上野で“カラヴァッジョ的世界”を体感し、謎解きでドラマチックの余韻を愉しむ [私的美術紀行]
(展覧会チラシ:新バージョン)
2月の本ブログでもお伝えしましたが、現在上野の国立西洋美術館で「カラヴァッジョ展」開催中です。
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571-1610年)は、“闇を切り裂く光”という劇的な明暗表現の宗教画で知られていますが、現存するカラヴァッジョの真筆作品は60点強と言われている中の10点*が来日しており、世界でも有数の規模の回顧展といえます。
*作品番号42『仔羊の世話をする洗礼者ヨハネ』(カラヴァッジョに帰属する)を加えると11点。
本展は、「風俗画」、「五感」、「静物」、「肖像」、「光」、「斬首」、「聖母子と聖人の新たな図像」という7つのテーマに分け、それぞれにカラヴァッジョの作品と同時代の画家の同様のテーマを扱った作品を展示する構成になっています。
話題の展覧会なので、メディアで取り上げられる機会も多く、カラヴァッジョの波乱に満ちた生涯については、過去のブログでご紹介していますので、今回は、本展で鑑賞した作品にまつわるエピソードなどを少しご紹介します。
日本初公開 ★『女占い師』★
(1597年:ローマ、カピトリーノ絵画館蔵)
(展覧会チラシより)
作品番号1の『女占い師』は、ロマの女占い師に手相をみてもらうつもりが指輪を抜かれる世間知らずの若者という構図。
本作は、真筆であると認定されていますが、多くの加筆が施されたらしく、ルーヴル美術館所蔵の同名作品のカラヴァッジョ自身によるレプリカではともいわれる作品です。
(どちらが先に制作されたのかについて諸説あります)
参考★『女占い師』★
(1595年頃:ルーヴル美術館蔵)
(Photo by 「もっと知りたいカラヴァッジョ」)
(Photo by「わがまま歩きイタリア」)
イタリア通貨がリラだった時代の最高額紙幣:10万リラ(上の図の右下))には、カラヴァッジョの肖像画が使われていました。
ローマで画家として成功したカラヴァッジョですが、乱闘の末の殺人によって「死刑宣告」が出され、逃亡生活の中で作品を描き続けながら南イタリアで病死。
彼の死後、ローマで恩赦が出たとはいえ、最高額紙幣の図柄に使うとは日本人の感覚からはちょっと大胆な印象です。
もう一つ、彼の代表作として紙幣の図柄に使われたのはルーヴル作品の「女占い師」というのも、他に代表作にふさわしい作品があるのでは? など、私的には違和感があります。
宗教画や異教徒的主題ではないものを選びたいという意図だったのでしょうか。
本展では、カラヴァッジョの裁判や暴力沙汰などの出来事を記録した古文書も展示されているので、貴重な機会をお見逃しなく!
(展覧会チラシ:新バージョン)
絵はがき★『果物籠を持つ少年』(部分)★
(1593-94年:ローマ・ボルゲーゼ美術館蔵)
ミラノではフランドル派の影響で静物画や風俗画が盛んになりつつありましたが、当時のローマではこのような風俗画は珍しいものでした。
本作は巧みな空間表現と静物描写が特徴ですが、作品を間近で見ると果物のみずみずしさに圧倒されます。
このような素晴らしい静物描写は、本展に来日している『バッカス』にも共通しています。
自分を鏡に映して描くなどモデルにも事欠いていたいたカラヴァッジョですが、うぶな若者二人がいかさまトランプ師に騙される『いかさま師』という作品が、デル・モンテ枢機卿の目に留まり、枢機卿の邸宅に住み、そこで仕えている少年たちをモデルに描くようになったといわれています。
日本初公開★『バッカス』★
(1597-98年:ウフィツィ美術館蔵)
『バッカス』は、私が初めて鑑賞したカラヴァッジョ作品なのですが、1999年のウフィツィ美術館訪問当時、西洋美術鑑賞の初心者だった私は画家の名前を知らず、同じ部屋に展示されていたと思われる『メドゥーサ』の方がよく覚えています。
酒に酔ったように上気した少年は、片手でヴェネチアングラスのワインを差し出しながら、もう一方の手は自分の帯をほどこうとしている仕草から明らかに性的な誘いを示す作品という解釈が一般的です。
今回来日していませんが、『病めるバッカス(バッカスとしての自画像)』(ローマ、ボルゲーゼ美術館所蔵)は、鏡に映った自分の姿を描いた作品として有名です。本作も、若者が右手ではなく左手にグラスを持っていることから、カラヴァッジョは本作の制作にあたっても、鏡を使用した可能性が考えられそうです。(展覧会公式カタログによる)
また、画面左にあるデカンタ中のワインの表面には、驚くべき技巧によってかすかに映った画家自身の姿が描かれていますが、図版での確認は難しく、美術館でじっくりみないと見つけられません。
カラヴァッジョマニアとしては、なんとか図版で確認できないものかと思っていたら、名画解説セミナーで長年お世話になっている有地京子先生(ルーヴルはやまわり』の著者)が、海外のサイト イギリスの ザ・テレグラフの記事(2009.10.31)から見つけてくださいました。
↓
http://www.telegraph.co.uk/culture/art/art-news/6468623/Tiny-Caravaggio-self-portrait-revealed-by-technology.html
さて、私が初めてカラヴァッジョの作品に出逢ったと認識したのは、ウフィツィよりも後に鑑賞したミラノ、ブレラ美術館の『エマオの晩餐』でした。
絵はがき★『エマオの晩餐』★
(1606年:ミラノ・ブレラ美術館蔵)
復活後の主であると知らずに男と食事を共にした二人の使徒は、男が祝福してパンを割いた瞬間にキリストであることに気づいて驚きますが、その直後にキリストは消えてしまうという聖書の一場面を主題にした宗教画です。
人物の動きは抑えられ、画面に射し込む強い光はなく広がる闇と粗いタッチの絵ですが、その場から動けなくなるような感銘を受けました。
後年、ロンドン・ナショナルギャラリーでカラッヴァッジョがローマ時代に制作した同主題の作品を鑑賞したのですが、そちらの作品に描かれたキリストが髭のない少年のようで私のキリスト像イメージとギャップがあることや、驚いて両手を広げる使徒の仕草が大仰でちょっとがっかりしました。後から、両手を広げた弟子のポーズはキリストの磔刑のポーズを暗示していると知るのですが・・・・
参考★『エマオの晩餐』★
(1601年:ロンドン、ナショナルギャラリー蔵)
ブレラ美術館所蔵の作品は、カラヴァッジョが「殺人宣告」を受けた後の逃亡生活の中で制作された作品ですが、静物画的な細部描写もなく、老婆の持つ皿と衣装が透けて見えるような粗っぽい筆触。
余裕のない環境で描かれた作品のこのような様式的特徴はこれ以降の作品に顕著となったわけですが、本展の公式カタログの記述に最新の研究で発見された興味深いことがらの記述を見つけました。
2010年になされた詳細なX線撮影調査により 、完成の直前に芸術的な意図に基づいて変更が加えられているのが発見されたというのです。(以下同カタログより転載)
“当初は、画面左に開口部(窓もしくは回廊)があり、緑と褐色の絵具によってより自然主義的な情景が描かれていた。
そしてその向こうに自然光に照らされた葉の茂った樹木による風景が見られたのである。
さらに、キリストの顔はもっと若く大きいものであり、向かって右側に長い影が投げかけられ、テーブルの上の静物はこれほど切り詰められていなかった。
こうした箇所に変更が加えられた結果、最終的な作品はより内在的となり、福音書の文章の深い意味、つまり、消えた後になってはじめてキリストが「心の目」によって認識できたということが示されている(ルカ24:13_32「・・・その姿は見えなくなった。二人は、・・・話しておられるとき・・・わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った」)。”
私は、3月の開幕当初に本展に出かけた時、時間の制約もあって、ほぼカラヴァッジョの作品のみを鑑賞しました。
5月にもう一度鑑賞する予定なので、次回はゆっくり時間をかけてカラヴァッジョの世界とその影響を堪能してくるつもりです。
★★★カラヴァッジョに関する過去のブログ記事★★★
2016.2.17 「カラヴァッジョ展」、闇と光を操る天才画家の傑作10点に逢える!
→http://ayapandafuldays.blog.so-net.ne.jp/archive/20160217
2012.9.25 もっと知りたいカラヴァッジョ、バロックの開祖にして殺人者、呪われた?天才画家
→http://ayapandafuldays.blog.so-net.ne.jp/archive/20120925
2010.3.25 近頃気になる人物・カラヴァッジョ、バロック絵画の巨匠にして殺人者
→http://ayapandafuldays.blog.so-net.ne.jp/archive/20100325
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