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永遠の美神・皇妃エリザベート、プライベート・ファッションは?・・・・「輝ける皇妃エリザベート展」 [お気に入り]

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(展覧会チラシ)


日本橋三越で開催された輝ける皇妃 エリザベート展に行ってきました。

ヨーロッパに絶大な勢力を誇ったハプスブルク家の実質的に最後の皇妃だったエリザベートは、“美貌の悲劇のヒロイン”としてあまりにも有名ですが、ミュージカルや映画にもなり、多くの伝説がありながらその実像は以外と知られていないように思います。


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(展覧会チラシ)

このブログでも何回かご紹介していますが、私は『皇妃エリザベート(愛称シシィ)』の大ファンで、ウイーンやハンガリーなどでシシィゆかりの場所に行き、書籍なども読んでいますが、今回の展示では、個人の所蔵品となっていて普段なかなかお目にかかれない皇妃愛用の品々や、写真などの資料がたくさんありました。


皇妃エリザベートの肖像

1865年、ヴィンターハルターが描いた有名な肖像画は、2009年の「ハプスブルク展」で来日したが、同じような肖像画が実は3枚存在。(→詳しくは、こちらの記事をご覧ください)
今回は、数少ないといわれる少女時代の肖像画が展示されていた。

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高貴な身分の女性は、一度袖を通した衣装を“お下げ渡し”する慣習があったため、おしゃれで着こなし上手だったシシィのプライベートな衣装の展示はありませんでしたが、シシィが実際に身につけていた宝飾品等を色々見ることができました


1898910日のシシィの死と、その20年後のハプスブルク帝国崩壊により飛散してしまった、皇妃エリザベート愛用の品々を一同に集めたといわれるウイーン王宮内の“シシィミュージアム”でも見られなかったファッション・アイテムをいくつかご紹介します。


エリザベートの星の髪飾り

1865年にヴィンターハルターが描いた有名な皇妃エリザベートの肖像に見られる「星の髪飾り」は、ダイヤモンドの十芒星のようにみえるが、個々の星の端部の角も8本や10本の両方があり、シシィが実際に身につけて描かれたものかどうかは不明。

星の髪飾りは、皇帝がシシィのために2社に依頼し、八芒星と十芒星のものが造られていた。
後年、この絵をもとに“エリザベートの星の髪飾り”として造られた宝飾品もあり、そのレプリカ等が土産物として販売されている。

今回は、シシィが実際に身につけていた伝説の「髪飾り」(ロゼット&フィッシュマイスター社制作)が日本で初めて公開された。

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(Photo by 絵はがき)
会場で販売されていた公式カタログには、「星の髪飾り」についての詳細な記事があります。



伝説のウエスト50センチを保つ《コルセット


シシィは身長172センチ、体重45-50キロを生涯維持し、ウエストは50センチくらいしかなかった。
この体型を維持するために、乗馬や狩りを好み、日々ダイエットに励み、室内でもエクササイズを欠かさなかった。
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(展覧会チラシより)

シシィの娘のギーゼラ(次女)が母の遺品として所有していたベルトの長さは51センチ、直径は15センチしかない。



社交の場のマスト・アイテム《》のコレクション

貴族たちは高価な素材・豪華な装飾の扇を競って買い求めた。
今回もシシィが愛用していた豪華な扇がいくつも展示されていた。

貴婦人たちは社交の場で、コミュニケーションツールとして扇を活用していたようだが、歯並びを気にして、人前では笑顔を見せることもなく口を一文字に結んでいたシシィにとって扇は口許を隠すためのツールとして不可欠だったらしい。


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(展覧会チラシより)

エリザベートの頭文字が刺繍されたお気に入りの『黒いレースの扇』の他に、『金彩の扇』のような東洋的な雰囲気のデザインの扇もあった。



エリザベート愛用の宝飾品


美の探求者だったエリザベートは、宝飾品のデザインにもこだわり、自分でデザインして造らせることもあったようだ。
ハエをモチーフにした宝飾品などは今見てもなかなか斬新なデザインにみえる。

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(展覧会公式カタログより)

(上)
オリジナルデザインの“ハエ”をモチーフにした金のネックレス、ブローチ、ヘアピン
スカラベ(ふんころがし)のブレスレット


(下)
トルコ石のネックレス

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(展覧会の公式カタログより)



ハンガリー王妃として

1866年、ハプスブルク家の領地を二分して、オーストリア=ハンガリー二重帝国が成立し、皇帝・フランツ・ヨーゼフはハンガリー国王となり、シシィは30歳にしてハンガリー王妃となった。

ハンガリーをこよなく愛していたシシィは、ウイーンの王宮よりもブダペストに滞在することの方が多く、末娘のマリー・ヴァレリーはブダで生まれている。

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ブダペストのマーチャーシュ教会で盛大な戴冠式が行われ、シシィはハンガリーの民族衣装をモチーフにして、パリのクチュリエにデザインさせたドレスを着用した。

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戴冠式の衣装をまとったシシィの写真と肖像画があるが、絵はがきにもなっているこの写真は、シシィ自身が所有していたアルバムにも貼ってあった。
スタイルに自信のあったシシィは斜め後ろの角度から撮るようなシルエットを強調した写真を好んだといわれる。


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エリザベートの肖像画としてよく知られているのは、先ほどのヴィンターハルターによるものだが、1867年にジョルジュ・ラップが描いた「戴冠式のエリザベートの肖像」も絵はがきになるほど人気がある。



家族写真

シシィには、長女ゾフィー、次女ギーゼラ、長男ルドルフ、三女マリー・ヴァレリーの4人の子どもがいたが、自分の手元で育てることができたのはマリー・ヴァレリーだけだった。

今回は、無類の写真好きで知られたシシィが所蔵していた私的な家族写真などが多数出品されていたが、ノイシュヴァンシュタイン城を建てたバイエルン王で従兄弟の、ルードウィッヒ2世と一緒に写った貴重な写真も見ることができた。

シシィの居室には、様々な写真が机上や、壁に飾られていた他に、ヨーロッパ各地に駐在の大使に集めさせた彼女のコレクションである「女性のポートレイト」などを飾るための衝立もあり、お気に入りの写真に囲まれて生活していたことが知られている。

今回出品された家具調度品の中でも、カイザー・ヴィラのシシィの書斎に飾られていた「家族写真付き屏風(衝立)」は私にとって大変興味深い一品だった。



また、シシィは黒十字架付きロケットに、2歳で夭折した長女の髪の毛を入れ、終生肌身離さず身につけていたが、写真をいれたロケットなども愛用品として展示されていた。

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(展覧会の公式カタログより)

皇帝の2歳違いの弟で、1867年にメキシコ皇帝として非業の死を遂げたマクシミリアンを敬愛していたエリザベートは、夫妻の写真をこのロケットの中にいれていたという。

マクシミリアンは、優秀な兄の陰でハプスブルク帝国内に居場所がなく、くすぶっていたところにナポレオン3世から持ちかけられた『メキシコ皇帝』という地位に飛びついてメキシコの向かった。しかし名ばかりの雇われ皇帝は、フランス軍という後ろ盾を失ったあげく共和派によって処刑されてしまった。


1867年のマクシミリアン大公の死を皮切りに、皇帝フランツ・ヨーゼフには次々身内の死が襲いかかります。
1889年の最愛の息子ルドルフの“心中事件”の後、皇妃は常に喪服をまとい、ウイーンの王宮を離れて旅に出る日が続き“さまよえる悲しみの聖母”という異名をつけられたそうです。
そして、美貌も健康も失ったシシィは厭世観の果て、死に憧れていたのではないかといわれています。

1898年9月10日、シシィはスイス・レマン湖のほとりでイタリア人アナーキストによって刺殺され、61歳の生涯を終えました。

“死こそがシシィがようやく手に入れた安息だったに違いない”といわれるような波乱の生涯でしたが、なぜか多くの人を惹きつける不思議なキャラクターの持ち主です。


ウイーンの王宮内にある“シシィミュージアム”でも詳細まではわからなかったプライベートなライフスタイルやファッションの好み、無類の写真好きだったというシシィの「私的な家族写真」などを実物(コピー)で確認できる大変興味深い展覧会でした。


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『謎解き』挑戦も楽しいフェルメール鑑賞・・・・マウリッツハイス美術館展 [私的美術紀行]

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現在、上野の東京都美術館で開催中の「マウリッツハイス美術館展」に行ってきました。

午前中の混雑を避け、平日の遅い午後に出かけたので比較的落ち着いた環境で鑑賞することができました。

17世紀オランダ絵画の名作が並ぶ中で、念願だった「真珠の耳飾りの少女」をゆっくり観ることができたので大満足です。

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フェルメールは、その生涯にも謎が多いといわれていますが、現存している作品数が30数点と寡作にもかかわらず研究者により真偽の評価が分かれる作品があります。

また、作品を観る者が様々な解釈をできる要素も多く、『謎解き』挑戦は私にとってフェルメール作品鑑賞のお楽しみのひとつです。


“フェルメールはたびたび、作品の主題について手がかりを残す一方で、
読み解きやすい人物や小物などの説明的な要素を省いた。

その結果、作品に謎めいた印象を与え、絵画が何を伝えようとしているのか、
観る者が思いを巡らせるように誘う。

「真珠の耳飾りの少女」は、今日フェルメールの最も有名な作品だ。
この少女には私たちを魅了する何かがある。(中略)


少女の視線はまるで、私たちに彼女の物語を想像するように求めているかのようだ”

(展覧会公式ミニリーフレット マウリッツハイス美術館長のメッセージより)


さて、今回来日している「真珠の耳飾りの少女」と「ディアナとニンフたち」は、
1984年に東京などで開催された「マウリッツハイス王立美術館展」でも一緒に出品されていますが、どちらも近年の修復作業により新発見があった作品です。

残念ながら私は前回の来日時は実際に鑑賞していないのですが、絵はがきなどでもその違いを確認することができます。



★フェルメール「真珠の耳飾りの少女」★

1665-66年頃:マウリッツハイス美術館蔵)

1902年にハーグの資産家コレクター、デス・トンプから遺贈された作品だが、デス・トンプは1881年にこの絵をオークションでわずか2ギルダー30セントという安値で購入した。

100
年以上前と貨幣価値をにわかに比べにくいが、2002年、オランダにユーロが導入されたときの交換レートにすると約1ユーロ。
なぜ、こんな安値で取引されたのか?


(修復前)
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朽木ゆり子氏の著書*によると、この絵の保管状態が非常に悪く、誰も競りに参加しなかったからではないかという。

マウリッツハイス美術館の主任修復士ヨルゲン・ワドム氏が1994年から翌年までかかった洗浄修復では、口唇に浮かぶさまざまな情報が顕在化した。

修復前は、少女の顔色もニスが黄色っぽくなり、口角の白い点は傷と考えられ塗りつぶされていたが、若い女性の口唇に特有な瑞々しい潤いが蘇った

(現在)
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特に向かって右の口角に白く輝く反射光の発見、口唇中央の微細なハイライトの点描の筆致がはっきりした。
鋭く突き刺すような冷たいまなざしと対照的に、何かをいいかけて薄く開いた小さな口許のなまめかしさ・・・・


★フェルメール「ディアナとニンフたち」★

1653-54年頃:マウリッツハイス美術館蔵)

オランダ政府が1876年に購入したときは、ニコラス・マースの作品として購入。
しかし、その後それが偽の署名であることがわかり、その下からフェルメールの署名が現れた。

当時のマウリッツハイス美術館長がフェルメール初期の作品と認定したが、小林頼子氏のようにフェルメールの作と認めない専門家もいる。


(修復前)

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(Photo by 朽木ゆり子「フェルメール全点踏破の旅」*)

1999年から翌年にかけての修復作業で、絵の右上にあった青空が19世紀に追加されたものだとわかり取り除かれた。

(現在)

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その下から出てきたのが現在のような黒い背景。

昼間の情景→夜の情景に・・・・

ディアナは狩りの女神で月の神でもあり、純潔の象徴で、ディアナとニンフを主題にした絵画作品は数多い。
お供のニンフたちは半裸体の背中を見せている一人を除き着衣というのが慎ましい?


フェルメールのビッグ・イヤーということで、私のフェルメール鑑賞も今年に入って3度目ですが、「フェルメール、○○の謎に迫る」などと題したテレビ番組が目に付きます。
似通った内容の番組も多く、若干食傷気味ですが、814日にBS日テレでオンエアされた「ぶらぶら美術・博物館、マウリッツハイス美術館展」は、ナビゲーターの山田五郎さんと東京都美術館・学芸員の方のわかりやすいガイドで参考になる情報も多く好感が持てました。

今回美術展の売店で私が買い求めた美術手帖
20126月号増刊 特集フェルメールは、携帯便利な小型ムックに最新情報が満載です。


※フェルメールの作品は修復により新発見がある例が色々あり、このブログでも以前ご紹介していますのであわせてお読みいただければ幸いです。

「日本人は“フェルメールブルー”と“引き算の美学”に惹かれる?」(2012.1.17


《『謎解き』挑戦のガイドブック》にもオススメ!


美術手帖 2012年6月号増刊 特集 フェルメール

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  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 美術出版社
  • 発売日: 2012/06/07
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フェルメール全点踏破の旅 (集英社新書ヴィジュアル版)

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  • 作者: 朽木 ゆり子
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2006/09/15
  • メディア: 新書


 ◆おまけの情報◆

東京都美術館は、リニューアル工事によりバリアフリー化がなされました。
また、開館時間の延長や、お子様向けのツール貸し出しなどもあります。
展示作品数は、厳選48点なのでゆっくり鑑賞できます。


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『ほのぼのアート』が心を動かすチカラ・・・・イラストレーター・谷一郎さんの個展 [お気に入り]

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猛暑と連日の深夜~明け方に及ぶロンドン五輪中継TVに興奮し、選手たちと共に歓喜したり落胆したりで自分もエネルギーを使い果たし、体調がイマイチという方も多いのではないでしょうか?

冷房の効いた部屋でTVの前から離れられない日々の中銀座の画廊へイラストレーター・谷一郎さんの個展を見に行きました


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鳥の言葉  みんなの言葉」という作品展の会場には、いつかどこかで見かけるみぢかな鳥たちに混じって、犬や魚やなんだかわからない動物たちの絵や版画が並んでいました。

私が現役時代に勤務していた会社のクリエイティブ・ディレクターだった谷さんが描いていた“ほのぼのした癒し系キャラクター”を彷彿させる作品に出会い、しばし“何かを思って、何かを話したがっている、彼らのコトバを聞いてみることにしました。”


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★「まだ、行く?」★


疲労困憊のペンギンたちがそれでも頑張る先に待っているのは栄光の表彰台?

なんだか、国民の期待を一身に背負ってロンドン五輪で頑張っている選手たちの姿がダブってきました。


イラストのペンギンたちは意外とリアルで、今年の春訪問した「旭山動物園」のペンギンたちもこんなポーズをしていましたっけ・・・・


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“まだかしら? 登りは疲れるわね。”
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“やっぱり高いところから見る景色は違うわね”

旭山動物園のペンギンたち、冬の積雪期間、毎朝恒例となっている、「ペンギンの散歩」というウォーキングイベントのお仕事をやった後の自由時間でした。


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★「ねえ、月が青いよ」★

と小鳥に話しかけられているのは、“帰宅恐怖症”のお父さん?それとも?


“金メダルしか考えていなかったので、違う色のメダルで申し訳ない・・・・”とコメントをする日本選手もいましたが、男子体操、「団体」でのまさかの失敗演技を「個人総合の金」でリカバーした内村航平選手は、続く種目別でも「銀」。でもメダルの色よりも自分で設定した目標をクリアできたかどうかにこだわっている姿に感動しました。



ところで、『鳥の言葉・・・・』という個展のタイトルと作品から、私は最近よく聴くチェロの名曲『鳥の歌』を連想しました。

チェロの巨匠 パブロ・カザルスが祖国カタロニアの民謡でクリスマス・キャロルとして歌われていた原曲をチェロ用に編曲し、祖国に寄せる熱い想いと同時に祖国と世界に送るメッセージを歌い込めた曲です。
1971年、国連本部で、94歳のカザルスは「私の故郷カタルーニャでは、鳥たちはピースピースと鳴きながら空を飛ぶのです」といってこの曲を演奏しました。


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★パブロ・ピカソ 「鳩」★
(1957年:バルセロナ・ピカソ美術館蔵)

平和を願う鳥といえば真っ先に思い浮かぶのは、鳩ということで、同じスペインが生んだ巨匠・ピカソの描く「鳩」のイメージが曲のメロディにダブっていたのですが、谷さんの作品に登場する心優しげな小鳥たちもなんだかこの曲のイメージにぴったりのように見えてきました。


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谷一郎さんの個展の会場では、元の同僚たちにも偶然再会しました。
この
10数年の大半を中国駐在員として勤務し、翌日からまたも上海に長期出張という後輩女性らとおしゃべりをし、心が和むような絵に囲まれて、癒されるひとときを過ごすことができました。



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★「ぼくの分はないの?」★

と水鳥の背中でつぶやく小鳥。


ほのぼのする作品ですが、個展から帰る途中に立ち寄ったデパ地下で、晩ご飯のおかずとして私は迷うことなく「鮎の塩焼き」を求めていました。

どうやら
“魚が食べたい!”という小鳥のコトバが聞こえて、私は無意識のうちにその声に従う購買行動をしていたようです。

そういえば、谷さんは、イラストレーターという顔を持つ現役の広告クリエイター。声高に“買ってくれ”といわなくてもメッセージが伝わる作品になっていたのも不思議はありませんね。


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フェルメール鑑賞と一緒に17世紀オランダ風俗画のユーモラスな世界を楽しもう [私的美術紀行]

猛暑のさなかですが、東京上野では以前このブログでもご紹介したように、フェルメールの傑作絵画が隣り合うふたつの美術館で競演という豪華な状況です。


◆「真珠の耳飾りの少女」来日 
オランダ絵画の至宝 マウリッツハイス美術館展

2012.6.30
9.17(東京都美術館)

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絵はがきフェルメール真珠の耳飾りの少女
1665-66年頃:マウリッツハイス美術館蔵)

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フェルメールディアナとニンフたち
1655-56年頃:マウリッツハイス美術館蔵)

Photo by 展覧会公式
HP


◆初来日、フェルメールの「真珠の首飾りの少女」
in ベルリン国立美術館展

~学べるヨーロッパ美術の
400年~
2012.6.13-9.17
(国立西洋美術館)

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絵はがきフェルメール真珠の首飾りの少女
1662-65年頃:ベルリン国立絵画館蔵)


私は、数年前ベルリンまで会いに行った「真珠の首飾りの少女」とは既に先月再会ずみなのですが、個人的には未見の「真珠の耳飾りの少女」とは来週対面する予定です。


オランダ・ハーグのマウリッツハイス美術館は、西洋美術史に大きな影響を及ぼした
17世紀オランダ・フランドル絵画の世界的コレクションで知られていますが、今回は同館が改修工事で休館しているために世界的なフェルメール・ブームのシンボル的存在である「真珠の耳飾りの少女」の再来日が実現しました。


17
世紀初頭に独立をはたした新興国オランダでは、市民社会の成立と繁栄を背景に、ごくありふれた市民生活を描いた風俗画や静物画にも脚光があたるようになり、オランダ絵画の黄金時代が到来しました。


今回の展覧会には、フェルメール(1632-75年)にも通じる深い精神性が感じられる“光と影の画家”として日本人にも人気の高い巨匠・レンブラント(1606-69年)や17世紀バロック絵画の巨匠・ルーベンス(1577-1640年)の作品なども来日していますが、ここでは市民の生活風俗をいきいきと描き出したオランダの風俗画を少し紹介したいと思います。


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ピーテル・デ・ホーホデルフトの中庭
1658-60年頃:マウリッツハイス美術館蔵)

Photo by 展覧会公式HP

17世紀オランダを代表する風俗画家で、デルフトやアムステルダムで活躍したピーテル・デ・ホーホ1629-84年)は、中流階級の家庭生活における慎ましい美徳や、市民階級の女性たちの心地良い空間を見せてくれる作品で知られています。


先に開催された「フェルメールからのラブレター展」にもデ・ホーホの特徴がよくわかる下記の作品が出品されていました。
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絵はがき
(左)★ピーテル・デ・ホーホ中庭にいる女と子供
1658-60年頃:ワシントン・ナショナルギャラリー蔵)
(右)★ピーテル・デ・ホーホ室内(食糧貯蔵庫)の女と子供
1658年:アムステルダム国立美術館蔵)

右の作品で、召使いが子どもに与えている飲み物は、子ども用のビール。
当時のアムステルダムは水事情が悪かったので、栄養食にもなる“子ども用ビール”があった。
また、ワンピース着用の子供は、服の肩章から少年とわかる。


民衆の生活をユーモラスに描く絵画で知られるヤン・ステーン(1626-79)は、オランダのことわざや習わしをモチーフにした興味深い作品が多いので私はいつも楽しみにしています。


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ヤン・ステーン親に倣って子も歌う
1668-70年頃:マウリッツハイス美術館蔵)

Photo by 小学館「西洋美術館」


ずぼらな親が子どもたちの悪い手本になってしまうというテーマは、よく取り上げられますが、この絵では飲酒と喫煙に対する警告として、作者のステーン自身を、笑いながら子どもにパイプを吸わせる父親として描いている。


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ヤン・ステーン医者の往診
(1661-62年頃:ロンドン、ウエリントン美術館蔵)

Photo by 
小学館「西洋美術館」

額に手を当てている若い女性が患っているのは、弓矢を手にした「当世風の装いのクピド」が示すように『恋患い』。


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ヤン・ステーン混乱した連中
1663年頃:ウイーン美術史美術館蔵)

Photo by「西洋絵画史
WHO’S WHO」

散らかった部屋で自堕落な生活をするなという戒めでしょうか。
”中流階級の家では、きれいに掃除・整頓されたなかで慎み深い生活をしなさい”とは、耳が痛い・・・・


フェルメールは、ありふれた日常生活をテーマにした風俗画でありながら、静謐な世界観が感じられる作品が多いのですが、初期の頃は、宗教画も何枚か描いています。その後、市場のニーズにあわせて風俗画家に転身したようです。


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絵はがきフェルメール紳士とワインを飲む女
(1658-59年頃:ベルリン国立絵画館蔵)


ベルリン国立絵画館にはフェルメールの作品が2枚ありますが、フェルメールの最高傑作の1枚といわれ、今回来日している「真珠の首飾りの少女」と共に展示されている「紳士とワインを飲む女」は、女性の表情が見えないためか人気はあまり高くないようですが、完成度の高い作品といわれています。


同じドイツのドレスデン国立絵画館には、ザクセン公の巨匠コレクションとして2枚のフェルメールがありますが、まったく雰囲気の異なる2作品が並べられていたのがちょっとした衝撃でした。


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フェルメール取り持ち女
1656年:ドレスデン国立絵画館蔵)

フェルメール初期のこの作品を初めて見たときは、なんだか趣味がよくない印象を受けたが、図版を何度も見返す内に“「風俗画家としてやっていこう」というフェルメールの決意が伝わる作品”として受け入れられるようになってきた。



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フェルメール窓辺で手紙を読む女
1658-59年頃:ドレスデン国立絵画館蔵)

購入時はレンブラントの作品とされていたが、フェルメールが新しい風俗画にむかって一歩踏み出した作品といわれている。


フェルメールと同時代のオランダで活躍した上記二人の画家の作品は、日本で開催されるフェルメール関連の展覧会でもよく展示されるのでご覧になった方も多いかと思います。三者の作品を見比べると、フェルメールの作品が格別の魅力を備えていることがよくわかるのではないでしょうか。


ところで、今回ご紹介した作品を含めてフェルメールの作品には、同じ家具や道具類が複数枚の絵に登場したり、異なったモデルがファーのついた黄色いガウンを着用しています。
これは画家の省エネ?と自分で勝手に解釈していたら、それらは画家独自の世界を創造するためのアトリエの小道具だったようです。


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フェルメール眠る女」メトロポリタン美術館
1656-57年頃:メトロポリタン美術館蔵)

Photo by 「芸術新潮」



同じ小道具つながりで最後にご紹介するフェルメールは、今年の秋に東京都美術館で大規模な展覧会が開催されるニューヨーク・メトロポリタン美術館の所蔵品です。
メトロポリタン美術館にはいずれもコレクターから寄贈された
5枚のフェルメール作品がありますが、「眠る女」は“貸し出さないという条件付きの遺贈”なので、ニューヨークに行かなければ見ることが出来ません
もしニューヨークに行かれる方は、同じマンハッタン地区にあり、
3枚のフェルメール作品も門外不出の『フリックコレクション』ご訪問をお忘れなく。


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