「チューリヒ美術館展」で、スイス人の審美眼をフルコースで味わう [私的美術紀行]
(展覧会チラシ)
2014年12月15日まで開催の「チューリヒ美術館展~印象派からシュルレアリスムまで」を鑑賞してきました。
金融で栄えてきた街・チューリヒ市民のコレクションが元になって作られた美術館が誇る近代美術の傑作74点がユニークな構成で紹介され、スイス人の審美眼の確かさを改めて認識。
絵はがき★モネ『国会議事堂、日没』★
(1904年)
モネはこの年、デュラン=リュエル画廊で予定より1年遅れとなった「ロンドン、テムズ川の風展」を開催。連作37点を展示し大成功を収めた。
絵はがき★シャガール『パリの上で』★
(1968年)
モネやシャガールなど日本人にもお馴染みの芸術家を特集した「巨匠の部屋」と、美術の運動や歴史を紹介する「時代の部屋」が交互に並ぶことで、美術史初心者も楽しく鑑賞できるようになっていたので、同行した娘も大満足の展覧会でした。
本展覧会の作品の中から私が気に入った作品などを順路に沿っていくつかご紹介します。
最初の展示室は北イタリアの山地出身で、独学でアルプス山中の風景と素朴な人々を描いたセガンティーニの2作品。
2番目の「モネの部屋」には縦2メートル×幅6メートルの睡蓮など6点が展示されています。
絵はがき★モネ『睡蓮の池、夕暮れ』★
(1916/22年)
初来日となったモネ晩年の大作は「外に貸し出すされるのは2度目」とのこと。
紫がかった水面に映える夕日の輝きや木立などが背景に溶け込み、抽象画に近いといわれている作品。
次の「ポスト印象派の部屋」にはゴッホや、ゴーギャン、セザンヌ、アンリ・ルソーの作品が並びます。
絵はがき★ゴッホ『サント=マリーの白い小屋』★
(1888年)
パリから地中海に面した漁村へやってきたゴッホの気持ちの高ぶりや喜びが、鮮やかな色遣いや躍るような筆遣いあらわれているといわれる作品。
絵はがき★セザンヌ『サント=ヴィクトワール山』★
(1902/06年)
セザンヌは、彼の精神的支柱ともなっていたサント=ヴィクトワール山の姿を繰り返し何度も描いているが本作はセザンヌ晩年の作品。
続いて「ホドラーの部屋」、「ナビ派の部屋」を鑑賞。
今年の夏、「冷たい炎の画家~ヴァロットン展」が話題になったスイスの画家、フェリックス・ヴァロットンの作品は「ナビ派の部屋」にありました。
絵はがき★ヴァロットン『訪問』★
(1899年)
謎めいていて、何かが起こりそうな気配に満ちている“胸騒ぎの光景”ともいわれるヴァロットンの特徴が伝わる作品。
絵はがき★ヴァロットン『アルプス高地、氷河、冠雪の峰々』★
(1919年)
おや、どこかで見た風景?
「水曜どうでしょう」ヨーロッパシリーズの再放送で見たばかりのスイスアルプスの氷河とそっくり!
絵はがき★ムンク『ヴィルヘルム・ヴァルトマン博士の肖像』★
(1923年)
「叫び」で知られるムンクが描いた肖像画の主はチューリヒ美術館初代館長。
ムンクも生活のために肖像画を描いていた時代があったようだ。
その後は、「表現主義」、「ココシュカ」と私にとっては未知の領域の作品が続きます。
「フォービスムとキュビスムの部屋」でマティスやピカソの作品をみつけて一息いれました。
絵はがき★ピカソ『大きな裸婦』★
(1964年)
ピカソが敬愛していたスペイン出身の画家・ゴヤの作品『裸のマハ』のオマージュといわれる本作のモデルは、ピカソが南仏ヴァロリスで出会って1961年に結婚し、ピカソの没後自殺したジャクりーヌ。
参考:絵はがき★ゴヤ「裸のマハ」★
(1797-1800年プラド美術館所蔵)
「(パウル・)クレー」、「抽象絵画」(カンディンスキー、モンドリアンなど)で近現代美術史を学んだあと、最後のお楽しみは「シャガールの部屋」。
私が美術に殆ど興味がなかった若い頃、まだ存命だったシャガールの版画に接してなんてファンタジーな作品と思ったのですが、そこに描かれていたのはシャガール自身の辛い過去や悲惨な戦争などがテーマとなっていたことを後から知りました。
絵はがき★シャガール『婚礼の光』★
(1945年)
本作はシャガールが最愛の妻を亡くした翌年に描かれた。
絵はがき★シャガール『戦争』★
(1964/66年)
画面右奥には磔にされたキリストが描かれている。
シャガールの素晴らしい作品をじっくり鑑賞した後、再び近現代美術史をさくっと学んでから美術館をあとにしました。
今回の「チューリヒ美術館展」の出展作品は、誰もが知っているビッグネームではなくてもわざわざ見に行くのに値する作品が多数出展されていたように思います。
最近の私は、気に入った作品は心ゆくまで鑑賞したいと思って、美術展はひとりで出かけることが多かったのですが、娘と一緒に鑑賞作品の感想などを語り合って余韻に浸りながら食事をして帰宅するのも良いものだなと思いました。
上野動物園のホッキョクグマ、ユキオは“リアルゆるキャラ”だった? [動物園歩き]
2014年11月25日、上野動物園のホッキョクグマ・ユキオ(♂26歳11か月)が亡くなりました。
夏も涼しい釧路から2年ぶりに体験する東京の暑い夏を何とか乗り切り、秋になってからは体調も良さそうだったユキオですが、老化にはかてなかったのか11月中旬ごろから食欲が減退、22日からは展示中止となっていました。
ユキオの死因は急性膵炎とのことですが、亡くなる4日前も閉園まで展示場に出て、展示場に出られなくなった後、寝小屋での療養中は飼育員さんたちの前でも弱さを見せずに夜間静かに息を引き取ったようです。
ドイツ生まれのユキオは生粋の“ゲルマン魂”の持ち主だったに違いありません。
(ユキオの献花台:11月28日夕方撮影)
ユキオの突然の訃報は新聞やテレビでも報道され、園内に設けられた献花台には連日多くの人が訪れ、ファンの方たちが持ち寄った在りし日のユキオの写真はたくさんの色とりどりの花束やアレンジに囲まれちょっと照れくさそうに見えました。
<11月14日のユキオ>
午前のオヤツタイム。
ユキオが見上げる視線の先には、長年ユキオの飼育係だった乙津さん。
視力や足腰が弱ったユキオにあわせて注意深くおやつを投入。
水中に投下されたおやつを追いかけるユキオ。
おやつを追いかけてユキオが優雅に泳ぎ回る姿にお客様、特にちびっこたちは大歓声をあげていました。
ユキオが泳ぐ姿を見るのはこの日が最後になるなんて思いもよりませんでした。
土の運動場のお気に入りの場所。
居ながらにして隣に展示されているデアちゃんの姿をみられるこの場所にユキオは何時間も座っていることがありました。
午後4時頃、大好きな泥んこ遊びで犬のような姿になったユキオ。
さっきまで元気に土の上を転げまわっていたユキオですが、心なしか疲れた表情に見えます。
訪れるたびにガラス越しにレンズを向けていた私に最後の挨拶をしてくれたと思いたい・・・
午後4時半過ぎ、デアちゃんが退出後、ユキオの運動場の扉が開いたのですが、いつものようにユキオは行きつ戻りつを何度も繰り返していて帰る気配がありません。
ようやく意を決したのか、扉をくぐり寝小屋への階段を下りて行きました。
(2014.11.14日撮影)
<ユキオのラストショット>
そして、5日後、午後の土の運動場でユキオはガラス面のすぐ前でぐっすり眠っていました。
この寝顔が私が撮影したユキオのラストショットになってしまいました。
(11月19日午後3時撮影)
上野に戻ってきたユキオが再デビューした4月16日、土の運動場での大好きな泥んこ遊びでまるでヒグマのように見えたユキオの茶グマ姿は、発情期の行動と重なったこともありとても衝撃的でした。
(ユキオの上野再デビューから夏を乗り切るまでの様子は以前のブログ記事でご紹介しています。)
≪ユキオの想いで≫
★衝撃の茶グマ姿のユキオが再デビュー★
4月16日、土の運動場で公開された姿、、、
子ども「あれ、ホッキョクグマって白いんじゃないの?
これはなんというクマ?」
母 「?・・・・」
2年ぶりの上野の土の運動場の感触を確かめるように歩き回る。
子ども「ここにいる大きいのトド?セイウチ?それとも?」
★ホッキョクグマのユキオですが何か?★
4月17日、「プールのある運動場で慣らし展示」。
放飼場を歩き回りましたがプールにはいることはしませんでした。
ユキオのトレードマーク・麻呂眉は健在。
★おーい、デア~:ユキオの春★
隣の展示場にいる若いメスのデアにオスとして懸命にアピールするユキオ。
(2014.4.23日撮影)
ユキオ、デアちゃんのストーカーか?
★東京の暑い夏を乗り切るユキオ★
春の発情傾向が落ち着いた後も、ユキオはデアちゃんが気になるらしく、土の運動場からプールのある放飼場にいるデアの姿が見える場所がお気に入りスポットでした。
(2014.6.4日撮影)
水をかけられたり、ミストが身体にかかるのは嫌いなユキオはいつもミストから少し離れた場所にいました。
ここならミストの恩恵を受けながら、デアちゃんの姿が見えるかもしれません。
ユキオが土の運動場に出ているときはミストの大放出サービス?
穏やかな表情のユキオ
(2014.6.11日撮影)
★プールでユキオが優雅に泳ぐ姿は大好評★
5月の半ばからユキオがプールで泳ぐ姿が見られるようになりました。
大人のオスが優雅に泳ぎ回る姿はお客様から歓声が上がることもしばしば。
オヤツタイム、大きな馬肉が飛んできた!
(2014.7.16日撮影)
水中に浮遊するお肉を追いかけるユキオの動作はゆっくりで、
プールの底に沈んだおやつを探すのも楽しそうだった。
(2014.8.12日撮影)
目を閉じて、ゆったりと真夏のプールを楽しむユキオ。
(2014.8.22撮影)
★地上では、“ゆるキャラ”ぶりを発揮するユキオ★
水中での優雅な振る舞いとは異なり、地上にあがったユキオはたくまずしてユーモラスな姿を色々見せてくれました。
「オスのホッキョクグマとしての威厳が感じられない」という説もありますが、若い女性たちからは「可愛い~」と大好評。
私はユキオの自然体の“ゆるキャラ”ぶりを見るが楽しみでした。
<暑い夏は眠い!あくびも豪快に>
(2014.7.25日撮影)
(2014.7.29日撮影)
<まどろむユキオ、夢の中でレイコさんと話していたのかな?>
(2014.8.29日撮影)
(2014.9.10日撮影)
「あっ、レイコさんじゃなかったデアちゃんだ~」
(2014.9.3日撮影)
<馬肉大好き~ぼくは肉食系男子だよ!>
(2014.9.12日撮影)
(2014.9.18日撮影)
<身体や顔のストレッチは健康づくりに欠かせない?>
(2014.9.30日撮影)
「腹筋も鍛えないと寝たきりになっちゃうよ」
(2014.10.8日撮影)
「ぬいぐるみみたいだって?」
(2014.10.15日撮影)
<11月5日のユキオ>
オヤツタイムのユキオは、勢いよく飛び込むというよりはゆっくり水中に落ちる風情でした。
この日遠足でホッキョクグマのプールに来ていた園児さんたちは、水中のおやつを追いかけてゆったり泳ぐ大きなユキオがガラス面に接近するたびに大歓声を上げていました。
この子たちに良い思い出をプレゼントしてくれたホッキョクグマのことを大きくなるまで覚えていてくれるといいですね。
(2014.11.5日撮影)
2000年から2012年に釧路に移動するまで上野にいたユキオは、“麻呂眉”のホッキョクグマとして老若男女多くの方に愛されていたようですが、私は新しい獣舎が完成した2011年12月が初対面でした。
2012年3月に来園したホッキョクグマのデアちゃんの愛らしさに魅せられて通うようになった私ですが、気づいたらユキオさんの“自然体のゆるキャラ”的魅力にはまっていました。
ユキオさん、こんなに早くさよならを言わなければならないのはとても残念ですが、短い間にたくさんの思い出をありがとう !
生まれてから死ぬまで動物園に暮らしていた貴方は、まさにプロの展示動物でした。
これからはどうぞゆっくりおやすみくださいね。