パリ、セーヌ川のほとりで、故ダイアナ元妃の記念碑を見つけました [海外旅行]
(ケ・ブランリー美術館)
元日の朝もパリは厳しい冷え込みでしたが、2006年にセーヌ左岸のエッフェル塔そばにオープンした「ケ・ブランリー美術館」に行きました。
(ケ・ブランリーは斬新な建物)
アフリカとオセアニアのコレクションが充実している国立の美術館は、フランスの『植民地時代の遺産の活用』という課題の元に新設されましたが、展示方法を含めて新しい美術館のあり方を模索していると聞きました。
ヨーロッパ以外の4大陸、アフリカ・アジア・オセアニア・南北アメリカ大陸から集められた原始美術や少数民族のコレクションですが、日本関係の展示は驚くほど小さなスペースでした。(個人的には、日本を紹介するのに何故このアイテムなのか?など多々疑問あり)
民俗学にはあまり詳しくないし、年末からの風邪のせいで体調が良くなかった私と娘は、館内をさくっと鑑賞してから、テラス席からエッフェル塔がよく見えるというカフェで軽いランチを摂りました。
(カフェからの眺め)
晴れていたら、とてもすばらしい景観のはずだったのですが、あいにくエッフェル塔の上部は雲の中。
このカフェは、美術館に関係なく利用できるので、天気の良い日にエッフェル塔をみながらのんびりしたいならイチオシの穴場です。そんなに寒くない時なら、屋外のテラス席が特におすすめですが、最高気温もマイナスになろうかという過酷な環境下では、外を希望するお客さんはいなかったようです。
入店待ちの列が長くなってきたので、私たちはカフェを出てセーヌ川にかかるアルマ橋を渡りました。
(アルマ橋からみたエッフェル塔)
(故ダイアナ元妃の事故現場はこの下のトンネル)
(「自由の炎」は、故ダイアナ元妃の記念碑にもなっている)
橋を渡りきったところの広場に金色の炎の形をしたモニュメントがあり、観光客が写真をとっています。なんだろう?と近づいてみると、故ダイアナ元妃の写真や、少し枯れかけた小さな花束がいくつもおかれていました。
1997年の8月、パパラッチの追跡を受けていたダイアナ元妃の車が事故にあったのはこの広場の下のトンネル内道路だったのです。私がはじめてパリを訪れた時に、その現場をバスで通ったのですが、この広場のことは今まで気づきませんでした。
持ち歩いていたガイドブックをみて『自由の炎』という記念碑であることを知りました。
1989年に、ニューヨークの『自由の女神像』の修復作業に対する感謝の記念にアメリカからフランスに寄贈されたものですが、金色の炎は、『自由の女神像』が世界を照らす松明部分のレプリカだったのですね。
ダイアナ元妃が事故死した悪夢の翌朝、“花束に覆い尽くされた『自由の炎』”をニュース映像でみたことを思い出しました。
事故のあった数日後、記念碑の広場は、ダイアナ元妃もファンだったという“20世紀の歌姫”マリア・カラス(ニューヨーク生まれ)の名前を取って「マリア・カラス広場」と命名されたとのこと。以来、仏米友好関係を象徴する『自由の炎』は、世界中から訪れるダイアナ元妃のファンによる花束が絶えないそうで、ダイアナ記念碑ともなっているそうです。
(エルトン・ジョン)
ところで、全くの偶然ですが、前夜ホテルの部屋で見ていたテレビの特番で、エルトン・ジョンが歌っているのを見かけました。故ダイアナ元妃と親交が深かったエルトン・ジョンが歌った「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」のシングルCDは、私も購入しましたが、全世界で3700万枚というシングル市場最大の枚数を売り上げがありました。
あの痛ましい事故の日から早くも10年以上が経過したのに、今でも訪れる人や花束が絶えない故ダイアナ妃。若くして急逝した美しい人のイメージは永遠に美しいまま・・・
コメント 0