プラド美術館所蔵「ゴヤ 光と影」・・・・画家ゴヤが見つめた『スペイン王家夢のあと』 [私的美術紀行]
上野の国立西洋美術館で開催中のプラド美術館所蔵「ゴヤ 光と影」展を見てきました。
ゴヤはベラスケスと共にスペインが誇る二大宮廷画家の一人ですが、着衣のマハ」と「裸のマハ」という作品が有名な割に、日本では彼の画業についてはあまり知られていないように思います。
17世紀というスペイン栄光の時代に宮廷画家だったベラスケスと違い、18世紀後半から19世紀初頭、ナポレオン侵略によるスペイン激動の時代に生きたゴヤの絵は、人間の醜い面や不安を表現し、人間の不条理な世界を描き出したところに魅力があるといわれています。
今回のゴヤ展は、プラド美術館から貸し出された油彩画・素描を中心に、国立西洋美術館などが所蔵する版画を加えてゴヤの芸術の様々な側面が紹介されています。
私は、プラド美術館を2度訪れており、油彩画の大作は殆ど見ていますが、これまであまりよく知らなかった版画作品をまとめてみることができ、社会と人間の諸相を光と影の交錯のもとに捉えるゴヤの創造力の魅力を改めて実感することができました。
★「カルロス4世とその家族」1800-01年★
Photo by「迷宮美術館」
国王を押しのけて中央に立つ王妃をはじめ、豪華な衣装に身を包んだ彼らの表情のなかに王家の不穏な人間関係が如実に描き出された作品。人間観察の達人は、モデルの心の機微を冷徹な目で照らし出し、人間をめぐる悲喜劇を貪欲に描き出した。
今回は、この作品の人物下絵として描かれたフランシスコ・デ・パウラ・アントニオ王子(王妃と王の間)の肖像画が展示されている。
★プラド美術館北側のゴヤ門にある「ゴヤ像」:
足元には、彼の作品の登場人物たちが刻まれている
正面玄関のあるベラスケス門にはスペイン絵画の巨匠ベラスケスの銅像
絵はがき★「日傘」1777年★
ゴヤの風俗画の中でも私的にイチオシのこの作品は、エル・パルド宮殿オーストリア皇太子夫妻の食堂の扉に掛けるタペ゚ストリーの下絵として制作された。
ゴヤは、王室タペストリー工場の原画の仕事での評価を足がかりに王立美術アカデミー会員に推挙され、宮廷首席画家に就くなど出世欲も旺盛だったが、当時の風俗を深い洞察力で描いた原画の数々は独自の画風を培った。
本作品はフランスロココ様式の優美さや繊細さをとりいれながら、スペインの陽気で牧歌的な庶民の姿をいきいきと描写しているように見えるが、フランス風の衣装を着けた女性に日傘を差し掛けるマホ(伊達男)と女性の間には大きな身分の隔たりがあり二人の視線が交わることはない。
★「マハと色男たち
(マハとマントで顔を覆う男たち)」1777年★
Photo byプラド美術館カタログ
道端に座る男からちょっかいをだされた女性の連れがクレームをつけようとするが、「男には仲間がいるから」と男性を制する女性というストーリーらしい。
ちなみに“マハ”とは、当時のシティ・ライフを自由気儘に楽しんだ粋な下町姐さんのこと。
スペインの保守的な社会で、男性から庇護されるべきか弱い存在とされてきた貴婦人たちも、自らの自立への願望を表すために自立したマハたちのファッションを真似しはじめたという。
★版画集『ロス・カプリーチョス(気まぐれ)』
43番「理性の眠りは怪物を生む」1797-98年★
(国立西洋美術館蔵)
Photo by「週刊 西洋絵画の巨匠 ゴヤ」
1799年に出版された80点からなるゴヤ最初の風刺的な銅版画集は、あからさまな政治批判、社会批判を含んだ過激な内容が問題となった。宮廷画家という立場が危うくなることを恐れたのか、世に出回る前にゴヤ自身が回収したといわれる。
普段日本国内でゴヤの油彩画をまとめて見るのは難しいのですが、多くの美術館がゴヤの四大版画『気まぐれ』『戦争の惨禍』『闘牛技』『妄』を所蔵しており、ゴヤのおもな版画を国内ですべて見ることが可能です。
(上)絵はがき★「裸のマハ」1797-1800年★
(下)絵はがき★「着衣のマハ」1800-07年★
いかなる神話性も排した生身の女性の裸身は、誰に依頼され、何を意図して描いたのか?今でも謎の多いこの作品を描いたゴヤは、1815年、カトリックの異端審問所(宗教裁判所)に召喚され、糾弾された。
モデルは不明だが、ふたつの「マハ」はナポレオン軍の侵攻で失脚した宰相ゴドイ(王妃の愛人だった)の邸宅から発見されたことからゴドイが絵の依頼主とされる。
絵はがき★『素描帖C』
41番「同じ夜の3番目の幻影」1804-14年頃★
★「1808年5月3日
(マドリード、プリンシペ・ピオの丘での銃殺)1814年★
Photo by「週刊 世界の美術館」
ゴヤの戦争画の目的は、罪のない市民を巻き込む戦争がいかに残虐なものか、戦争の恐怖と悲劇という不条理を見る人に訴えかけることにあるといわれる。
絵はがき★「自画像」1815年★
異端審問所に召喚された69歳の画家の苦しみに満ちた幻滅の思いの表情は、自らの忍耐を表現しようとしているようにも見える。
★「我が子を喰らうサトゥルヌス」1821-23年★
Photo byプラド美術館カタログ
フランス革命によりスペインも動乱期を迎え、王政はいったん崩壊するがナポレオンの失脚によってフェルナンド7世が復位。しかし、自由主義者を弾圧する恐怖政治となり、スペインの国情は暗転。
70歳を過ぎたゴヤは、人間不信と強い厭世観に襲われ、「聾の家」と呼ばれた別荘の壁に14枚の「黒い絵」を描いた。(46歳の時、重病に陥り聴覚を失っている)
彼の死後、漆喰の壁からカンヴァスへ移された連作をおさめたプラド美術館の「黒い絵」展示室に入ると、部屋の壁を埋め尽くしたたくさんの「黒い絵」からゴヤの心の叫び声が聞こえてくるような気がして、何とも言いようのない恐怖感に襲われたことを今でも覚えています。
絵はがき★『素描帖G』
53番「蝶の牝牛」1825-28年頃★
1824年、自由派への迫害を恐れたゴヤは病気療養を表向きの理由にフランスのボルドーへ旅立つ。
ボルドーでも彼はデッサンや当時の新技法リトグラフを用いた版画集『ボルドーの闘牛』を制作するなど最後まで探求心は衰えなかったという。
ゴヤは、1828年半身不随で床に就き、4月16日、82歳の生涯をボルドーで終えました。
内戦にあけくれた最愛の故国スペインにゴヤが埋葬されたのは、死後91年後のことでした。
今回のゴヤ展は、目玉作品の「着衣のマハ」や「日傘」などの風俗画以外は地味な作品が多いのですが、私が初めてプラド美術館を訪問したときに入手した日本語版のカタログ本に掲載されている作品が7点も来日しています。
素描や版画などの小品が多く、タイトルや作品解説が鑑賞の手がかりになるので、会場が混み合いそうな日時を避けて鑑賞されることをオススメします。
夢の彼方へ・・・・FCバルセロナが世界の頂点にたった瞬間に立ち会う幸せ [サッカー]
★決勝戦開幕セレモニー★
3年ぶりの日本開催となった今大会は富士山がモチーフ
FIFAクラブワールドカップジャパン2011の決勝戦を横浜国際競技場で観てきました。
スペインサッカーが好きで、FCバルセロナが大好きな私と娘は、バルサが今年の欧州CLで優勝した時からこの日を待ちかねていたのです。
決勝戦の相手は、2014年のW杯ブラジル大会に向けて、ブラジルを牽引するといわれる19歳の若きエース・ネイマール擁するサントスFC。
★スタジアムの正面入場ゲート★
決勝・準決勝進出チームのバナー掲出:
大会開催国枠で出場の柏レイソルは、PK戦に破れて4位になった
★FCバルセロナのスタメン★
★同控え組★
骨折のため既に帰国したD.ビジャの名前も
私と娘は、数年前来日したバルサの試合も生で観ていますが、観光気分の親善試合でも彼らは別物に感じました。
今回はその時来日しなかったメッシと、セスクをガチンコ勝負で観られるのがとても楽しみでした。
現在のバルサは、スペイン代表を多数擁しながら、カンテラ育ちで自前で育成した選手であるアルゼンチン代表のメッシ中心のチームを完成させていると言われます。
準決勝でJリーグチャンピオン柏に格の違いを見せつけた南米王者サントスは、バルサの攻撃の起点となるシャビとイニエスタを抑えてエース・メッシを封じ込められるのでしょうか。
★アップ中のバルサ・スタメン組★
メッシは、手前の輪、左から2人目
★同じくサントス、注目のネイマールは右から4人目★
★まもなく選手入場★
奧のネイマール(白ユニ)の表情はやや緊張美味?
左端は、バルサのアビダル
アビダルは、今春、肝臓腫瘍の摘出手術を受けましたが驚異の快復力で欧州CL決勝戦に出場。監督やチームメイトの配慮で主将のプジョルにかわって優勝杯を掲げました。
この日もバルサ・イレブンは試合中の骨折により無念の帰国となったビジャを励ますメッセージTシャツを着用して入場。バルサ・ファミリーの結束力は素晴らしいと改めて感じます。
★選手&審判入場★
取材カメラマンたちの密集度合いは半端じゃない
(反対側も同じ状況)
★サントスFCのゴール裏★
ブラジルから7日間で60万円という応援ツアーなどで、7千人のサポーターが駆けつけたサントスFC。
駅からの道すがらやスタジアム各所で賑やかに歌っていたブラジル勢に対し、バルサ側のゴール裏は静か。
日本人などのバルサファンが圧倒的に多くバルササポーターは約千人程度?
★17分、メッシの技ありゴールでバルサ先制★
★24分、シャビの追加点★
★45分、こぼれ球をセスクが押し込み3点目★
今季、アーセナルから念願の移籍を果たしたスペイン代表セスクは、16歳で渡英するまでバルサの下部組織にいたこともあり、すっかりバルササッカーに溶け込んでいるように見えました。
移籍金の不足分を自腹で負担してでもシャビやイニエスタとプレーしたいという気持ちはよくわかりますね。
試合開始早々は、準決勝の勢いそのままに対等で戦えそうに思えたサントスですが、徐々にバルサの組織力に試合を支配されるようになり、前半終了時点で3点差。
ベスト布陣で真っ向勝負をしかけたサントスサイドは意気消沈かと思いきや、半ばヤケ気味の応援チャントが最後までスタジアムに響いていました。
バルサファン的には、自陣に引きこもらず、個の力を信じて真っ向勝負を挑んでくれたサントスの監督に感謝です。(2006年の大会で、バルサは0-1でブラジルのチームに負けて悔しい思いをしたことがある)
★82分、メッシがダメ押しのゴール。4-0で試合終了★
ボール支配率71%のバルサは、ネイマールやガンソらにまったく仕事をさせない完璧な勝利を収め、この大会2度目の優勝を飾った。
★勝利のダンスPart1★
★個人表彰で、FIFA会長らにねぎらわれるネイマール★
先頃、サントスと2014年まで契約延長し、今後もブラジルでプレーすると表明しているが、個人的にはスペインリーグでネイマールを観たい!
★お約束通り?大会MVPはメッシ★
次回も日本開催なので、TOYOTA的には名古屋グランパスの大会出場を熱望?
(2013・14年大会は北アフリカのモロッコでの開催が決定)
★表彰式のクライマックス★
花火が打ちあげられ、金色の吹雪が舞う
★世界チャンピオンの記念撮影★
★笑顔が弾けるセスクとイニエスタ★
★声援に応えて場内一周★
★勝利のダンスPart2★
スタッフも一緒にバルサの応援歌にあわせて踊る
私たちがこの大会の決勝戦を観るのは今回で3度目になりますが、最後まで攻撃の手をゆるめないバルサは本当に強すぎました。
夢の対決で、世界最高レベルの選手の実力を目の当たりに見ることができ、サッカーファンとして本当に満足できたひとときでした。
決勝戦の高額なチケット代は年金生活者は勿論、未来の日本代表をめざすサッカー少年を持つ親御さんたちにとっても負担が大きいと思いますが、TVの中継画像からは見えてこない”質の高いプレー”をみる喜びは何ものにも代え難いと思います。
日本のTV映像は、”グランド全体を俯瞰する映像が少なすぎる”と海外では低い評価だったように聞きます。スター選手のアップ映像を見たい向きもあるでしょうが、サッカーファンがみたいのはスター選手の顔ではなくプレーそのものではないでしょうか。
私たちの席は、メインスタンドではないけれど、グランド全体が俯瞰できる見やすい席だったので、バルサのパス回しや守備の特徴をしっかり観察することができました。
次の目標は、バルサの本拠地、カンプノウ・スタジアムでリーガ・エスパニューラの試合観戦?
★カンプノウの両軍ベンチは思いの外近い★
★ピッチに出る前の選手が祈りを捧げる礼拝堂★
(2010.9撮影)
寒い冬の午後は、ポットでお茶を楽しみたい・・・・LOPCHU Tea or Chinese Tea? [お気に入り]
この数年、12月はそんなに寒くならないことが多いし、今年も季節はずれの暖かい秋に身体が慣れきっていたところ、急に真冬並みの凍えるような寒さになりました。
あわててカシミアのセーターを探したり、エアコンをつけたり一気に冬支度です。節電モードの中で電力需要も急増し、既に94%まで達した日もありますが、今年の冬は地球温暖化の影響やオール電化生活で寒さへの抵抗力が衰えている私たちには厳しい冬になりそうな予感です。
LOPCHU TEA GARDEN YATSUGATAKE
:山梨県・北杜市長坂町
次回は、テラスでお茶を!
先日、友人と一緒に信州に出かけた帰りに、「ロプチューティーガーデン八ヶ岳」というティーハウスに立ち寄りました。
信州・原村のリングリンク・ホールでご一緒する原村仲間の方がインドやスリランカから厳選した紅茶葉を輸入販売しているのですが、八ヶ岳山麓・清春美術館近くにあるお店のカフェスペースでは、ポットサービスのLOPCHU Teaや焼き菓子などが楽しめるのです。
私のお気に入りは、LOPCHU のGolden Orange Pekoe
手軽なティー・バッグは可愛いパッケージ
フランス流のKUSUMI TEAなどのフレーバーティーが好きで、紅茶も中国茶も色々な種類のお茶を楽しむ私ですが、ダージリン地区にあるLOPCHU茶園のこうばしい焙じ香とフルーティな香りが特徴の紅茶は、数年前からお気に入りです。
東京・麹町にある某有名フランス料理店でも採用されているシンプルだけど深い味わいの紅茶は、毎日飲まずにはいられないほどのヘビーユーザーも結構いると聞きました。
「ロプチューティーガーデン」オリジナルデザインのポットカバー
これからの季節、紅茶マニアにはマストアイテム
ティーポットで紅茶を飲む時、寒い時期は特に欠かせないポットカバーですが、「ロプチューティーガーデン八ヶ岳」でオリジナルデザインの素敵なカバーをみつけました。長めに抽出してもマイルドな渋みのLOPCHU Teaは、ストレートで飲んでもミルクをいれても楽しめるダージリン。ポットにお湯をたっぷりいれて、午後のティーブレイクをゆっくり楽しみたいと思います。
※LOPCHU Tea商品についての詳細は、『紅茶専門店・ロプチューティーガーデン』のサイトをご覧下さい。紅茶葉やギフトセットは通信販売でも買えます。
<オマケの?情報>
先日の台北旅行で、「CHA-CHA THE’」というスタイリッシュなティーハウスをみつけました。
台湾を代表するファションブランドがプロデュースし、ドイツ人デザイナーが手がけたというインテリアはシンプル&モダン。
高級住宅街の中にあり、茶器や茶葉の販売もしている広々としたお店で、私たちはスイーツなどが2品選べるデザートセットをゆっくり楽しみましたが、ティーポットカバーが使われなかったのはちょっぴり残念でした。
演じられた自画像・・・・ドイツ・ルネサンスの巨匠、デューラーは本当にイケメン? [私的美術紀行]
15-16世紀に活躍したドイツ・ルネサンス最大の巨匠デューラー(1471-1528)は、芸術家としての自意識を込めて自画像を「発明」した画家として知られています。
デューラー以前も自画像を描くことはありましたが、もっぱら画中の物語場面の一登場人物として隅の方に描かれているのであって独立した自画像ではなかったのです。
デッサンや板絵による多くの自画像を数多く残したデューラーは、当時としてはとても進んだ感覚の持ち主だったようですが、ルーヴル美術館のリシュリー翼には22歳の画家が修行の旅の途中に描いたとてもハンサムな自画像が展示されています。
★デューラー「自画像、もしくはアザミを持った自画像」1493年★(ルーヴル美術館蔵)
Photo by 講談社「週間 世界の美術館」
デューラーの油彩単独自画像としては最初のもので、手に持ったアザミは、図像的には「キリストの受難」の暗示。絵の上部にドイツ語で書かれた「わがことは天の定めのままに」という銘文とあわせると、この作品は“キリストに倣って自分も苦難の人生を生きる”という敬虔な信仰心の表れと解釈できるが、自らも神のような創造者であるという芸術家の自負心をあらわしているともとれる。
また、ドイツ語のアザミという単語“manstrau”には「夫の忠誠」という意味があるため、故郷・ニュルンベルクにいる婚約者への贈り物として描かれたのではないかという説もある。
さて、デューラーがその5年後、イタリア遍歴修行からの帰国後に描いた2作目の油彩自画像はマドリードのプラド美術館にあります。私も昨年見てきましたが、こちらもなかなかの男前で、美術館の公式ガイドパンフにも写真入りで紹介されている名画です。
★デューラー「自画像」1498年★(プラド美術館蔵)
Photo by 講談社「週間 世界の美術館」
自らの社会的地位を誇示するかのように最新流行のヴェネツィアモードの帽子と優美な晴れ着姿の3/4正面像からは、職人ではなく芸術家として成功しつつある26歳の画家のオーラが感じられる。
この図では見えないが、右端の銘文には画家のイニシャルの図案文字も入っており、鹿皮の手袋をはめた両手を組み合わせたポーズからも画家としての自負心がうかがえる。
中世ドイツの画家は職人だったため、署名などは意味を持ちませんでしたが、ルネサンス期には人文主義の影響から銅版画や木版画にサイン代わりの図案文字をいれるようになりました。
版画作品の制作点数も多く著作権の重要性にめざめたデューラーは、意匠を凝らした図案文字を考案し、そのデザインも他の画家に影響を与えたといわれています。
極めつけは、デューラーの自画像の中で最も有名な作品であるアルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)所蔵の「1500年の自画像」。豊かなウエーブヘアを垂らし豪華な毛皮の衣装に身を包み真正面から私たちと向き合うデューラーはキリスト像とダブってみえるような気がします。(毛皮の衣装はキリストとは全く異なりますが)
★デューラー「1500年の自画像」1500年★
(ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク)蔵)
Photo by 講談社「週間 世界の美術館」
真正面向きの自画像は、人物像としては異例の形式。
従来は聖画像と墓碑にしか認められていなかった形式の自画像は、”神のごとき画家“であるとの信念の表れとみることができる。
顔の右、金文字の銘文には、人文主義者が好んで用いた書体によるラテン語で「アルブレヒト・デューラー ノリクム(南ドイツ地方)の人 不朽の色彩で自らを描く 28歳」と記されている。
強調された手は、右利きの画家の”創造の右手“。
ルネサンスという人間中心主義の洗礼を受け、自分は“神のごとき画家である”との信念を抱いて創作に生涯を捧げたデューラーは、芸術によって真理に近づき対象の本質を見極めようとするうちに、「(神とは違い)人間は無から創造することはできない」ことに気づかされたといいます。
キリストの没年齢とされた30歳を目前に、”神のごとき“自分の正面像を描いたデューラーですが、
鏡を見ながら描いたと思われるデューラーの“ハンサムな自画像“は、そもそも画家の実像を正確に描写しているのでしょうか?
★デューラー「自画像」1484年★(ウイーン、アルベルティーナ美術館蔵)
Photo by小学館「西洋美術館」
父のもとで金細工の修行をしていたデューラーは、途中で画家修行に切り替えますが13歳の時に描いた最初の自画像です。もしこれが実像に近いとすると、約10年でこの少年が一連の肖像画のようなハンサムな青年になるの?という素朴な疑問が・・・・
★シュヴァルツ「デューラー像のメダル」1520年★
Photo by小学館「西洋美術館」
こちらは、デューラー自身のデッサンに基づき1520年に制作されたメダルとしてのデューラー像です。
この横顔のデューラーは極端な鷲鼻で、先の3点のハンサムな自画像から受ける容貌のイメージとはかなりギャップがあります。
自分は”こうありたい”、”こう見られたい”という自分の願望や理想が表現されたのが「自画像」ということなのでしょうか。
但し、古代ギリシャでは、鷲鼻は男性らしい「完璧な鼻」とみなされていたので、むしろ賞賛の意味を込めた極端な鷲鼻と解釈することもできます。
ところで、デューラーより後の時代、17世紀に活躍したレンブラント(1606-1669)は生涯自画像を描き続け、油彩だけでも60点以上制作しています。
内面の表現にこだわり“自画像の画家”ともいわれるレンブラントは、ブロマイド的肖像画を欲しがるファンの要望に応えて、自画像を量産。“コスプレ趣味”かと思えるほど多種多様な姿や表情の自分を描いているので、こちらも演じられた自画像といえましょう。
破産して63歳で困窮の内に死んだといわれていますが、実はそれほど落ちぶれていたわけではないという説もあります。
<レンブラント27歳頃から55歳までの自画像>
★レンブラント「縁なし帽を被り、金の鎖を付けた自画像」1633年★
(絵はがき・ルーヴル美術館展)
2009年に来日した作品に近づいて鑑賞したら、どっしりした質感のビロードの衣装から金鎖が浮き上がっているように見えた。
★レンブラント「若き頃の自画像」1633-34年★
(ウフィツィ美術館蔵)
Photo by 講談社「週間世界の美術館」
鋼鉄製の首当ては、独立したばかりの連邦共和国市民兵の象徴。
深い陰影の中に、名声を得た自信と希望が浮かんでいる。
★レンブラント「大自画像」1652年★(ウイーン美術史美術館蔵)
Photo by 講談社「週間世界の美術館」
”虚飾を捨てた初老の男”?
46歳の「大自画像」婚約不履行で訴えられ、経済的にも苦境にあった孤独な中年男の内面が浮き彫りに。
★レンブラント「聖パウロに扮した自画像」1661年★(アムステルダム国立美術館蔵)
Photo by 講談社「週間世界の美術館」
浪費家だったレンブラントが経済的に破綻し、豪邸も手放したのちの55歳の自画像。
自らを殉教者聖パウロに見立て、小アジアのキリスト教国へ宛てた手紙を持つという設定の作品は、内向的で憂鬱な、悟りと諦めともとれる表情に描かれている。
ところで生涯自画像を描き続けたレンブラントと違い、中年以降の自画像が殆ど出回っていないデューラーは、30代以降の老いていく自分を自画像として全く描いていないのでしょうか?
「ルーヴルはやまわり」には、今回ご紹介したデューラーやレンブラントの自画像などの詳しい解説もあります。