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ありがとうロビー・・・浦和を愛し、サポーターを心から愛した男がレッズを去った [サッカー]

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(「週刊サッカーマガジン」表紙より)

元日の国立競技場で、今季限りで退団するロブソン・ポンテと共に天皇杯決勝戦を笑顔で迎えたいというレッズサポの願いは叶いませんでした。

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年半にわたり浦和レッズの10を背負って戦い、2006年リーグ優勝、2007ACL優勝など私たちに数多の歓喜をもたらしてくれたロビーは次の所属先が未確定のまま15日ブラジルに帰国しました。

思い起こせばロビーがレッズに加入した2005年は波乱に満ちたシーズンでした。

2003
年のナビスコ杯初優勝に続き2004年にはステージ優勝を果たした浦和レッズですが、主力選手の相次ぐ電撃退団など誤算続きで、リーグ前半戦を下位で折り返すことになってしまいました。

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天皇杯優勝を喜ぶロブソン・ポンテ(左)とアレックス
Photo by 「ワールドサッカーダイジェスト」増刊号

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天皇杯優勝を置き土産に離日したマリッチ(左):
Photo by 「ワールドサッカーダイジェスト」増刊号

そんなレッズに当時の監督だったギド・ブッフバルトから強く望まれて助っ人としてドイツからやってきたのが、ブラジル人MFロブソン・ポンテと元クロアチア代表FWマリッチの二人でした。

ポンテは、レバークーゼン時代、チャンピオンズリーグで
13試合戦い、銀河系軍団のレアル・マドリードにも快勝する原動力となる実績がありましたが、財政難に直面していたレバークーゼンが契約延長しなかったためレッズは移籍金なしでポンテを獲得。
ポンテは、
Jリーグでもゲームメーカーとしての能力をすぐに発揮し、後半戦だけで8ゴールを挙げる活躍。エレガントな動きと優れたテクニック、広い視野のポンテのパスセンスにレッズサポは魅了されました。しかし10月にレッズの至宝・田中達也が大けがによる長期離脱というアクシデントもあり2005年のリーグ戦は2位で終了。

一方、半年間の契約で加入したマリッチは、リーグ戦ではあまり活躍できなかったもののレッズサポの熱いサポートにハートを奪われ、自身最後の大会となる天皇杯で大ブレイク。ストライカーらしいゴールを量産し、闘志を前面に出すプレーで味方を鼓舞。マリッチのおかげで元旦の国立で天皇杯を獲得したレッズはACL初出場への道が拓けたのでした。

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(2006年浦和レッズJリーグ初優勝
Photo by 「週刊サッカーマガジン」増刊号

ポンテが好調だった2006年から2007年シーズンのレッズはまさに黄金期といえる時代でした。
抜群のキープ力を持ちトップ下で活躍するポンテと、元ブラジル代表FWワシントンの得点王になる活躍に導かれたレッズは2006年に念願のリーグ優勝と、天皇杯連覇の2

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2007年ACL優勝
Photo by 「浦和レッズマガジン」

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ポンテは2007年のリーグMVPに)

2007年、初出場のACLでは国際大会における経験豊富なポンテ5得点でACL得点王になり、ワシントンの勝負強さにも助けられて初優勝。リーグ最終戦でポンテが負傷交代し、リーグ優勝を逃したもののポンテはJリーグのMVP輝くなどレッズサポはポンテと共に至福のひとときを過ごしました。

しかし、ポンテの怪我による長期離脱にあわせるようにレッズの栄光には陰りがみえ、2008年以降は、MF長谷部誠のブンデスリーガ・ヴォルフスブルクへの移籍やワシントンなど主力選手の流出や相次ぐ監督交代などが続き、チーム改革をおし進めたフィンケ監督に期待するも成績は低迷し、ホームゲームでの観客動員数減少がとまらないという負のスパイラルに陥っているようです。

2008
年半ばに怪我から復帰したポンテも年齢によるパフォーマンスの衰えと怪我が多くなり、以前のようなコンディションには戻りません。2010年は、試合中にピッチ上で若手選手にアドバイスするポンテを見る機会が多くなり、レッズサポもポンテとの別れの日が近いことは覚悟していました。

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(2010.11.14 対京都戦:
試合後のヒーローインタビューで号泣したロビー。
「自分の意思に反して退団することになりそうなのが辛い・・・」という思いがけないコメント)

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(横浜FM戦でゴールをあげ勝利に貢献したロビー)

とはいえ、9月にMF阿部勇樹が海外移籍し、ポンテの後継者と期待される山田直輝ら長期離脱の怪我人続出でベンチ入りメンバーも心許ないほど選手層が薄いチーム状態でポンテを必要としないという判断はしないのではと淡い期待もありました。

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ロビーのお別れセレモニーは、涙・涙・涙・・・・

最後のホームゲームとなったリーグ最終戦後の『ロビーとのお別れセレモニー』こそ仰々しいお膳立てでしたが、チーム躍進の功労者であるポンテに対してクラブはリスペクトの感じられない対応で切り捨てたというのです。

ところで、財政難を理由にポンテとの契約延長を拒んだレバークーゼンですが、“ポンテの創造性と広い視野を生かした展開力を失う”ことになったアウゲンターラー(当時)監督はクラブのお粗末な対応を批判し、「チャンピオンズリーグでチームに貢献したポンテのような選手を放出し、経験の浅い若手選手を入れてブンデスリーガ優勝を期待するのは間違っている」と言ったそうです。もともとあと1歩でタイトルを逃すことが多く『万年2位』とか『ネバークーゼン』揶揄されていたレバークーゼンは、監督の予言通り優勝することはなくチャンピオンズリーグ出場からも遠ざかっているようです

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そのレバークーゼンにレッズのMF細貝萌が先ごろ移籍しました(当面はアウグスブルクにレンタル移籍)が、“レッズで良い結果が出せないままの海外挑戦”という決断に悩む細貝の背中を押して励ましてくれたのはロビーでした。
最終戦後のセレモニーでポンテの隣で号泣していた細貝の姿を見て、海外移籍を確信したレッズサポも多いのですが、新天地での躍進を期待しましょう。
そういえば長谷部誠が所属するヴォルフスブルクは、かつてポンテとマリッチもプレーしていたチームです。チームメイト思いのロビーですから、長谷部にも的確なアドバイスをくれたに違いありません。

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ポンテと愛妻のダニエリさん:
以前浦和のイタリア食堂でチームメイトと一緒の夫妻に遭遇。
お2人のこれからの人生に幸あれ! )

日本をとても気に入り、妻と共に日本語を勉強し、日本のクラブでプレーを続行したいというロビーと日本で再会できるなら、たとえそのユニホームが何色でも私はロビーを応援したいと思います。

ドイツ時代からのポンテの個人応援歌はレッズサポに引き継がれましたが、日本でそのチャントを再び歌える日は来るのでしょうか?





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collet

この記事を読みながら涙が出てきて~~(T_T)
ポンテを愛するジョージさんも、
また愛すべき人物であるポンテも素晴らしい~~

Jリーグが始まってから、幾多の外国人選手の加入がありましたが、
選手本人やサポーターお互いが相思相愛になることは、
そんなに多いことではないですよね。
その意味でも、たとえ短いとはいえ、
ポンテも幸せな時を過ごすことができたでしょうし、
またサポーターもしかり・・・(-"-)

あとはポンテが望むような移籍ができることをわたしも祈ってますね!
by collet (2011-01-13 12:37) 

ジョージ

colletさん、ありがとうございます。
こんな素敵なロビーと出会えて幸せでした。
これまでたくさんの助っ人選手をみてきましたが、ロビーのように愛された選手はいませんでした。
(さらにスーツ姿がとても決まっていました。)

イタリア系移民の血をひくロビーは、早くに両親を亡くしてお兄さんと一緒に暮らしていましたが、若い頃にブラジルを出てドイツに移籍。言葉も生活習慣も異なるドイツで大変な努力をして成功したのに、縁あって日本へ。
言葉の勉強からやり直したロビーは、治安が良く食べ物もおいしい日本を気に入り、チームメイトともサポーターともとても良い関係でした。

浦和での5年半、若い選手たちの手本となり、苦しいときに救いの神となり、黄金期の浦和の中心選手として私たちに幸せなときをくれたロビーに心からの感謝を捧げます。
by ジョージ (2011-01-14 15:15) 

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