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もっと知りたい!カラヴァッジョ、バロックの開祖にして殺人者、呪われた?天才画家 [私的美術紀行]

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★「聖マタイの召命」★
1600年:ローマ、サン・ルジ・ディ・フランチェージ聖堂蔵)


17世紀初頭のイタリアでバロック絵画を誕生させ、光と闇の演出による劇的な宗教画を数多く描いたカラヴァッジョ(本名はミケランジェロ・メリージ:1571-1610年)は、レンブラント、ルーベンス、ベラスケス、フェルメールなど多くの画家に影響を与えた画家といわれています。

カラヴァッジョは、フェルメールと同じくわずか38年でその生涯を終え、現存する作品数も決して多くない(約80点くらい?)のですが、イタリアをはじめ欧米各地に作品が点在しているため私自身も数年前までカラヴァッジョについてはよく知りませんでした。

日本ではカラヴァッジョの作品をまとめてみられる機会が少なく、2001年に東京都庭園美術館と愛知県・岡崎市美術館で開催された「カラヴァッジョ展 光と影の巨匠―バロック絵画の先駆者たち」(ローマ時代の作品6点展示)が初めてだったようです。当時の私は、まだカラヴァッジョについてまったく興味がなく、この展覧会のことも知りませんでした。


カラヴァッジョ~天才画家の光と影~【完全版】 [DVD]

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  • 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
  • メディア: DVD

カラヴァッジョの没後400年を記念して日本で公開された「カラヴァッジョ~天才画家の光と影」という映画を見て大変感動し、彼の人生と作品に興味を持った私はその後、有地京子先生の美術解説セミナーや美術書でカラヴァッジョについて多少勉強していました。


今回は、カラヴァッジョの生涯をたどりながら作品をご紹介したいと思います。

映画はDVDにもなっていますが、最近TVの衛星放送でこの映画がオンエアされていたので改めて見直してみると、“愛に生き、悲運に散った天才の感動物語”として美しくまとめ過ぎた感はありますが、歴史的な名画をスクリーンの中で鑑賞できる「カラヴァッジョ的世界」はとても魅力的です。


“その人生は、光の部分は限りなく美しく、影の部分は果てしなく罪深い”
といわれたカラヴァッジョの生涯とは、、、、

(参考&Photo:宮下規久朗著「もっと知りたいカラバッジョ」)


もっと知りたいカラヴァッジョ―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

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  • 作者: 宮下 規久朗
  • 出版社/メーカー: 東京美術
  • 発売日: 2009/12
  • メディア: 単行本


1571929日、ミラノで生まれる。

1577年、ミラノでペストが流行し父が亡くなり、一家は近郊の町カラヴァッジョに移住。

1584年、13歳で家を出てミラノの画家シモーネ・ペテルツァーノと4年間の徒弟契約。

1592年、母の死後、姉弟と遺産を分けてローマへ出る。
様々な工房を渡り歩き、当時のローマ画壇の人気画家ダルピーノの工房に入り花や果物の絵を描くが8ヶ月で辞める。

カラヴァッジョ(病めるバッカス)のコピー.jpg
★「病めるバッカス(バッカスとしての自画像」★
1594年頃:ボルゲーゼ美術館蔵)


◆1595年、「いかさま師」がデル・モンテ枢機卿の目にとまり、庇護を受けて邸館に移り住む。

この頃「果物籠を持つ少年」や、「病めるバッカス」(ボルゲーゼ美術館蔵)、「リュート弾き」(エルミタージュ美術館蔵)など静物画や少年像を描く。


カラヴァッジォ(アレクサンドリアの聖女カタリナ)のコピー.jpg

★「アレクサンドリアの聖カタリナ」★
1597年頃:ティッセン=ボルネミッサ・コレクション蔵)


カラヴァッジョ(メドゥーサ)のコピー.jpg
★「メドゥーサ」★
1597-98年:ウフィッツィ美術館蔵)


カラヴァッジョ女占い師)のコピー.jpg

★「女占い師」★
159899年頃:ルーヴル美術館蔵)


1599年、サン・ルイジ・ディ・フランチェージ聖堂の礼拝堂壁画でデビュー、名声を得る。
聖マタイ伝」の連作でその名をローマ画壇に知らしめる。


1600年、サンタ・マリア・デル・ポポロ大聖堂の礼拝堂壁画を受注。
この頃から素行不良が目立ちはじめしばしば出入獄を繰り返す。


カラヴァッジョ(聖母の死)のコピー.jpg

★「聖母の死」★
1601-03年頃:ルーヴル美術館蔵)

聖母の躯のリアルな描写が衝撃的。。。


カラヴァッジョ(蛇の聖母)のコピー.jpg

★「蛇の聖母」★
1605-06年:ボルゲーゼ美術館蔵)

聖母の母・聖アンナがみすぼらしい老婆にみえる、聖母の服装が庶民的過ぎるなどと批判された



16011605年、教会などから受注した「聖母の死」(ルーヴル美術館蔵)、「蛇の聖母」などが完成作品の受け取り拒否される。


カラヴァッジォ(エマオの晩餐)のコピー.jpg

★「エマオの晩餐」★
1606年:ブレラ美術館蔵)

同じ主題の作品はロンドン・ナショナルギャラリーにもあるが、こちらの作品の方が完成度が高いと思われる




1606-1607年、殺人を犯してローマから逃亡
死刑宣告」が出され、南イタリアを転々とする。

この頃、「エマオの晩餐」(ブレラ美術館蔵)などを描いて逃亡資金を蓄える。


カラヴァッジョ(ヴィニヤクールの肖像)のコピー.jpg

★「アロフ・ド・ヴィニャクールの肖像
1607-08年頃:ルーヴル美術館蔵)

マルタ騎士団の黄金時代を築いた団長はフランス人。
現存する唯一真筆確実な肖像画




1607年、マルタ島に渡り、マルタ騎士団団長の庇護の元に作品を制作。

洗礼者ヨハネの斬首」により騎士団への入会を許可されるが、直後に身分の高い騎士と喧嘩して逮捕、幽閉されるが脱獄してシチリア島に渡り、絵を描きながら放浪する。

1609年、ナポリに戻るも、居酒屋で何者かに襲われ瀕死の重傷を負う。

カラヴァッジョ(ダヴィデとゴリアテ)のコピー.jpg

★「ダビデとゴリアテ
1610年頃:ボルゲーゼ美術館蔵)

斬られたゴリアテの首に自らを重ねた、画家の遺言ともいうべき最後の自画像



1610年、恩赦の期待を抱きながらローマへ向かうが、近郊の港パロで誤認逮捕され、釈放後、没収された教皇へ献上する絵画を探してポルト・エルコレへ。
718日、熱病のため死去、享年38歳

その直後にローマで恩赦がでたという。


以前このブログでもご紹介しましたが、私にとってカラヴァッジョ作品との関係は長らく“接近すれども遭遇せず”ともいうべき状況で、海外の美術館で作品を鑑賞しながらも作者を意識していなかったり、作品そのものを鑑賞したかどうかも覚えていないことも結構あったのです。

実は、今回ご紹介した作品も実際に鑑賞しているはずの作品が多いのです。


さて、カラヴァッジョの時代、絵画制作のためのプロモデルというのは存在しなかったので、カラヴァッジョの聖母マリアも
自分の身近にいた娼婦たちなどをモデルにしていたようで、そのことが倫理に反するとして作品の受け取り拒否に結びついたといわれています。

また、「聖母の死は、眠っているように表現する”という常識を超えた発想で描かれたことも教会の怒りを招いたようです。

ドゥッチオ聖母の死.jpg

ドゥッチオ「聖母の死」★
1311年:シエナ、ドゥオモ美術館蔵)

フース聖母の死.jpg

★ファン・デル・フース「聖母の死」★
(1480年頃:ブリュージュ、グルーニンヘ美術館蔵)

(上記2点のPhoto by「西洋絵画の主題物語・聖書編」)


「荘厳の聖母」で知られるシエナ派の巨匠・ドゥッチオや、フランドル派のファン・デル・フース(グース)が描いた作品などの聖母マリアとの違いは当時の聖職者にとっては許し難かったのかもしれません。

受け取り拒否された「聖母の死」は、作品の価値を認めていたルーベンスの勧めでマントヴァのゴンザーガ公が購入し、現在はルーヴル美術館が所蔵しています。


カラヴァッジョの作品保有数が一番多いのは、ローマにあるボルゲーゼ美術館ですが、ルーヴル美術館も3点を所蔵。

このブログでも何度かご紹介している「ルーヴルはやまわり」には、「聖母の死」と「女占い師」の詳しい解説が載っていますのでぜひご一読ください。


ルーヴルはやまわり - 2時間で満喫できるルーヴルの名画

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