「モネ 風景を見る眼」展で、ポーラ美術館の至宝・ピカソの『海辺の母子像』に出会えた [私的美術紀行]
上野の国立西洋美術館で開催中のポーラ美術館とのコラボ企画「モネ 風景を見る眼~19世紀フランス風景画の革新」展を見てきました。
国内有数のモネコレクションを誇る国立西洋美術館とポーラ美術館の共同企画である本展は、絵画空間の構成という観点から、ふたつの美術館が所蔵するモネ作品を他の作家の作品と並べて展示するなど、比較を通して風景に注がれたモネの「目」の軌跡をたどる展覧会です。
モネはかなり以前から好きな画家の一人だったので、モネが晩年を過ごしたセーヌ河沿いのジヴェルニーなどを訪れたり、自分なりにモネの足跡をたどる旅は経験済みですが、今回の展示を見て、セザンヌの言葉、「モネは目にすぎない、しかし何と素晴らしき眼なのか」の意味するところを理解することができました。
<ジヴェルニー モネの庭と(睡蓮)連作&大装飾画>
1883年4月、43歳のモネはジヴェルニーに9,600㎡の広大な敷地を有する家を借りる。
1890年、それまで借りていたジヴェルニーの家と土地を正式に購入し、庭園の造成に情熱を傾けるようになる。
1893年、ジヴェルニーの自宅に接した新たな土地を購入。この地がのちに「水の庭園」となる。
11901年、ジヴェルニーの池を拡張するためにエプト川支流のリュ川沿いに草地を購入し、翌年、リュ川の流れを変える工事を行う。
1909年、(睡蓮)の連作48点による個展を開催し大好評を得る。
1914年、首相クレマンソーの言葉を受けて睡蓮の大作に取り組み始め、翌年、(睡蓮大装飾画)のための大アトリエを建てる。
1920年、(睡蓮大装飾画)の国家寄贈計画が公表される。
翌年、展示場所がテュイルリー公園のオランジュリーに決まり、モネは楕円形の部屋に展示することを要求。
(睡蓮大装飾画)の制作中に、視力が著しく低下し制作が困難になったため2度にわたって手術を受け、矯正用の眼鏡をかけるようになる。
1926年、(睡蓮大装飾画)に最後の手をいれる。
冬に体力が著しく衰え、12月5日、ジヴェルニーの自宅で86歳の生涯を終える。
1927年5月、(睡蓮大装飾画)がオランジュリー美術館に展示される。
(年表参考資料:
2007年「大回顧展 モネ 印象派の巨匠 その遺産」公式カタログ)
「水の庭園」
奥の方に日本風の太鼓橋が見える
建物前にある「ノルマン囲い庭園」
セーヌ河の支流(パリからジヴェルニーへ行く途中)
オランジュリー美術館「睡蓮の間」
国立西洋美術館が所蔵する『睡蓮』の連作などモネの作品は、企画展に出かけたとき立ち寄った常設展示で何度か鑑賞していますが、箱根・千石原にあるポーラ美術館は日本最大級という「印象派のコレクション」だけでも、モネ19点、ルノワール15点、ドガ9点、ゴッホ3点、セザンヌ9点、ロートレック3点にのぼり、収蔵品リストにあっても1度の訪問では鑑賞できない作品が多々あります。
★絵はがき:モネ『散歩』★
(1875年:ポーラ美術館蔵)
当時のモネは、作品の価格が低調で生活が困窮していたことを友人のマネに訴えている。
日傘をさして散歩する女性は、最初の妻・カミーユといわれる。
★絵はがき:マネ『花の中の子供(ジャック・オシュデ)』★
(1876年:国立西洋美術館蔵)
1876年、モネは実業家で収集家のオシュデと知り合い、オシュデの所有するモンジュロンの城の装飾画を制作。
オシュデ夫妻とその子供たちとも親しくなった。
マネは年長の友人としてモネの借金を肩代わりすることもあったという。
★展覧会チラシより:モネ『しゃくやくの花園』★
(1887年:国立西洋美術館・松方コレクション)
ジヴェルニーの建物前にある庭園の花園を描いたと思われる。
★展覧会チラシより:ピカソ『海辺の母子像』★
(1902年:ポーラ美術館蔵)
今回、ポーラ美術館からはモネの作品だけでなくマネからピカソまで近代絵画の秀作が多数出品されているのですが、ピカソの『海辺の母子像』(1902年)は、ポーラ美術館の収蔵作品の中で私が最も見たかった絵画作品。
『海辺の母子像』は、自殺した親友カルレス・カジェマスを思いながら青を用い始めたピカソの「青の時代」初期の代表作のひとつ。
ポーラ美術館は企画展ごとに常設も展示替えされるようで私の箱根訪問時には鑑賞できずとても残念だったことが忘れられない作品です。
★絵はがき:シャヴァンヌ『貧しき漁夫』★
(1887-1892年:国立西洋美術館蔵・松方コレクション)
同名の作品がオルセー美術館にもありますが、個人的にはこちらの作品の方がシンプルな構成になっているところが好みです。
マリア像のように描かれている母子(モデルは女囚?)に今回思いがけず出会えてとてもうれしかったのですが、妻を亡くした漁夫が小舟の上で夕べの祈りを捧げているように見える『貧しき漁夫』(ピエール・ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ)と並べて展示されていたこともあり、この作品と向き合っていると、そこには静謐で敬虔な祈りの空間を感じることができました。
箱根・仙石原のポーラ美術館は、九十九折の山道ドライブが苦手な私にとって、東京から近いけれどなかなか行かれないアクセス難度の高い美術館なのです。
しかし、ピカソの最後のパートナー、ジャクリーヌ・ロックを描いた「帽子の女」など絵画19点、挿絵本3冊のピカソの名品を収蔵していますので、日本国内で“ピカソをめぐる旅”に出るなら必見の美術館のひとつといえましょう。
<おまけの情報>
シャヴァンヌは19世紀を代表する壁画家として知られていますが、フランス象徴主義の先駆的な画家としてスーラ、マティス、ピカソなどにも大きな影響を与えただけでなく、日本の近代洋画の展開にも深く寄与しています。しかしながら、最近の日本では知名度が高くなかったようで個展も今回が初めて。
現在、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで3月9日まで「シャヴァンヌ展~水辺のアルカディア ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの神話世界」が開催中です。
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