモニュメント。

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今でもたくさんの千羽鶴が捧げられています。

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平和記念公園
後方の建物は平和記念資料館


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対岸にある世界遺産・原爆ドームに向かいます。


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原爆ドーム

この建物は、チェコの建築家ヤン・レツル設計により1915年に「広島県物産陳列館」として開館。
被爆直前は「広島県産業奨励館」として使われていました。
原爆はこの建物の南東160mの上空約600mでさく裂し、爆風と熱線によってこのような廃墟の残骸と化しました。
戦後、原爆の惨禍を後世まで伝えるため被爆当時のままで保存しよういう市民などからの声により、1966年、広島市が永久保存を決定。

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原爆ドームの模型を使って観光客に説明する人も。

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原爆ドームには、世界遺産の登録基準となる文明や芸術、景観にかかわるものはありませんが、ポーランドのアウシュヴィッツと同様に、人類の「負の遺産」として、1996年、核兵器廃絶と人類の平和を求める誓いのシンボルとしてユネスコの世界文化遺産として登録されました。 
ドームが建つ3900㎡の核心地域と平和記念公園、周辺河川地区の約42万㎡が世界遺産の登録範囲となっています。

(参考資料:広島市観光案内所)


世界で唯一の被爆国に生まれた者として、戦後70年という節目の年に、ぜひ広島の地を訪れて自分自身の目で、被爆地・広島を体験してほしいと思います。


原爆が投下された直後、戦時中の新聞検閲により、広島の実情を報道することができなかった毎日新聞は、終戦が決まった8月15日の朝刊で広島の惨状を伝えるルポを掲載したそうです。
     ↓
http://mainichi.jp/journalism/listening/news/20150803org00m070005000c.html


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美しい海に浮かぶ「しまなみ海道」とふんわり・やわらかタオルの街・今治 [日本探訪]

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今治市糸山公園・来島海峡展望台からの眺望

しまなみ海道」の橋と島の魅力をじっくり楽しむにはサイクリングが一番。
車は橋の上では駐停車禁止でも、橋に併設されている「自転車歩行者専用道路」ならゆっくりその景色を楽しめる。
来島海峡大橋のたもとには、しまなみ海道サイクリングのためのレンタサイクルターミナルもある。


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バリィさん(左)としまねっこ
ローソン等で貯めたポイントでGETしたお皿

※当該エリア以外のお皿はお取り寄せポイントが必要なので、松山市内のローソンで交換


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しまなみ海道」の玄関口、愛媛県・今治市といえば「ゆるきゃらグランプリ
2012」でグランプリを獲得したバリィさんが有名ですが、実は日本を代表するタオルの産地

明治時代からタオルの生産が始まった今治市には現在約
120社のタオル業者が集まっているそうで、国内生産の約6割が今治産とか。しかし、安い輸入物に押され、最盛期の2割程度しかないともききました。

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職人の技術が紡ぐ最高の使い心地に魅せられて、数年前から我が家で使うフェイスタオルはほぼ
100%今治ブランドになっています。

松山市内や道後温泉でも今治ブランドのタオル製品が売られていましたが、今治のタオルが一同に集まる
テクポート今治」(→http://www.imabari-texport.com/
で、吸水性がすぐれ柔らかな肌ざわりのタオル製品を買い求めてきました。

佐藤可士和氏がデザインしたロゴデザインはかなり知られるようになりましたが、最近はデザイン性の高いモノが続々登場しているようです。

今治タオル公式総合案内サイト(→http://www.imabaritowel.jp/

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肌触りが違う!今治のバスタオルとミニタオル

ふんわりやわらかな肌触りを長く保つためにはお洗濯にも細心の注意が必要。
お気に入りのタオルは優しく扱ってあげたい・・・・

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数年前からオーガニックコットンの「今治マフラー」を愛用。

「歩く」というコンセプトを軸に作られたタオルマフラーは寒がりで汗かきの私の必需品。
軽くて嵩張らないし、春夏の強い紫外線からは天然のUVカット効果に守られ、寒い時はやさしくチクチクしない風合いで首を守ってくれるスグレモノ。

今回買い求めたダブルフェイスのマフラーは、松山城の下にある「ルブリュマツヤマ」で入手。



最終日、夜便の飛行機に乗るまで時間があったので、JR松山駅から特急列車に乗って今治へ。
瀬戸内海を間近に見たいと思い、今治駅からタクシーに乗って、「しまなみ海道」の入口「来島海峡大橋」が見える糸山公園の展望台まで案内してもらいました。

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来島海峡」は、日本三大急潮流に数えられる。
貨物船やフェリーなど大小様々の船が行き交い、時間によっては橋の上から渦潮が見えることも。

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今治と大島を結ぶ「来島海峡大橋」は、全長約4キロと「しまなみ海道」最長であると共に橋桁も最大の65メートル。

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遠くに造船所のドック。
今治には、船の建造量日本一の会社もある。

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タオルのショッピングの後は、ネタが新鮮でお手ごろ価格の回転寿司で地物を中心に軽い昼食。
特に今回初めて出会った季節の魚「ナゴヤフグ」は歯触りが良くとても美味でした。

今治の滞在は短時間でしたが、瀬戸内海の魅力をちょっとだけ体験しました。
もしまた訪れる機会があれば、島巡りのサイクリングは体力的にちょっと無理ですが、「しまなみ海道」のドライブを楽しみたいと思いながら松山に戻りました。


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明星「瀬戸内今治塩ラーメン

帰京後、自宅に買い置きしてあったカップ麺を食べました。

スープに使用している「伯方の塩」は、「しまなみ海道」の途中にある伯方島の特産品。
礒の香りがほのかなスープがとても美味しかったので、もう一度食べたいカップ麺。

愛媛県は海の恵みが一杯。。。


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松山で“瀬戸内の海ご飯”を満喫・・・・ひゅうが飯にはまりそう [日本探訪]

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瀬戸内しまなみ海道・来島海峡大橋
海峡の潮の流れが速いことが、美味しい魚がたべられることと関係あるらしい。

娘と一緒に23日で松山方面の旅にでかけました。
私は以前仕事で松山に行ったことがありますが、道後温泉以外の観光は今回が初めてです。

いで湯と城と文学の街・松山で海鮮グルメを楽しみ、ゆるキャラグランプリでお馴染みバリィさんの地元今治まで足を延ばし、風光明媚な「しまなみ海道」をちょっとだけ覗き、今治ブランドの最新デザインのタオルをチェックしました。


まずは、松山市中心地にそびえたつ松山城へ。
ロープウエイで8合目まで登り、広い公園を抜けて天守閣まで徒歩10分。城内は階段も多いので歩きやすい格好ででかけます。

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松平15万石・松山城

武将・加藤義明が1602年から築城を開始し、4半世紀をかけて完成。
勝山の山頂に本丸、中腹に二の丸、ふもとに三の丸を配した連邦式平山城。
現在の天守閣は1854年に再建された建物で、重要文化財に指定されている。

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天守閣から松山市内をのぞむ

松山は、正岡子規をはじめ多くの俳人の出身地で、夏目漱石や司馬遼太郎など著名な文学者と縁が深い。

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ゆるきゃらグランプリ・バリィさんは県内どこにでも進出

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愛媛みかんの専門店
歩き食べもできる「ちゅうちゅうゼリー」、種類も豊富で味の違いが楽しめる


初日は、中心街のホテルに宿泊し、市内電車で道後温泉の見学にでかけました。

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明治の香り“坊ちゃん列車”

小説「坊ちゃん」に登場した小型蒸気機関車を復元。
現在は環境に配慮したディーゼルエンジンを採用。
(道後温泉駅)

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車内はクラシカルな木目調。
乗務員も昔の制服姿で、走行中随所で観光案内。


重要文化財・道後温泉本館

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アニメ「千と千尋の神隠し」のモデルのひとつといわれる3000年の歴史がある名湯は、夏目漱石の小説「坊っちゃん」にも登場。館内には漱石が通ったという「坊っちゃんの間」がある。

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市内電車で松山市街にもどり、クチコミで知った瀬戸内の「海ご飯」が美味しい居酒屋さんに出撃!
冷たい生ビールと一緒に地物中心の新鮮なお魚料理をいただきました。

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釣りあじのたたき
網で獲ったあじとはひと味ちがうおいしさ!

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活たこ&ちぎりじゃこ天
さっと湯通ししたたこ、吸盤の歯ごたえが絶品。
愛媛のソウルフード「じゃこ天」がこんなに美味しいモノだったとは・・・

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★日帰りカツオのたたき★
さっぱりしていて全く生臭くないカツオ。

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★鯛のパリパリサラダ★
切り身をうすく伸ばして唐揚げにできるのは水温が高い時期だけとか。

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南予活鯛めし
(ひゅうが飯)
真鯛の刺身をたれに浸して熱いご飯の上にのせ、たれと卵黄を絡めて食べる“豪華な卵かけご飯”。
初めて味わった宇和島風の鯛めし。
(松山を中心とする中予エリアでは、お米の上に鯛を載せて炊き込む「鯛めし」が一般的)


お値段もリーズナブルなお店だったので娘共々大満足し、腹ごなしに大街道を散策しながらホテルまで戻りました。

居酒屋の女将さんのお話では、地物の魚が美味しい場所は、松山の他には富山とのこと。
娘は、次のグルメ旅のターゲットは富山といいますが、招待してくれたら喜んでお相伴するのですがどうなりますやら。。。

















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