ササッパラ、さようなら・・・たくさんの思い出をありがとう [原村の小さなホール]
(2007.8原村合宿でのササッパラ)
昨年冬、学生時代からの仲間が二人相次いで急逝、友人たちとお互い健康には留意しようと誓い合ったばかりですが、今年も大学クラブ同期の友人、ササッパラの早すぎる訃報が届いてしまいました。
日本は長寿社会と言われているのに、私の周りの友人・知人たちはストレスの強い環境で働いていたのが災いしたのか、もともとせっかちな性格なのか“太く短く”の“人生60年タイプ”が目につきます。
(アナウンス訓練を受けた日吉キャンパス)
新潟県出身で、大学のクラブでアナウンス技術を習得したササッパラは、卒業後札幌のテレビ局のアナウンサーになり、テレビ局退職後も札幌在住でした。東京に住む私は残念ながらブラウン管の中のササッパラを見たり、実際に会う機会は少なかったのですが、彼の活躍ぶりは東京まで聞こえてきました。
ラジオの深夜番組のパーソナリティとして、テレビでは朝の全国ネットの情報番組で札幌地区のキャスターとして人気を博し、夕方のローカルワイド番組の初代プロデューサーとしても活躍。一時期は『視聴率男』の異名をとったそうです。
2006年役員で退職後は、独り者として自由気ままにオーストラリアのロングステイを楽しむなどリタイア生活を謳歌しているようでした。なかなか会えなかったササッパラと私が再会したのは2007年8月末、信州・原村でのクラブ仲間の合宿でした。
(2007.8原村合宿:節子さんの知人宅のツリーハウスで)
小林節子さんたちクラブの先輩と同期の仲間が2泊3日でとことん遊ぶ恒例の原村合宿ではいつも夜更けまで他愛もないおしゃべりをしたり、たいしたテーマでなくても“ケンケンガクガク”の議論を続けることを楽しみますが、2007年原村合宿のササッパラはいじられ役として大人気でした。
ササッパラがダジャレを言うたびに、皆から「レベルが低すぎる」とか「そのネタ古すぎて面白くない」などと言われたり、わざと誰も笑わなかったり・・・。
ササッパラは、“何故受けないのか?”首をひねりつつも、そんな仕打ちにめげることなく楽しそうにつまらないダジャレを連発していました。
(2007.8原村合宿)
スーパーで夕食の食材調達をしているとき、突然ササッパラが「ソース焼きそばが食べたい」と言いだしました。“野菜を入れると水っぽくなるので具なしの焼きそばがうまい”というのですが、私をはじめ女性軍は、“焼きそばは野菜や肉を入れた方が絶対おいしいし、作り方次第で水っぽくならない”と反論。「じゃあそれで作って欲しい」とお願いされたのですが、家庭用のフライパンで大人数の焼きそば作りは面倒なので、にべもなくリクエストを却下してしまいました。
ササッパラはしばらく不満そうに口を尖らせていましたが、女性軍の毅然とした態度に圧倒されたのか反撃をあきらめました。
(2007.8原村合宿:知人宅で弾けるササッパラの笑顔)
原村合宿では皆学生時代にタイムスリップした感覚なので、社会的地位に関係なく発言が却下されてしまうこともしばしばですが、長年役職者としてサラリーマン社会にどっぷり浸かっていたササッパラには“自分の意見があっさり却下される”ことが新鮮だったようです。
あんなにいじられまくっていたのに、合宿から帰宅した翌朝、“腹の底から、心の底から笑ったのは久しぶりでとても楽しかった”というメールがササッパラから届きました。
(楽しかった合宿の先に待っていたのは・・・)
しかし、2007年秋、思いもかけぬ闘病生活がササッパラを待ち受けていました。
翌年の合宿にササッパラの姿は見られず、年末に上京した彼を囲むささやかな忘年会で思いがけない“余命宣告”の告白を受けた私たちは大変びっくりしました。なんと原村合宿から帰ってすぐに病気が判明したとのこと。色々話をしてみると、“完治する望みをあきらめたわけではないけれど、残された時間を自分なりに自由に楽しみたい”という風に見受けられました。
昨年2月、旧友の通夜・葬儀のために札幌から駆けつけたササッパラは、入院加療中にしては元気そうに見えましたが、最後に別れの握手をした右手は人間の手とは思えないほどカサカサでした。
札幌に戻るため先に帰るというササッパラを見送る私たちに向かって大きく手を振りながら、ササッパラは得意の自虐ネタで「さらば、今生の別れ!」と叫びました。とっさに「しゃれにならないから変なこと言わないで!」などと言い返しましたが、皆かなり衝撃を受けてしまいました。
でも、あの浦和駅前での別れが本当にササッパラとの今生の別れになってしまいました。
東京出身の私は、大学入学で初めて東京に出てきたササッパラに対して“都会人として”教えてあげることも多く、なんとなくお姉さんのような態度でいつも接していました。こんなに早く別れがくるのだったら、原村合宿の時ササッパラに手作りのおいしい焼きそばを食べさせてあげればよかったなぁと“姉”としてはちょっぴり悔やまれます。
私たちにとって、原村合宿でのササッパラのつまらないダジャレと笑顔は、いつまでも忘れられない思い出です。
いきなりの投稿をお許し下さい。
叔父がとても楽しそうにしている写真を拝見し、思い切って書き込ませていただいた次第でございます。
叔父の葬儀は、本人の遺志に従い、1/23実家のお寺様にて、家族葬として滞りなく行って参りました。
親族としては、兄1人(私の父)に係わる家族しかおりませんが、親友のお二人にもご参列いただき、とても良い葬儀をさせていただくことができたと思います。
現在、実家は雪深いため、春の雪解けを待って、叔父の希望通り両親のいるお墓に納骨させていただく予定です。
このようなブログをお書きいただきまして、誠にありがとうございました。
by ササッパラ甥 (2010-01-25 11:33)
ササッパラの甥御さま、ブログへのコメントありがとうございます。
お葬儀や納骨のことなどをお身内の方からおきかせいただきこちらこそ大変感謝しております。
私たち大学クラブ同期の”愛すべき仲間”である”ササッパラ”(名付け親は、同期の男性です)は、大学卒業後は、テレビ局の仕事が超多忙のようで、たまに出張などで上京してもゴルフだけで帰ってしまい、2007年の原村合宿の
前に私が彼にゆっくり会えたのは、2004年のクラブOB会の総会くらいです。
その頃は、バリバリのテレビ局幹部というオーラを発していてちょっと近寄りがたい雰囲気もありました。
あの2007年の夏、原村合宿のササッパラはすっかり学生時代の彼に戻っていて、自分が真っ先に笑いながらくだらない駄洒落を連発。皆から散々いじられてもめげずに、なんとか私たちを笑わせようと一生懸命でした。
今思えば、あの合宿の主役は間違いなくササッパラのくだらない駄洒落とマシュマロみたいな笑顔でした。
リタイア後は学生時代の仲間と一緒に色々遊びたいと思っていたのに、思いがけない病のためにかなわなくなってしまいました。でも最後に仲間たちにたくさんの思い出を残してくれたことはうれしいことです。
雪解けを待って、ご両親のお墓に納骨とのこと。
ご冥福を心よりお祈りいたします。
ありがとうございました。
by ジョージ (2010-01-25 12:23)
はじめまして
笹原氏の訃報を知り関連記事を検索して
こちらにたどり着きました
闘病中だったことは存じ上げませんでした
役員を退職後、読売新聞に時々書いていたコラムから
今でも笹原さんらしい気ままなリタイヤ生活を楽しんでいると
思っていました
(ある意味最期まで楽しんでいたのかもしれませんが)
中高生時代ササッパラが大好きでした(結婚したかったほど・笑)
ちょっとシニカルな言動が局アナらしくなく個性的でした
ラジオのホール公開にも毎週のように通っていました
当時はアイドル並の人気者でしたね
風貌はアイドルとはほど遠いのに・・・笑
「ササッパラのアタヤン」も最高でした
こちらでお元気そうな写真を拝見できて嬉しかったです
相変わらずつまんない駄洒落を言っていた様子目に浮かびます
こうして今生の別れを重ねながら死ぬまで生きていくのですね
ありがとうササッパラ さらば!
by どさん娘 (2010-01-30 15:38)
どさんこ娘さん、コメントありがとうございます。
ササッパラのことをたくさんのファンの方が気にかけてくださったこと、旧友として大変うれしく思います。
闘病中だということはひた隠しにし、本当は寂しがりやなのにお見舞いも望みませんでした。
やつれた顔を他人に見せたくないと言う『ササッパラの美学』だったと思います。
東京在住の私は、うわさには聞いていても、あのササッパラが人気アイドルみたいにもてるなんてこと想像も出来なかったのですが、本当だったんですね。
昔の録音テープとかで、ラジオ番組でのササッパラのおしゃべりが聞きたいです・・・
ササッパラは天国にいってもつまらない駄洒落を連発していると思います。
でも、私はまだしばらくは彼のそばに行くのは遠慮したいですね。
by ジョージ (2010-01-31 14:35)
失礼致します。
今日は17日ですが、ここ数日札幌は寒い日が続いています。ここ数年、昔ほどは厳しくない冬が続いていましたが久しぶりに北海道らしい冬だな、などと思っていました。そして、昔はこんな寒い冬の夜、深夜放送を聴いていたな、という連想になり、次にアタックヤング、そしてササッパラ(敢えてそう書かせていただきます)と追想が連なっていきました。
そこでインターネットで調べたら、笹原氏が亡くなられていたことを知りました。
しかも、今日が一周忌とは!
当時、中学2年のぼくにとって、深夜放送とそのパーソナリティーはとても大きな存在でした。そう思われていた方はとても多いのではないでしょうか?
縁があって、1974年か75年ころにはバンドで函館でのイベントでご一緒させていただいたこともあります。アタックヤングのイベントだったと思います。
当時、ササッパラの人気はアイドル(?!)と言っていものでしたね。確かレコードもリリースされたはずです。かなり照れていて、その事について話すときはぶっきらぼうでした。
ササッパラのご冥福を心よりお祈りします。
そしてありがとう、と言いたいですね。
失礼致しました。
by 当時のリスナー (2011-01-17 13:07)
当時のリスナーさん、ササッパラのことを思い出してくださりありがとうございます。
東京に住んでいる私には深夜放送のパーソナリティとしてササッパラが北海道地区で絶大な人気を誇り、レコードまでだしていたことはきいていましたが、にわかに信じられませんでした。
大げさな自慢話くらいに受け止めていたことを、ササッパラに謝らなくてはいけませんね。
友人や親しい仲間以外にもササッパラのことを今でも忘れない方が大勢いらっしゃることは学生時代の仲間としてうれしい限りです。
ご訪問&コメント本当にありがとうございました。
by ジョージ (2011-01-17 16:24)