”哀愁のアルハンブラ宮殿”とプラド美術館ティツィアーノの名画 [海外旅行]
★グラナダ・アルハンブラ宮殿★
アラヤネス(天人花)の中庭とコマーレス宮
私にとって12年ぶりとなったスペイン旅行では、プラド美術館やグラナダの世界遺産・アルハンブラ宮殿の再訪問も楽しみでした。
★鍾乳石飾りの天井★
初ヨーロッパ訪問だった12年前、西洋美術史はもちろん異民族によるイベリア半島支配の歴史などについて殆ど何の知識もないまま見学したアルハンブラ宮殿ですが、家族が撮影した写真には宮殿室内の見事なアラベスク模様の壁や鍾乳石飾りの天井は写っていないのです。
鍾乳石飾りのボリュームに圧倒された印象はあるので、カメラの性能の問題で薄暗い室内撮影を避けたのかもしれませんが、一番の見所と思われる写真が殆どないのは自分たちの鑑賞眼が養われていなかったからと考えられます。
プラド美術館で鑑賞したティツィアーノの名画の中に、アルハンブラ宮殿に関わりが深い人物の肖像画があることも当時は知るよしもありませんでした。
ここで、イベリア半島のイスラムによる支配とアルハンブラ宮殿について少し整理すると、
711年にアラブ人が西ゴート族を滅ぼしてから、イベリア半島にはイスラム政権が存続し、後ウマイヤ朝のころはヨーロッパ屈指の繁栄を誇っていました。
しかし、718年から始まったレコンキスタ(国土回復運動)により、10世紀頃からはカスティーリャ王国などイベリア半島各地に作られたキリスト教の小王国によりキリスト教勢力が拡大。ナスル朝グラナダ王国が成立した13世紀半ばにイスラム教徒が支配するのは半島南端のグラナダ王国のみとなっていました。
ナスル朝ムハマンド1世が1238年に着工したアルハンブラ宮殿が栄えたのは、グラナダ王国滅亡までの260年間ですが、イベリア半島に約800年間続いたイスラム支配終焉の地となった宮殿は、イスラム建築の最高峰といわれています。
★アラヤネス(天人花)の中庭★
コマーレスの中庭には、淡紅色の花弁が美しいフトモモ科の常緑樹、
天人花が植えられていたのでこの名前がついた。
水鏡のような池を配するのはインドのタージ・マハール宮殿にも
取り入れられてるが、宮殿内に池や噴水は何カ所もあり、
どこにいても泉水や水路の音が聞こえたという。
★コマーレス宮「大使の間」★
★コマーレス宮「大使の間」天井★
諸外国の大使たちが王に謁見したり、レセプションなどの
公式行事が行われた宮殿最大の部屋は、上部の透かし彫り
の天井から差し込む柔らかい光が幻想的。
★コマーレス宮「大使の間」★
壁面を埋め尽くすアラベスク模様とタイルの装飾のバランスが絶妙。
彼らは北アフリカの砂漠にないものを求めるあまり、
過密なほど空間をすべて埋め尽くしたのだろうか。
★ライオン宮「ライオンの噴水」★
(1998年の訪問時に撮影)
14世紀後半に造られた「ライオン宮」は王の居住空間。
中庭と庭を囲むいくつかの部屋や施設は、王のハーレムだった
ので王以外の男性は立入禁止。楽園を再現した中庭には
水路が配され、124本の白大理石の列柱が取り囲む。
★ライオン宮の中庭★
今回訪問時、「ライオン宮」は修復工事中。
かつては時を知らせる役を担っていた12頭のライオンは
別室で展示されており、噴水にはシートがかかっていた。
★二姉妹の間★
中庭に面した部屋は、寵姫用の2階建ての夏の住居。
アラブ民族は寝そべってくつろぐ習慣なので視線は
天井に向けられる。
★二姉妹の間・鍾乳石飾りの天井★
今にも垂れてきそうな立体的な鍾乳石飾りは、イスラム建築
独特のもの。
小さな曲面を集めて蜂の巣状になっており、
予言者ムハマンドが神の啓示を受けた洞窟を表しているとか。
★リンダハラの中庭★
囚われの二姉妹が、二連窓からこの中庭を見下ろした
という伝説もあるが、花が咲き乱れる中庭は16世紀に
全面的に作り直されたもの。
★新しい庭園★
1931年に新しく造園された庭にも池や噴水がある。
★ヘネラリーフェ離宮「アセキアの中庭」★
北アフリカからやってきてオアシスへの強い憧れがあった砂漠の
民は、万年雪を冠したネバダ山脈の雪解け水と緑で
巧みに構成された夏の別荘を造った。
地中海性気候のアンダルシア地方では降雨が冬に集中し、
夏はアフリカ大陸からの熱風で気温が上がり空気が乾燥する
ので、暑く乾いた夏を快適に過ごすためにも水は不可欠。
★「グラナダ開城」(部分)★
Photo by 講談社「週刊 世界遺産」H22.8.12号
1492年1月2日、グラナダ王国最後の国王ボアブディルは
カスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン国王フェルディナンド2世に
アルハンブラ宮殿の鍵を渡し、グラナダ王国は無血開城となり、
レコンキスタは完了。
★アルハンブラ宮殿の夜景★
イサベルは見事なイズラム建築の宮殿を破壊することなく
自分たちの居城として使い、1男4女を育てた時期も
あったが、その後、子どもたちには次々と不幸が・・・
さて、女王イサベルと夫のフェルディナンドはカトリック両王と呼ばれスペイン王国を統治する道筋を作り、イサベルが支援したコロンブスの“新大陸発見”によりスペインは大航海時代の幕開けとなります。
女王イサベルの母としての苦悩は、教育や健康に気を配り、人一倍の愛情を注いで育てた子どもたちが巣立った端からことごとく悲運に見舞われたことです。
ポルトガルに嫁がせた長女は新婚早々に夫と死別すると、再婚後の出産で死亡。世継ぎの長男ファンは身ごもった妻(ハプスブルク家のマルガレーテ王女)を残して結婚後半年で急死。次女ファナは冷淡で浮気性の夫(ハプスブルク家のフィリップ美公)に振り回されながら、精神錯乱に陥っていく。
4女も夫と死別、離縁・・・
中でも、スペインと神聖ローマ帝国ハプスブルク家との二重結婚のひとつ、ファナ王女の物語は悲しすぎます。
★神聖ローマ帝国マクシミリアン1世の家族を描いた版画★
(16世紀) Photo by
世界文化社「ハプスブルク家美の遺産を旅する」
後列左からマクシミリアン1世、
息子のフィリップ美公(ファナの夫)、
ブルゴーニュ公国のマリア(フィリップの母)
前列中央がフィリップとファナの長男カール5世
(スペインではカルロス1世と呼ばれるが同一人物)。
美男美女の両親なのに、後年スペイン
ハプスブルク家の容貌の特徴となる
極端な受け口で歯のかみ合わせが悪そう。
才色兼備のファナは政略結婚ながら噂通りの美男である夫に一目惚れし、結婚当初は幸せだったもののやがて夫は冷淡で浮気性ということがわかります。長女に次いで世継ぎの長男を生んだ頃から、家庭内は修羅場に。
そんな中ファナの母イサベル女王が亡くなり、母の遺言によりファナがカスティーリャ王国の女王になると、夫と父親までがカスティーリャ王国の王位を争うようになってしまいます。
(父のアラゴン王国はカスティーリャとは別の王国)
ファナの傷つきやすい神経には耐え難いほど辛い状況でしょう。
母イサベルの逝去によりファナと夫のフィリップがスペインに出向いたのですが、それまで元気だったフィリップが突然死するという不幸に見舞われます。
数日間献身的に看病したファナは6番目の子どもを身ごもっており精神が不安定だったのか、常人には理解しがたい行動にでます。
真偽のほどは分からないのですが”夫の亡骸と共に長期間スペインの荒野を彷徨った”といいます。
★フランシスコ・プラディーリャ「狂女ファナ」1877年(プラド美術館)★
Photo by 光文社「ハプスブルク家12の物語」
荒涼たる冬の野の夜明け、彷徨う長い葬列がつかの間の休息をとるシーンは、画面中央の喪服のファナの尋常ならざる表情と、周りの人々の不可思議ともいえる態度がドラマティックに描かれています。
錯乱状態が収まらないファナは、やがて実権を握った父フェルナンドによって宮殿に幽閉されることになります。
ファナは退位を勧められても拒否し、カスティーリャ王国のトルデシリャスにあるサンタ・クララ修道院に幽閉されたまま75歳の長命を全うしたそうです。女王としての仕事はできなかったファナですが、長男カール5世(スペインではカルロス1世)を生んだことで歴史に貢献しています。
カール5世のもとでスペインは「日の沈むことなき世界帝国」へのレールが敷かれ、ハプスブルク家によるスペインの支配がはじまったのです。
★ティツィアーノ「カール5世騎馬像」1548年(プラド美術館)★
Photo by「プラド美術館カタログ」
この肖像画でカールル5世は、異端と戦って勝利を収めたキリスト
教徒の騎士の手本として、いわば近代の聖ゲオルギウスとして
描かれている。
(ハプスブルク家特有の極端な受け口は髭で隠れて目立たない)
★アルハンブラ宮殿の「カルロス5世宮」★
王宮の前に建つルネッサンス様式の宮殿は、レコンキスタ完了後の
カルロス1世(神聖ローマ帝国カール5世)の時代に建造されたもの。
★「カルロス5世宮」★
アラヤネスの中庭でコマーレス宮の反対側に見える建物
カトリック両王の孫であるカルロス5世は、初めてアルハンブラ宮殿を
訪れた時、この地を手放さなければならなかった
イスラム教徒に深く同情したと伝えられている。
スペイン黄金時代の歴史に貢献した女王イサベルは、1504年に享年53歳で亡くなりました。
遺言によりアルハンブラ宮殿内に埋葬されたましたが、後に王室礼拝堂に移されました。
今回は訪問しませんでしたが、グラナダの王室礼拝堂にイサベルとフェルディナンドが眠るお墓があります。
そして、悲劇のヒロインであるファナは、最愛の夫フィリップと共に母の柩に並んで埋葬されている のです。死によって夫は自分だけのものになりましたが、夫と王位争いで対立した父親も同居ということですからファナは死後も安穏な日々ではないのかもしれません。