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プーシキン美術館展、伝説のコレクター・シチューキンの旧蔵品をもっと見たい! [私的美術紀行]

先日、現在横浜で開催中(~916日まで)のプーシキン美術館展などで鑑賞した作品について少しご紹介しましたが、今回はその続きです。

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世紀末から1920年代にかけて、フランス近代絵画の大コレクションがフランス以外の国で個人の実業家の手で形成されました。日本で開催の「プーシキン美術館展」には、そのひとつ、ロシアのシチューキンとモロゾフによるコレクションの旧蔵品が数多く出品されています


印象派がようやく認められゴッホやゴーギャン、セザンヌが評価され始めた時期に、マティスやピカソなど一般にはまだ評価の定まっていない芸術家たちの作品を買う審美眼を備えていた二人

若い画家の絵は安いのでたくさん買えたわけですが、パトロンとして新しい才能を早くから見つけて育てたのがロシアの豪商たちで、しかも絵画を商いとしたビジネス目的ではなく、『本物』を集めたいという情熱から買い集めたらしいということに驚かされました。


コレクターとして良き友人でライバルでもあった二人ですが、ロシア革命により国外脱出を余儀なくされます。コレクションは邸宅ごと没収されてそれぞれ美術館として国の管理下に置かれることになってしまいました。
その後
2館が統合されたり、第二次世界大戦後にはエルミタージュ美術館とプーシキン美術館に分けて移管されるなどコレクションはバラバラに。ソ連時代には一般公開されることなく収蔵庫に長らく眠っていた作品も多かったそうです。


そんな作品のひとつが、前回もご紹介したゴッホの『医師レーの肖像
ゴッホ・医師.jpg
★絵はがきゴッホ『医師レーの肖像』★
1889年:プーシキン美術館蔵;旧シチューキン)

この絵は、ゴッホが“耳切事件”後にお世話になった療養所の医師にお礼として肖像画を描いて贈ったものですが、もらった当人はその絵が気に入らず鶏小屋の穴をふさぐために使われたという伝説の作品。

シチューキンは描かれてから約
10年後、売りに出されていた作品をわずか150フランで購入しましたが、その後は国有化されて美術館の収蔵庫にしまわれ、売買されたり修復の手が入ることもなく現在に至ったようです。



朝日新聞の記事によると、ごく最近まで欧米流の修復技術の流入もなく図らずも名画の「タイムカプセル」となっていたため、「泡立てた生クリームみたいに、絵の具がピンと立っている」驚くほど状態が良い作品とのこと。

19世紀末の名画を、どのような事情にせよ画家が描いた当時のようなみずみずしさが残る状態で見られるのはうれしいことです。
前回ご紹介したルノワール『ジャンヌ・サマリーの肖像やゴーギャン、マティスなどの作品も殆ど修復の手は入っていないようです。


新興ブルジョワジーのシチューキンは、実弟をパリに住まわせ、自らもパリまで出向いて絵画の蒐集を行っていましたが、2人の息子と弟が相次いで自殺し、心労から妻も亡くなるという不幸に見舞われます。

その頃シチューキンは多数購入したゴーギャンの作品を「イコン」のように並べて壁に飾っていたそうですが、そのモティーフには、癒し効果や宗教画的な意味合いが感じられます。


ゴーギャンのコピー.jpg

★絵はがきゴーギャン『エイアハ・オヒパ(働くなかれ)』★
1896年:プーシキン美術館蔵;旧シチューキン)


ゴーギャンの所蔵していた写真の中に、インドネシアのボロブドール遺跡の浮き彫り写真があり、ゴーギャンはそれらの浮き彫りからいくつかの特徴的な人物像のポーズを自分の作品に取り込んで何度も使っています。
ゴーギャンが移り住んでいたタヒチの先住民の人物像に異国美術のポーズが融合し、なんともいえないエキゾチックな雰囲気を醸し出している作品に惹かれます。


シチューキンは、愛する者たちの度重なる死に遭遇した後、絵画蒐集に没頭するようになりましたが、そんな時期にマティスやピカソと出会ったようです。
さらに、シチューキンは自宅を一般公開して多くの人々が自分のコレクションをみられるようにしています。


シチューキン邸のコピー.jpg
★セルゲイ・シチューキン邸の広間(1913)★
(Photo by
展覧会チラシ)


この広間に飾られていた絵の1枚、ルノワールの『黒い服の娘たちが、2005年・東京都美術館のプーシキン美術館展に来日しています。
(↑正面右の壁、上段右端)

ルノワーール・黒い服.jpg
★絵はがきルノワール『黒い服の娘たち』★
1880-82年:プーシキン美術館蔵;旧シチューキン)


シチューキンは、モネのコレクションも所有していましたが、シチューキンが最初に購入した印象派の作品が今回来日した、モネ『陽だまりのライラックです。



モネのコピー.jpg

★絵はがきモネ『陽だまりのライラック』★
1872-73年:プーシキン美術館蔵;旧シチューキン)



シチューキンとモロゾフは、二人ともピカソの作品を数多く蒐集していますが、初期の作品を見ていたからこそ当時は殆ど評価する人がいなかった「キュビスム期」の作品も積極的に蒐集できたと言われています。


モロゾフが蒐集した「青の時代」のピカソ作品のひとつが2005年に来日しています。(↓)
ピカソ1901年のコピー.jpg
★絵はがきピカソ『アルルカンと女友達(サルタンバンク)』★
1901年:プーシキン美術館蔵;旧モロゾフ)


シチューキンは、1908年、「キュビスム」を始めた頃のピカソをパリのアトリエまで訪ねています。
50点以上のピカソ作品を購入したシチューキンは「ピカソの部屋」をつくりましたが、モノトーンが基調の「キュビスム期」の作品には壁の白い簡素な部屋をしつらえたそうです。

今回の展覧会には、1900年頃から1909年までに描かれた3作が来日しました。

ピカソ1905年のコピー.jpg

★絵はがきピカソ『マジョルカ島の女』★
1905年頃:プーシキン美術館蔵;旧シチューキン)

ライトブルーが美しい本作品は、「青の時代」から「ばら色の時代」への移行期に描かれた作品。



今回、キュビスム初期のピカソ作品『扇子を持つ女(1909年)が来日していますが、個人的には、前回来日したこちらの作品(↓)の方が好みです。

ピカソ1909年のコピー.jpg

★絵はがきピカソ『女王イザボー』★
1909年:プーシキン美術館蔵;旧シチューキン)


1918年、ロシア革命の勃発により、シチューキンのコレクションは邸宅ごと接収され、第1西洋近代美術館として国の管理下に置かれました。

同様にモロゾフのコレクションも第2西洋美術館として1019年に開館していますが、その後も二つのコレクションは時代に翻弄される運命をたどることになります。



穏やかで装飾的な作風を好み、体系だった作品蒐集を心がけたというモロゾフと異なり、自らの直感を信じ、前衛的で実験的な絵画を求めたというシチューキンのコレクションに、私はとても興味があります。
激動の時代を乗り越えて今私たちの目の前にある名画を見ることが出来た幸せを感じつつも、100年前にタイム・スリップして、シチューキン邸でコレクションを鑑賞することができたら良いのになぁとつくづく思います。


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