お父さんはつらいよ・・・・『幼児キリストの養父・ヨセフ』は白髪頭の老人? [私的美術紀行]
今度の日曜日は「父の日」、史上最強のマドンナともいうべき存在の聖母マリアと比べて『キリストの養父・ヨセフ』は存在感が薄いように思い、聖母マリアの夫・ヨセフが主役の名画を探してみました。
ダヴィデの末裔にあたるナザレの大工だったヨセフが、まだ10代の乙女マリアと婚約・結婚した時、彼は既にかなりの年齢だったようでいわゆる“年の差婚”でした。
当時ヨセフは男やもめで先妻との間に子どもがいたという説もありますが、婚約者が自分のあずかり知らぬところで身重となったのはショックだったに違いありません。しかし、ヨセフはマリアの夫として身重のマリアをベツレヘムに連れて行き、キリスト降誕の時は産婆を捜し回ったり、のちにヘロデ王の蛮行から逃れるためエジプトへの逃避の際は高齢をおして母子を守るなどとても献身的なお父さんです。
それにしても、絵画作品にみるヨセフ像は、高齢を強調するように頭髪もまばらな白髪頭の老人として描かれたものが多いように思います。
絵はがき★ラファエロ「カニジャーニの聖家族」★
(1505-06年頃:アルテ・ピナコテーク蔵)
聖母子の画家・ラファエロがフィレンツェで活動をはじめた頃、この街の名家カニジャーニ家の注文によって描いた宗教画。
聖母子に加え、聖ヨセフ、聖ヨハネ、ヨハネの母エリザベツの5人が安定した三角形の構図に収まっている。
上部の天使たちは18世紀に一度塗りつぶされたが1983年に修復された。
本作品のヨセフは、杖にすがってやっと立っているかなり高齢の老人に見えますが、ラファエロはこの数年前には若々しい姿のヨセフを描いています。ヨセフ像のあまりにも激しい変わりようは依頼主の要望に応える為だったのでしょうか。
★ラファエロ「マリアの結婚」★
(1504年:ブレラ美術館蔵)
(Photo by「週刊 美術館」)
ラファエロは、本作品では14歳のマリアにふさわしい若者としてヨセフを表現しているが、この作品を描いた21歳の秋、ペルージャからフィレンツェに向かい、上述の別人のように年老いたヨセフ像を描いている。
★カラヴァッジョ「エジプト逃避途上の休息」★
(1595年頃:ドーリア・パンフィーリ美術館蔵)
(Photo by「もっと知りたいカラヴァッジョ」)
長旅に疲れた様子の聖母子の傍らでヨセフが譜面を持ち、天使が聖家族のためにヴァイオリンを奏でる。
優雅な曲線の天使の後ろ姿は、カラヴァッジョがラファエロやマニエリスム絵画を研究した成果。
聖母子の背後の風景描写からはカラヴァッジョの後の作品にはない叙情性が感じられる。
絵はがき★ムリーリョ「小鳥のいる聖家族」★
(1650年:プラド美術館)
以前訪問したプラド美術館で、“小犬に自分の手の中にいる小鳥を見せて遊ぶ幼子キリストを優しく見守るマイホームパパという「聖家族」”を、見つけてちょっとびっくり。
16世紀半ばの対抗宗教改革の影響で17世紀に『ヨセフ崇拝』も高まり、図像でもヨセフのトレードマークのようだった白髪が黒くなり、若返ってイメージアップした潮流で描かれた作品と考えられる。
★グイード・レーニ「聖ヨセフと幼児キリスト」★
(1638-40年:個人蔵)
(Photo by「西洋絵画の主題物語 聖書編」)
まさにマリアをヨセフに置き換えた聖父子像だが、初孫を抱き上げて喜ぶおじいちゃんのようにも見える?
★ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「大工のヨセフ」★
(1640年:ルーヴル美術館)
(Photo by 展覧会チラシ)
夜の仕事場で大工仕事に精を出すヨセフに、ローソクを持った幼いキリストが何か語りかけている。
当時の庶民の日常光景のように見えながら、ローソクの光に浮かび上がる父子の姿に深い精神性が込められた作品は、私のイチオシ「聖父子像」。
明暗の強調はカラヴァッジョの影響で劇的だが、ラ・トゥールは形を単純化させ、デフォルメするセザンヌの先駆者ともいえる。
本作の詳しい解説については、このブログでも何度か紹介しています有地京子さんの「ルーヴルはやまわり」をぜひご覧ください。
さて、お父さんつながりで「20世紀近代絵画の父」と称される画家セザンヌ父子についてのエピソードもちょっとだけご紹介。
(詳しくは、拙ブログのこの記事をお読みいただければ幸いです)
★セザンヌ「青い衣装のセザンヌ夫人」★
(1888-89年:ヒューストン美術館蔵)
(Photo by 2008年開催の展覧会のチラシ)
絵はがき★セザンヌ「画家の父」★
(1866年:ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)
南仏エクス=アン=プロヴァンスの裕福な実業家の息子として生まれたセザンヌは、事業の後継者となることを望む父の反対を押し切って画家になりましたが、画家として成功するまでには長い年月を要しました。
父の仕送りが打ち切られることをおそれたセザンヌは、パリで知り合った内縁の妻と息子の存在を父にはひた隠しにし、オルタンス夫人を正式な妻として父に紹介出来るようになったとき息子は14歳になっていました。
忍耐強くポーズをとり続けるモデルとして画家を支えたオルタンス夫人でしたが、その数年後、父の死によりセザンヌが莫大な遺産を相続し、生活が安定したとき妻との間は完全に冷め切っていたとか。
画家のサイド・ストーリーや作品の背景など、名画の裏に隠されたエピソードを知ると名画鑑賞の楽しみが深まりますね。
ダヴィデの末裔にあたるナザレの大工だったヨセフが、まだ10代の乙女マリアと婚約・結婚した時、彼は既にかなりの年齢だったようでいわゆる“年の差婚”でした。
当時ヨセフは男やもめで先妻との間に子どもがいたという説もありますが、婚約者が自分のあずかり知らぬところで身重となったのはショックだったに違いありません。しかし、ヨセフはマリアの夫として身重のマリアをベツレヘムに連れて行き、キリスト降誕の時は産婆を捜し回ったり、のちにヘロデ王の蛮行から逃れるためエジプトへの逃避の際は高齢をおして母子を守るなどとても献身的なお父さんです。
それにしても、絵画作品にみるヨセフ像は、高齢を強調するように頭髪もまばらな白髪頭の老人として描かれたものが多いように思います。
絵はがき★ラファエロ「カニジャーニの聖家族」★
(1505-06年頃:アルテ・ピナコテーク蔵)
聖母子の画家・ラファエロがフィレンツェで活動をはじめた頃、この街の名家カニジャーニ家の注文によって描いた宗教画。
聖母子に加え、聖ヨセフ、聖ヨハネ、ヨハネの母エリザベツの5人が安定した三角形の構図に収まっている。
上部の天使たちは18世紀に一度塗りつぶされたが1983年に修復された。
本作品のヨセフは、杖にすがってやっと立っているかなり高齢の老人に見えますが、ラファエロはこの数年前には若々しい姿のヨセフを描いています。ヨセフ像のあまりにも激しい変わりようは依頼主の要望に応える為だったのでしょうか。
★ラファエロ「マリアの結婚」★
(1504年:ブレラ美術館蔵)
(Photo by「週刊 美術館」)
ラファエロは、本作品では14歳のマリアにふさわしい若者としてヨセフを表現しているが、この作品を描いた21歳の秋、ペルージャからフィレンツェに向かい、上述の別人のように年老いたヨセフ像を描いている。
★カラヴァッジョ「エジプト逃避途上の休息」★
(1595年頃:ドーリア・パンフィーリ美術館蔵)
(Photo by「もっと知りたいカラヴァッジョ」)
長旅に疲れた様子の聖母子の傍らでヨセフが譜面を持ち、天使が聖家族のためにヴァイオリンを奏でる。
優雅な曲線の天使の後ろ姿は、カラヴァッジョがラファエロやマニエリスム絵画を研究した成果。
聖母子の背後の風景描写からはカラヴァッジョの後の作品にはない叙情性が感じられる。
絵はがき★ムリーリョ「小鳥のいる聖家族」★
(1650年:プラド美術館)
以前訪問したプラド美術館で、“小犬に自分の手の中にいる小鳥を見せて遊ぶ幼子キリストを優しく見守るマイホームパパという「聖家族」”を、見つけてちょっとびっくり。
16世紀半ばの対抗宗教改革の影響で17世紀に『ヨセフ崇拝』も高まり、図像でもヨセフのトレードマークのようだった白髪が黒くなり、若返ってイメージアップした潮流で描かれた作品と考えられる。
★グイード・レーニ「聖ヨセフと幼児キリスト」★
(1638-40年:個人蔵)
(Photo by「西洋絵画の主題物語 聖書編」)
まさにマリアをヨセフに置き換えた聖父子像だが、初孫を抱き上げて喜ぶおじいちゃんのようにも見える?
★ジョルジュ・ド・ラ・トゥール「大工のヨセフ」★
(1640年:ルーヴル美術館)
(Photo by 展覧会チラシ)
夜の仕事場で大工仕事に精を出すヨセフに、ローソクを持った幼いキリストが何か語りかけている。
当時の庶民の日常光景のように見えながら、ローソクの光に浮かび上がる父子の姿に深い精神性が込められた作品は、私のイチオシ「聖父子像」。
明暗の強調はカラヴァッジョの影響で劇的だが、ラ・トゥールは形を単純化させ、デフォルメするセザンヌの先駆者ともいえる。
本作の詳しい解説については、このブログでも何度か紹介しています有地京子さんの「ルーヴルはやまわり」をぜひご覧ください。
さて、お父さんつながりで「20世紀近代絵画の父」と称される画家セザンヌ父子についてのエピソードもちょっとだけご紹介。
(詳しくは、拙ブログのこの記事をお読みいただければ幸いです)
★セザンヌ「青い衣装のセザンヌ夫人」★
(1888-89年:ヒューストン美術館蔵)
(Photo by 2008年開催の展覧会のチラシ)
絵はがき★セザンヌ「画家の父」★
(1866年:ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)
南仏エクス=アン=プロヴァンスの裕福な実業家の息子として生まれたセザンヌは、事業の後継者となることを望む父の反対を押し切って画家になりましたが、画家として成功するまでには長い年月を要しました。
父の仕送りが打ち切られることをおそれたセザンヌは、パリで知り合った内縁の妻と息子の存在を父にはひた隠しにし、オルタンス夫人を正式な妻として父に紹介出来るようになったとき息子は14歳になっていました。
忍耐強くポーズをとり続けるモデルとして画家を支えたオルタンス夫人でしたが、その数年後、父の死によりセザンヌが莫大な遺産を相続し、生活が安定したとき妻との間は完全に冷め切っていたとか。
画家のサイド・ストーリーや作品の背景など、名画の裏に隠されたエピソードを知ると名画鑑賞の楽しみが深まりますね。
コメント 0