上野のパンダ来園40年、パンダ飼育の歴史を振り返る・・・・その2動物園を地域活性化のシンボルに [パンダ]
絵はがき★歴代の上野パンダたち★
カンカン&ランランから、リーリー&シンシンまで
上野動物園にパンダがきてから今年で40年ですが、現在のリーリーとシンシンを含めて10頭のパンダが上野で暮らしてきました。最初のパンダ、カンカンとランランの来園から、2008年4月にリンリンが22歳で死亡するまでの36年間に海外から6頭が来園し、4回の妊娠のうち2頭が無事に成長しています。
★トントンのテレカ★
上野動物園のアイドルだったトントンは、木登り上手なお転婆娘。
(パンダの赤ちゃんの性別判定は難しく、2歳くらいまでオス?と思われていた)
生まれてから生涯を上野だけで過ごしたパンダはトントンだけ。
前回の記事にも書きましたが私の上野パンダ歴はトントンにうまく面会できなかったことから昨年2月のリーリーとシンシンの来日まで空白でしたので、改めて上野パンダの歴史をさくっとおさらいしておきます。(参考資料:「マンスリー動物園」2012.10月号他)
《上野パンダの軌跡》
◆1972年10月28日、ジャイアントパンダ初来日:
カンカン(オス当時推定2歳)&ランラン(メス当時推定4歳)
◆1979年9月4日、ランラン妊娠中毒による急性腎不全で死亡(体内から胎児が発見された)
◆1980年1月29日、ホァンホァン(メス当時推定7歳)来園 →カンカンとのペアリングが期待されたが・・・・
◆1980年6月30日、カンカン急性心不全で死亡(推定9歳)
◆1982年11月9日、フェイフェイ(オス当時推定15歳)来園
◆1985年春、ホァンホァンとフェイフェイの人工授精実施
◆1985年6月27日、ホァンホァン第1子を出産するも43時間で死亡(→オスと判明し、チュチュと命名)
◆1986年6月1日、ホァンホァン第2子出産。
→公募により「トントン」と命名→後にメスと判明
◆1988年6月23日、ホァンホァン第3子出産。
→公募により「ユウユウ」と命名→後にオスと判明
◆1992年秋、ユウユウ(オス当時4歳)と北京動物園にいたリンリン(オス当時7歳)を交換
◆1994年12月14日、フェイフェイ老衰のため死亡(推定27歳)
◆1997年、9月21日、ホァンホァン腎不全のため死亡(推定25歳)
◆2000年7月8日、トントン急性腹膜炎で死亡(14歳)
◆2001年3月~2003年4月、メキシコのチャプルテペック動物園との共同繁殖計画のためリンリンはメキシコと日本を3回往復。
◆2003年12月3日、今度はメキシコからシュアンシュアン(メス当時16歳)が一時的に来園(2005年9月26日まで滞在)し、リンリンとのペアリングも繁殖には結びつかず
◆2008年4月30日、リンリンが死亡(22歳)
→その後およそ3年間、上野動物園にパンダ不在の期間が続く
2006年頃から、娘の影響でパンダ・ウォッチャーとなり、赤ちゃんパンダに魅せられて南紀白浜詣は3回経験していた私ですが、老齢のリンリンだけという上野には足が向きませんでした。
しかし、上野にパンダが一頭もいなくなってから動物園の入園者が減少すると、私たちだけでなく、これまではパンダがいることが当たり前と思っていた地元の方々も、改めてその存在の大きさに気づかされたといいます。
新たなパンダ来園には様々な困難があったのですが、上野観光連盟や商店街が中心となった『パンダを上野動物園に迎えよう!』という活動などの地道な努力が実り、ようやく中国から2頭のパンダが来園することが決定。わざわざ遠くまで行かなくてもいつでもパンダに会えることになりました。
★新装なったパンダ舎前★
(2011.4.20撮影)
◆2011年2月11日、リーリー&シンシン来園。3月11日の東日本大震災による休園のため一般公開は当初予定より10日遅れて4月1日からとなったが、初日は徹夜組を含めた3000人以上が朝から長い列を作った。
★2011年秋、丸太の遊具などが設置された屋外放飼場★
中国と共同でパンダと生息地の保全活動を行う「ジャイアントパンダ繁殖研究プロジェクト」がスタート。
日々の行動観察や健康管理を行うとともに、1頭でも多くのパンダが増えるよう、動物園での繁殖をめざすプロジェクトを支援するための『ジャイアントパンダ保護サポート基金』も発足。
パンダ舎の環境整備にも基金が活用され、設置された丸太の台は、2頭のパンダのお気に入りスポットになっている。
リーリーとシンシンが一般公開された2011年4月から、私は折に触れ上野動物園のパンダに会いに行くようになり、パンダが昼寝をしている時間帯にはマレーグマやホッキョクグマなど別の動物を観察したり、西園の不忍池の周りまで足をのばして休憩スポットでひと休みという楽しみ方を覚えました。
★頼もしいオスに成長、“バンブー王子”リーリー★
日本への長旅では、緊張からか食事を殆ど摂らず、付き添いのスタッフをハラハラさせたとか。
上野動物園に到着直後も、しばらくは落ちつかない様子だったリーリーも、上野の環境にすっかりなじみ、大勢のお客さんの前でも堂々とした振る舞いをみせている。
タケを食べるとき、においを嗅ぎ、うっとりする表情が愛らしい・・・・
地面にばったり倒れこんだ格好でリラックス
★実は繊細な性格、美人パンダ・シンシン★
四川からの長旅中も旺盛な食欲をみせ、上野に到着後はすぐに食事して熟睡。
「肝っ玉娘」と思われていたが、聞き慣れない物音や物体には敏感に反応。
正月の獅子舞の音に驚いて木の上に避難し、1時間くらい下りてこなかったことも。
今年の出産は残念な結果に終わったが、幼なじみのリーリーとの相性は良く未来は明るい。
飼育員にオヤツをおねだり
パンダ来園40年の今年は大人も楽しめる様々なイベントが開催されましたが、上野動物園は都心にありながら豊かな自然が楽しめる場所であることを今更ながら再認識しました。
昨年3年ぶりのパンダ来園時から、地元の商店街などは独自のパンダキャラクターを活用したキャンペーンやイベントを実施。また、1933年以来上野までの電車を運行している京成電鉄でも、パンダ人気を沿線の下町エリアの観光活性化キャンペーンに結びつけようとしています。
★うえのパンダくん&パンダちゃん★
上野観光連盟の公認キャラクターは、リーリーとシンシンの応援団長。うえのパンダのPRのため日々奮闘中。
★エキュート上野パンダ★
“パンダの町上野”のJR駅構内「エキュート」のシンボルキャラクター
エキュート内には、かわいいパンダ、おいしいパンダ、あったかパンダなどが大集合。
★京成パンダとうえのパンダくん&パンダちゃん★
上野動物園開園130周年の今年の夏は、上野公園に勤務する京成パンダも観光案内に協力。
☆☆京成沿線・下町エリア観光キャンペーンの
シンボルキャラクターは、リーリー&シンシン☆☆
リーリー&シンシンと一緒にお散歩できたらいいのにね。。。。。
☆☆パンダの町南紀白浜では。。。☆☆
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