マイ・ベスト・フェルメールを探して 「フェルメールからのラブレター展」へ [私的美術紀行]
「フェルメールの傑作3作品が世界から集結!」というふれこみの展覧会ですが、特に最近修復された「手紙を読む青衣の女」は、以前から見たかった作品なので事前にTV番組や、美術解説セミナーで予習をしてから鑑賞しました。
★「手紙を書く女」★
(1655-56年頃:ワシントン・ナショナルギャラリー所蔵)
Photo by 展覧会チラシ
本展覧会の告知広告やチラシにも使われているので、最近目にする機会が多かった作品。
フェルメール作品に6度も登場する白貂をトリミングした黄色のガウンを着用し、ラブレターを書く手を休めてこちらを見ている若い女性は満ち足りていて一点の陰りも感じられない。
謎めいた表情が多いフェルメール作品においては異質ということで、アメリカ以外の国ではあまり人気がないとか。
机の上にさりげなく置かれた真珠の輝きも、彼女の服の黄色もこの作品ではとても美しく感じられる。
最近の修復によって、“描かれた当時の輝くような青色と明るい表現が甦った”「手紙を読む青衣の女」は、まさに実物を見なくては感じることのできないフェルメール・ブルーでした。
★「手紙を読む青衣の女」★
(1662-65年頃:アムステルダム国立美術館蔵)
Photo by 展覧会チラシ
フェルメールの最高傑作といわれる本作品は、修復後、オランダに先駆けて日本で初公開された。間近で見た実際の『青衣(フェルメール・ブルー)』は、印刷物で見るよりも落ち着いた色という印象。
金色の錨つきの椅子は質感も素晴らしく、色もとても美しい。この作品は“謎解き要素”が満載であることも人気の要因?
日本に居ながらにしてこの作品に出会えた幸せを感じる。
☆ゴッホが手紙の中で「とても美しい身重のオランダ婦人」と描写したり、マタニティドレスと解釈する研究者も多いそうだが、当時流行していた綿入れ風のスカート*着用とする『オランダ発の最新ファッション説』をとりたい。
☆女性が手紙をしっかり握りしめながら一心不乱に読む手紙の差出人は、一体誰?
そして、その内容は?
机上に置かれたもう一枚の手紙は?
壁に架けられた地図**と2脚の椅子、“愛を表す真珠”などから、旅行中の恋人からの手紙ではないかともいわれるが・・・・
*このスカートは、ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵の「天秤を持つ女」も着用。
**壁の地図は、「兵士と笑う女」↓にも登場。
★「手紙を書く女と召使い」★
(1670年頃:アイルランド・ナショナル・ギャラリー蔵)
Photo by 展覧会チラシ
2008年のフェルメール展にも来日している本作品は、“フェルメールの翳り行く晩年”の作品だが、女性の袖やカーテンの切り子状のひだは美しく評価は高い。
元は個人の邸宅に飾られていたが、2度も盗難にあったことから美術館に寄贈されたという。
☆“奥様が不倫相手にしたためている和解の手紙”のできあがりを待つ召使い?
今回、「コミュニケーション:17世紀オランダ絵画から読み解く人々のメッセージ」というコンセプトで集められて展示された作品は、フェルメールの他に、ヤン・ステーンやピーテル・デ・ホーホなど私にとってもお馴染みの画家の作品がありなかなかユニークな展覧会でした。
17世紀のオランダは他国に比べて識字率が高く、信頼できる郵便制度が成立していたということで、ラブレターなどのやりとりが絵画作品のモチーフとなり得たわけですが、アジア方面への手紙の返信が届くのは約2年後というのはちょっとした衝撃でした。
ところで、今回の展示作品ではありませんが、フェルメールの作品で、『手紙』をモチーフした作品にはどんなものがあるかちょっと調べて見ました。
★「窓辺で手紙を読む女」★
(1658-59年頃:ドレスデン国立絵画館蔵)
以前このブログでも何度かご紹介している本作品は、2005年の「ドレスデン国立美術館展」を含めて2度来日。
☆手紙を読む女性の表情は憂い顔に見える。手紙の内容がとても気になる・・・・。
絵はがき★「恋文」★
(1669-71年頃:アムステルダム国立美術館蔵)
こちらも2度来日している晩年の作品。
美術館から盗難にあってダメージを受けた箇所は修復家の手によって元通りにされたそうだ。
☆演奏の手を止めて召使いと顔を見合わせている女主人。一体どんな内容の手紙?
絵はがき★「女と召使い」★
(1667-68年:フリック・コレクション所蔵)
書き物をする女主人に手紙を届ける召使いという本作品は、フェルメールの風俗画作品の中では異例に大きいサイズ。(「手紙を書く女」の2倍くらい)
☆“暗く塗られた背景が、声をかける召使いと驚いたように振り向く女主人との間の一瞬の緊張を強調する”といわれる。しかし、フェルメール自身は、暗い背景の風俗画の出来映えが気に入らなかったのか、少し後の作品「恋文」は絵の構成としては衣装も含め両者は似通っているのに背景は全く異なっている。
オマケの情報 《門外不出のフェルメール作品》
大富豪だった実業家ヘンリー・クレイ・フリックの元自宅だったニューヨーク・マンハッタンの邸宅美術館にある作品はすべて『門外不出』。フェルメールの3作品も一切貸し出さないので其処に行かなければ見ることができない。
絵はがき★「稽古の中断」★
(1660-61年:フリック・コレクション所蔵)
以前は人物の後の壁にヴァイオリンがかかっていたが、売られる前に行われた修復で、後世に書き足した物と判断され取り除かれた。しかし、本当に後世のものだったのか疑問という説もある。
☆こちらを向いて戸惑ったような表情の少女が手に持つ白っぽいものは何?
絵はがき★「兵士と笑う女」★
(1658-59年:フリック・コレクション所蔵)
ワイングラスを手にした女性の笑顔が楽しそうな本作品は、ごく初期に描かれた風俗画。
フリックがもっとも気に入っていた絵といわれるが、「稽古の中断」を購入した10年前とくらべてフェルメールの価格は跳ね上がっていたらしい。
*壁に架かる地図は、「手紙を読む青衣の女」にも登場する。また、女性の服は、「窓辺で手紙を読む女」と同じようだ。
フェルメール作品は、主題から細部に至るまで謎解き要素が多いので何度見ても楽しめますし、印刷物を見て感じていた印象と、美術館で実物を見たときの印象が異なる作品もあります。
さて、マイ・ベスト・フェルメールは?
“アドリア海の真珠”ドゥブロヴニクの城壁ウォーキング・・・・2009年クロアチア・スロヴェニアツアー備忘録 [海外旅行]
★城壁からの眺め~旧港方面★
クロアチアの南端、アドリア海に面したドゥブロヴニクは、古くから「ラグーサ共和国」という海洋国家として栄え、小国ながら自治を貫いてきた歴史のある街です。
自由を旗印に地中海交易で繁栄した要塞都市の共和制は、ヴェネツィア、ハンガリー、オスマン帝国の支配下にあっても変わることはありませんでした。しかし、15世紀末、大航海時代の新大陸発見や、インド航路の確立と共に徐々に衰退し、1808年には、ナポレオンのフランス軍に征服され、共和制の幕を閉じました。
その後ドゥブロヴニクは、オーストリア領、旧ユーゴスラヴィア領となり、現在はクロアチアの一地方都市となっていますが、1991年、独立に際してユーゴスラヴィア連邦軍から受けた攻撃の傷跡は城壁遊歩道の上からも各所で見かけました。
旧市街の入口、ピレ門を入ったところに、ユーゴスラヴィアからの独立戦争による被害状況を説明する大きなボードがありました。
★「1991-92年のユーゴスラヴィア内戦による
ドゥブロヴニクの爆撃被害マップ」★
平和を取り戻した今、堅牢な城壁に囲まれたドゥブロヴニクの旧市街観光のハイライトは、なんといっても“アドリア海の真珠を満喫する”城壁からの眺め。
真夏は汗だくになる城壁ツアーですが、私たちは秋の午後の暖かい日差しの中、快適なウォーキングを楽しみました。
城壁の上に張り巡らされた遊歩道は1周約2キロ、遊歩道への入口は3ヶ所ありますが、反時計回りの一方通行なので、城壁の一部のみ歩きたい場合は要注意です。
★ピレ門横の「城壁入城口」からウォーキング開始★
隣の建物は、フランシスコ会修道院。
修道院内にある世界で3番目に古い薬局のオリジナル化粧品は女性に大人気。もちろん私も購入!
★私たちのゴールは、背後の「ミンチェタ要塞」★
★城壁からの眺め~「オノフリオの大噴水」★
1428年に造られた噴水は、12キロ離れた源泉から水を引いている。
★城壁からの眺め~プラツァ通りから旧港方面★
メインストリートの両側はショッピングストリート。
正面に見えるルジャ広場の鐘楼は毎時鐘が鳴る。
★標高412メートルのスルジ山★
旧市街を一望できる観光スポットであるスルジ山山頂までのロープウエーも、1991年の独立戦争の際に破壊された。(2010年7月に復旧)
★城壁からの眺め~「ボカール要塞」★
小さな湾をはさんで左右に海に突き出した要塞が立っている。
★城壁からの眺め~旧市街と新市街を結ぶ橋★
観光客は、ピレ門の外でバスを降り、この橋を渡って旧市街を観光する。
★城壁からの眺め~「ロブリイェナツ要塞」★
結構狭い通路もあるが、写真撮影スポットがたくさんある。
★城壁からの眺め★
城壁は切り立った岩の上に建っていることがわかる。
★城壁からの眺め★
1991年12月6日、この城壁は旧ユーゴ連邦軍による砲弾を浴びた。
旧市街の多くの建物が破壊され、多数の市民が犠牲になった。
その後数年がかりで街は修復されたが、爆撃の跡がそのままになっているところもある。
★城壁からの眺め★
城壁に隣接する旧市街の住宅の屋根の色が異なるのは、爆撃で破壊されたものを修復した建物と古い建物が混在しているから。
色鮮やかな瓦は砲撃後に修復されたもの。
★城壁からの眺め~「聖ピーターの砦」★
城壁の上には聖人の名前が付けられた小さな砦がたくさんある。
★城壁からの眺め★
クラシックな帆船スタイルの観光船が白波をたてながら航行。
沖合には大型船も停泊していたが、大型のクルーズ船は、旧港ではなく、もうひとつのグルージュ港から発着する。
★城壁からの眺め~ロクルム島★
旧港からは、旧市街の沖合約700メートルにあるロクルム島行きのグラスボートなどが発着。
★城壁からの眺め~「聖イヴァン要塞」の砲台★
★城壁~「聖イヴァン要塞」★
正面に見えるスルジ山の山頂には、19世紀初めナポレオンが贈ったという白い十字架があるが、現在あるものは戦争後に建て直されたもの。(ロープウエーも2010年に修復)
★城壁からの眺め~旧港と「レヴリン要塞」★
★城壁からの眺め~旧港★
かつて海洋国家の交易を支えた港の役割は別の港に移り、こちらは観光ボートの発着所として観光客で賑わっている。
3つのアーチが見える建物は、かつてアーセナルという造船所だったが、現在はレストランなどになっている。
★城壁からの眺め~「聖ルカ要塞」(左)と
城壁外に独立している「レヴリン要塞」★
★城壁からの眺め~「ドミニコ会修道院」★
当初、修道院は城壁外にあったが、防衛上重要な場所にあったため城壁に囲まれるようになった。
★城壁からの眺め~「ミンチェタ要塞」からの展望★
城壁の中で最も高所(25メートル)にあるので、町を一望する絶景が楽しめる。
ドゥブロヴニクは、大型のクルーズ船も寄港するが、国内各地の他、イタリアのバーリと結ぶフェリーも就航している。
★城壁からの眺め~内戦の爆撃の跡?★
★城壁からの眺め★
城壁ツアーもこれで終了です。
アドリア海に面した旧市街を一望する絶景を目に焼き付けて街へ降りました。
この美しい風景がもう2度と戦争に巻き込まれないことを祈ります。
このツアーで訪ねたスロヴェニア・クロアチア各地のハイライトは、以前2回に分けてご紹介していますのでご興味があればお立ち寄りください。
スロヴェニアとプリトヴィッツェ湖群などについては、こちらをご覧ください。
今回のドゥブロヴニクなどアドリア海沿岸の街については、こちらでご紹介しています。
◆ドゥブロヴニク城壁ツアーミニ情報◆
・遊歩道に入場できる時間は季節により異なる。(10月は、10:00~15:00)
・団体割引でどこからでも入場できるチケットは、ピレ門脇のチケット売場のみ。
・日本語のオーディオガイドなし。
・反時計回りの一方通行なので、時間の都合などで一部のみ歩きたい場合は要注意。
※遊歩道の途中には休憩できるカフェやトイレもある
スペインで最も美しい!『白い村・フリヒリアナ』・・・・2010年スペイン周遊旅行備忘録 [海外旅行]
グラナダからバスでマラガへ向かう途中、スペインで最も美しいといわれる白い村「フリヒリアナ」を訪ねました。
アンダルシア地方の白い村といえば岩山の斜面にはり付くように白壁の家々が立ち並ぶミハスが有名ですが、アルミハラ山麓になだれ込むように白い家並みが連なるフリヒリアナはとても素敵でした。
白い壁は頻繁に塗り替えて、いつでも白く美しい街並みを保つように住民たちが協力しあっていると聞きました。
細い道は小型車やオート三輪がすれ違うのも大変ですが、階段道の荷物運搬手段は?
コスタ・デル・ソルの玄関口、マラガからバスで20分ほどのこの町はイスラム時代から続く古い街並みを保存していることで知られているそうですが、まだ日本での知名度は高くないようです。
真っ白な家々を飾る色とりどりの鉢植えの花が旅人を楽しませてくれますが、フリヒリアナは狭い石畳の坂道や階段が多い町です。
ロバが今も荷物運びの現役とききましたが、ミハス名物の観光ロバタクシーはこの村にはなく、行き止まりも多く迷路のような街を散策するのは自分の足だけが頼りです。
《アンダルシア地方の街並み情報》
フリヒリアナは鉢植えの花で彩られた白い壁の路地がどこまでも続く魅力的な村でした。
★フリヒリアナ★
★コルドバの花の小路★
アンダルシア地方の街並みのイメージ写真には、『コルドバの花の小路』がよく使われますが、“この写真に見えるのがすべて”というほど狭いエリア。
観光客が集中する時間帯には記念撮影もままなりません。
モナリザだけじゃ勿体ない!ルーヴルではフェルメール鑑賞もお忘れなく [私的美術紀行]
☆★うっすら雪化粧のパリ☆★
☆★夜明けのパリ☆★
冬は朝8時でもまだ薄暗い
今年の冬、日本全国で厳しい寒さの日が続きますが、東京より緯度が高いパリでは今頃の季節は氷点下の気温の日が続いているのではないでしょうか。
2008年の年末から新年にかけてパリを訪問した私は、北国の厳しい寒さで風邪を悪化させてしまい、体調が回復するまでかなり苦労しました。
大晦日に見学したルーヴル美術館では、ラファエロの「美しき女庭師」を見た後、大混雑の人波にもまれたモナリザの展示室から別棟のフェルメールの展示室まで移動するのに大汗をかき、フェルメール観賞後は早々にルーヴルを退散してしまいました。
昨年秋、美術解説セミナー講師の有地京子先生が「ルーヴルはやまわり」~2時間で満喫できるルーヴルの名画~という本を出版されたのですが、あの時この本が手元にあったらもっと楽しくまわれたのにと思います。
- 作者: 有地 京子
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2011/11/09
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
●必見名画40点の作品リスト一覧表は巻末にあります
●表紙カバーの裏側に携帯便利なルートマップが印刷されています
「ルーヴルはやまわり」については、このブログでも以前ご紹介していますが、”巨大で複雑な迷宮・ルーヴル“を知り尽くした達人が裏技を駆使して、迷わず楽しく短時間で巡るルートを教えてくれます。
厳選40点の名画(時間に余裕がある方向けにはプラス15点の名画も)を楽しむ鑑賞ルートマップつきのガイド本という体裁ですが、ルーヴルに行かずに読むだけでも十分楽しめる名画解説本です。
◆ルーヴルはカルーゼルから入ろう!
では、もしあの時私がこの本に出会っていたら、モナリザの展示室からフェルメールの展示室までの移動中に鑑賞したかった名画を今回は数点だけですが有地先生推奨のルートに沿ってご紹介しましょう。
※周回ルート、必見名画リストなど鑑賞についての詳細は上(↑)でご紹介の本をご覧下さい。
◆迷わずにモナリザに直行しよう!◆
(ドゥノン翼2F・イタリア絵画)
★レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナリザ」★
1503-06年頃
◆バロックの開祖・カラヴァッジョの傑作を鑑賞◆
(ドゥノン翼2F・グランドギャラリー)
★カラヴァッジョ「女占い師」★
1595-98年頃
Photo by「もっと知りたいカラヴァッジョ」
◆ナポレオンの戴冠を堪能しよう!◆
(ドゥノン翼2F・フランス絵画の大作)
★ジャック・ルイ・ダヴィッド「ナポレオンの戴冠式」★
1806-07年
Photo by「るるぶパリ」
☆★オマケの情報☆★
ナポレオンは、エッフェル塔近くの「アンヴァリッド」に眠っています。
◆ルーヴルの穴場はリシュリュー翼!◆
北方絵画、日本人の愛するレンブラントとフェルメールへ
★フェルメール「レースを編む女」★
1669-70年頃
絵はがき★フェルメール「天文学者」★
1668年
2012年の東京は、まさにフェルメール展のビッグイヤーですが、名画揃いのルーヴルの中でもきらりと光るフェルメールの傑作鑑賞をお忘れなく!
バレンタインチョコもパンダ・・・・だよね! [パンダ]
★”春が待ち遠しい”さくらパンダのチョコ★
今年もバレンタインの季節がやってきました。
最近は、“世界中から集められた選りすぐりのチョコレートが日本で食べられる”甘党女子にうれしいイベントという意味合いが強くなったという説もありますが、甘い物が苦手の方もこの時期はやっぱり最新チョコ情報が気になるのでは?
★色白美人のシンシンは甘い物が苦手?★
とってもグルメなパンダなのに、実は甘い物は苦手らしいという上野動物園のパンダ・シンシンのイチオシチョコは、大丸・松坂屋の人気者“さくらパンダ”です。
★さくらパンダは2009.3全国デビュー★
★キティちゃんともコラボしました★
上野・松坂屋のオリジナルキャラクターだった“さくらパンダ”は、2009年、全国デビューしたのですが、今年はバレンタインチョコ・デビューを果たしました。
我が家にやってきたのは、イタリア・BABBIのさくらパンダです。
国内外でコレクターも多いベアブリックのパンダとBABBIのチョコレートウエハースがセットになっているので、甘い物が苦手でもこれならOKですね。
★さくらパンダのバレンタインチョコ★
モロゾフからは、色々な表情のさくらパンダがプリントされたプレーンチョコの詰め合わせが発売。
今年はことのほか寒さの厳しい冬ですが、さくらパンダで一気に春の気分?
★このパンダチョコ、誰かに似ている?★
(ウイーンのウイナー・ショコラーデケーニッヒで購入)
★えっ、私たちのことですか?★
南紀白浜の梅浜&永浜
★梅&永もビックリのパンダ・シューズ★
上野駅構内のお店で撮影
風車のある風景『ドン・キホーテの道』・・・・2010スペイン周遊旅行備忘録 [海外旅行]
★ラ・マンチャ地方:コンスエグラの風車★
★ドン・キホーテとサンチョ・パンサの像★
(マドリード・スペイン広場)
古都トレドを後にした私たちは、小高い丘の上の風車と騎士道物語「ドン・キホーテ」でお馴染みのラ・マンチャ地方に立ち寄りました。
『ラ・マンチャ』はアラビア語で乾いた土地を意味しますが、内陸部にあるこのエリアは海抜数百メートルの高原が続き、夏は雨量が乏しいため赤茶けた大地が広がっています。
スペインの作家セルバンテスが小説『ドン・キホーテ』の舞台に選んだ頃は貧しい地域だったそうですが、今では周辺に造られたダムからの灌漑用水によりサフランやテーブルワイン用のブドウ栽培が盛んです。
★ラ・マンチャ地方、風車のある風景★
イシイタカシさんのスペイン情景画より
★乾燥サフランとパエーリャの素★
ラ・マンチャはサフランの品質でも産額でも世界一のサフランの産地とのこと。パエリャなどのスペイン料理に欠かせない本物のサフランはかなり高価ですが、軽くて嵩張らないので女ともだちへのお土産に最適です。
★風力発電用の風車★
さて、ラ・マンチャ地方に入ると風力発電用の風車をたくさん見かけますが、昔ながらの風車の役割は石臼の粉を挽くためのものでした。
★熊本県阿蘇の風力発電用風車★
風力発電用の風車は風が強すぎても弱すぎてもいけないらしいのですが、以前阿蘇で見た発電用風車の近くに行ってみたらかなりの騒音でびっくりしました。日本で風力発電の普及がイマイチなのは地理的な環境によるものでしょうか。
私たちは、町のすぐ後の丘の上に9基の風車が整然と立ち並ぶコンスエグラの風車の写真を撮りに行きました。
★風車は夜になるとライトアップされる★
風車は、がっしりした石造りの円塔と木造の屋根で構成されていますが、風向きに応じて屋根に取り付けられた風車ごと屋根の向きを変える仕組みになっています。風車内の見学もできるようです。
★屋根が動かないように腕木を固定★
ドン・キホーテが巨人だと思って突進していった風車を横から見ると、尻尾のような腕木が付いていて、斜めに地面近くまで下がっています。この腕木を馬やロバに引かせたり、数人がかりで押したりして風車付きでとても重い屋根を回したそうです。
しかし、セルバンテスの時代に大活躍した風車も役目を終えて今は動いていないそうです。
放置されて朽ち果てていたのを、この地から中南米に移住して成功した人たちが資金を出して故郷の文化財として修復したと聞きました。
★丘の上から見たコンスエグラの町★
★コンスエグラの町から風車を見上げる★
コンスエグラ近くの街道沿いにあるプエルト・ラピセで、セルバンテスが宿泊したといわれている旅籠「ベンタ・デ・ドン・キホーテ」(現在はレストラン兼土産物屋)へ。
★ペンタ・デ・ドン・キホーテの中庭★
★井戸端には ドン・キホーテ像と具足★
★土産物屋の店内でも ドン・キホーテが出迎える★
ドン・キホーテが、とある街道沿いの旅籠を城だと思いこみ、そこで騎士に任ぜられるべく帯甲式を受けた旅籠のモデルといわれますが、中庭には当時からあった古風な井戸と馬やロバに水を飲ませるための水槽があります。井戸の傍らのドン・キホーテの像は後世のものですが、この中庭にいると中世にタイムスリップしたような気分になります。
★ドン・キホーテとサンチョ・パンサの像★
(マドリード・スペイン広場)
ところで、マドリードのスペイン広場にあるセルバンテスの像の足元には、ロシナンテに乗ったドン・キホーテとロバにまたがる従者サンチョ・パンサがひかえています。私はロシナンテという名前から、なんとなくロバだと思いこんでいたのですが、この像をよく見ると馬ですね。
(かなり前、某TV局の人気番組で南米を旅したお笑い芸人のお供だったロバの名前がロシナンテでした)
ラ・マンチャ地方では広大な平原にソラーパネルがずらっと並ぶ風景も見かけました。”太陽と情熱の国”スペインは再生可能なエネルギー大国になれるインフラに恵まれた国でもあるようです。
次はいよいよスペイン旅行のハイライト、アンダルシア地方へ。
コルドバへ向かう峠道は、昔は一列にならないと通れないほどの絶壁沿いの道だったそうですが、バスは橋やトンネルでつながれた高速度路を快適に飛ばしてアンダルシア地方に向かいます。