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空の上にいるユキオ、想い出をありがとう!キミのことはいつまでも忘れないよ [動物園歩き]

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9月の連休最終日、上野動物園の「動物慰霊祭」に参列しました。

今年の慰霊祭の代表動物には私が大好きだったホッキョクグマのユキオが選ばれました。
飼育員として長年ユキオのお世話をされていた乙津さんによるユキオへの愛情とリスペクトの想いにあふれた弔辞を聴き、多くの方から愛されていたユキオに思いを馳せました。

生前のユキオやホッキョクグマ舎に関するエピソードなどを写真と共に振り返りながら、しばしユキオとの想い出にひたる追憶の旅をご一緒に。


日本で最高齢のオスのホッキョクグマだったユキオは、27歳の誕生日を2週間後に控えた2014年11月25日、上野動物園のホッキョクグマ舎からひとりで虹の橋を渡っていきました。

2000年、13歳の時に上野に移動してきたユキオは、長年のパートナーだったレイコに先立たれた2012年4月、ブリーディングローンで北海道・釧路の動物園に移動しました。しかし、釧路でも繁殖には至らず、2014年4月、再び上野に戻ってきました。
高齢のユキオが東京の厳しい夏を乗り切れるか、動物園の関係者もお客様も皆が心配したのですが、思ったより元気に過ごしている様子に安心していました。しかし、涼しくなってからユキオの動きが悪くなり11月中旬ごろから食欲が減退、22日からは展示中止となっていました。

 ※ユキオが亡くなる前の様子などは、昨年12月4日の拙ブログで詳しくご紹介しています。

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私がユキオのことを知ったのは、2011年12月発行の「マンスリー動物園」の表紙を飾った時でした。

それまで、上野動物園では殆どパンダ舎周辺しか行っていなかった私ですが、ホッキョクグマの展示施設が新しくなったというのでパンダ観覧の合間に足を向けたときに初めてユキオに会いました。

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(ユキオ:2011.12.21撮影)

当時の私は、土の運動場にいたユキオが「麻呂眉のホッキョクグマ」としてマニアの間で有名だったことなど、ユキオの情報を殆ど知らず、その後ホッキョクグマ舎に行く機会もありませんでした。

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(メスのデア:2012.6.27撮影)

2012年3月、上野のホッキョクグマ舎にはイタリアから当時3歳だったメスのデアちゃんが来ましたが、まだ繁殖年齢ではないためユキオとの同居はありませんでした。

私は若さあふれるデアちゃんの可愛らしさに惹かれてホッキョクグマ舎に足しげく通うようになっていましたが、昨年、ユキオが釧路から帰って来ると聞いた時、正直、高齢のユキオにはあまり期待していませんでした。

ところが、上野再デビューのユキオは、メスのデアちゃんのお転婆ぶりとは異なるオスらしい行動を見せてお客様の人気を集めるようになったのです

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(2014.4.17:ユキオ、上野再デビューの頃)

ロマンスグレーの紳士のように見え、穏やかそうな風貌で、歩き方にも老いが感じられたユキオが、春の発情期を迎えると豹変したのです。

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(ユキオ:2014.4.23)

若いメスに成長したデアに興味津々のユキオが、「デアがいない、デアに会わせろ!」とでも言うかのように、口から泡を吹くような状態で運動場の土の上で転げまわって泥だらけになり、シロクマならぬヒグマのようになってお客様はびっくりです。

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(ユキオ:2014.5.2)

飼育員の乙津さんによると、普段のユキオはメスのことを気遣う紳士のようにやさしく、穏やかな性格
ユキオは以前上野にいた年上のレイコとの間に子どもは授からなかったものの、とても仲が良く一緒に展示場に出しても、レイコを攻撃するようなことは一度もなかったそうです。

それどころか、レイコの方がユキオよりもすばしこく、ご飯などもレイコにとられてしまうこともしばしばだったとか。

そんなユキオが発情期になるとガラリとかわり、大きな声を出してメスを追いかける様子は、ホッキョクグマ舎の春の風物詩になっていたそうです。

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オヤツタイムに飼育員さんが投入する肉などには全く見向きもせず、デアちゃんの姿をひたすら求めるユキオ。
飼育員さんが、そんなユキオの様子を放飼場の上から観察。

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(ユキオ:2014.5.2)

上野に帰ってきたユキオが、デアを求めて大声をだし、ストーカーのように連日、デアちゃんの運動場との仕切り柵を揺らすなどオスらしい強いパワーを感じさせる姿にはとても驚かされました。
乙津さんたちは、以前よりも動きが少し鈍くなっていたユキオが、オスらしい行動を見せてくれたことに安堵したそうです。

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(ユキオ:2014.5.14)

5月半ばからユキオが大きなプールで元気に泳ぐ姿が見られましたが、プールから上がる時は階段をゆっくり登り年齢を感じさせる動きでした。

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(ユキオ:2014.7.16)

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(ユキオ:2014.8.12)

<ユキオさんのアルバム>

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(Gakken 「動物のおじいさん、おばあさん」より)


飼育員・乙津さんにとって12年間の間に起ったユキオのエピソードの中で一番想い出に残るのは、このプールの階段にまつわるエピソード。

2011年10月、新しいホッキョクグマ舎が完成しオープンの前、真新しいプールに豪快に飛び込んだユキオは気持ちよさそうに泳ぎ回った後、陸に上がろうとしましたが身体が持ち上がらず、何回やってもダメでした。

プールの岸が24歳になる直前だったユキオにとっては少し高過ぎたため、ただ泳ぎまわることしかできないユキオ。

困り果てているユキオの姿を見た乙津さんたちは、急遽はしごを持ってきて、ユキオが猛獣であることも忘れて皆でプールに入り夢中でユキオを救出したのです。

獣舎の工事中、1年以上ユキオはプールに入っていなかったせいもありますが、乙津さんたちの思っている以上にユキオが老いていたとその時気づかされたそうです。
プールには、しばらくはしごをつけておいて、その後階段が作られました。

ユキオより高齢だったメスのレイコは新しい展示場には一日しか出られないまま、2012年2月死亡。

乙津さんたちが高齢のユキオの負担を考えて悩んだ末の決断で、もう二度と会えないかもしれないと思いながら送り出したユキオが2年後に上野に戻って来ることが決まった時、また再会できるうれしさと同時に最後までユキオと付き合う責任を感じたそうです。

年のせいか年々暑さが苦手になっていたユキオが涼しい北海道から戻ってきた時、ユキオの暑熱対策がユキオのファンやホッキョクグマ舎のお客様の心配ごとでした。

気温の高い日、土の運動場は気温低下が期待されるミスト噴射。
ユキオは、隣の展示場にいるデアちゃんの気配を感じていたのか?

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(ユキオ:2014.7.29)

水中をダイナミックに泳ぎ回りながら投入された餌を探すユキオの姿に遠足の子どもたちは大歓声。

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(ユキオ:2014.11.5)

早めに冷房完備の寝小屋に入れてあげればよいのになどという声もありましたが、ユキオは大きなプールをゆったり泳ぎまわったり、土の運動場ではミストの恩恵を受けながら省エネモードでまったり過ごすなど、周囲の心配をよそにマイペースで夕方まで展示場で営業していました。

ホッキョクグマとしては遅咲きの人気者だったユキオは、釧路でも親しんでもらえ、釧路から帰ってきた後も北海道のファンの方が会いに来たり色々な贈り物が届きました。


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(2014.11.28撮影)

ユキオが亡くなった後、メッセージや花束などの贈り物が献花台に載りきれないくらい一杯になりました。

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ホッキョクグマ舎のプールの前にあるモニターには、ユキオがダイナミックに泳ぎ回る映像が現在も流れています。

乙津さんは、ユキオの生前と同じようにこのモニターのユキオに挨拶して飼育員としての一日が始まると語っていますが、まだしばらくは、私たちもモニターの中で動き回るユキオに会えるようです。

そして、今年の春、上野のホッキョクグマ舎には北海道からオスのイコロがデアの繁殖相手としてやってきました。
イケメンの若いオスの登場に、乙女盛りのデアちゃんワクワク&そわそわ・・・

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(デア:2015.6.5)
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(イコロ:2015.6.5)

上野動物園のホッキョクグマ飼育の歴史は長いのですが、残念ながらこれまで一度も繁殖には至っていません。
ユキオでは果たせなかった悲願の〝江戸っ子クマちゃん”の誕生がこの若いカップルに期待されています。

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(イコロ:2015.9.11)

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(デア:2015.9.16)

野生のホッキョクグマは、地球の温暖化で厳しい暮らしをしています。
動物園が野生のホッキョクグマのシェルターのような存在になる日がくるかもしれません。
動物園にいるホッキョクグマを見て、野生のホッキョクグマの環境に関心を持つ人が増えるようにすることも動物園の役割のひとつ。

ユキオは、先に行った仲良しのレイコと一緒に上野動物園のホッキョクグマのことを遠い空の上から見守ってくれることでしょう。

想い出をありがとう、ユキオ!
キミのことはいつまでも忘れないよ!


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コメント 4

長谷川

ユキオとレイコ、私も好きでした。
ところで、
「上野動物園のホッキョクグマ飼育の歴史は長いのですが、残念ながらこれまで一度も繁殖には至っていません。」
と書かれておられますが、これは間違いです。

上野のホッキョクグマの初来園(おそらく日本発渡来)は、ドイツのハーゲンベックから購入したつがいで、明治35(1902)年、ライオンやダチョウといっしょに来ています。
この最初の2頭は出産にすら至りませんでしたが、昭和2(1927)年、新しい無柵放養式のホッキョクグマ舎が現在と違わない場所に完成した際に購入したつがいが、昭和5年か6年に繁殖してます。この時の子どもは、3年ほど生き、死んでしまったようです。この時のつがいは流産や死産なども含めると、5回以上の繁殖をしています。
戦後に関しては、おっしゃるとおりに繁殖はしていませんが、それにはまだまだ理由があります。


by 長谷川 (2016-05-17 09:28) 

長谷川

戦争中に、ご存知と思われますが、猛獣処分でアジアゾウなどとともにホッキョクグマも失ってしまいます。
ちなみに前コメントで昭和2年につがいを購入と書きましたが、実際にこの時に来園したのは3頭で、うち1頭は昭和8年頃に(この時期の東京市(都ではない)の記録が、以前所属していた宮内省の記録と比較して杜撰ではっきりしないのですが)同じ東京市の所管だった井の頭自然文化園に移動し、井の頭で猛獣処分の犠牲になっています。

戦後、昭和29年、メスのホッキョクグマの「雪子」が来園、昭和33年に来日公演中のボリショイサーカスにいたホッキョクグマの子をツキノワグマの子2頭と交換で手に入れます。この子は「雪男(漢字)」と名付けられます。
この2頭は長命で、繁殖が期待されましたが・・・繁殖するわけありません。
何故ならば、平成5(1993)年に35歳の高齢で死亡したボリショイサーカスから来た「雪男」は、解剖の結果、雌と判明されました。すなわち、昭和33年から平成になるまで、ずっとメス2頭で飼育していたわけで、2頭とも「雪子」だったのです。
このことは当時までこの2頭の飼育を長年にわたって担当していた飼育員は知っていたようですが、口にできなかったそうです。
by 長谷川 (2016-05-17 10:08) 

ジョージ

貴重な情報、お知らせいただきありがとうございます。

上野のホッキョクグマも、繁殖できた仔が成獣になる前に夭折してしまったので、繁殖に成功していないという表現になっていたのかもしれません。

最近、デアちゃんの繁殖相手として来園したイコロとデアちゃんが同居を始めています。相性は良さそうで日に日に親密さが増しているようなので、近い将来、江戸っ子のホッキョクグマが生まれることを願っています。
by ジョージ (2016-05-17 13:56) 

長谷川

ジョージさん、早速のご返信、ありがとうございます。

確かに、おっしゃるとおりですね。
上野動物園で飼育されている他のクマ科の動物に比べると、ホッキョクグマだけ繁殖の実績が低いことは事実です。
私も昭和45年に動物愛好会(当時は動物園友の会といいっていました)に入って、上野で、戦前からの長い飼育実績があって、繁殖したことがない哺乳類はアジアゾウだけかなと思ってましたので、投稿した次第です。

上野では初来園以来ともいえる、年齢的にも相性のよい2頭なので、私も大いに期待しています。
ありがとうございました。
by 長谷川 (2016-05-17 14:21) 

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