2013年の東京、エル・グレコやラファエロの優美な聖母像に会える楽しみがある [私的美術紀行]
2012年も残り少なくなりましたが、本年東京では3つの展覧会でフェルメール作品を鑑賞することができ、まさにフェルメールイヤーとなりました。
私は、セザンヌ展、エルミタージュ美術館展などにも出向き巨匠たちの名画を鑑賞、首都・東京に住むメリットを享受したわけですが、そろそろ来年の展覧会情報が気になりますね。
2013年年明け早々から東京展が始まる「エル・グレコ展」など大型の企画展開催がいくつか発表されていますが、グレコの展示作品などについて少しご紹介したいと思います。
◆「エル・グレコ展」~世界の傑作、奇跡の集結~◆
東京展:2013.1.19-2013.4.7(東京都美術館)
(※大阪・国立国際美術館では、2012.12.24まで開催中)
スペイン絵画の巨匠「エル・グレコ展」は、グレコ没後400年を迎えるということで、プラド美術館、ボストン美術館など世界中の名だたる美術館やトレドの教会群から油彩画50点以上が集結する日本国内史場最大のグレコ展。
グレコファンの私にとって初めて出会う作品はもちろん、既にスペインなどで鑑賞したことのある作品との再会も非常に楽しみです。
エル・グレコはオリジナルと同じ構図の作品を複数枚制作することも多く、今回来日した作品の別バージョンの作品をご覧になった方もいるかと思います。
また、今回は「受胎告知」を主題にした制作年数の異なる作品が展示されていますので、画家の作風の変化を見る楽しみもあるのではないでしょうか。
★「無原罪のお宿り」★
(1607-1613年:トレド、サンタクスルス美術館委託)
Photo by 「週刊 世界の美術館」
サンタクルス美術館所蔵の長さ3メートルを超える大作には、グレコ独特の優美なマリア像の魅力がよく表れている。
登場人物の輪郭が曖昧であることが「無原罪の教義」の神秘性を高めているといわれるが、対抗宗教改革の時代、見る者の心に信仰心を喚起する情動的な絵画が求められたとのこと。
画面下方には、タホ川や大聖堂などお馴染みのトレドの風景が描かれている。
(古都トレドを愛したエル・グレコについては、以前このブログでもご紹介しています。あわせてお読みいただければ幸いです)
★「聖衣剥奪」★
(1605年頃:オルガス、サント・トメ教区聖堂蔵)
Photo by 展覧会チラシ
1579年、トレド大聖堂の祭壇を飾るために制作された真紅の聖衣の大胆な色彩は人々に衝撃を与えた。
本作は、グレコが後年それにならって制作したものひとつ。
トレドでのデビュー作は、民衆の頭がキリストより上にあることから教会側からクレームがつき、書き直しを命じられたり、画料を巡って裁判沙汰となるトラブルに見舞われたが、グレコは断固として「バランス」を主張し、書き直しには応じなかった。
★「聖アンナのいる聖家族」★
(1590-95年頃:トレド、タベラ施療院蔵)
Photo by 「週刊 世界遺産」
愛らしく理想化された若きマリアは、未婚のままグレコの息子を生んだヘロニアをモデルに描いたという説もある。
★「受胎告知」★
(1576年頃:マドリード、ティッセン=ボルネミッサ美術館蔵)
Photo by 展覧会チラシ
おそらくローマ時代の最後に描かれた本作は、グレコの作品の中でも際だった古典的調和を見せる作品。
★「受胎告知」★
(1600年頃:マドリード、ティッセン=ボルネミッサ美術館蔵)
Photo by 「週刊 世界の美術館」
本作はマドリードのアウグスティヌス会エンカルナシオン学院からの依頼で描いた作品。
グレコは「受胎告知」を主題とする作品を繰り返し描いており、プラド美術館や日本の大原美術館にもある。
★「修道士オルテンシオ・フェリス・パラビシーノの肖像」★
(1611年:ボストン美術館蔵)
Photo by 「週刊 世界の美術館」
グレコの友人で詩人でもあった修道士は、グレコの功績を称えた詩を詠んでいる。
グレコの墓碑銘には「クレタは彼に生命を与え、トレドは彼に絵筆を与えた」というフレーズが刻まれている。
★「悔悛するマグダラのマリア」★
(1576年頃:ブダペスト、国立西洋美術館蔵)
Photo by 展覧会チラシ
グレコがスペインに渡る前後の作品。
★「フェリペ2世の栄光」★
(1579-1582年:スペイン、エル・エスコリアル修道院蔵)
Photo by 展覧会チラシ
グレコの作品の中でも珍しい宗教寓意。最前景に黒衣のスペイン国王フェリペ2世を中心として人々が跪き神の裁きを受けるべく天上に祈りを捧げている。
★「神殿から商人を追い払うキリスト」★
(1610年頃:マドリード、パレス・フィサコレクション蔵)
Photo by 展覧会チラシ
キリスト伝の中でもダイナミックな場面は、エル・グレコにうってつけの主題で、イタリア時代から繰り返し同じ主題で描いている。1595-1600年に制作された作品がロンドン・ナショナル・ギャラリーにある。
★「白貂の毛皮をまとう貴婦人」★
(1577-1590年頃:イギリス、グラスゴー美術館(ボロック・ハウス)蔵)
Photo by 「週刊 世界の美術館」
エル・グレコとの間に息子をもうけたヘロニマ・デ・ラス・クエバスを描いたとされる作品。
★「聖マルティヌスと乞食」★
(1599年頃、台南、奇美博物館蔵)
Photo by 展覧会チラシ
ローマが蛮族と戦っていた真冬のガリア地方で、ローマの軍人マルティヌスは、道端の貧者に外套を二つに裂いて与え、その夜キリストが現れて彼の行為をたたえたという。
トレドのサン・ホセ礼拝堂の祭壇画として制作されたオリジナルに基づく縮小レプリカがいくつか存在し、ワシントン・ナショナル・ギャラリーにもある(1597-1599年)が、本作は近年再発見された作品。
◆ルネサンスの優美 「ラファエロ展2013」◆
2013.3.2-2013.6.2
(国立西洋美術館)
ヨーロッパ以外の地での初開催となる「ラファエロ展」は、イタリアの全面協力の下、20点を超えるラファエロ作品がイタリア各地と、ルーヴル美術館、プラド美術館などから集結する予定です。
★「大公の聖母」★
(1504年:フィレンツェ、ピッティ美術館蔵)
Photo by 「週刊美術館」
ラファエロは生涯に多くの聖母子像を描いた“聖母子の画家”。
初来日となる「大公の聖母」はその代表的な作品のひとつ。18世紀にトスカーナ大公が愛蔵し、決して自分の手元から離さなかったことから、その名が付けられた作品。
★「聖ゲオルギウスと竜」★
(1503-1505年:パリ、ルーヴル美術館蔵)
Photo by 「週刊世界の美術館」
伝説上の騎士聖人であるゲオルギウスの竜退治の場面は、キリスト教の信仰による異教徒征服を意味し、画家たちの間で人気のテーマ。傍らにいる美しい王女はキリスト教によって改宗される異教徒の国を擬人化している。
同じ主題で1504-1506年頃に制作された作品がワシントン・ナショナル・ギャラリーにある。
★「エゼキエルの幻視」★
(1518年頃:フィレンツェ、ピッティ美術館蔵)
Photo by 「西洋絵画の主題物語 聖書編」
捕虜としてバビロンに連れて行かれた預言者エゼキエルが川辺で見た幻視は、有翼のライオン、牛、鷲、人間の姿をした動物を従えた神の姿だった。
小品ながらローマへ移住した円熟期の作品。
その他、
ダ・ヴィンチの「モナリザ」の構図を下敷きにしたといわれる「無口な女(ラムータ)」(1507年頃:ウルビーノ、マルケ州立美術館蔵)などが出品される。
◆これぞバロック 「ルーベンス」展◆
~栄光のアントワープ工房と原点のイタリア~
2013.3.9-2013.4.21
(Bunkamuraザ・ミュージアム)
ルーベンスのイタリア時代の作品を紹介すると共に、アントワープ工房の活動に焦点をあて、アントワープ画派の豊かな芸術展開を探る企画とのこと。
主な出品予定作品は、
★「ロムルスとレムスの発見」(1612-1613年頃:ローマ、カピトリーナ絵画館蔵)
★「ヘクトルを打ち倒すアキレス」(1630-1635年頃:ボー美術館蔵)
★「キリストの復活」(1616年頃:フィレンツェ、ピッティ美術館蔵)
★「毛皮をまとった婦人像」(ティツィアーノ作品の模写)(1629-1630年頃:クイーンズランド美術館蔵)
来年も、珠玉の名作に出会うための美術館巡りが楽しみですね。
西洋美術ファンにとっては、良い年になりそうです。
南スペイン、スローな田舎暮らしへの郷愁・・・・イシイタカシさんが描くスペイン情景画の世界 [私的美術紀行]
南スペイン・グラナダに近い小さな村、フェレイローラ村と南房総・館山にアトリエを構え画業を続けているイシイ・タカシさんの個展に2年ぶりにお邪魔しました。
2010年の個展訪問時は、私にとって2回目となるスペイン旅行のすぐ後だったので、自分が実際に見てきた景観に近い作品をついつい探してしまいました。
しかし、スペイン在住生活30年以上、“魅惑的な舞台を自らの情念で解釈し、絵にしている。生活の気配が景観を情景に変える”というイシイさんの情景画は、ガイドブックやテレビ番組に溢れている有名観光地の風景映像とは違い、長きに渡りその土地で暮らし、光と土と共に生き、時には厳しい自然と対峙している人たちの気配が色濃く感じられます。
絵はがき★「ヒラソル」★
画像ではわかりにくいのだが、農作業を終え、ロバと共に帰宅した主人を出迎える愛犬と妻とおぼしき女性が小さく描かれている。
夏のアンダルシアの心象風景といえば、地平線まで続くひまわり畑・・・・
なのだが、私のスペイン訪問はいずれも9月初旬だったので、残念ながらこういう風景に出会ったことがない。
スペインにあって日本ではあまりみられないもののひとつ「地平線」といえば、ラマンチャ地方の風車がある風景も「地平線」がよく合う。
2010年、ツアーで訪れたラマンチャ地方、小高い丘の上に並ぶ観光用に整備された風車のある風景は美しかったが村人の生活の気配は全く感じられなかった。
絵はがき★ラマンチャの風車★
夕暮れ時、ロバを曳いて家路に就く農夫の後ろ姿が風車のある風景に溶け込んでいる。
ラマンチャでロバを連れた男といえば、「ドン・キホーテ」を思い起こすが、スペインでは今でも人気があるらしく騎士の格好をしたドンキホーテの像などをよく見かけた。
絵はがき★気ままに★
斜面に貼り付くように集落がある。
屋上テラスからの眺めは最高。昼間からワインを飲みたい気分になる・・・・
手すりが必要な急な階段状の坂道の街に住むお年寄りは買い物もままならないが、古くから住む村人たちは助け合いの暮らしで乗り切っているのだろう。
2010年のスペイン旅行で一番楽しみだったのは、岩山の斜面にはり付くように白壁の家々が立ち並ぶアンダルシア地方の白い村。
私たちは、スペインで最も美しいといわれる「フリヒリアナ」を訪れ、短い時間だが自分たちの足で街を散策した。
アルミハラ山麓になだれ込むように白い家並みが連なり、イスラム時代から続く古い街並みを保存しているが、狭い石畳の坂道や階段の多い街ではロバが今でも荷物運びの現役とのこと。
小石をきれいに埋め込んで模様を描いた路に、村人の路に対するこだわりが感じられる。
坂道がいくつか交差する場所で顔見知りと出会えば、立ち話が弾む。
絵はがき★音色★
テラスで真っ白に洗い上げた洗濯物を干す女性。
どこからともなく聞こえてくるギターの調べ。。。
真っ白な家々の窓辺を飾る色とりどりの鉢植えも美しかったが、老人がつま弾くギターの音色が観光客の気分を盛り上げてくれた。
絵はがき★オレンジの広場★
イシイさんの新作版画は、セビリアの旧市街サンタクルスのなかにある小さな広場。
このあたりは街路樹などすべてがオレンジの樹、初夏は甘い花の香りに包まれ、秋からはオレンジの果実が街を賑やかに彩る。
(個展の案内状より)
セビリアといえば、初めてのスペイン訪問時、黄金が輝くセビリア大聖堂を見学して、コロンブスの偉業に感動したあとで立ち寄ったサンタクルスのバルで食べた生ハムがとても美味しかった。
バルの天井から生ハムがいくつもぶら下がっている光景は、今でこそ珍しくないが、当時スペインの生ハムは日本に輸入できなかったので、旅の思い出と生ハムの味が強く結びついている。
そういえば生ハムを食べたバルの前にもオレンジの樹が植えられていた。
'98年のスペイン旅行は、今考えると我が家の歴史の中で一番幸せな旅だったように思える。
ヨーロッパ先進国の中では、地方色豊かな料理や食べ物が美味しくて安いといわれたスペインも、EUに加盟後のバブルが弾けた昨今の厳しい経済情勢で'98年のスペイン旅行と2010年の旅では、近代化によって失われたものが色々あるように感じました。
イシイさんが描くスペインの田舎暮らしの情景画の中には、いつまでも続いて欲しいと願いながらも今は見ることのできない風景がベースになっている作品もあるのではないかとふと思いました。
郷愁のスペイン田舎暮らしを、楽しいイラストとエッセイで楽しめるイシイさんの旧著からは、のどかな時代の普段着のスペインが見えてきます。
華麗なる侯爵家の宮殿サロンでバロック美術を鑑賞・・・・「リヒテンシュタイン」展 [私的美術紀行]
国立新美術館開館5周年記念展示ということで、メディアで取り上げられることも多い「ようこそ、わが宮殿へ リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」展に行って来ました。
(東京・六本木では2012.10.3~12.23 開催、その後高知、京都に巡回の予定)
◆リヒテンシュタイン宮殿 (夏の離宮)◆
(ウィーン郊外ロッサウ)
ルーベンス「デキウス・ムス」連作が飾られている展示室の様子
Photo by 朝日新聞
“優れた美術品収集こそ一族の名誉”との家訓のもと、ヨーロッパの名門貴族リヒテンシュタイン侯爵家が収集した美術品コレクションは、英国王室に次ぐ世界最大級の個人コレクションとのことですが、ウィーン郊外にあるリヒテンシュタイン宮殿で公開されているコレクションについては最近まで全く知りませんでした。
しかし、リヒテンシュタインという国の成り立ちや歴史、“ルーベンス、ヴァン・ダイク、ラファエロ・・・・侯爵家が500年間守り抜いた奇跡のコレクション”には戦火やヒットラーの暴挙から名画を守るために命がけの大移送作戦があったことなどをTV番組で知り俄然興味がわきました。
オーストリアがドイツに併合されたことにより公開が中止されていたコレクションの展示が再開されたのは2004年、海外での作品公開も1985年(~86年)のメトロポリタン美術館以来というのですから、日本人にとって殆どなじみがないのもよくわかります。
さて、今回の美術展は、コレクションが収蔵されるウィーン郊外ロッサウにある「夏の離宮」での展示様式をとりいれた「バロック・サロン」を設け、美術品を天井画や家具調度品とともに展示していることが目玉のひとつです。
それでは、展覧会の順路に沿って、私的な必見作品をご紹介しましょう。
華やかなバロック宮殿の雰囲気を体感できるよう絵画、彫刻、工芸品、家具やタピストリーがバロック様式の室内装飾と調和するように同一空間に並べられています。
この美術館では、これまでも、『ゴッホの黄色い部屋』や『セザンヌのアトリエ』の再現展示がありましたが、今回は、日本初となる“本物の天井画展示”に注目です。
◆エントランスに続く「バロック・サロン」◆
(展覧会チラシより)
☆1700年頃に制作された
イタリアの画家ベルッチによる4点の天井画☆
(↑チラシ上段中央、サロンのイメージは上段右)
損傷が進んだフレスコ画の天井画のかわりにはめ込まれていたのですが、当初のフレスコ画の修理が可能になったということで現在は取り外されていたもの。今回の展示室の天井は宮殿よりもかなり低いので、肉眼でも細部まで鑑賞することができます。
☆脚&装飾付き磁器「枝付き大燭台」☆
(↑チラシ下段右から二番目)
17世紀頃、オランダ経由でヨーロッパに流入した中国磁器にブロンズ製の豪華な枠飾りを施すことがしばしば行われたそうですが、中国や日本の磁器を愛好していたリヒテンシュタイン侯爵家の豪華な飾りでつながれた磁器の「枝付き大燭台」一対が展示されています。
☆「飾り枠付き鏡」☆
(↑チラシ中段)
彫刻を施した金属のフレーム付きの鏡は、ひび割れを補修しているようですが、17世紀頃の鏡はまだ稀少品だったのかもしれません。
☆「コンソール」☆
(↑チラシ下段左端)
様々な色彩の石を嵌め込んで絵を作る貴石象嵌細工のテーブルトップやバロック特有のダイナミックな意匠が凝らされたコンソール・テーブルの脚部もゴージャスですが、キャビネットや書き物机などの緻密な装飾などじっくり鑑賞したい家具調度品がたくさんありました。
☆17世紀末から18世紀初頭に制作された4点の高価なタピストリー☆
寒冷地では寒さ対策の効果としても壁に飾られる装飾品ですが、展示品はいずれも保存状態もよく、なかなか見応えがあります。
ほどよい混雑だった平日の午後、部屋いっぱいに展開される華麗なるバロック芸術の饗宴をゆっくり楽しむことができました。
今回の展示は、空間全体がひとつの芸術ということで、個々の作品にはキャプションをつけるかわりに、写真入り出品リストがサロン入口に用意されています。スマートな展示というだけでなく、人混みの中で小さな文字のキャプションを読みとる苦労がありませんし、高価な図録を購入しなくても解説資料が手元に残るのは特に年金世代には好評だと思います。
◆名画ギャラリー(ルネッサンス/イタリア・バロック)◆
★ルーカス・クラナハ(父)「聖エウスタキウス」★
(1515-20年;絵はがき)
工房として幅広いジャンルの作品を制作した「クラナハ・ブランド」は人気が高く、各地の美術館で作品に出会えるのが楽しみ。
★クエンティン・マセイス「徴税吏たち」(1501年以降)
Photo by 朝日新聞
代表作「両替商とその妻」(↓)に先だって制作された本作は、コインの細密描写から制作年が判明したという。
★参考図:マセイス「両替商とその妻」★
(1514年:ルーヴル美術館)
Photo by 「西洋絵画史 WHOS WHO」
ルーヴル美術館の必見名画のひとつとして有地京子さんの「ルーヴルはやまわり」でも取り上げられている作品。
◆ルーベンスルーム◆
所蔵作品30点余りという世界が羨むルーベンスコレクションの中から10点の油彩画が来日し、展覧会のもうひとつの目玉展示室になっています。
★ルーベンス「クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像」★
(1616年頃;絵はがき)
大工房で大作を大量に受注生産した北方バロックの雄・ルーベンス自身の筆による愛娘の肖像画は、37×27センチの小品ながら存在感の強い作品。
まっすぐにこちらをみつめるクララは、5歳の子どもらしい表情の中にも利発さが感じられるが、不幸にも12歳でその生涯を終えたという。
★ルーベンス「占いの結果を問うデキウス・ムス」★
(1616-17年;絵はがき)
~「デキウス・ムス」連作より
ひときわ豪華な額縁の本作は、古代ローマの物語を空前のスケールで描いた8点の連作の2点目。
連作からは「勝利と美徳」もあわせて展示されている。
★ルーベンス「果物籠を持つサテュロスと召使いの娘」★
(1615年頃;絵はがき
:ウィーン、シェーンボルン=ブーフハイムコレクション蔵)
神話を題材にした本作品の構成や果物籠の描写には、バロックの開祖・カラヴァッジョの影響が見て取れる。
★参考図:カラヴァッジョ「果物籠を持つ少年」★
(1594年頃: ローマ・ボルゲーゼ美術館)
Photo by 東京書籍「カラヴァッジョ」
◆クンストカンマー 美と技の部屋◆
金細工などで有名なアウクスブルクの工芸品が本展覧会でもいくつか展示されていましたが、牡鹿に乗るディアナをモチーフにした「ゼンマイ仕掛けの酒器」は、テーブル上を移動し、止まった位置に近い人がお酒を飲み干すゲーム感覚で使われていたとか。この部屋では、主家筋のプラハの宮廷工房から購入した「貴石象嵌のチェスト」など見事かつ珍しい工芸品が多数出展されています
★マティアス・ラウフミラー 象牙製「豪華なジョッキ」(1676年)
(↑バロックサロンのチラシ下段右端)
古代ローマの説話「サビニの女たちの掠奪」を丁寧かつ劇的に彫りだしているジョッキは、自分の城と交換してもいい、と絶賛した領主までいたというバロックの名品。
◆名画ギャラリー(17世紀フランドル/オランダ)◆
★ピーテル・ブリューゲル2世(ピーテル・ブリューゲルに倣う)
「ベツレヘムの人口調査」★
(1607年頃)
画面の下部、中央右よりにはロバに乗った青衣の聖母マリアが描かれている。
★アンソニーヴァン・ダイク「マリア・デ・タシスの肖像」★
(1629-30年頃;絵はがき)
ルーベンスの工房出身で肖像画の名手だったダイクがイギリス行く直前に制作。
上流階級の娘で19歳のマリアが作品の中で身につけているクロスのネックレスをイメージしたオリジナルグッズを展覧会特設ショップで販売。
(私はチケットとセットになったお得な前売り券でGET!)
★レンブラント「キューピッドとシャボン玉」★
(1634年;絵はがき)
◆名画ギャラリー(18世紀新古典主義/ビーダーマイヤー)◆
19世紀の中欧で展開された『ビーダーマイヤー様式』という言葉を耳にしたことはあっても、実際の作品をまとめて見る機会は日本では殆どなかったかと思われます。
★エリザベート・ヴィジェ=ルブラン
「虹の女神イリスとしてのカロリーネ・リヒテンシュタイン侯爵夫人
(旧姓マンデルシャイト女伯)」★
(1793年;絵はがき)
貴族の女性が裸足とは・・・・ということで物議を醸し、“彼女が脱いだ靴”を作品の下に置いて展示したとか。
★フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー
「幼き日のオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世、
おもちゃの兵隊を従えた歩兵としての肖像」
(1832年;絵はがき)
皇妃エリザベートの夫であった皇帝の幼き日のスナップ写真のような肖像画。
『私的イチオシ絵画』はこの作品。
最後の展示室にあった本作品の愛らしさにすっかりやられてしまいました・・・・
巨匠たちの大作や名画よりも私の琴線にふれた一枚でした。
★フリードリッヒ・フォン・アメリング
「マリー・フランツィスカ・リヒテンシュタイン侯女 2歳の肖像」
(1836年;絵はがき)
寝息が聞こえてきそうなリアルな描写。
侯爵家のご令嬢のやわらかそうな巻き毛と、色白でふっくらしたほっぺたについ手を伸ばしてしまいたくなる。
「リヒテンシュタイン」展には、誰もが知っている名画は展示されていませんが、ハプスブル帝国のルドルフ2世からも認められた審美眼で収集された良質のコレクションが西洋美術鑑賞初心者にもわかりやすく並べられています。
ネームバリューでは「メトロポリタン美術館展」などに負けますが、観賞後の満足度が高い美術展だと思います。
「バロック・サロン」を体感するためにもお早めに美術館まで足を運んでみることをオススメします。
もっと知りたい!カラヴァッジョ、バロックの開祖にして殺人者、呪われた?天才画家 [私的美術紀行]
★「聖マタイの召命」★
(1600年:ローマ、サン・ルジ・ディ・フランチェージ聖堂蔵)
17世紀初頭のイタリアでバロック絵画を誕生させ、光と闇の演出による劇的な宗教画を数多く描いたカラヴァッジョ(本名はミケランジェロ・メリージ:1571-1610年)は、レンブラント、ルーベンス、ベラスケス、フェルメールなど多くの画家に影響を与えた画家といわれています。
カラヴァッジョは、フェルメールと同じくわずか38年でその生涯を終え、現存する作品数も決して多くない(約80点くらい?)のですが、イタリアをはじめ欧米各地に作品が点在しているため私自身も数年前までカラヴァッジョについてはよく知りませんでした。
日本ではカラヴァッジョの作品をまとめてみられる機会が少なく、2001年に東京都庭園美術館と愛知県・岡崎市美術館で開催された「カラヴァッジョ展 光と影の巨匠―バロック絵画の先駆者たち」(ローマ時代の作品6点展示)が初めてだったようです。当時の私は、まだカラヴァッジョについてまったく興味がなく、この展覧会のことも知りませんでした。
カラヴァッジョの没後400年を記念して日本で公開された「カラヴァッジョ~天才画家の光と影」という映画を見て大変感動し、彼の人生と作品に興味を持った私はその後、有地京子先生の美術解説セミナーや美術書でカラヴァッジョについて多少勉強していました。
今回は、カラヴァッジョの生涯をたどりながら作品をご紹介したいと思います。
映画はDVDにもなっていますが、最近TVの衛星放送でこの映画がオンエアされていたので改めて見直してみると、“愛に生き、悲運に散った天才の感動物語”として美しくまとめ過ぎた感はありますが、歴史的な名画をスクリーンの中で鑑賞できる「カラヴァッジョ的世界」はとても魅力的です。
“その人生は、光の部分は限りなく美しく、影の部分は果てしなく罪深い”
といわれたカラヴァッジョの生涯とは、、、、
(参考&Photo:宮下規久朗著「もっと知りたいカラバッジョ」)
もっと知りたいカラヴァッジョ―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
- 作者: 宮下 規久朗
- 出版社/メーカー: 東京美術
- 発売日: 2009/12
- メディア: 単行本
◆1571年9月29日、ミラノで生まれる。
◆1577年、ミラノでペストが流行し父が亡くなり、一家は近郊の町カラヴァッジョに移住。
◆1584年、13歳で家を出てミラノの画家シモーネ・ペテルツァーノと4年間の徒弟契約。
◆1592年、母の死後、姉弟と遺産を分けてローマへ出る。
様々な工房を渡り歩き、当時のローマ画壇の人気画家ダルピーノの工房に入り花や果物の絵を描くが8ヶ月で辞める。
★「病めるバッカス(バッカスとしての自画像」★
(1594年頃:ボルゲーゼ美術館蔵)
◆1595年、「いかさま師」がデル・モンテ枢機卿の目にとまり、庇護を受けて邸館に移り住む。
この頃「果物籠を持つ少年」や、「病めるバッカス」(ボルゲーゼ美術館蔵)、「リュート弾き」(エルミタージュ美術館蔵)など静物画や少年像を描く。
★「アレクサンドリアの聖カタリナ」★
(1597年頃:ティッセン=ボルネミッサ・コレクション蔵)
★「メドゥーサ」★
(1597-98年:ウフィッツィ美術館蔵)
★「女占い師」★
(1598―99年頃:ルーヴル美術館蔵)
◆1599年、サン・ルイジ・ディ・フランチェージ聖堂の礼拝堂壁画でデビュー、名声を得る。
「聖マタイ伝」の連作でその名をローマ画壇に知らしめる。
◆1600年、サンタ・マリア・デル・ポポロ大聖堂の礼拝堂壁画を受注。
この頃から素行不良が目立ちはじめしばしば出入獄を繰り返す。
★「聖母の死」★
(1601-03年頃:ルーヴル美術館蔵)
聖母の躯のリアルな描写が衝撃的。。。
★「蛇の聖母」★
(1605-06年:ボルゲーゼ美術館蔵)
聖母の母・聖アンナがみすぼらしい老婆にみえる、聖母の服装が庶民的過ぎるなどと批判された
◆1601~1605年、教会などから受注した「聖母の死」(ルーヴル美術館蔵)、「蛇の聖母」などが完成作品の受け取り拒否される。
★「エマオの晩餐」★
(1606年:ブレラ美術館蔵)
同じ主題の作品はロンドン・ナショナルギャラリーにもあるが、こちらの作品の方が完成度が高いと思われる
◆1606-1607年、殺人を犯してローマから逃亡。
「死刑宣告」が出され、南イタリアを転々とする。
この頃、「エマオの晩餐」(ブレラ美術館蔵)などを描いて逃亡資金を蓄える。
★「アロフ・ド・ヴィニャクールの肖像」
(1607-08年頃:ルーヴル美術館蔵)
マルタ騎士団の黄金時代を築いた団長はフランス人。
現存する唯一真筆確実な肖像画
◆1607年、マルタ島に渡り、マルタ騎士団団長の庇護の元に作品を制作。
「洗礼者ヨハネの斬首」により騎士団への入会を許可されるが、直後に身分の高い騎士と喧嘩して逮捕、幽閉されるが脱獄してシチリア島に渡り、絵を描きながら放浪する。
◆1609年、ナポリに戻るも、居酒屋で何者かに襲われ瀕死の重傷を負う。
★「ダビデとゴリアテ」
(1610年頃:ボルゲーゼ美術館蔵)
斬られたゴリアテの首に自らを重ねた、画家の遺言ともいうべき最後の自画像
◆1610年、恩赦の期待を抱きながらローマへ向かうが、近郊の港パロで誤認逮捕され、釈放後、没収された教皇へ献上する絵画を探してポルト・エルコレへ。
7月18日、熱病のため死去、享年38歳。
その直後にローマで恩赦がでたという。
以前このブログでもご紹介しましたが、私にとってカラヴァッジョ作品との関係は長らく“接近すれども遭遇せず”ともいうべき状況で、海外の美術館で作品を鑑賞しながらも作者を意識していなかったり、作品そのものを鑑賞したかどうかも覚えていないことも結構あったのです。
実は、今回ご紹介した作品も実際に鑑賞しているはずの作品が多いのです。
さて、カラヴァッジョの時代、絵画制作のためのプロモデルというのは存在しなかったので、カラヴァッジョの聖母マリアも自分の身近にいた娼婦たちなどをモデルにしていたようで、そのことが倫理に反するとして作品の受け取り拒否に結びついたといわれています。
また、「聖母の死は、眠っているように表現する”という常識を超えた発想で描かれたことも教会の怒りを招いたようです。
★ドゥッチオ「聖母の死」★
1311年:シエナ、ドゥオモ美術館蔵)
★ファン・デル・フース「聖母の死」★
(1480年頃:ブリュージュ、グルーニンヘ美術館蔵)
(上記2点のPhoto by「西洋絵画の主題物語・聖書編」)
「荘厳の聖母」で知られるシエナ派の巨匠・ドゥッチオや、フランドル派のファン・デル・フース(グース)が描いた作品などの聖母マリアとの違いは当時の聖職者にとっては許し難かったのかもしれません。
受け取り拒否された「聖母の死」は、作品の価値を認めていたルーベンスの勧めでマントヴァのゴンザーガ公が購入し、現在はルーヴル美術館が所蔵しています。
カラヴァッジョの作品保有数が一番多いのは、ローマにあるボルゲーゼ美術館ですが、ルーヴル美術館も3点を所蔵。
このブログでも何度かご紹介している「ルーヴルはやまわり」には、「聖母の死」と「女占い師」の詳しい解説が載っていますのでぜひご一読ください。
『謎解き』挑戦も楽しいフェルメール鑑賞・・・・マウリッツハイス美術館展 [私的美術紀行]
現在、上野の東京都美術館で開催中の「マウリッツハイス美術館展」に行ってきました。
午前中の混雑を避け、平日の遅い午後に出かけたので比較的落ち着いた環境で鑑賞することができました。
17世紀オランダ絵画の名作が並ぶ中で、念願だった「真珠の耳飾りの少女」をゆっくり観ることができたので大満足です。
フェルメールは、その生涯にも謎が多いといわれていますが、現存している作品数が30数点と寡作にもかかわらず研究者により真偽の評価が分かれる作品があります。
また、作品を観る者が様々な解釈をできる要素も多く、『謎解き』挑戦は私にとってフェルメール作品鑑賞のお楽しみのひとつです。
“フェルメールはたびたび、作品の主題について手がかりを残す一方で、
読み解きやすい人物や小物などの説明的な要素を省いた。
その結果、作品に謎めいた印象を与え、絵画が何を伝えようとしているのか、
観る者が思いを巡らせるように誘う。
「真珠の耳飾りの少女」は、今日フェルメールの最も有名な作品だ。
この少女には私たちを魅了する何かがある。(中略)
少女の視線はまるで、私たちに彼女の物語を想像するように求めているかのようだ”
(展覧会公式ミニリーフレット マウリッツハイス美術館長のメッセージより)
さて、今回来日している「真珠の耳飾りの少女」と「ディアナとニンフたち」は、1984年に東京などで開催された「マウリッツハイス王立美術館展」でも一緒に出品されていますが、どちらも近年の修復作業により新発見があった作品です。
残念ながら私は前回の来日時は実際に鑑賞していないのですが、絵はがきなどでもその違いを確認することができます。
★フェルメール「真珠の耳飾りの少女」★
(1665-66年頃:マウリッツハイス美術館蔵)
1902年にハーグの資産家コレクター、デス・トンプから遺贈された作品だが、デス・トンプは1881年にこの絵をオークションでわずか2ギルダー30セントという安値で購入した。
100年以上前と貨幣価値をにわかに比べにくいが、2002年、オランダにユーロが導入されたときの交換レートにすると約1ユーロ。
なぜ、こんな安値で取引されたのか?
(修復前)
朽木ゆり子氏の著書*によると、この絵の保管状態が非常に悪く、誰も競りに参加しなかったからではないかという。
マウリッツハイス美術館の主任修復士ヨルゲン・ワドム氏が1994年から翌年までかかった洗浄修復では、口唇に浮かぶさまざまな情報が顕在化した。
修復前は、少女の顔色もニスが黄色っぽくなり、口角の白い点は傷と考えられ塗りつぶされていたが、若い女性の口唇に特有な瑞々しい潤いが蘇った。
(現在)
特に向かって右の口角に白く輝く反射光の発見、口唇中央の微細なハイライトの点描の筆致がはっきりした。
鋭く突き刺すような冷たいまなざしと対照的に、何かをいいかけて薄く開いた小さな口許のなまめかしさ・・・・
★フェルメール「ディアナとニンフたち」★
(1653-54年頃:マウリッツハイス美術館蔵)
オランダ政府が1876年に購入したときは、ニコラス・マースの作品として購入。
しかし、その後それが偽の署名であることがわかり、その下からフェルメールの署名が現れた。
当時のマウリッツハイス美術館長がフェルメール初期の作品と認定したが、小林頼子氏のようにフェルメールの作と認めない専門家もいる。
(修復前)
(Photo by 朽木ゆり子「フェルメール全点踏破の旅」*)
1999年から翌年にかけての修復作業で、絵の右上にあった青空が19世紀に追加されたものだとわかり取り除かれた。
その下から出てきたのが現在のような黒い背景。
昼間の情景→夜の情景に・・・・
ディアナは狩りの女神で月の神でもあり、純潔の象徴で、ディアナとニンフを主題にした絵画作品は数多い。
お供のニンフたちは半裸体の背中を見せている一人を除き着衣というのが慎ましい?
フェルメールのビッグ・イヤーということで、私のフェルメール鑑賞も今年に入って3度目ですが、「フェルメール、○○の謎に迫る」などと題したテレビ番組が目に付きます。
似通った内容の番組も多く、若干食傷気味ですが、8月14日にBS日テレでオンエアされた「ぶらぶら美術・博物館、マウリッツハイス美術館展」は、ナビゲーターの山田五郎さんと東京都美術館・学芸員の方のわかりやすいガイドで参考になる情報も多く好感が持てました。
今回美術展の売店で私が買い求めた「美術手帖2012年6月号増刊 特集フェルメール」は、携帯便利な小型ムックに最新情報が満載です。
※フェルメールの作品は修復により新発見がある例が色々あり、このブログでも以前ご紹介していますのであわせてお読みいただければ幸いです。
「日本人は“フェルメールブルー”と“引き算の美学”に惹かれる?」(2012.1.17)
《『謎解き』挑戦のガイドブック》にもオススメ!
- 作者: 朽木 ゆり子
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2006/09/15
- メディア: 新書
◆おまけの情報◆
東京都美術館は、リニューアル工事によりバリアフリー化がなされました。
また、開館時間の延長や、お子様向けのツール貸し出しなどもあります。
展示作品数は、厳選48点なのでゆっくり鑑賞できます。
フェルメール鑑賞と一緒に17世紀オランダ風俗画のユーモラスな世界を楽しもう [私的美術紀行]
猛暑のさなかですが、東京上野では以前このブログでもご紹介したように、フェルメールの傑作絵画が隣り合うふたつの美術館で競演という豪華な状況です。
◆「真珠の耳飾りの少女」来日
オランダ絵画の至宝 マウリッツハイス美術館展
2012.6.30~9.17(東京都美術館)
絵はがき★フェルメール「真珠の耳飾りの少女」
(1665-66年頃:マウリッツハイス美術館蔵)
★フェルメール「ディアナとニンフたち」
(1655-56年頃:マウリッツハイス美術館蔵)
Photo by 展覧会公式HP
◆初来日、フェルメールの「真珠の首飾りの少女」
in ベルリン国立美術館展
~学べるヨーロッパ美術の400年~
2012.6.13-9.17(国立西洋美術館)
絵はがき★フェルメール「真珠の首飾りの少女」
(1662-65年頃:ベルリン国立絵画館蔵)
私は、数年前ベルリンまで会いに行った「真珠の首飾りの少女」とは既に先月再会ずみなのですが、個人的には未見の「真珠の耳飾りの少女」とは来週対面する予定です。
オランダ・ハーグのマウリッツハイス美術館は、西洋美術史に大きな影響を及ぼした17世紀オランダ・フランドル絵画の世界的コレクションで知られていますが、今回は同館が改修工事で休館しているために世界的なフェルメール・ブームのシンボル的存在である「真珠の耳飾りの少女」の再来日が実現しました。
17世紀初頭に独立をはたした新興国オランダでは、市民社会の成立と繁栄を背景に、ごくありふれた市民生活を描いた風俗画や静物画にも脚光があたるようになり、オランダ絵画の黄金時代が到来しました。
今回の展覧会には、フェルメール(1632-75年)にも通じる深い精神性が感じられる“光と影の画家”として日本人にも人気の高い巨匠・レンブラント(1606-69年)や17世紀バロック絵画の巨匠・ルーベンス(1577-1640年)の作品なども来日していますが、ここでは市民の生活風俗をいきいきと描き出したオランダの風俗画を少し紹介したいと思います。
★ピーテル・デ・ホーホ「デルフトの中庭」
(1658-60年頃:マウリッツハイス美術館蔵)
Photo by 展覧会公式HP
17世紀オランダを代表する風俗画家で、デルフトやアムステルダムで活躍したピーテル・デ・ホーホ(1629-84年)は、中流階級の家庭生活における慎ましい美徳や、市民階級の女性たちの心地良い空間を見せてくれる作品で知られています。
先に開催された「フェルメールからのラブレター展」にもデ・ホーホの特徴がよくわかる下記の作品が出品されていました。
絵はがき
(左)★ピーテル・デ・ホーホ「中庭にいる女と子供」
(1658-60年頃:ワシントン・ナショナルギャラリー蔵)
(右)★ピーテル・デ・ホーホ「室内(食糧貯蔵庫)の女と子供」
(1658年:アムステルダム国立美術館蔵)
右の作品で、召使いが子どもに与えている飲み物は、子ども用のビール。
当時のアムステルダムは水事情が悪かったので、栄養食にもなる“子ども用ビール”があった。
また、ワンピース着用の子供は、服の肩章から少年とわかる。
民衆の生活をユーモラスに描く絵画で知られるヤン・ステーン(1626-79年)は、オランダのことわざや習わしをモチーフにした興味深い作品が多いので私はいつも楽しみにしています。
★ヤン・ステーン「親に倣って子も歌う」
(1668-70年頃:マウリッツハイス美術館蔵)
Photo by 小学館「西洋美術館」
ずぼらな親が子どもたちの悪い手本になってしまうというテーマは、よく取り上げられますが、この絵では飲酒と喫煙に対する警告として、作者のステーン自身を、笑いながら子どもにパイプを吸わせる父親として描いている。
★ヤン・ステーン「医者の往診」
(1661-62年頃:ロンドン、ウエリントン美術館蔵)
Photo by 小学館「西洋美術館」
額に手を当てている若い女性が患っているのは、弓矢を手にした「当世風の装いのクピド」が示すように『恋患い』。
★ヤン・ステーン「混乱した連中」
(1663年頃:ウイーン美術史美術館蔵)
Photo by「西洋絵画史WHO’S WHO」
散らかった部屋で自堕落な生活をするなという戒めでしょうか。
”中流階級の家では、きれいに掃除・整頓されたなかで慎み深い生活をしなさい”とは、耳が痛い・・・・
フェルメールは、ありふれた日常生活をテーマにした風俗画でありながら、静謐な世界観が感じられる作品が多いのですが、初期の頃は、宗教画も何枚か描いています。その後、市場のニーズにあわせて風俗画家に転身したようです。
絵はがき★フェルメール「紳士とワインを飲む女」
(1658-59年頃:ベルリン国立絵画館蔵)
ベルリン国立絵画館にはフェルメールの作品が2枚ありますが、フェルメールの最高傑作の1枚といわれ、今回来日している「真珠の首飾りの少女」と共に展示されている「紳士とワインを飲む女」は、女性の表情が見えないためか人気はあまり高くないようですが、完成度の高い作品といわれています。
同じドイツのドレスデン国立絵画館には、ザクセン公の巨匠コレクションとして2枚のフェルメールがありますが、まったく雰囲気の異なる2作品が並べられていたのがちょっとした衝撃でした。
★フェルメール「取り持ち女」
(1656年:ドレスデン国立絵画館蔵)
フェルメール初期のこの作品を初めて見たときは、なんだか趣味がよくない印象を受けたが、図版を何度も見返す内に“「風俗画家としてやっていこう」というフェルメールの決意が伝わる作品”として受け入れられるようになってきた。
★フェルメール「窓辺で手紙を読む女」
(1658-59年頃:ドレスデン国立絵画館蔵)
購入時はレンブラントの作品とされていたが、フェルメールが新しい風俗画にむかって一歩踏み出した作品といわれている。
フェルメールと同時代のオランダで活躍した上記二人の画家の作品は、日本で開催されるフェルメール関連の展覧会でもよく展示されるのでご覧になった方も多いかと思います。三者の作品を見比べると、フェルメールの作品が格別の魅力を備えていることがよくわかるのではないでしょうか。
ところで、今回ご紹介した作品を含めてフェルメールの作品には、同じ家具や道具類が複数枚の絵に登場したり、異なったモデルがファーのついた黄色いガウンを着用しています。
これは画家の省エネ?と自分で勝手に解釈していたら、それらは画家独自の世界を創造するためのアトリエの小道具だったようです。
★フェルメール「眠る女」メトロポリタン美術館
(1656-57年頃:メトロポリタン美術館蔵)
Photo by 「芸術新潮」
同じ小道具つながりで最後にご紹介するフェルメールは、今年の秋に東京都美術館で大規模な展覧会が開催されるニューヨーク・メトロポリタン美術館の所蔵品です。
メトロポリタン美術館にはいずれもコレクターから寄贈された5枚のフェルメール作品がありますが、「眠る女」は“貸し出さないという条件付きの遺贈”なので、ニューヨークに行かなければ見ることが出来ません。
もしニューヨークに行かれる方は、同じマンハッタン地区にあり、3枚のフェルメール作品も門外不出の『フリックコレクション』ご訪問をお忘れなく。
お父さんはつらいよ・・・・『幼児キリストの養父・ヨセフ』は白髪頭の老人? [私的美術紀行]
ダヴィデの末裔にあたるナザレの大工だったヨセフが、まだ10代の乙女マリアと婚約・結婚した時、彼は既にかなりの年齢だったようでいわゆる“年の差婚”でした。
当時ヨセフは男やもめで先妻との間に子どもがいたという説もありますが、婚約者が自分のあずかり知らぬところで身重となったのはショックだったに違いありません。しかし、ヨセフはマリアの夫として身重のマリアをベツレヘムに連れて行き、キリスト降誕の時は産婆を捜し回ったり、のちにヘロデ王の蛮行から逃れるためエジプトへの逃避の際は高齢をおして母子を守るなどとても献身的なお父さんです。
それにしても、絵画作品にみるヨセフ像は、高齢を強調するように頭髪もまばらな白髪頭の老人として描かれたものが多いように思います。
絵はがき★ラファエロ「カニジャーニの聖家族」★
(1505-06年頃:アルテ・ピナコテーク蔵)
聖母子の画家・ラファエロがフィレンツェで活動をはじめた頃、この街の名家カニジャーニ家の注文によって描いた宗教画。
聖母子に加え、聖ヨセフ、聖ヨハネ、ヨハネの母エリザベツの5人が安定した三角形の構図に収まっている。
上部の天使たちは18世紀に一度塗りつぶされたが1983年に修復された。
本作品のヨセフは、杖にすがってやっと立っているかなり高齢の老人に見えますが、ラファエロはこの数年前には若々しい姿のヨセフを描いています。ヨセフ像のあまりにも激しい変わりようは依頼主の要望に応える為だったのでしょうか。
★ラファエロ「マリアの結婚」★
(1504年:ブレラ美術館蔵)
(Photo by「週刊 美術館」)
ラファエロは、本作品では14歳のマリアにふさわしい若者としてヨセフを表現しているが、この作品を描いた21歳の秋、ペルージャからフィレンツェに向かい、上述の別人のように年老いたヨセフ像を描いている。
★カラヴァッジョ「エジプト逃避途上の休息」★
(1595年頃:ドーリア・パンフィーリ美術館蔵)
(Photo by「もっと知りたいカラヴァッジョ」)
長旅に疲れた様子の聖母子の傍らでヨセフが譜面を持ち、天使が聖家族のためにヴァイオリンを奏でる。
優雅な曲線の天使の後ろ姿は、カラヴァッジョがラファエロやマニエリスム絵画を研究した成果。
聖母子の背後の風景描写からはカラヴァッジョの後の作品にはない叙情性が感じられる。
絵はがき★ムリーリョ「小鳥のいる聖家族」★
(1650年:プラド美術館)
以前訪問したプラド美術館で、“小犬に自分の手の中にいる小鳥を見せて遊ぶ幼子キリストを優しく見守るマイホームパパという「聖家族」”を、見つけてちょっとびっくり。
16世紀半ばの対抗宗教改革の影響で17世紀に『ヨセフ崇拝』も高まり、図像でもヨセフのトレードマークのようだった白髪が黒くなり、若返ってイメージアップした潮流で描かれた作品と考えられる。
★グイード・レーニ「聖ヨセフと幼児キリスト」★
(1638-40年:個人蔵)
(Photo by「西洋絵画の主題物語 聖書編」)
まさにマリアをヨセフに置き換えた聖父子像だが、初孫を抱き上げて喜ぶおじいちゃんのようにも見える?
★ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「大工のヨセフ」★
(1640年:ルーヴル美術館)
(Photo by 展覧会チラシ)
夜の仕事場で大工仕事に精を出すヨセフに、ローソクを持った幼いキリストが何か語りかけている。
当時の庶民の日常光景のように見えながら、ローソクの光に浮かび上がる父子の姿に深い精神性が込められた作品は、私のイチオシ「聖父子像」。
明暗の強調はカラヴァッジョの影響で劇的だが、ラ・トゥールは形を単純化させ、デフォルメするセザンヌの先駆者ともいえる。
本作の詳しい解説については、このブログでも何度か紹介しています有地京子さんの「ルーヴルはやまわり」をぜひご覧ください。
さて、お父さんつながりで「20世紀近代絵画の父」と称される画家セザンヌ父子についてのエピソードもちょっとだけご紹介。
(詳しくは、拙ブログのこの記事をお読みいただければ幸いです)
★セザンヌ「青い衣装のセザンヌ夫人」★
(1888-89年:ヒューストン美術館蔵)
(Photo by 2008年開催の展覧会のチラシ)
絵はがき★セザンヌ「画家の父」★
(1866年:ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)
南仏エクス=アン=プロヴァンスの裕福な実業家の息子として生まれたセザンヌは、事業の後継者となることを望む父の反対を押し切って画家になりましたが、画家として成功するまでには長い年月を要しました。
父の仕送りが打ち切られることをおそれたセザンヌは、パリで知り合った内縁の妻と息子の存在を父にはひた隠しにし、オルタンス夫人を正式な妻として父に紹介出来るようになったとき息子は14歳になっていました。
忍耐強くポーズをとり続けるモデルとして画家を支えたオルタンス夫人でしたが、その数年後、父の死によりセザンヌが莫大な遺産を相続し、生活が安定したとき妻との間は完全に冷め切っていたとか。
画家のサイド・ストーリーや作品の背景など、名画の裏に隠されたエピソードを知ると名画鑑賞の楽しみが深まりますね。
『聖母子の画家』ラファエロが描く聖母マリア、あなたのベスト・マドンナは? [私的美術紀行]
巨匠たちが競って描いた多様な「聖母マリア」の中でも私のお気に入りはラファエロ(1483-1520)の描く優美なマリア様のお顔。
★「大公の聖母」
(1504年:フィレンツェ・ピッティ美術館蔵)
(Photo by 「週刊美術館」)
フィレンツェ時代初期に描かれた心温まる母と子という本作品は、一見すると平凡な絵に見えるが、西洋絵画で聖母を立たせるのは革新的でもあった。
この作品は教会の絵はがきやパンフレットにも使われるほど「聖母子」お約束のイメージを定着させた。
子どもの頃からカトリック教会に縁のある人間にとってはいわば「聖母子像の原点」ともいえる作品。
ラファエロは37年という短い生涯の中で50点*の「聖母子」を描き『聖母子の画家』ともいわれます。
(*30点説もある)
8歳で母親と死別し、その3年後に、画家であり絵の手ほどきをしてくれた父親をも亡くしたラファエロが「聖母子像」を愛したのは、生母の面影を追い求めていたのではないかという解釈ができます。
今回は私がこれまでに訪れた美術館所蔵のラファエロによる「聖母子像」からいくつかの作品をご紹介したいと思います。
中部イタリアのウルビーノに生まれ父の死により11歳で孤児となったラファエロは、ペルージャに出てペルジーノの工房に弟子入り。甘美な画風で中部イタリアの人気画家だったペルジーノから技術を学び、さらに独自の作風を形成したラファエロは17歳で親方となり、教会礼拝堂の祭壇画を受注するなど地元では“早熟の天才画家”といわれるようになります。
21歳でフィレンツェに移ったラファエロは、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロをはじめとするフィレンツェ美術の精髄を貪欲に吸収し、小さな肖像画や「聖母像」を描きながら“修業時代”を過ごしたようです。
フィレンツェ滞在中に描かれた数多い「聖母子像」の中から、幼き洗礼者聖ヨハネを交えた3人の見事な二等辺三角形の構図の「聖母子像」3連作を見比べてみましょう。
絵はがき★「牧場の聖母」
(1506年:ウィーン美術史美術館蔵)
なだらかな丘陵に家々が霞むのどかな田園風景の中、聖ヨハネが捧げ持つ十字架に興味津々の幼子イエスとその様子を見守る若き聖母マリア。伏し目がちな聖母マリアの表情には微かな憂いが見えるような気もする。
画面右下に突き出した聖母マリアの右足によって見事な二等辺三角形ができているが、このポーズはレオナルド・ダ・ヴィンチの「聖アンナと聖母子」にそっくり。
★「ヒワの聖母」
(1506年:ウフィツィ美術館蔵)
(Photo by 「週刊西洋絵画の巨匠」)
聖ヨハネが差し出す鶸(ひわ)は、キリストの受難を象徴するが、背景などからは未来の苦しみを予感させる雰囲気は感じられない。
幼子が母の足の上に自分の小さな足を載せているポーズが愛らしく、情愛に満ちた聖母子像からはルネッサンスらしい人間味が感じられる。(聖母マリアが手にする本はキリストの受難が予告されている聖書?)
★「美しき女庭師」
(1507-08年:ルーヴル美術館蔵)
フィレンツェ時代の「聖母子」3連作の完成版では、幼子キリストと聖ヨハネの位置が入れ替わっているが、前2作との違いは“3人の愛ある視線”
ルーヴル美術館所蔵で“聖母の最高傑作”ともいわれる本作の詳しい解説については、ルーヴル美術館作品解説のスペシャリスト・有地京子さんの「ルーヴルはやまわり」をぜひご覧ください。
やがて“ラファエロの聖母”の評判は教皇ユリウス2世の耳にも届き、25歳になったラファエロはローマに招聘され、ヴァティカン宮殿の教皇の居室「署名の間」の装飾作業を任されることになります。
この大壁画の成功によりラファエロの名声は確固たるものになり、以後亡くなるまでの12年間にわたり、ラファエロはヴァティカンの宮廷画家を務めました。
多忙を極めたラファエロは、弟子たちに指示を与えて作業を進めさせることが多くなりましたが、パトロンたちの肖像画や聖母子像の制作は自ら手がけたといわれています。
★「フォリーニュの聖母」
(1511-12年頃:ヴァティカン美術館蔵)
(Photo by 「聖母マリアの美術」)
ヴァティカンといえば、署名の間を飾る「アテネの学堂」(1509-10年)やラファエロの絶筆となった「キリストの変容」(1518-20年)が有名だが、“(自然体の)雲に乗るマリア”を主題にした本作はローマに来て4年目に描かれた大型祭壇画。
絵はがき★「サン・シストの聖母」
(1513-14年頃:ドレスデン絵画館蔵)
北イタリアのサン・シスト聖堂の為に描かれた作品だが、画面左の殉教者聖シクストゥスにユリウスの肖像が見て取れるようにも見られることから教皇ユリウス2世が自分の墓碑飾りとして描かせたともいわれる。
(聖母の顔は、ラファエロの恋人フォルナリーナ?)
1520年4月、原因不明の高熱が1週間続いたラファエロは、37歳という短い生涯を終え、死去の翌日慌ただしく古代ローマの神々を祭ったパンテオンに埋葬されました。
(Photo by 「週刊美術館」)
ラファエロが眠るローマ南部パンティーノの丘に建つパンテオンは、紀元前に創建された円形神殿。
1度焼失し、2世紀にかのハドリアヌス帝*によって再建された。
*今話題の映画「テルマエ・ロマエ」でお馴染みですね!
ロレンツェットの作によるラファエロの墓『石の聖母』は、誰が供えるのかいつも花が絶えないという。
『あなたに見せたい絵があります』・・・・ブリヂストン美術館開館60周年記念 [私的美術紀行]
今年開館60年を迎えたブリヂストン美術館で開催中の特別展「あなたに見せたい絵があります」を見てきました。
開館当初の石橋正二郎コレクションから始まり60年間にわたって継続してきた石橋財団コレクションの収集活動の成果を発表するという特別展は、「自画像」、「肖像画」、「レジャー」、「物語」、「山」、「海」など11のテーマで構成されていました。
ふだん東京では見られない石橋美術館(久留米市)所蔵品とともに常設展示とは異なる文脈で展示された作品たちを、ブリヂストン美術館の学芸員の方のレクチャー付きガイドで鑑賞するという機会に恵まれ贅沢なひとときを過ごすことができました。
約100点の特別展出品絵画の中から特に私の印象に残った作品をいくつかご紹介したいと思います。
★セザンヌ「帽子を被った自画像」
(1890-94年頃)
セザンヌが描いた自画像30点のうちのひとつ。
50代前半に描かれた本作品はセザンヌの造形における実験のあとを色濃く残した作品。
★マネ「自画像」(1878-79年)
マネが生涯に2点しか制作しなかった自画像のうちの1点。
もうひとつの作品は数年前のオークションで30億円で落札されたとか。
★ルノワール「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」
(1876年)
4歳の少女がリラックスした表情でおしゃまなポーズをとりながら、ほんの一瞬だけ見せた可愛らしい笑顔を切り取ったこの肖像画はいわばルノワールの出世作。
ルノワールは、ゾラやモーパッサンなど当時の人気作家の小説を手がける出版業者、ジョルジュ・シャルパンティエの長女ジョルジェットを描いたこの肖像画が依頼主から気に入られたことでサロンで成功することができました。
実際のジョルジェットの写真よりも可愛らしいともいわれるこの肖像画を気に入ったシャルパンティエは妻など家族の肖像画を計5点も依頼し、夫人が自宅で主催するサロンに招き友人・知人に紹介したそうです。
この2年後に描かれた「シャルパンティエ夫人と子供たち」の肖像画は、以前ニューヨークのメトロポリタン美術館で見ましたが、当時のブルジョワ階級の暮らしぶりがわかるだけでなく、超高級ブランドの新流行のドレスの魅力も伝わるファッション画にもなっているのが見どころです。
★藤島武二「黒扇」(1908-09年)
1908年、パリからイタリアに移った藤島武二が留学中に描いた気品ある女性像は、師の画風を受け継ぎながらも、流麗、闊達な筆遣いは藤島自身の資質にもよっていると評されている。
画家の滞欧期を代表するこの作品を画家自身とても気に入っていて、長らく手元に置いてあったという。
★藤島武二「天平の面影」
(1902年:石橋美術館蔵)
重要文化財に指定されている本作品は藤島武二が1905年の渡欧前に描かれたもの。
藤島武二は洋画を描くようになる前は日本画を学んでいたそうだが、素人目には西洋で流行した“ジャポニズム”のような雰囲気を感じる。
★ピカソ「腕を組んですわるサルタンバンク」
(1923年)
ピカソは旅芸人や曲芸団を題材にした作品を好んで描いているが、確かなデッサンで古代彫刻のようにがっしりした体つきに描かれている。
★青木繁「わだつみのいろこの宮」
(1907年:石橋美術館蔵)
“山で狩りをする暮らしをしていた山幸彦は、日頃海で漁をしている兄の道具を借りて釣りに行ったところ釣り針をなくしてしまった。兄がどうしてもその釣り針を返せというので途方に暮れていた弟は、海の神に導かれて海の彼方へ。そこで出逢ったトヨタマヒメに一目惚れして結婚した”という古事記の物語。
28歳で夭折した伝説の天才画家・青木繁(1882-1911)は、留学経験はありませんがイギリスのロセッティ(ラファエル前派)などが神話や物語主題の作品を扱ったことを知り、日本やアジアの神話を主題にした作品を描いています。
石橋美術館の所蔵品には、石橋財団コレクションの柱となっている青木繁の著名な作品「海の幸」や「海景(布良の海)」などもありますが、久留米出身の洋画家、坂本繁二郎が小学校の図画代用教員時代に石橋正二郎氏を教えていた縁で、坂本と同郷の友人で既に亡くなっていた青木繁の作品を集めるようになったそうです。
ブリヂストン美術館では、没後100年にあたる2011年に青木繁の大回顧展を開催しましたが、日本の画家についてあまり知識のない私は全然気づきませんでした。普段目にすることが出来ないこれらの作品を、今回の特別展で間近に見られたことは私にとって非常にラッキーだったといえます。
★坂本繁二郎「放牧三馬」
(1932年:石橋美術館蔵)
印象派のような明るい光と風が感じられる作品の主題は、坂本が好んでスケッチしたという阿蘇の放牧馬。
進学をあきらめて代用教員になったものの、友人である青木繁に刺激されて上京し、絵を学んで洋画家となった坂本繁二郎(1882-1969)は、1921年渡仏。
フランスで明るく鮮やかな色彩の風景画に磨きをかけましたが、1924年、郷里の久留米に戻ると以後は東京に戻ることなく終生九州で制作を続けたといいます。
石橋美術館は、坂本繁二郎の作品を多く所蔵していますが、石橋文化センターの園内には坂本が実際に使っていたアトリエが八女市から移築されています。
★ゴッホ「モンマルトルの風車」(1886年)
当時パリの若者たちの人気スポットで、ルノワールの著名作品の舞台にもなっている「ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット」を描いたもの。
しかしゴッホがパリに出て間もない時期に描かれた本作品の色彩は暗く、人物もいないので物寂しい風景画にも見える。とはいえ、空、風車、地面の描き方を変えた筆遣いはオランダ時代から進化。
★モネ「黄昏、ヴェネツィア」(1908年)
68歳のモネは、この年の春体調を崩し、目の状態も悪化したが、9月末から12月半ばまで妻のアリスと一緒にヴェネツィアを初めて訪れ本作を制作した。
静養が当初の目的だったが、この町の独特な光にすっかり魅了されたモネは、ホテルに長期滞在して約3カ月間制作に没頭したという。
翌年、モネはヴェネツィア再訪を計画するものの健康がすぐれず断念した。
★セザンヌ「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」
(1904-06年頃)
故郷エクスのこの山がある風景をこよなく愛した画家が、最晩年に描いた作品のひとつ。
ブリヂストン美術館島田館長によると、
“前景の木の枝が一番遠くの山の稜線と呼応。青と緑の色の変化だけで描いている。
緑と青の中に黄土色という補色の建物を入れて色だけで画面を構成した作品は、ピカソやマチスの新しい絵画に繋がるもの” (BSジャパン「欧州美の浪漫紀行3」より)
印象派や19世紀のフランス絵画などを日本の近代洋画と一緒に鑑賞できるブリヂストン美術館は、「世の人の幸福のために」をモットーとして美術館を開設した石橋正二郎氏の熱い思いが感じらるコレクションでした。
今回の特別展では、美術館の新所蔵作品として2点が展示されていましたが、その1点は、印象派のパトロンとしても著名なカイユボットの作品でした。
★カイユボット「ピアノを弾く若い男」
(1876年)新所蔵作品
(作品の画像はすべて絵はがきより)
東京駅からほど近い交通至便な場所にありながら、他の美術館よりも割安な入場料で素晴らしい作品を鑑賞できるブリヂストン美術館は私のお気に入りスポットになりそうです。
マイ・ベスト・フェルメールを探して 「フェルメールからのラブレター展」へ [私的美術紀行]
「フェルメールの傑作3作品が世界から集結!」というふれこみの展覧会ですが、特に最近修復された「手紙を読む青衣の女」は、以前から見たかった作品なので事前にTV番組や、美術解説セミナーで予習をしてから鑑賞しました。
★「手紙を書く女」★
(1655-56年頃:ワシントン・ナショナルギャラリー所蔵)
Photo by 展覧会チラシ
本展覧会の告知広告やチラシにも使われているので、最近目にする機会が多かった作品。
フェルメール作品に6度も登場する白貂をトリミングした黄色のガウンを着用し、ラブレターを書く手を休めてこちらを見ている若い女性は満ち足りていて一点の陰りも感じられない。
謎めいた表情が多いフェルメール作品においては異質ということで、アメリカ以外の国ではあまり人気がないとか。
机の上にさりげなく置かれた真珠の輝きも、彼女の服の黄色もこの作品ではとても美しく感じられる。
最近の修復によって、“描かれた当時の輝くような青色と明るい表現が甦った”「手紙を読む青衣の女」は、まさに実物を見なくては感じることのできないフェルメール・ブルーでした。
★「手紙を読む青衣の女」★
(1662-65年頃:アムステルダム国立美術館蔵)
Photo by 展覧会チラシ
フェルメールの最高傑作といわれる本作品は、修復後、オランダに先駆けて日本で初公開された。間近で見た実際の『青衣(フェルメール・ブルー)』は、印刷物で見るよりも落ち着いた色という印象。
金色の錨つきの椅子は質感も素晴らしく、色もとても美しい。この作品は“謎解き要素”が満載であることも人気の要因?
日本に居ながらにしてこの作品に出会えた幸せを感じる。
☆ゴッホが手紙の中で「とても美しい身重のオランダ婦人」と描写したり、マタニティドレスと解釈する研究者も多いそうだが、当時流行していた綿入れ風のスカート*着用とする『オランダ発の最新ファッション説』をとりたい。
☆女性が手紙をしっかり握りしめながら一心不乱に読む手紙の差出人は、一体誰?
そして、その内容は?
机上に置かれたもう一枚の手紙は?
壁に架けられた地図**と2脚の椅子、“愛を表す真珠”などから、旅行中の恋人からの手紙ではないかともいわれるが・・・・
*このスカートは、ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵の「天秤を持つ女」も着用。
**壁の地図は、「兵士と笑う女」↓にも登場。
★「手紙を書く女と召使い」★
(1670年頃:アイルランド・ナショナル・ギャラリー蔵)
Photo by 展覧会チラシ
2008年のフェルメール展にも来日している本作品は、“フェルメールの翳り行く晩年”の作品だが、女性の袖やカーテンの切り子状のひだは美しく評価は高い。
元は個人の邸宅に飾られていたが、2度も盗難にあったことから美術館に寄贈されたという。
☆“奥様が不倫相手にしたためている和解の手紙”のできあがりを待つ召使い?
今回、「コミュニケーション:17世紀オランダ絵画から読み解く人々のメッセージ」というコンセプトで集められて展示された作品は、フェルメールの他に、ヤン・ステーンやピーテル・デ・ホーホなど私にとってもお馴染みの画家の作品がありなかなかユニークな展覧会でした。
17世紀のオランダは他国に比べて識字率が高く、信頼できる郵便制度が成立していたということで、ラブレターなどのやりとりが絵画作品のモチーフとなり得たわけですが、アジア方面への手紙の返信が届くのは約2年後というのはちょっとした衝撃でした。
ところで、今回の展示作品ではありませんが、フェルメールの作品で、『手紙』をモチーフした作品にはどんなものがあるかちょっと調べて見ました。
★「窓辺で手紙を読む女」★
(1658-59年頃:ドレスデン国立絵画館蔵)
以前このブログでも何度かご紹介している本作品は、2005年の「ドレスデン国立美術館展」を含めて2度来日。
☆手紙を読む女性の表情は憂い顔に見える。手紙の内容がとても気になる・・・・。
絵はがき★「恋文」★
(1669-71年頃:アムステルダム国立美術館蔵)
こちらも2度来日している晩年の作品。
美術館から盗難にあってダメージを受けた箇所は修復家の手によって元通りにされたそうだ。
☆演奏の手を止めて召使いと顔を見合わせている女主人。一体どんな内容の手紙?
絵はがき★「女と召使い」★
(1667-68年:フリック・コレクション所蔵)
書き物をする女主人に手紙を届ける召使いという本作品は、フェルメールの風俗画作品の中では異例に大きいサイズ。(「手紙を書く女」の2倍くらい)
☆“暗く塗られた背景が、声をかける召使いと驚いたように振り向く女主人との間の一瞬の緊張を強調する”といわれる。しかし、フェルメール自身は、暗い背景の風俗画の出来映えが気に入らなかったのか、少し後の作品「恋文」は絵の構成としては衣装も含め両者は似通っているのに背景は全く異なっている。
オマケの情報 《門外不出のフェルメール作品》
大富豪だった実業家ヘンリー・クレイ・フリックの元自宅だったニューヨーク・マンハッタンの邸宅美術館にある作品はすべて『門外不出』。フェルメールの3作品も一切貸し出さないので其処に行かなければ見ることができない。
絵はがき★「稽古の中断」★
(1660-61年:フリック・コレクション所蔵)
以前は人物の後の壁にヴァイオリンがかかっていたが、売られる前に行われた修復で、後世に書き足した物と判断され取り除かれた。しかし、本当に後世のものだったのか疑問という説もある。
☆こちらを向いて戸惑ったような表情の少女が手に持つ白っぽいものは何?
絵はがき★「兵士と笑う女」★
(1658-59年:フリック・コレクション所蔵)
ワイングラスを手にした女性の笑顔が楽しそうな本作品は、ごく初期に描かれた風俗画。
フリックがもっとも気に入っていた絵といわれるが、「稽古の中断」を購入した10年前とくらべてフェルメールの価格は跳ね上がっていたらしい。
*壁に架かる地図は、「手紙を読む青衣の女」にも登場する。また、女性の服は、「窓辺で手紙を読む女」と同じようだ。
フェルメール作品は、主題から細部に至るまで謎解き要素が多いので何度見ても楽しめますし、印刷物を見て感じていた印象と、美術館で実物を見たときの印象が異なる作品もあります。
さて、マイ・ベスト・フェルメールは?